偉大な日本の政治家麻生太郎自民党副総理兼財務相が1月3日(2013年)、ミャンマーを訪問、首都ネピドーでテイン・セイン大統領と会談、安倍首相の親書を手渡し、日本が経済支援を進める方針を伝えたと次の記事が書いている。
《麻生氏が経済支援を表明 ミャンマー大統領と会談》(あさひテレビ/2013/01/03 23:13)
麻生副総理「(安倍内閣で)最初に(外国訪問に)出た閣僚が選んだ国がミャンマー。(ミャンマーを重視する)我々のメッセージがお分かりと思いますが」
麻生太郎の発言を記事の注釈抜きに書くと、次のようになる。
麻生副総理「最初に出た閣僚が選んだ国がミャンマー。我々のメッセージがお分かりと思いますが」・・・・
素直には意味が通じてこない、知性を鋭く感じさせる発言となっている。
記事付属の動画でも、立ち止まった姿勢で、姿は見えないが、日本の記者に喋っているのだろう、上記通りの発言を行なっている。
記事も動画も発言の最後が途切れているが、常識として考えた場合、「我々のメッセージがお分かりと思いますがとテインセイン大統領に伝えた」、あるいは「伝えたいと思っている」とまで言ったと思うが、「最初に出た閣僚が選んだ国がミャンマー」ではなく、「最初に閣僚を出す国としてミャンマーを選んだ」が的確な言い方であろう。
それにしても相手国に伝える言葉として、「我々のメッセージがお分かりと思いますが」とは恩着せがましい。麻生自身の恩着せがましい性格が出たといったところか。
会談の具体的な援助提案は、〈ミャンマーが日本から借りている延滞債務5000億円のうち3000億円を日本が放棄し、さらに日本が3月までに円建ての低利融資500億円〉の実施と、〈新たな融資で火力発電の修繕や経済特区の開発〉支援となっている。
安倍親書の内容について記事は、〈麻生副総理は、ミャンマーの民主化改革を全力で支援するとした安倍総理の親書を大統領に渡しました。〉と解説している。
解説の趣旨を忠実に解釈すると、我が安倍首相はミャンマーの民主化改革をテインセイン大統領の側から働きかけていく方向性を持った民主化改革と見做していて、そのような民主化改革を支援すると親書で約束したということになる。
だが、政権の側からの民主化改革は無条件であることから離れて自己政権維持の都合上、あるいは自己政権維持の利害に絡めて意図する、あるいは推し進める民主化改革という制約を負うことを歴史は教えている。
当然、日本の安倍政権はどの程度ずつの言論の自由なのか、どの程度ずつの政治犯釈放なのか等々はテイン・セイン大統領の意向や利害に添った民主化改革の進展を容認することになる。
安倍親書はテイン・セイン大統領の意図や利害とは関係なしに国際社会との関係構築の必須の条件としてなお一層の民主化を求め、最終的には全面的な民主化、全面的な基本的人権の自由の保障への帰着を促す、西欧諸国の監視下と要請下での民主化促進の体裁を内容としていなかったということであろう。
安倍晋三は「韓国は民主主義や市場主義などの価値観を日本と共有する」として悪化している韓国との関係改善を求めながら、ミャンマーと厳密には「民主主義や市場主義などの価値観を日本と共有」しているわけではないにも関わらず、テイン・セイン大統領の思惑の範囲内の民主化支援にとどめようとしている。
この程度の民主化改革支援なのはどの記事を見ても、麻生副総理が「民主化」という言葉を使っている発言を紹介していないことからも証明できる。
テイン・セイン大統領と会談後の1月4日、麻生太郎はミャンマーの最大都市ヤンゴンで記者会見を行なっているが、次の記事が紹介する麻生発言にも「民主化」という言葉は含まれていない。
《“ミャンマーの民主化進展を注視”》(NHK NEWS WEB/2013年1月4日 22時9分)
記事は、〈現地で記者会見し、安倍政権としてもミャンマーの経済発展を後押ししていく一方で、外国企業が進出しやすくなるような制度の整備や民主化の進展を注視していく考えを示しました。〉と書いているが、国際社会との関係構築の必須の条件としてなお一層の民主化を求める意志のもとミャンマーを訪問していたなら、訪問の重点項目として自らの口から一言、「民主化」の言葉を発するべきであるし、重点項目として発した以上、どの記事もその発言を紹介していたはずだ。
麻生太郎「ミャンマーは人口が多い、賃金が安い、港が整備される、電力は安定しているとなれば、アジアの中では進出条件はいいほうだ。
このあとの経済改革がきちんと進んでいくようにやってくれるということが、日本政府が一番関心を持っていかないといけないところだ」
日本の側の経済利益一辺倒からの発言となっている。しかも日本政府の一番の関心事は「経済改革」の進展だとしていて、関心事の重要項目の一つに民主化改革を加えていない。
加えていたなら、マスコミはその発言を紹介するだろうから、紹介していないのは「民主化」に関わるどのような言葉も発しなかったから、紹介できなかったといったところであるはずだ。
また、安倍政権の狙いがテイン・セイン大統領の思惑の範囲内の民主化支援であるのは、「(安倍内閣で)最初に(外国訪問に)出た閣僚が選んだ国がミャンマー」でありながら、軍事政権下で民主化闘争を推し進めてきたミャンマー最大野党のアウン・サン・スー・チー国民民主連盟(NLD)中央執行委員会議長と会談しなかったことが何よりも証明している。
アウン・サン・スー・チー女史と会談し、彼女の民主化改革意志に対する支援表明を行なうことによって、ミャンマーの民主化改革がテイン・セイン大統領の思惑の範囲内にとどまることを許さず、国際社会が共有可能とする範囲内へと強力に推し進める一助となり得る。
だが、さらさらその意志がなかったからだろう、アウン・サン・スー・チー女史との会談はなかった。
安倍政権がミャンマーに求める民主改革の程度が知れるというものである。
オバマ大統領は2012年11月19日、ミャンマーを訪問、テイン・セイン大統領と会談後、アウン・サン・スー・チー女史の自宅を訪れて、会談している。ミャンマー政府はオバマ大統領のミャンマー訪問に合わせて、同19日、政治犯を釈放している。
また、オバマ大統領ミャンマー訪問に先立つ2012年9月18日、アウン・サン・スー・チー女史はアメリカを訪問、クリントン国務長官と会談している。
オバマ大統領とクリントン国務長官のアウン・サン・スー・チー女史に対する会談はミャンマーに対する民主化の要望がミャンマー政権の都合による民主主義ではなく、国際社会の民主主義のレベルであることの象徴でもあるはずである。
だが、安倍晋三のミャンマーに対する民主化要請はテイン・セイン大統領一人を相手にしたものだった。
以下、「Wikipedia」を参考。
かつて旧自民党政権時代の日本はビルマ(1989年、ミャンマーと国名変更)と1954年11月の平和条約締結以来、友好関係を築いてきた。ネ・ウィン将軍が1962年3月2日に軍事クーデターを起こした以後も、欧米諸国とは対照的に巨額の援助を施し、最大級の援助国にのし上がっている。
さらに1000人以上の国民を虐殺し弾圧を加えた1988年の軍事クーデター後に成立した軍事政権をいち早く承認し、〈軍事政権との要人往来や経済協力による援助を実施し続けてきた。〉――
要するに旧自民党政権下の日本はミャンマーの軍事独裁政権下の人権抑圧を経済援助や二国間関係の障害とするDNAを刷り込んでいなかった程度の人権感覚だった。
以下、《アジア・太平洋の窓 ビルマ(ミャンマー)の民主化運動~軍政を支援してきた日本の責任は》(ヒューライツ大阪(財団法人アジア・太平洋人権情報センター/2007年11月発行号)による。
地方遊説中だったアウンサンスーチー氏の一行を軍事政府傀儡団体USDA(連邦団結発展協会)会員らが襲撃、多数の死傷者を出した事件を受けて、日本政府は新規の援助を見直し、人道的な理由かつ緊急性がない援助は停止。
だが、2005年度には2004年度の経済援助の2倍近くに戻っているという。
そしてここに来て、安倍晋三はテイン・セイン大統領の思惑の範囲内にとどまる民主化支援を申し出た。旧自民党政権下の人権抑圧を経済援助や二国間関係の障害としないDNAを僅かであっても、未だ残した関係性を維持しようとしていると言うことができる。
ミャンマーの現在の人権状況を伝えている記事がある。《ミャンマー、50年ぶり民間の日刊紙復活 今春発行 言論の自由焦点》(MSN産経/2013.1.4 21:23)
ミャンマーのテイン・セイン政権が昨年の事前検閲の撤廃に引き続いて、民間による日刊紙の発行を4月から許可することを決めたという内容の記事である。
そして記事最後に、メディア側にとっての今後の「最大の関門」はミャンマー政府設置の〈「新聞評議会」を舞台に策定作業が進められている新報道法案に、民主主義の根幹である言論・報道の自由が、どこまで担保されるかという点だ。〉と解説している。
「最大の関門」に対する具体的要求項目――
(1)言論の自由の絶対的な擁護
(2)報道の自由の障害となっている全法律の撤廃
(3)報道に基づくジャーナリストの不逮捕・投獄
(4)新聞発行の認可制度廃止
この要求の裏をそのまま返せば、ミャンマーの人権状況、民主化の進展程度を窺うことができる。
にも関わらず、安倍晋三は旧自民党政権時代のDNAを残して経済関係、日本の経済利益を優先させて、ミャンマーの民主化をテイン・セイン大統領の思惑の範囲内の進展に任せ、経済支援の付け足しのように民主化改革の支援を約束した。
このような状況は安倍晋三や麻生太郎の人権感覚の、程度の知れた同等な反映でもあるはずだ。