不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

安倍晋三と昭恵のこの亭主にしてこの女房ありの、男尊女卑の認識なき「女性の活躍」大言壮語

2014-07-14 08:58:36 | Weblog



 安倍晋三夫人昭恵女史が女性限定の学校――「UZUの学校」を東京都内に開設、7月13日に著名人を招いてシンポジウムを開催すると7月12日付「時事ドットコム」が伝えていた。《安倍首相夫人「学校」開設=女性の活躍後押し》

 「UZU」は夫人が東京・内神田で経営する居酒屋名に因んだ名前だという。記事は夫人の開校にあたっての抱負を伝えている。

 昭恵夫人「今後は女性中心の時代になる。特に若い世代が多様な生き方や考え方へのヒントを得る場をつくりたい」――

 設立趣旨は「女性自身が自らの可能性や役割を知り、社会でどう貢献できるかを学ぶ」

 7月13日の初講座のテーマは教育。パネリストは作家の林真理子氏や社会学者の古市憲寿氏等々。受講料は4000円。定員150人。応募は定員を超え、抽選による受講となった。

 記事末尾解説。〈安倍政権は「女性が輝く社会」実現を成長戦略の柱に据え、女性の積極登用に取り組んでいる。昭恵さんの試みには、首相を側面から支援する狙いもありそうだ。〉――

 女性の活躍を後押しするという趣旨は大いに結構。インターネット上には「女性の第一歩を応援するUZUの学校」という好意的な期待感を示した紹介を見受けた。

 だが、「今後は女性中心の時代になる」はこの亭主にしてこの女房ありの大言壮語以外の何ものでもない。

 一つの会社が女性のみを従業員していて、女性中心で成り立っているということはこの広い世界では大いにあり得ることだろう。あるいは一つの会社のある部門のメンバーが全て女性で構成されているということもあり得る話で、両者共にそこでは女性中心で仕事を動かしているケースも多々あるに違いない。

 あるいは一つの部門で男性従業員を交えていても、女性がトップの地位を占めていて、その女性が中心となってその部門を動かし、成果を挙げているケースも多くあるに違いない。

 だが、昭恵女史は以上のような意味で「女性中心」という言葉を用いたわけではあるまい。もし用いたとしたなら、スケールが小さ過ぎる。日本の各企業や行政や教育等のそれぞれの組織・機関全てに亘る社会全体が「女性中心」となることによって、初めて「女性中心の時代」と言うことができる。

 今までは“男性中心の時代”だった。いわば「女性中心の時代」とは“男性中心の時代”の対語を成す。あるいは対立概念を示す。

 “男性中心の時代”とは社会全体的に男性が支配的地位を占め、女性を男性に従属する存在としてきた時代を言い、女性の役割を排除、もしくは極力抑制してきた。その対語、もしくは対立概念である以上、「女性中心の時代」とは社会全体的に女性が支配的地位を占め、男性を女性に従属した存在とさせる時代の実現を言うことになる。

 いわばこれまで男性が女性の役割を排除、もしくは極力抑制してきたしてきたように、これからは女性が男性の役割を排除、もしくは極力抑制する側に回ることになる。

 そうでなければ、社会全体的にそうであることを意味する「女性中心の時代」とは言えない。

 このような時代の実現が可能となったとしても、果たして理想の女性対男性の関係と言うことができるだろうか。あるいは十全に機能する社会となり得るだろうか。

 男性と女性が対等・公正な立場で相互に影響し合い、それぞれが切磋琢磨してそれぞれを高め合っていく男性中心でもなければ女性中心でもない、それぞれの能力と努力と信頼性によって時と場合に応じて臨機応変に男女それぞれが中心を成すことができる男女機会均等の社会こそが理想的な社会であるはずである。

 そのような社会を構築するためにはこれまで“男性中心の時代”を成してきた日本人の思考様式・行動様式である権威主義の一類型として男の側がその名残りを引きずっている、男を上に置き女性を下に置く男尊女卑の意識の変革を欠かすことはできない。

 そしてこの意識変革は男共の精神に染み付いているがゆえに一朝一夕には成すことはできない難事業であるし、男中心の根本原因がここにあるという認識がなければ、より的確、より短期間の達成は困難となるだろう。

 昭恵女史が言っている「女性中心の時代」が、繰返しになるが、“男性中心の時代”が女性の役割の排除、もしくは女性の役割の抑制によって成り立っていたように男性の役割の排除、もしくは抑制によって成り立たすことを意味することになる以上、所詮不可能な大言壮語としか言い様がないし、これからの在るべき社会・時代に対する反逆をも意味することになる。

 一方、安倍晋三は昭恵女史がシンポジウムを開いた同じ7月13日、東京都内のホテルで開催された「国際女性ビジネス会議」で講演している。《首相、女性の社会進出に決意 「日本がリードしたい」》MSN産経/2014.7.13 12:46) 

 安倍晋三「日本が発信源となり、女性が輝く地球を実現していきたい。日本が世界の女性の元気をリードしたい。本当に女性の輝く社会を実践できるか、勝負はこれからだ」

 記事は、〈15年度の国家公務員採用で女性を3割以上とする目標達成についても「確実にしていく」と述べた。〉と解説している。

 安倍晋三は中央省庁の採用者に占める女性の割合を30%程度にすると共に管理職に占める女性の割合を5%程度とする目標を掲げている。だが、人事院調査で2013年度の国家公務員女性採用実績は26.8%、管理職以上に占める女性の割合は各省庁平均2.6%だそうで、先進国では最低水準となっている。

