明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



全生庵の圓朝旧蔵の幽霊画の中にもコレクションされている伊藤晴雨はあらゆる風俗を描き残し、それは時代考証的にも貴重であるが、それよりやはり責め絵師としての方が知られている。226事件当日、青年将校が国家を憂いて決起した同じその日に奥さんを雪積もる中縛って撮影させている。 2001年、まだブログなどない頃に身辺雑記を初めて5日目に書いた物がネット上に残っていた。私もなにも5日目に書かずとも、という内容なのだが、今の常識では考えられない話しなので転載してみる。
『7・某日5 機関車縛りの手法  画報風俗奇譚・昭和三十五年四月臨時増刊号
伊藤晴雨追悼特集 伊藤晴雨の奇人ぶりを語る(古今亭今輔他三人による座談)など面白い記事がある。野村佳秀の「責め絵の道一すじに生きた鬼才」のなかの機関車縛りの手法という記事が面白い。ある朝いつになく興奮した晴雨が「田端の駅長とは話しがつきました。」というところから始まる。前日、晴雨は、責めの新しい手法を考えついたのだが、それは、機関車の大車輪に、女を大の字にしばり、機関車を動かし、レールにはカンシャク玉をを置き、そばで花火の火花をパチパチ散らすというトンでもないものである。その撮影の相談を受けた野村が先生のイメージだと無理だと答えると「田端の駅長はOKだし、貨物列車のあき線を使ってやればと駅長もいっていたし・・・。」その後こんな場面をイメージしているという晴雨の熱い話しが続く。結局この撮影は実現しなかったのだが、最後まで執着していたようである。許可した田端の駅長が凄い。』晴雨も晴雨だが機関車の車輪に女を大の字に縛り、カンシャク玉パンパン、花火パチパチを貨物列車の空き線でやれば?といった田端駅駅長。おおらかな良い時代だった、という話なのだろうか?
HP

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