「YOUは何しに日本へ?-指さし旅」とNHK「Rの法則 外国人高校生」云々から見える日本の教育

2014-07-30 09:35:36 | Weblog



 2年前から土曜授業校が倍増したという記事を1週間程前にお目にかかったが、日本の教育の問題点は教育委員会制度や6・3・3制といった学制の問題であるよりも、教育の構造自体が問題であるように思う。

 そうであることを教えてくれるテレビ番組二つを挙げてみる。

 成田空港や関西空港などのロビーで出会った外国人に先ず確か、「Where did you come from? 」(「どこから来ましたか」)だったと思うが、そのように問いかけて国籍を尋ねてから、「YOUは何しに日本へ」と日本語で問いかけて、続けてこれも確か、「What did you come to Japan?」だったと思うが、日本へ来た目的を尋ねて、インタビューしたTV局の人間が興味がありそうだと感じた来日目的の場合、その跡を追う密着取材を敢行するという、テレビ東京の番組「YOU は何しに日本へ?」の(当方は放送日が異なるフジテレビの再放送版)7月26日放送で、デンマーク指さし旅完結編を流していた。

 デンマークの高校卒業生2人が高校卒業後の進路としてノープランの日本旅行をした。一人が分厚いガイドブックを折り曲げるようにしてページをペラペラとめくると、もう一人が目に手を当てて見えないようにして、適当にページに指を突き立て、当たったページが案内している観光地に出かけるというノープランの日本旅行。

 バイトで貯めた一人60万円を持参。期間は90日間滞在予定。

 完結編終了間近くで一人の方のナレーションが入る。

 「デンマークでは高校に出たあと、将来を考えるための時間をくれるんだ。だから、今は余計なこと(多分日常生活的な事柄)は考えなくていいんだ。今は未知の世界に飛び込んで、どう生きていくかを探ることができる。

 旅をするのにこんなにいい国はないと思う。日本のみんなには感動したよ。親切で色々と助けてくれた。

 外国の文化に初めて触れたときは違いにばかり目がいくけど、人々と接するうちに気づくんだ。文化が違っても、やっぱり同じなんだって。僕らはみんな人間なんだから」

 文化や生活様式は違いながらも、それぞれが同じように人間として喜怒哀楽の感情を持ち、生き、生活している。

 これが彼らの3ヶ月間のノープランの日本旅行の結論だったと言うことなのだろう。

 いわば自己をデンマーク人としてのみ考えるのではなく、また日本人を日本人としてのみ考えるのではなく、文化や生活様式を超えてそれぞれを一個の人間としても把えてみる相対化の術を日本旅行で学び、一個の人間として見た場合、同じ人間なんだということを感受することができた。

 これだけのことを60万円の元手と3ヶ月間の期間で学習することができた。高校を卒業したばかりの年齢の若者にしては貴重な収穫であるはずだ。
 
 「デンマークでは高校に出たあと、将来を考えるための時間をくれる」とはどういうことか、インターネットで調べてみた。

 デンマークのみならず、英国やカナダなどでも高校卒業後、そのままストレートに大学に入学せずに1年間から中には数年間、外国を訪問したりして人生経験・社会経験を積む「ギャップイヤー」(空白の年)を経てから大学に入学する慣習があるそうで、一般的なギャップイヤーの過ごし方は一定期間フルタイムでバイトをしてお金を貯め、そのあとに世界各地に旅行する、あるいは旅行先の国でボランティア活動をするといったところらしい。

 そのためにデンマークでの大学入学時の平均年齢は20歳から22歳くらいだそうだ。

 問題は「ギャップイヤー」の過ごし方を自分で考え、判断して決めるということである。結果的に大学の入学の年齢まで自分で決めることになる。

 小中学高校生の頃、先輩たちがギャップイヤーをどう過ごすか、自分たちで考え、判断して決めていく姿を直接見たり、あるいはそうしていく姿を活字媒体や映像媒体を介して間接的に見聞きするだけで、ギャップイヤーの過ごし方だけではなく、何事もそれぞれが自分で考え、判断して決めていく姿勢を学び、身につけていくことになるはずだ。

 そのような姿勢が大切であることを。

 日本でも「ギャップターム」(空白の期間)と称して、ギャップイヤーと類似の考え方が存在する。大学の入学時期を9月とし、高校卒業の3月から大学9月入学までの約半年間を人生経験・社会体験の時期とする考え方である。

