長野県南木曽町土石流の町長その他の対応・危機管理に見るいくつかの疑問点

2014-07-11 10:55:12 | Weblog

 

 今回の台風8号の影響で停滞していた梅雨前線が活発化して各地に大雨を降らし、長野県南木曽町では7月9日夕方5時40分頃土石流が発生、中学1年12歳男子の当たり前に生活し、当たり前に成長していかなければならない、そう在るべき生命(いのち)を奪った。

 各報道を見てみると、短時間の急激な大雨と急激に発生した大型の土石流に対して前以ての避難勧告や避難指示等の警戒が難しかったようにも見えるが、いくつかの疑問が残った。

 先ず7月10日夜9時からのNHK「ニュース9」から土石流発生前からの経緯を南木曽町住民の証言等から見てみる。

 南木曽町は過去にも繰返し土石流が発生していて、付近は土砂災害警戒区域に指定されていた。いわば土砂災害に敏感でなければならない地域であった。

 土石流が発生する前、水しぶきで辺りが白っぽく見える程の猛烈な雨が降ったという。街に古くから住んでいる7~80代の男性。

 7~80代の男性「白い雨が、勿論、真っ白だ。抜けるぞ、それはーって」

 「白い雨」とは、番組が後で防災の専門家だと紹介した山村武彦防災システム研究所所長が解説している。

 山村武彦所長「時間雨量50ミリから大体80ミリを超えるとですね、殆ど雨粒同士がぶっつかったり、その雨粒のしぶきがですね、周りが全く見えない程の真っ白になってしまう」

 男性が言っていた「抜けるぞ」とは付近で土石流を意味する「蛇抜け」のことで、宮川正光南木曽町町長が解説している。

 宮川町長「ヘビが山を這って落ちてくる、そういう形に見えて、昔から『蛇抜け』と言われていて、石と石がぶつかる音と火花と、それから立ったままの木が流れてくる」――

 普通、「昔から」と言うとき、その「昔」はその人が生まれる前のことを指す。中高生の頃聞いた話であっても、話す方は大人だろうから、その大人はやはり生まれる前の人間となる。

 宮川町長は64歳だそうだ。64年以上も前から言い伝えられてきた要警戒出来事であった。

 だからだろう、街では「蛇抜け」の碑を建て、後世の教えとした。

 インターネットで調べたところ、この碑は昭和28年7月20日早朝に襲った「蛇ぬけ」(土石流)の犠牲者3名を偲び、同時に警告としたということである。

 別のインターネット記事、NHK放送用語委員会専門委員・元気象庁天気相談所長の《消防防災博物館:調べる-宮澤清治の防災歳時記》には次のような記述がある。 

 〈明治以来、人々の脳裏に残っている災害はおよそ19回。中で最も大きかったのは明治37年7月(死者39人、流失家屋78戸)、次いで昭和28年7月(死者3人、流失家屋8戸)など。近年は昭和40年7月、昭和41年6月(重軽傷者10人、家屋全壊流失38棟など)の災害がひどかった。〉――

 宮川町長が言っていた「昔から」とは明治37年にまで遡ることになる。但し、それ以前から、あるいは大昔から土石流は発生していたかもしれない。大雨が降ると崩落しやすいという土地の地質自体に問題があるからで、時代によって地質が変わるわけではないからだ。

 これもインターネットで調べたところ、南木曽町の山々は黒雲母花崗岩が分布し、浅層崩壊や土石流が発生しやすい環境にあるとのこと。岩自体は頑丈であっても、岩が多過ぎると、降って土中に染み込んだ雨が岩の表面に水道(みずみち)をつくって岩の表面全体に回り、岩を押さえている土と岩を分離して、山の斜面近くの岩からその重力に従って雨水で柔らかくなった土を崩して、あるいは突き抜けて落下していくことになり、それが山の斜面のより奥の岩を剥き出しにして、順次ドミノ倒しのように落下が続いて、斜面が広範囲に崩落することになる。

