安倍晋三はオーストラリア議会演説で日本人の侵略戦争を「歴史の暴戻」だと言って歴史に責任転嫁した

2014-07-09 07:32:31 | Weblog




      生活の党PR

       《7月4日(金) 鈴木克昌代表代行・幹事長 記者会見要旨》

      『内閣の支持率低下、国民の怒り・心配の表れである』

      【質疑要旨】
      ・民主党との二党幹事長・国対委員長会談報告
      ・北朝鮮への制裁一部解除決定について
      ・民主党との党首会談について
      ・セクハラ野次問題について

 安倍晋三が7月8日午前(日本時間同)、オーストラリア議会で演説した。安倍晋三の人間性を露わにする発言となっている。いわば美しい言葉でウソ八百を並べ立てたに過ぎない。

 発言は《豪州国会両院総会 安倍晋三演説》(首相官邸/2014年〈平成26年〉7月8日)に拠った。 

 安倍晋三「皆様、戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省と共に始めた日本人は、平和をひたぶるに、ただひたぶるに願って、今日まで歩んできました。20世紀の惨禍を、二度と繰り返させまい。日本が立てた戦後の誓いは今に生き、今後も変わるところがなく、かつその点に、一切疑問の余地はありません。
 
 このことを、私は豪州の立法府において威儀を正し、高らかに宣言するものです」――

 「戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省と共に始めた日本人」と言っている。だが、安倍晋三はそのような日本人の中に入っていない。国会答弁で、「侵略という定義は国際的にも定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかということに於いて違う」と言い、日本の戦前の戦争を侵略戦争とは認めてはいないからだ。侵略戦争とは認めてはいないことに対して「痛切な反省」は矛盾する。言葉の力を借りて、「痛切な反省」の振りをしているに過ぎない。

 安倍晋三「私たちの父や、祖父の時代に、ココダがあり、サンダカンがありました。

 何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか。

 歴史の暴戻を前に、私は語るべき言葉をもちません。亡くなった、多くの御霊に対し、私はここに、日本国と、日本国民を代表し、心中からなる、哀悼の誠を捧げます」

 「Wikipedia」によると、「ココダ」は、〈ポートモレスビー作戦(ポートモレスビーさくせん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線において、日本軍と連合国軍とがポートモレスビーの支配を巡って行った戦闘。当時はスタンレー作戦と呼ばれ、連合軍側の名称を和訳して、前半をココダ道の戦い (Kokoda Track campaign) 、後半をブナとゴナの戦い (Battle of Buna-Gona)とも呼ぶ。〉と説明している。

 「サンダカン」は、〈マレーシア・サバ州にある都市。

 第二次世界大戦中は、日本軍の占領下にあったが、連合国軍の激しい空爆を受け、歴史的建造物などはほとんど破壊されてしまった。また、空港建設に使役させていたオーストラリア・イギリス兵捕虜を収容したサンダカン捕虜収容所があり、2500人の捕虜を虐待・死に追いやったサンダカン死の行進が起きた。戦後、宗主国がイギリスに代わり、1946年にジェセルトン(Jesselton)(現在のコタキナバル)へ首都が移されるまで、イギリス領北ボルネオの中心地として、その後も南洋材の積み出し港として栄えた。〉――

 旧日本軍はオーストラリアに97回とか、空襲も行っている。「Wikipedia」には〈最初でかつ最も大規模だったのは1942年2月19日朝の空襲で、ダーウィンは242機の艦載機に攻撃され、少なくとも243人が死亡し、甚大な被害が生じ、数百人の人々が住宅を失った。ポート・ダーウィンはこのために海軍の主要基地としての機能を喪失した。〉という記述もある。

 安倍晋三は日本人の戦前の戦争が与えた凶々(まがまが)しい惨禍を「歴史の暴戻」だと言っている。

 【暴戻】(ぼうれい)「荒々しく道理にそむいていること。」(『大辞林』三省堂)

 以前ブログに「歴史とは人間営為がつくり出す社会的・国家的、あるいは世界的諸相の記録であって、全て元は人間の相互的な個人的もしくは集団的営為から発している」と書いた。

 日中戦争と太平洋戦争は日本人が日本人同士で紡ぎ出した侵略の営為である。その結果の「ココダ」であり、「サンダカン」であり、オーストラリア空襲であって、その他数えきれない程の諸々によって一つの歴史を成した。

 いわば日本人が侵略戦争の主役を務めて与えた凶々しい惨禍の数々であって、それらが歴史として形作られたということであり、あくまでも歴史の主役は人間であり、その営為が歴史として記録される。

