安倍首相はかつての小泉・安倍内閣のもと、格差拡大の元凶となった「骨太の方針」を復活させる

2013-01-08 10:36:54 | Weblog

 安倍首相が民主党政権下で休眠状態だった経済財政諮問会議を1月9日(2013年)から再開を決定、小泉内閣で策定、第1次安倍内閣が引き継いだ「骨太の方針」の復活を決めた。

 安倍晋三は、キリストの弟子たちがキリストの力を恃んでその復活を望んだ程ではないにしても、「骨太の方針」に余程のご利益(ごりやく)を認めているのだろう。認めていなければ、復活させたりはすまい。

 「骨太の方針」は正式名を「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」と言う。要するに経済と財政の構造的な改革を通して国民生活を豊かにし、国力の底上げを図るというわけである。

 第1弾 は2001年策定、主な柱としたのは次の政策である。

1.国債発行30兆円以下
2.不良債権処理の抜本的解決
3.郵政民営化の検討
4.5年間で530万人の雇用創出
 
 この「骨太の方針」を小泉首相の強力なバックの元、主導したのは周知の事実となっている当時の竹中平蔵経済財政担当相である。

 竹中平蔵は安倍政権が経済政策の司令塔と位置づける「日本経済再生本部」のもと設置の成長戦略の具体策を検討する「産業競争力会議」のメンバーとして安倍晋三は起用の方針でいるというから、「骨太の方針」のご利益を信じているのと同様に竹中平蔵の改革の力をも信認しているということになる。

 だが、次のことも周知の事実となっているが、小泉政治は日本の社会に各種格差拡大をもたらしたと批判されている。生活保護費や児童扶養手当の削減、2007年度予算から年2200億円の社会保障費の削減、三位一体の改革として地方交付税の削減等々、財政健全化の手前止むを得ないとしても、富裕層にとってさして痛みを伴わないこれらの改革は中・低所得層には痛みを伴うゆえに連動的・必然的に格差の拡大をもたらす。

 中・低所得層にとって無視できないこのような格差の拡大を緩和するためにはそれなりの所得の拡大を保証することによって可能な限り相殺する必要が生じるはずだ。

 世界的な不況に見舞われ、日本もその渦中にあったというなら、如何なる政策を以てしても所得の拡大はままならないだろうが、当時の日本の経済は逆の状況にあったにも関わらず、国民所得は目に見えて増えることはなかった。

 「骨太の方針」とそれが一般国民に与えた結果を見ると、財政再建のみに目を向け、政府予算の支出削減を最優先にエネルギーを注いだとしか見えない。

 この構図は小泉にしろ、安倍晋三にしろ、国家のみに目を向け、一般国民には、あるいは一般国民の生活には目を向けていなかった姿を映し出しているはずだ。

 「骨太の方針」がそのような正体であったにも関わらず、再度復活させ、かつての「骨太の方針」を主導した竹中平蔵を再び起用するということからも、一般国民の所得拡大に何ら役立ったなかったという厳然たる事実を反面教師として扱うのではなく、国家のとってのご利益を正面に置いた復活といったところなのかもしれない。

 復活させる「骨太の方針」がかつての「骨太の方針」と同じ二の舞を繰返させないために如何に国民所得の拡大に役立たなかったか、既に多くの人が試していて既知の事実としているのかもしれないが、記憶するために改めて振返って見ることにした。

 小泉首相の在任期間は2001年4月26日~2006年9月26日であって、安倍晋三が後継首相として「骨太の方針」を引き継ぎ、2006年9月26日~2007年9月26日まで務め、病苦を理由にその職を投げ出した。

 この二人が通した在任期間は「いざなぎ景気」を超えて2002年2月~2007年10月まで続いた戦後最長景気の期間とほぼ重なる。

 小泉・安倍在任期間(2001年4月26日~2007年9月26日)
 戦後最長景気   (2002年2月   ~2007年10月)

 この戦後最長景気で大企業は軒並み戦後最高益を出していながら、所得再分配を行わず、殆どが利益を内部留保に回した。その結果の個人所得の伸び悩みであり、個人消費の低迷であった。

 個人所得が伸びないにも関わらず、生活保護費や児童扶養手当、社会保障費の削減、さらに企業を益することとなった2004年3月1日施行・改正派遣法による業種別に応じた最長1年から最長3年、3年期間上限が無制限へと派遣期間が緩和されたことと製造業派遣解禁(派遣受入期間は2007年2月28日まで1年間。2007年3月1日以降3年間)による非正規社員の増加が所得格差の拡大に追い打ちをかけた。

 小泉・安倍在任期間(2001年4月26日~2007年9月26日)に正規社員と非正規社員の推移を重ねてみる。

 《労働経済の推移と特徴》

       正 規  非正規(単位・万人)
2000     3,630   1,273    
2001     3,640   1,360     
2002     3,486   1,406    
2003     3,444   1,496    
2004     3,380   1,555       
2005     3,333   1,591    
2006     3,340   1,663     
2007     3,393   1,726    
 
 戦後最長景気期間内であったにも関わらず、正規社員はほぼ漸減傾向を辿り、逆に非正規社員は増加傾向を辿っている。

 では、小泉就任前年から安倍辞任の翌年までの「1世帯当たり平均所得金額の年次推移」を見てみる。

 戦後最長景気(2002年2月~2007年10月)(平成14年~平成19年)

2000年――616.9万円
2001年――602.0万円 (小泉内閣――2001年4月26日~)
2002年――589.3万円
2003年――579.7万円
2004年――580.4万円
2005年――563.8万円
2006年――566.8万円 (小泉内閣―― ~2006年9月26日=安倍第1次内閣~)
2007年――556.2万円 (第1次安倍内閣―― ~2007年9月26日)
2008年――547.5万円 (2008年9月15日・リーマン・ショック)

 大企業が戦後最高益を獲得した戦後最長景気期間に当たりながら、「1世帯当たり平均所得金額」はほぼ減少傾向を取り、小泉就任時から安倍退任時まで、45.8万円も所得が減少している。

 この間、小泉にしろ安倍にしろ、竹中平蔵主導のもと、「骨太の方針」と名づけた構造改革にせっせと励んでいた。国民生活には目を向けず、国家のみに目を向けていた。

 要するに、「骨太の方針」と名づけた構造改革は莫大な利益が果たすべき所得再分配機能(所得移転機能)を企業が喪失させていたにも関わらず、そのままに放置させる体裁を持った構造改革だった。

 それを再度復活させる。竹中平蔵という主導者を亡霊のように甦らせて。やはり国民や国民の生活に役立てるためではなく、国家にご利益があると見ているからとしか思えない。

 少しでも反省の気持があり、反面教師とする意図を持っていたなら、よもや同じ名前の復活とはいくまい。安倍晋三という名前の「晋三」は「心臓」につながるのかもしれない。 

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