アルジェリア武装勢力襲撃事件/邦人死者名公表・非公表、双方共にあるメリット・デメリット

2013-01-24 10:33:55 | Weblog

 テロ襲撃事件日本人犠牲者の氏名公表についての1月21日深夜記者会見。 

 記者「時間をおいて政府から(犠牲者の)氏名を発表することはあるのか」

 菅官房長官「ご家族は大変悲しみ動揺されている。氏名の公表は日揮関係者と相談し、避けていただきたいとのことだったので、政府としては公表しない」(MSN産経)――

 1月22日の記者会見。

 遠藤毅日揮広報・IR部長「政府にもご理解をいただいている。今回生き残って帰ってくるスタッフ、残念ながら死亡して遺体となって帰ってくるスタッフ、それから亡くなった人たちにはご遺族がいる。厳しい体験をした本人、ご遺族への配慮を優先させたい。これ以上ストレスやプレッシャーを与えることは会社として避けなければならない」(MSN産経)――

 要するにマスコミが遺族から近親者、近所にまで殺到して根掘り葉掘り取材するのは迷惑する。特に遺族や近親者の心痛を考えた場合、取材は却って心痛を癒すどころか、傷口を広げかねないと見たということなのだろう。

 マスコミの殺到=迷惑との認識に立った“遺族感情配慮”というわけである。

 だが、いくら非公表の方針でいても、マスコミは大して時間をかけずに氏名を知ることになるだろうと思っていた。パソコンのみならず携帯電話をも端末としたインターネット時代、いかなる情報もインターネットに提供可能な情報提供者となり得るがゆえに、誰もが自ずと社会監視者となっていて、そのうちの誰かが氏名をインターネット上に提供することになるだろうと考えたからだ。

 その情報が正規のマスコミに伝わっていくということもあり得るはずだ。

 人間の動きを監視するのは監視カメラだけではない。人間自身が監視カメラの役目を担って、相互に監視し、監視した情報を社会全体に提供する生活空間となっている。

 ところが1月16日午後2時頃武装勢力襲撃事件発生から3日後の1月19日夜、アルジェリア政府が日本政府に外交ルートを通じて犠牲者の氏名と共に「5人死亡」の情報を伝えていたことが判明。

 だが、日本政府が日本人7人の遺体確認を公表したのはアルジェリア政府伝達の1月19日夜から2日後の1月21日午後10時45分であった。日本政府は情報が錯綜していて、どれが正確な情報か判断できなかったと弁明している。

 日本政府が公表した時点で、マスコミは事の重大さから安否不明者の状態であるよりも氏名を知る必要が生じたはずだ。

 もしアルジェリア政府が日本政府に伝達したことを日本政府が直ちに公表していたなら、日本政府が氏名非公表の方針であったとしても、マスコミはアルジェリア政府に氏名を知るための問い合わせを行っていただろう。

 1月23日、アルジェリアの地元紙が、情報源はアルジェリア政府なのか不明だが、電子版で日本人犠牲者5人の氏名を報道した。

 そして日本のマスコミは地元紙報道からさして時間を置かない翌24日未明に死亡または安否不明扱いで10人の名前を報じている。

 テレビも既に23日午後の時点で犠牲者の人となりを伝えたり、遺族の顔を撮し出して、思いを尋ねたりしている。

 政府と日揮が非公表の方針でも、公表は時間の問題だった。

 尤も政府と日揮はマスコミの取材攻勢で遺族感情が阻害されたとしても、我々が公表したのではない、マスコミが勝手に行ったことだと逃げの手を打つことができる。

 政府も日揮も氏名が知れるのは時間の問題だと承知の上で非公表としたということもあり得る。非公表が役に立たなくなって公的事実と化したとしても、取材と報道に対する一応のブレーキが期待できだろうと。

 但し遺族感情を無視した取材と報道が現実に生じた場合、節度を持った取材と報道をお願いすることで、逆にマスコミを悪者扱い、自分たちを正義の人と世間の目に映すことができる。

 そこまでは考えていなかったとしても、結果的にそういった関係に両者を置くことになるはずだ。
 
 果たして非公表のみが遺族感情に添う方法なのだろうか。

 もし非公表が厳格に守られた場合、遺族感情は守ることができると考えられがちだが、その代償として死者の生き様に関わる情報は遺族や近親者といった狭い世界にとどまることになる。

 遺族や近親者の中にはかく(=このように)世の中に存在したと、その生き様を世間に向かって広く知らしめたいと願っている遺族感情の持ち主も存在するかもしれない。

 故人を見知らぬ多くの人にも同じようにその人となり、かく生きたことを記憶して貰いたい、あるいは偲んで貰いたいと思うケースである。

 マスコミの取材が迷惑なら、取材の対象となった場合の遺族や近親者が直接断れば済む話ではないだろうか。

 要するに公表・非公表、双方共にメリット・デメリットがあるはずで、その上、非公表が役に立たないということなら、政府はデメリット覚悟でメリットに期待して、最初から公表に踏み切るべきではなかったろうか。

コメント (1)
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