明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『隋録三遊亭圓朝』(藤浦富太郎) 役者が圓朝に扮した場面は四つあった(和49年時点)最初は歌舞伎座で明治二十年代、五代目菊五郎が演じている。凝り性の菊五郎は良く似せた。二回目は前進座が新橋演舞場にて中村翫右衛門。写実的で扮装を凝らし、仲々よく似ていた。 “第三回は安藤鶴夫演出の明治座新国劇の一幕もので島田正吾の圓朝、辰巳龍太郎の山岡鉄舟。この島田の圓朝が、実物に似ていること、全く怖いようだった。頭の形が本物そつくりで、オールバックで自然に波を打っている毛癖まで、よくも似せたものだと思った。正面は似せても、背面は似せにくいものなのに、島田の場合は前もうしろも、扮装の妙が圓朝の血漿を思わせた。”この後楽屋にいって芝居の出来を喜び、扮装の出来映えを褒める。“島田の鏡のうしろの壁に、清方画伯の描く処の圓朝像の、胸から上のカラーの大うつしが貼ってあり、写真は見本に使はなかったようである。写そうとする扮装には、写真より寧ろ肖像画に拠る方が、確かだということを私はしった。” 藤浦がここで言及しているのは役者の外面的なことのみだが、私はこの一文で2杯はいけた。島田正吾の気持ちを想像した。我々は道は違えど“圓朝とはなんぞや”仲間である。頭の中で乃木大将とステッセルの如く握手をした。作っているものが古いと例えも古臭くなる。 そういえば私は島田正吾と辰巳龍太郎の連名の色紙を持っている。

HP

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