 だが、「歴史の暴戻」と言うとき、この「の」は行為の主格を示すことになる。

 例えば、「偉人の業績」と言うときの「の」は、偉人が成した業績、あるいは偉人が作り上げた業績という意味であって、行為の主格を示しているようにである。

 歴史は人間営為の記録である以上、歴史の主格は人間であって、歴史自体が主格を成すわけではない。安倍晋三は日本人の侵略戦争を「日本人の暴戻」と言うべきところを、「歴史の暴戻」だと言って、歴史がつくり出した「暴戻」であるかのように偽ったのである。

 「戦後を、それ以前の時代に対する痛切な反省と共に始めた日本人」と反省を言いつつ、その責任を歴史に転嫁した。 

 日本の侵略戦争によって「何人の、将来あるオーストラリアの若者が命を落としたか。生き残った人々が、戦後長く、苦痛の記憶を抱え、どれほど苦しんだか」と表現した美しい思い遣りの言葉もを空虚にしてしまう歴史への責任転嫁となっている。

 いや、どのような立派な言葉・美しい言葉を並べ立てようとも、歴史に責任転嫁している以上、白々しい言葉を正体としていることになる。

 この白々しさは次の言葉に象徴的に表れている。

 安倍晋三「Hostility to Japan must go. It is better to hope than always to remember.(日本に対する敵意は、去るべきだ。常に記憶を呼び覚ますより、未来を期待するほうがよい)。

 戦後、日本との関係を始める際、R.G.メンジーズ首相が語った言葉です。

 再び日本国と日本国民を代表し、申し上げます。皆さんが日本に対して差し伸べた寛容の精神と、友情に、心からなる、感謝の意を表します。

 私たちは、皆さんの寛容と、過去の歴史を、決して忘れることはありません」――

 R.G.メンジーズ元首相の言葉を借りて、中国や韓国、その他の国に対して過去への拘りを捨てて、未来に目標を定めた新しい関係を築くべきだ、もっと寛容であるべきだと間接的に訴えた発言であろう。

 いくら他人の言葉を借りてワンクッション置いた言葉であっても、そこに自身の思いを込めて伝えた言葉であることに変わりはない。

 だが、加害側が言うべき言葉だろうか。同じ戦争でも、国によって受けた傷や被害の質と量、戦死者の人数等、それぞれに異なる。オーストラリアの被害と比べたなら、韓国や中国が受けた被害は比べ物にならないだろう。

 こういった諸々のものを考えずにオーストラリアの過去と中韓の過去を同列に扱って、日本への敵意を捨てよ、未来志向で行こうというメッセージを発した。これ程の不遜、これ程の頭の悪さはない。

 歴史に責任を転嫁するような精神が言わせた不遜な言葉であるはずだ。

 安倍晋三は最後に次のように述べている。

 安倍晋三「2020年、東京はもう一度、オリンピックとパラリンピックを開きます。

 私は1964年の東京五輪を見て、ドーン・フレーザー選手の強さに目を奪われた一人でした。ギャラリーにいるフレーザーさん、あなたです、私にとって、オーストラリアとはまさしくあなたでした。おいでくださって有難うございます。

 6年先、お国はどんな強い選手を送ってくれるでしょう。いまから楽しみです。

 そしてドーンさん、あなたもぜひお元気で、2020年の東京に、もう一度お越しください。日本に新しい夜明け(ドーン)を、豪州と日本の未来にも、新しい夜明けを、どうぞもたらしてほしいと思います。
 
 御清聴ありがとうございました」――

 温かなユーモアを込めた思い遣りある誠実な言葉で締め括っている。自身も笑みを浮かべていたに違いないが、議場から笑いが起こっただろう。安倍晋三の人柄が如実に現れた言葉と見てもいい。

 かつて競泳選手として栄光の歴史を担った、現在では76歳になるドーン・フレーザー選手が2020年の東京オリンピックに訪れたからといって、マスコミはカメラのフラッシュをたくかもしれないが、日本とオーストラリアに「新しい夜明け(ドーン)」をもたらす個人的存在足り得るわけではない。当然、実質的な意味を備えた言葉だと指摘することはできない。

 実質的な意味を備えていない誠実な言葉という関係は逆説的に過ぎる。

 もし安倍晋三が言葉に誠実さを装わせる才覚ではなく、真に人間的な誠実さを少しでも持ち合わせていたなら、誠実さと共に実質的な意味を備えた言葉とすることができたはずだ。例を挙げるとするなら、「2020年の東京にもう一度お越しください。その訪問は日本とオーストラリアの友好を象徴する歴史の引き継ぎともなり、そしてその訪問は未来へと向かって広がり育っていく歴史の引き継ぎの象徴ともなるでしょう」といった言葉である。

 だが、日本人が日本人の営為として起こした侵略戦争を、「歴史の暴戻」だと歴史に責任転嫁する精神の持ち主である。歴史に責任を転嫁する政治家が「積極的平和主義」を常套句にしている関係も、そこに白々しいばかりの逆説性を見なければならない。

 
コメント (2)
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