 であるにも関わらず、「日本が発信源となり、女性が輝く地球を実現していきたい」と、日本という一国のみならず、地球全体に波及させると言い、「日本が世界の女性の元気をリードしたい」と、日本で未だ可能としていないことを世界で可能とするようなことを言う。身の程知らずの大言壮語としか解釈しようがない。

 世界には日本以上に女性の役割を排除、もしくは抑制している国々が多く存在する。サウジアラビアは女性の運転を禁止しているし、ブルネイでは国王が6月30日、厳格なイスラム法を段階的に導入すると発表、未婚女性の妊娠に対して罰金や禁錮刑の適用の他、2015年から同性愛や不倫発覚の男女に対して石打ちによる死刑とすることを明らか にしている。

 スーダンでは今年5月15日、イスラム教からキリスト教に改宗した27歳の女性を背教行為の罪で死刑判決を言い渡している。

 女性は南スーダン人のキリスト教徒の男性と結婚、妊娠8カ月。異教徒の男性との関係を不貞の罪としてむち打ちの刑の有罪判決を下している。

 恋愛や妊娠は男性と同様に女性の活動の一部であり、それが例え不倫であっても、女性の活動の延長としてある。不倫の延長に女性の活動があるわけではない。個々の判断に任せるか、時には法に触れる場合、公正な法の裁きに任せるべき行為を、前以て画一的な罪を用意していて、例外なく一律的に当てはめるのは個人の活動の排除・抑制に当たる。

 個人の活動の排除・抑制はそれが女性を対象としている場合、女性の役割の排除・抑制につながっていく。

 また世界ではアフリカを中心として女性器切除が行われていることも女性の役割の排除・抑制、あるいは否定そのものに当たる。「Wikipedia」が次のように解説している。

 〈女性器切除(Female Genital Mutilation、略称FGM)

タイプ1:クリトリデクトミー(clitoridectomy)クリトリスの一部または全部の切除。

タイプ2:エクシジョン (excision)クリトリス切除と小陰唇の一部または全部の切除。地域によっては出産を楽にするためとしてさらに膣が切除されるが、実際には逆に困難にしてしまう可能性が高い。伝統的に成年に達した際の儀式として行われるが、最近では若年化が進み、もっと幼い少女に行われる。FGMを受ける少女のうち、タイプ1とこのタイプを合わせて約85%である。

タイプ3:陰部封鎖(ファラオリック割礼、infibulation)外性器(クリトリス、小陰唇、大陰唇)の一部または全部の切除および膣の入り口の縫合による膣口の狭小化または封鎖。その際尿や月経血を出すための小さな穴を残し、少女の両脚をしっかり縛って数週間傷が治るまで固定する。主に4歳から8 歳の少女に行われ、こちらも若年化が進んでおり、生後数日に行なわれた例もある。FGMを受ける少女のうち、約15%がこのタイプになる。

タイプ4:その他の施術(タイプ1-3に属さないもの)その他、治療を目的とせず、文化的理由のもとに、女性外性器の一部あるいは全部を削除し、あるいは女性の生殖器官を意図的に傷つける行為のすべて。〉――

 女性器切除反対の国際世論と国際的な根絶活動にも関わらず、未だ広く行われているという。2013年7月22日、国連児童基金(ユニセフ)が「女性性器切除」が現在29カ国で計1億2500万人以上が被害を受けているとする最新の調査報告を発表、今後10年間で新たに3千万人以上が被害を受ける恐れがあるとしていると、「asahi.com」が伝えている。

 女性の役割の排除・抑制を超えた女性の役割の否定そのものがアフリカを中心に蔓延している。

 安倍晋三はこういったことの認識があった上で、「日本が発信源となり、女性が輝く地球を実現していきたい」と言ったのだろうか。国連が手をこまねき、国際的な団体が根絶するに困難の壁にぶち当たっている権国家の各因習を承知のうえで「日本が世界の女性の元気をリードしたい」と言っているのだろうか。

 認識し、承知していたなら簡単には言うことのできない言葉であり、認識もせず、承知もせずに口にした、この女房にしてこの亭主ありのお互い様の大言壮語としか見ることができない。

 安倍晋三にしても「女性の活躍」を言う以上、日本人の思考様式・行動様式となっている権威主義が男女間の関係性を上下で規定して歴史的・文化的・伝統的に男性中心社会を作り上げてきた男尊女卑の思想が民主主義社会を築くこととなった戦後に於いてもその関係性を名残りとして引きずり、今なお色濃く残っている状況が女性の役割の排除・抑制を生み出しているのであって、このことを認識して男性側の意識変革に努めなければ、世界をリードするどころか、日本という国に於ける「女性の活躍」も、男性中心社会の中での女性の活躍で終わり、男性中心でもなければ女性中心でもない、真の意味での男女平等・男女対等の“男女中心社会”を築くことはできまい。

 このような社会を築いてこそ、女性の役割の排除・抑制という軛を免れて、両性が共に輝く社会となり得る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする