明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



制作中の人物の人となりを知るため、伝記、伝聞の類いを読むのはいつものことだが、何を読んでも、若い頃こそキザな目立ちたがり屋であったが、優しい気遣いの人物と描かれている。今回いつも以上に資料を読んでいるのは、ひとえに親しかった鏑木清方の圓朝像のせいである。あれを見ると、何か見逃していやしないか、とつい読まずにいられなかった。読み比べて面白かったのは、各人同じエピソードでも解釈の違いがある。 『隋録三遊亭圓朝』藤浦富太郎著(限定300部 非売品A5判 、72ページ 、出版元:円朝考文集刊行会 、刊行年:昭和49年)を入手。著者の藤浦富太郎の父親藤浦三周は、京橋にあった青物市場、大根河岸で青物問屋を営んでおり三遊亭圓朝の後援者だった。圓朝の没後、二代目が決まらない中、圓朝の残した幽霊画のコレクションと共に、一応借金のカタということで圓朝の名跡を、あずかることになったらしい。その倅富太郎の八歳から十五歳の間の見聞記である。『子供の覚えていたことだそうだが、本当かしら、と疑う方もあるだろうが、自分で言うのはおかしいが、圓朝記録に関する限り、私の記憶は正確である、御懸念無く。』着彩にはいるのは、これを読んでからにしよう。
HP

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