日本の教育が暗記教育であることを前提とする。暗記教育である以上、一般的に言って、教育に時間をかける程、暗記量が多くなって、成績が上がることになる。
だが、学校教育に於ける成績という名の成果はそれを競い合う児童・生徒にとって上限はない。成果が児童・生徒それぞれの暗記能力によって個人差が生じる上に、例えテストで100点満点を取るだけの個人差の頂点に立ったとしても、その成果に満足して、競い合いを停めるわけにはいかない。異なるテストの設問に暗記能力を同じように100点満点分発揮する保証はないからだ。
また年齢と共に教育内容が難しくなった場合、これまでと同様に個人差の頂点に立つ保証もない。
いわば一度や二度100点満点を取ったとしても、それがその場の上限足り得ても、将来に亘っての恒久的な上限を保証するわけではない。
中には早々に暗記能力で競い合うことを諦めて、受験戦争の戦場から脱落する児童・生徒も存在するが、その場その場の成果を恒久的な上限とすることのできない、常に競い合いを運命づけられた児童・生徒はその上限のなさを時間を掛けた努力で以って暗記能力に磨きをかけ、解決しようとする。
このような上限のなさと時間をかけた努力との追い掛けっこの心理的な蟻地獄に陥った児童・生徒は蟻地獄から逃れることの強迫観念に駆られて学校の授業以外にも時間を求めて恒久的な上限を克服できないままに克服しようとする。
学校の授業以外の時間とは勿論、塾の時間であり、裕福な家の子は家庭教師が用意する時間である。
あくまでも一般論だが、塾に通って、そこで受ける塾の授業時間に応じてテストの回答に必要な知識・情報を叩き込まれた児童・生徒の方が塾に通わない児童・生徒よりも成績が良いのは当然の帰結であろう。
例え塾に通わない代償に家でテスト勉強をしたとしても、塾の効率の良い知識・情報の叩き込みに敵うとは言えない。
成績という上限のない成果を他者よりも時間をかけた努力によってその時期その時期のその場限りの上限を克服しようとする以上、可能な限り年少の頃から学校の授業に限らない、それ以外の時間を求める必要が生じる。
あるいは同じ学校の授業時間を利用するにしても、高度な知識・情報を効率よく成果とすべく優秀な教師を集めた私立の小学校・中学校に通って、その場限りの上限に挑戦させるという手もあるが、これも所得に十分に余裕がないと叶わない。
カネが許すなら、最善は優秀な教師を集めた私立の小学校・中学校に通い、尚且つ東大生とか京大生とかの家庭教師を雇う、あるいは有名塾へと通う方法が、単に大学卒ということだけではなく、比較的有名大学卒、あるいは絶対的有名大学卒というよりよい学歴獲得の早道となり得る。
いわばカネをかけることと時間をかけることが何よりの有効且つ高度な上限達成の手段となっていて、学校教育に関わる自身の上限を最終的に知ることになる。
このようなことを可能とするのはやはり日本の教育が暗記教育だからであって、暗記教育を前提とした教育構造が学歴に於けるそのような人生コースを採らしめる。
かなり前だが、九州からだったか、飛行機で東京だかの塾に通う小学生をテレビが取り上げていた。
以上のような結果がつくり出すこととなった親の収入格差が子どもの学力格差、その成果としての学歴格差という図式の社会的固定化であろう。
親の子どもに対する年少からの教育投資の有無、額の多寡が子どもの将来を決定する。
政府・自民党は祖父母が孫などに教育資金を纏めて贈与した場合、贈与税の一定額を非課税とする減税措置を創設するという。
1月11日(2013年)に閣議決定した《「日本経済再生に向けた緊急経済対策」について》には次のように書いてある。
〈高齢者の資産を若年層に移転させるとともに、教育・人材育成をサポートするため、祖父母からの教育資金の一括贈与について、贈与税を非課税とする措置を創設〉――
非課税とする贈与額については言及していないが、新聞記事によると、1千万~1500万円を上限とする方向で調整しているという。
この税制措置はまさしくカネ持ち優遇の教育格差拡大に貢献する政策となり得る。
勿論、教育面での低所得者対策も公約で手を打っている。
『J-ファイル2012 自民党総合政策集』
〈高校授業料無償化については、所得制限を設け、低所得者のための給付型奨学金の創設や公私間格差・自治体間格差の解消のための財源とするなど、真に公助が必要な方々のための制度になるように見直します。〉――
だが、教育格差は親の収入に応じて幼稚園児等の年少の頃から始まっているのである。児童手当等で補助を受けたとしても、カネ持ちの子どもに対する教育投資額に焼け石に水の太刀打ちし難く、給付型奨学金を受ける頃には既に大きな差がついているはずだ。
カネ持ちはカネ持ちの子孫を残し、貧乏人は貧乏人の子孫を残す。その循環が続く。
学歴不問のお笑い芸人になるのもいいかもしれないが、生き残るのは僅か、なかなか大変だ。