 上記インターネット記事が「蛇抜け」の碑文を紹介している。

 白い雨が降るとぬける
 尾先 谷口 宮の前
 雨に風が加わると危い
 長雨後、谷の水が急に
 止まったらぬける
 蛇ぬけの水は黒い
 蛇ぬけの前にはきな臭い匂いがする

 「きな臭い臭い」について前出の山村武彦所長が解説している。

 山村武彦所長「きな臭い匂いとか、そうですね、腐った臭いとか、そういうような臭いを強調される方が多いですけども、それが殆どの場合ですが、その古い、積み重なった土砂が根こそぎ、その、流されるときに発するものや、きな臭い匂いというのは岩石と岩石がぶつかり合って起こしたような臭いを言っているときもあるんですね」

 以上を総合すると、長野県南木曽町では土石流は少なくとも明治時代の後半から地域の要警戒出来事としてきた。当然、台風情報とか停滞した梅雨前線の活発化とかの大雨情報に接した場合、結果はどうであれ、町当局は蛇抜けに対する敏感な心の準備を前以ての用心(=危機管理)として発動させていなければならなかった。

 だが、余りにも短時間の大雨で、警戒準備する時間がなかったとしている。

 ここに町当局に過失は一切ない正当性があるのか、NHK「ニュース9」が伝えている国土交通省の現地調査で明らかになった各情報から見てみる。

 ・山の崩落地点は被害が出た地域から約2.5キロ上流の2個所。
 ・下流までの標高差は500メートル前後。
 ・20度近い斜面。
 ・土石流は場所によって時速36キロ以上のスピードを出したと計測。
 ・1時間余りの雨で発生。

 確かに短時間の激しい雨で急激で大規模な土石流が発生したことが分かる。避難所の40代程度の女性も、「普通の大きい雨が降ったと思った程度」だと証言しているから、急激に大雨となったのだろう。

 しかし台風情報やその他の天気情報で大雨が予想された時点で少なくとも万が一という状況のもと、土石流の発生を想定する危機管理を頭に思い描いていなければならなかった。

 また、町中の雨が「普通の大きい雨」だったからと言って、住民を避難させるまでの危機管理に持って行くことができなかったという理由にはならない。平野部よりも山中の方が雨が降りやすく、雨量もより多いのが常識だからだ。

 ・午後3時頃から発達した雨雲が南木曽町にかかる。
 ・国土交通省の雨量計が午後5時40分までの1時間雨量97ミリの猛烈な雨を観測。
 ・5時41分27秒、国土交通省の監視カメラが土石流発生の瞬間を撮影。

 監視カメラは木曽川との合流地点から800メートル程上流の梨子沢に設置。インターネットで調べたところ、梨子沢の川幅は10メートル程度。

 問題は雨量計が観測した雨量である。午後4時40分から午後5時40分までの1時間雨量97ミリを観測。その前の1時間雨量の観測値は紹介していない。番組は午後3時頃から発達した雨雲が南木曽町にかかっていると伝えているのである。

 これもインターネットで調べたことだが、国交省の雨量計は自動計測システムとなっているテレメータ設備(テレ=遠方の」と「メータ=測定機」を組み合わせた造語だそうだ)を備えていて、オンライン化され、河川管理部門たるそれぞれの河川の河川事務所が記録を処理できるようになっていると言うし、気象庁のアメダス合成レーダと合成した観測も可能で、その観測値を一般に提供しているという。

 だとしたら、木曽川を管理する河川事務所は刻々と増えていく雨量を観測している過程で、そのことを南木曽町に伝えたのだろうか。大雨情報が出ている中で、それが自動計測装置だからと言って、計測を機械に任せていたなら、河川管理の意味を失う。普段は機械に任せていたとしても、水位の状況を随時把握し、洪水が起きないかどうか監視していなければならないだろうから、雨量の推移を把握していたはずだ。

 また町当局も土石流が頻繁に起きている手前、国交省の雨量計が記録していく雨量の情報を河川事務所との間でリアルタイムに把握できる体制を整えて置かなければならなかったはずだ。2013年10月16日未明の台風26号が襲った伊豆大島で土石流が発生、死者36名、安否不明3名(平成26年3月1日時点)の例もある。

