明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



圓朝の写真作品は、掛け軸のバランスで全生庵の圓朝の幽霊画コレクションの如くにやってみたい。昔、泉鏡花でやってみたかったが、現在の、和紙も使えるインクジェットプリントの方が実現しやすいだろう。日本画の場合、月や行灯が描かれていなければ昼夜判らない。まったく陰影のない撮影方法で日本画調にならないだろうか、とも思うのだが、印影を消したからといって、それで単純に日本画調になるものだろうか。 日本画といえば、鏑木清方の描いた圓朝の表情が、何か企んでいるような目つきで、撮られた、あるいは書かれた圓朝像とはイメージが違う。親しい清方だから知る圓朝の一面を描いているのか、と考えたが、そのことに対する清方の知られざる圓朝像の証言でもあれば別だが、確信のないまま、清方に影響されるのは危険だ、と写真のみを参考にした。しかし本日、仮に黒目を入れ、さてどこからどう撮ろうと観察していると、角度によって、私が意図せず、作ったつもりのない、何事か企んでいるような圓朝の表情があった。立体ならではである。
HP

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