明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



清方の圓朝像は当時の高座を再現した作品だと思い込んでいたがそうではなかった。 新聞に掲載される圓朝の速記は、新聞社の主だった数人、挿絵担当の芳年などが静かな座敷に集まり、休憩をはさみたっぷり2席を聴く。それが木挽町の清方宅だった場合もあったそうで、それを懐かしく思い出しながら昭和5年に描いたのがあの作品で、描かれた調度品はすべて清方の私物だそうである。 木挽町の清方宅といえば、挿絵を依頼しに来た泉鏡花と座敷で自身が対面しているところを描いた、あの家だろう。最初に入手した菊型の燭台は、あれに似た物が清方の私物で寄席の雰囲気を出すために圓朝の両脇に配したとなれば、清方作品のオマージュを制作する場合に使用し、寄席の再現には、別に入手した黒い漆塗りの簡素な燭台を使用するほうが良いかもしれない。 一人何をブツブツいっている。また個人タクシーのMさんにつまらねえ、といわれそうだが、これが当ブログなのであって、近所の酔っぱらいの話しを書いて、極近所の人にウケたところでしかたがないのである。

HP

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