 番組は長野県地方気象台の担当者の発言を伝えている。

 地方気象台担当者「大体昨日は南部では40から50ミリぐらいの短時間の大雨を見込んでました。えー、ただ、さすがに90ミリという予想ができなかったというのは、正直なところございます。

 できれば、当然、早め早めに土砂災害警報情報を出せたと思っておりますが、あー、残念ながら、そうすることができなかったと――」

 「早め早めに土砂災害警報情報を出せたと思って」いるが、そうしなかった。あとから気づく寝小便である。その時その時気づかなければ、危機管理とはならない。

 予想は「40から50ミリぐらい」であったとしても、気象庁にしてもレーダ雨量計で雨量を観測しているし、地上雨量計で観測した雨量をオンラインデータとして随時記録しているという。

 実際の雨量は予想で終わるわけではなく、雨が降っている間の雨量増減の経過こそが重要な必要情報であって、それが把握できる以上、各自治体に報告ができるシステムとして置かなければならないはずだ。

 宮川町長「今までだったら、長雨が続いて、もうそろそろ(地盤が)緩んで危ないぞと、それがこの辺の災害の特徴だったんですけど、今回の場合はそういうことがないと言うか、初めての経験でしたので、精一杯やったんですけど、安全を守ってきたつもりでありましたけども、このような災害になってしまったと、大変残念に思っております」――

 「このような災害になってしまったと」いう言い方は他人事のような物言いである。

 果して風雨共に大型とされた台風の進路情報と停滞した梅雨前線と重なることになる予想雨量、さらに各地域に出された大雨注意情報等から、万が一の「蛇抜け」を頭に思い描く危機管理を機能させていたのだろうか。

 だが、「長雨が続いて、もうそろそろ(地盤が)緩んで危ないぞと、それがこの辺の災害の特徴」を常識とし、固定観念としていた。つまり、まだ大丈夫だと見ていた。

 避難所に避難していた7~80代の女性の証言。

 女性「降り出したら、強い雨なの。1時間降っていて、ちょっと、もう、あの、小降りになればいいけど、1時間経ってもやまないじゃない?いつでも1時間以上強い雨が降ったら、逃げる用意だね、ここは」――

 雨に対する観察・危機管理が宮川町長と明らかに異なるが、この女性の方がより適切な危機管理意識を働かせていた。

 「NHK NEWS WEB」記事が伝えている宮川町長の言葉。

 宮川町長「12歳の子どもが被害にあってしまい悲しい。災害は致し方ないが人の命は大変重い。住民が安全に安心して暮らせるようにしっかりと対策をとっていかないといけない」――

 「災害は致し方ない」という言い方は意識の上では災害を不可抗力とし、許容していることになる言葉である。

 だが、災害を不可抗力としても、人命の犠牲は不可抗力としてはならないはずだ。

 もし事実心の底から「人の命は大変重い」と思っているなら、いわば人命の犠牲は不可抗力としてはならないと思っているなら、「災害は致し方ない」と不可抗力一辺倒で片付けるのではなく、やはりどこかに危機管理の間違いはなかったか振り返って見る検証が必要となるはずだ。

 だが、「災害は致し方ないが」と、検証もせずに最初から不可抗力で片付けている。災害を不可抗力とすることで人命の犠牲をも不可抗力としたい衝動を感じ取ってしまう。ここに町民の命を預かる町長としての責任から逃れようとする意識がないだろうか。
 
 イジメ自殺した生徒が通う学校の校長や教師が最初にイジメと自殺の関連性の否定を持ってきたり、自分たちには責任がないという情報隠蔽や情報操作を持ってきて、最初に発動すべき検証する意識を発動しない例を多く見るが、宮川町長にしても自身や町の対応の検証を省いて、「災害は致し方ない」と最初から不可抗力として許容しているところにどうしても胡散臭さを感じてしまう。

コメント (2)
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