明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



『隋録三遊亭圓朝』(藤浦富太郎)は後援者の坊ちゃんの目から書かれていて、伝記の類いと一味違って面白い。洋食好きの圓朝に連れ出され、始めて洋食を食べた話しだとか、明治天皇の前で口演するにあたりしつらえたフロックコートに背広を、“もう洋服は着ないから”貰った話しなど。 写真資料が潤沢にないときは、特に有効なのは“読むスケッチ”である。これは意識してどうこうはできないが、無意識のうちに間違いなく造形に作用してくる。写真は形こそ参考になるが、長時間露光のしばらくじっとしている撮影では、人となりまでは表現されず、真を写す、などと甘く見ていたら騙されてしまう。人にはこう見られたい、という欲があり、これがくせ者である。 何度も書いているが、ゾッとしたのは、2007年江戸東京博物館の『文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし』展。街に貼られた大判ポスターを何気なく眺めたら、鼻の付け根あたりがなんとなくモヤモヤと。修正を疑って、数日後入稿期日のフリーペーパーの表紙の漱石を急遽正面を向かせた。果たしてそこに出品されたデスマスクの鼻は思い切りカギ鼻であった。文豪先生がそんなことを気にしていたとは国民は思ってはいない。例えば弟子の一人や守秘義務など気にしない写真師が書き残した物があれば、もっと早く危険は回避されただろう。もし、私がだまされ、その間違いに気が着いた人いることを想像したら実に怖い。なぜなら会場に展示された映画宣伝用に数百万かけて作られた実物大の漱石像のまっすぐな鼻筋を見て、『こんなもので数百万?シビアさが足りねエんだよバカ野郎!』と私は思ったからである。あぁ嫌だ。

HP

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