1月21日(2013年)開催、有識者構成・政府「社会保障制度改革国民会議」第3回会合で、麻生副総理兼財務相がマスコミ叩きに遭って懲りたはずの首相時代の度重なる失言を、学習能力がないのか、それとも雀百までの習性が抜けないのか、またぞろ繰返した。
マスコミ叩きの波紋が広がらなかったのはアルジェリア天然ガス関連施設武装勢力襲撃事件のニュースが世間の注目が集まっていて、その陰に隠れて目立たなくさせたのか、あるいは失言が小さな問題だと見られたのか、それとも他の理由からだろうか。
だが、決して小さな問題ではないはずだ。ホンネは言葉に現れる。失言から麻生自身のホンネを窺うことができるからだ。
《麻生氏 終末期医療発言で釈明》(NHK NEWS WEB/2013年1月21日 18時1分)
記事題名が示している終末期医療に関する発言。
麻生太郎「私は遺書に『さっさと死ぬからその必要はない』と書いてあるが、そういうことをしておかないと死ぬことができない。『いい加減、死にたいな』と思っても、とにかく『生きられるから』といって生かされちゃかなわない。それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い。
さっさと死ねるようにして貰うとか、いろいろ考えないと、この種の話は解決しない」――
会議の模様がインターネット中継されて一部で発言が報道されたため、麻生太郎は記者会見して釈明に追われることとなった。
麻生太郎「私の個人的なことを申し上げている。終末期医療のあるべき姿を申し上げたわけではない。いずれにしても、人生の最終段階を穏やかに過ごせるようにすることは、すごく大事なことであって、国民会議でも広く意見交換していく必要がある。
『国民会議』という公の場で発言したことは、適当でない面もあったと思う。当該部分については、撤回するとともに、議事録から削除するよう申し入れたい」――
菅官房長官、本人に電話、事実関係確認後の同日午後記者会見。
菅官房長官「『個人の人生観を会議の場で発言をして誤解を受けてしまい、大変申し訳ない。撤回させていただく』と話していた」――
要するに麻生太郎の言うように個人的発言だと見做して、問題視しないと言うことなのだろう。
だが、記事は、〈最後に発言を求められた麻生副総理兼財務大臣は〉云々と書いて、続けて発言を紹介している。会議に於ける最後の発言とは締め括りの発言、会議で出た議論の総括でなければならないはずだ。そこに個人的人生観を混ぜたとしても、総括につながっていく話題となっていなければならない。
確かに前半部分は極々個人的なことの言及と言える。麻生自身は終末期医療を希望していない。「とにかく『生きられるから』といって生かされちゃかなわない」と延命治療を拒否している。
但し、「それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い」は、例え個人的考えだとしても、ある意味、政府のカネで延命するのは悪だと言っているに等しい。
政府の立場にある政治家が、いくら個人的感想だからと言って、政府のカネを使った延命を悪だと意味するようなことを言うことができるのだろうか。
また、政府のカネを使った延命が悪だとすると、一歩間違えると、延命そのものが悪ということに波及しかねない危険性を孕むことになる。
延命治療を希望するもしないもあくまでも個人の選択の問題であって、政府が強要していい事柄ではない。
発言の後半は明らかに個人の問題を離れて、「終末期医療のあるべき姿」を述べていて、議論の総括となっている。
「さっさと死ねるようにして貰うとか、いろいろ考えないと、この種の話は解決しない」云々の「いろいろ考えないと」とは、総括として様々な議論の必要性を説いたもので、必要とする議論の対象の一つに「さっさと死ねるようにして貰うとか」を挙げたということである。
議論の対象の一つに最初に挙げたということは、主要議題にすべきだとする思いが篭っているはずだ。主要議題とする必要のない問題を最初に挙げるバカはいない。
麻生太郎に、「俺ならする」と言われたら、困ってしまう。
要するに「この種の話」(=「終末期医療のあるべき姿」)は「さっさと死ねるようにして貰うとか」(=延命治療停止等)を主要議題の一つにして、色々と議論しないと(=「いろいろ考えないと」)、「解決しない」と、すべての議論を引き取って総括したのである。
決して個人的な事柄に関わる感想を述べたわけではない。ホンネは言葉に現れる。そしてゴマ化しは同じ言葉を使って行われる。
橋下徹のかつての体罰容認発言が体罰を生徒指導の手段としていた教師や部活顧問に、同じく体罰を子どもに対する躾(しつ)けの手段としていた親に体罰の正当性を与えるキッカケになっただろうと考えることができるように、麻生太郎の「政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い」という発言は終末医療を希望することの罪悪感を多くの人に与えるキッカケにならないとも限らない。
尤も政府財政問題の解決になるとばかりに、麻生太郎の望むところかもしれない。
麻生太郎の同じ発言を扱った「YOMIURI ONLINE」は、終末期医療の患者を「チューブの人間」と表現したと伝えている。
この蔑みの一言が麻生太郎の終末期医療に関わる全人格をホンネとして現している。病院その他で終末期の医療を受けている患者を「チューブの人間」だと嫌悪している。
このような人間が副総理兼財務相として安倍政権に関わっている。問題視しないわけにはいかない。
だが、細野民主党幹事長は麻生発言を小さな問題だと見做したようだ。《民主・細野氏「揚げ足取らず」 麻生発言で》(MSN産経/2013.1.22 15:11)
1月21日記者会見。
細野「生きようと頑張っている人の意思は尊重すべきだ。その観点からすればどうかと思う。
揚げ足を取るのは控える。大騒ぎする気はない」
この程度の解釈で済ますことのできる小さな問題として扱っている。
「揚げ足を取るのは控える」とは、問題視した場合、揚げ足取りになるということなのだろう。いわば揚げ足取りになる程度の批判しかできないから、「揚げ足を取るのは控える。大騒ぎする気はない」と発言したわけである。
以上は私自身の解釈である。
いずれの麻生発言解釈に正当性がよりあるのか分からない。読者に判断を委ねるしかない。細野の解釈に正当性がないということなら、公党の幹事長の職に収まっているのも困りものということになる。