 安倍晋三は2006年自由民主党総裁選挙で総裁に選ばれ、首相となったが、官房長官時に、政権構想の柱となる「教育再生」の一環として、国公立大学の入学時期を9月に変更し、高校卒業からの約半年間を、「例えばボランティア活動やってもらうことも考えていい」と、社会奉仕活動を義務付ける改革案の検討を始めている。

 だが、国が上から押し付けることへの反対意見が強く、また9月入学が決まっていなかったために立ち消えとなった。

 さらに2012年総選挙時の政策集、『J-ファイル2012 自民党総合政策集』で、〈大学の9月入学を促進し、高校卒業から入学までのギャップターム(半年間)などを活用した大学生の体験活動(国とふるさと、環境を守る仕事、例えば、海外NGO、農業・福祉体験、自衛隊・消防団体験等)の必修化や、学生の体験活動の評価・単位化を行い、企業の採用プロセスに活用します。〉と提案している。
 
 体験活動はいくつか挙げて、その中から選択する形式となっているが、「必修化」は一種の強制であって、本質的には自分で考え、判断して決める生徒の自由選択を奪う形式以外の何ものでもない。

 例えば文学の嗜好性の強い生徒がギャップタームの間、毎日のように図書館に通って、読書三昧の時間の過ごし方をしてもいいわけだし、美術に強い関心のある生徒が日本各地を旅行するか、いずれかの外国を訪問して、写生三昧の日々を過ごしてもいいわけで、それぞれが人生に於ける貴重な時間となるはずである。

 だが、日本ではどうしても国家が上から押し付ける形式しか考えることができない。それも“体験”という聞こえのいい名目で本質的には上が決めた奉仕活動に機械的に応えさせようとする。

 このような形式は生徒それぞれの自由な選択――自分で考え、判断して決める自発性と主体性を不在としているから、その結果、古くて新しい問題として、児童・生徒の考える力の不足を言い続けることになる。

 このことは教育委員会制度を改めても、6・3・3制を改めても、あるいは中高一貫教育を推し進めようとも、残されていく教育の構造問題であるはずだ。

 NHK教育番組「Rの法則 外人高校生が見た!ちょっと不思議な日本の高校生」は昨年、2013年5月17日放送である。放送当時視聴して、スウェーデンやフィンランドの高校生と比較した日本の高校生の考える力の不足を感じた。

 「外国人高校生が見たちょっと不思議な日本人高校生」がテーマで、日本の高校に留学している外国人高校生と日本人男女高校生の討論。司会者はTOKIOの山口達也。
 
 ゲスト、お笑いタレント2人組のTKOの木本武宏と木下隆行。

 先ず、「全国の外国人高校生200人(21の国と地域)へのアンケート」が示された。

 「日本の高校生活での不思議トップ5」

 1位 宿題
 2位 制服
 3位 先生
 4位 弁当
 5位 部活

 「部活」についての討論と「宿題」についての討論から考えてみる。

 スウェーデン人男子高校生「スウェーデンでは部活は全然ないです」

 日本人女子高生「普段は何してるんですか、放課後とか」

 スウェーデン人男子高校生「まあ、スポーツをやりたかったら、街のチームとか、エリアのクラブがあるので、それは入ります」

 フィンランド人女子高校生「学校も朝から大体午前3時30分まであるんじゃないか。何か学校終わってからも、同じ人と部活やったり、ちょっと嫌になる」

 木下隆行「部活って、学校のコミュニケーションの一つというか、仲間を作ったりするところでもあるんですよ」

 日本人女子高生「青春できないじゃん」

 日本人男子高生「青春できひん」

 フィンランド人男子高校生「地域と街のチームで他の学校の人と会うでしょ。他の学校の友達作れるんですから、(友達が)凄く多くなっちゃう」

 日本人女子高生「部活って、ずっと一緒にいるから、本当にチームワーク、滅茶苦茶いいんですよ」

 山口達也「この仲間で勝っていきたいっていうことか?」

 日本人女子高生たち頷く。

 山口達也「この学校としてっていうとこか?」

 木本武宏「自分たちの学校への愛が強いもんね。この学校を強くしたみたいなね」

 フィンランド人男子高校生「それは他の街で友だちがいたら。フィンランドは他の街にも友だちがいる。それが同じように。

 けど、もうちょっと(交際範囲と交際エリアが)広い。街の中の学校だけど、フィンランドの中の街。同じこと」

 木本武宏「この街を強くしたいってことか」

 日本人女子高生「でかいね」

 日本人男子高生「でかいな」

 日本人女子高生「でかいんだ」

 フィンランド人男子高校生「朝練があって、そして学校、そしてまた練習があって、帰る。他のことに時間がないでしょ。それが(指を折り数える)練習、学校、寝る。練習、学校、寝る。無限地獄だ。人生は3つのことじゃないでしょ」――

