明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


篆刻用のはんこを固定する印台が届く。日本画風にするならハンコを押したらどうか、と篆刻をしてみることにした。昔一度やってみたことがあるが、選んだ石があまりに硬く、思ったようにいかなかったので今度は考えて選ぶことにする。まずは使っていないツゲのハンコを潰して練習。プリントサイズが未定なので、サイズも何種類か作ることにする。 ヒトダマは白一色にするつもりだったが蠟燭の炎にも中心部がある。濃さの違う墨でもつれ絡まったようなヒトダマも描いてみたくなる。となるとただ白色の炎より色を付けた方が良い。 牡丹灯籠のお露は新三郎に焦れ死にする。焦れ死ぬというのも凄いが、やはりただ振り袖姿の娘をシャナリと登場させるだけでは私としては全く物足りない。是非焦れ死んだ感じを出したい。となるとあれがいるだろう。“及ばざるくらいなら過ぎたる方がマシ”の私である。こういうことはすぐ浮ぶ。しかしそのおかげでお露のなり手がいなくなっても困るのだが、経験上、私の撮影に協力してくれるような女性はおおかた面白がってくれることになっている。 圓朝はいったいどんな調子で「カランコロン」と発音したのであろう。幽霊の登場シーンが下駄の音から、というのは実に見事な演出である。これがなければ『ゲゲゲの鬼太郎』の歌も違っていたわけである。

HP

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