明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

閑話  


行灯皿は、蠟燭や灯火器の類いを置いたり垂れた蠟燭、油を受けたりする地味な存在ではあるが、そのわりに描かれた絵に趣があり、今であったら食器にも使えるだろう。コレクターも結構いるようで、なかなか高価で、骨董市では見つけても値段を聞く気にもなれない。あくまで撮影用である。その点、灯心に油で火を灯すひょうそくやタンコロという灯火器の類いはデザインが様々で面白いわりに、灯りを灯すしか使い道がないからか、案外入手し易い。特にひょうそくは。私が陶芸の学校に通っていた頃知っていたら、卒業制作に二升徳利など作らず、こちらを作ったかもしれない。いや、それはない。 今でこそ灯りを見つめてシミジミなどと風流じみたことを考えるが、いつかアパートの押し入れに一斗樽を置いて、キュッとひねっては、いつでも好きな時に飲めるように、などと夢想していたような学生だったからである。二升徳利から注ぐ際にはねないようなぐい飲みを、と便器の構造をじっと見つめたりしたが、たんに落ち着いて注げば良いという結論に至った。それにしても以来、二日酔いをまったくしない体質は親に感謝しなくてはならない。(正確にいうと一度だけある)ついでにいえば、モニターをいくら観ていても目が疲れない、というのも有り難い。さて来週はいよいよ撮影開始である。


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