 日本の場合、クラスの何人とか、部活の部員とか、それが一定程度に濃密な人間関係であっても、限られた人間関係の日々の繰返しだから、部活動以外の学ぶ経験が限定されることになる。

 だが、欧米では交際範囲と交際エリアが広い分、人間関係が多岐に亘ることになり、様々な人間関係を通した見聞や体験から多くを学ぶことになる。

 但し前者・後者、このような経験が考える力の素材とし得ることができるかが問題となる。

 日本と外国の宿題の違いから見てみる。日本は勿論、中国とかベトナム等のアジアの国々では暗記教育が主体で、宿題も多いものとなっている。

 スウェーデン人男子高校生「スウェーデンでは暗記じゃなくて、自分が調べる宿題が多いんですよ。歴史の作文とか、そういう宿題は本当に自分で考えないといけないので、とてもいいと思います」

 フィンランド人男子高校生「フィンランドはスウェーデンとよく似ていますから、作文とかプレゼンテーションとか、そんなので(宿題を)作っています」

 女性解説「フィンランドはプレゼンテーションで先ず『時間軸を守ること』、そして『結果とその原因を続けて話すこと』を教わる。

 その二つを守ることで、かなり話しやすく話すことができるという」

 鏡を使って目線や姿勢をチェック。

 家族や友達の前でも練習し、自身をつけることを実践しているという。

 スウェーデン人男子高校生「プレゼンテーションの中身が凄く良くても、ブツブツ小さい声で言ったら、誰も分からないでしょ?だから自信で(自信を持って)、みんなの目を見てると、そういうプレゼンテーションをしないと――」

 山口達也(背後のヒナ檀に座っている日本の男女子高生たちに聞く)「もしかして、夏休みとかで自由研究の発表とかって、そういうことがあると、プレゼンテーションでということですか」

 女子高生たち、口々に「ない、ない」(男子高生は映らなかった。)

 フィンランド人女子高校生「日本人てあんまりみんなの前で話したことがないから、何か普通の自己紹介を本当に難しそう。何て言っているか全然聞こえないし――」

 背後で日本の女子高生が「あー」と納得の声を上げる。

 日本人男子高生「それはあるかも知れない」

 フィンランド人男子高校生「あの、宿題の量は大事なことじゃない。それより宿題の中身が大事。将来とかって、後で役に立つのか。それが大事。例えばプレゼンテーションでは色んなことを調べるから、それはそれが調べ方も習うでしょ?

 将来会社に入るときは上司は何か調べなさいって。調べ方知ってるから、早い」

 日本の男女子高校生、みんなして「あー」と声を上げて納得する。

 日本の場合は暗記教育だから、与えられた量の宿題をこなすことが重要となる。調べる問題が入っていても、教科書を読み返すか、何かの事典を調べて、そこに書いてることを問に埋めていくことで片付けることができる。

 だが、プレゼンテーションの場合、何かを調べて参考にしても、最終的には如何に自身の考えを組み立てるかが問題とされるから、調べたことをそのまま提示した場合、自身の考えとは看做されないことになる。

 調べたことを自身の考えの中に取り込んで、調べたことをさらに発展させることで、自身の考えとしての独自性が生まれて、誰それのプレゼンテーションとして成り立つことになる。

 欧米の児童・生徒が幼い頃から、そういった考える習慣に慣らされた場合、学校の放課後、部活という限られた人間関係ではなく、一つの街のクラブで異なる学校環境の児童・生徒と交わることで得ることができるより多岐に亘る人間関係での見聞き・体験は考える作用(=思考作用)を通してその人の考えへと発展していく機会となり得るはずである。

 勿論、すべての日本人の児童・生徒が暗記教育に飼い慣らされてしまって、考える力を不足させているわけではないはずだ。中には暗記教育を物ともせずに自由な発想を育み、独自の創造力を駆使することのできる成長を果たして、素晴らしい発明をしたり、素晴らしい独自の能力を発揮したりする例が多々ある。

 だが、一般的に言って、日本の児童・生徒の考える力の不足が世間的評価となっているということは、やはり教育制度の問題というよりも、授業の内容――教育構造に問題があると見なければならないはずだ。

 同じ年頃のフィンランド人女子高校生に「日本人てあんまりみんなの前で話したことがないから、何か普通の自己紹介を本当に難しそう。何て言っているか全然聞こえないし――」と言われて、日本の女子高生が「あー」と納得の声を上げているようでは、自分で考える力が覚束ないことを曝しているようなものである。

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