明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



島田正吾が写真ではなく鏑木清方の圓朝像を参考にしたのは、清方が圓朝の特徴を抽出しているからであろう。物まね芸人の芸を真似る方が本人を真似るより楽なのと同様であろう。例えが適切ではないが、島田はあくまで役作りとして圓朝の外見を真似たに過ぎず、本領はその演技だったことはいうまでもない。しかし、私としては制作するに当たり写真が1カットでも残っているなら、他人の創作物を写す訳にいかない。島田正吾とは事情が違うし創作者としての意地もある。しかし藤浦富太郎がやたらと圓朝の波打つクセ毛に言及するほど、写真の圓朝の毛にクセはない。撮影にあたって散髪をし、普段より丁寧に撫で付けていたことは充分考えられる。そこで熟考の末、清方作品なみに、髪のウエーブを足すことにした。  圓朝作品には『鰍沢』『文七元結』など数あるが、なんといっても怪談『牡丹灯籠』であろう。小島正二郎『円朝 上』によると世間一般では浅井了意の『お伽婢子』の中に収められている同名の作品(中国の話)を換骨奪胎したものと思われているがそうではなく、題名と牡丹灯籠を手にして幽霊が恋人のもとを訪れるくだりを借りているにすぎないという。作中では女房が厄介になっていた近江屋の話を聞いてヒントを得たことになっている。近江屋の次男で美男子弁次郎は、仮宅が深川の洲崎にあり、富岡八幡の境内の茶の宗匠のもとに通う木場の材木問屋の娘おつゆに一目惚れをされ〜。 カランコロンと現れる幽霊のおつゆと女中のお米だが、お米は近所のT屋のカミさんにやってもらう予定だが、肝心のおつゆはT屋の末娘のAちゃんにお願いするはずが大学生活で忙しいので、と断られてしまった。あの小学生だったチビッコ、と思っていたら、先日見た所170センチに近かった。実現していれば、まさに“木場のおつゆ”になるはずだったのだが。

HP

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