安倍晋三が7月8日(2014年)、豪州を訪問。その日の午前、豪州議会で演説した。戦争に関わった他の国々の戦没兵士の数から比較したら少数派に属するが、太平洋戦争で亡くなった豪州兵士を悼み、「歴史の暴戻を前に、私は語るべき言葉を持ちません」と、日本の戦争を歴史に責任転嫁した。
歴史が戦争をつくり出すのではなく、人間、あるいは人類が戦争をつくり出すという認識がない。安倍晋三という人間が持つ認識の暴戻がそう言わしめたに違いない。
そしてR.G.メンジーズ元首相が言ったという言葉を借りて、間接的に中韓に未来志向を呼びかけた。
安倍晋三「Hostility to Japan must go. It is better to hope than always to remember.(日本に対する敵意は、去るべきだ。常に記憶を呼び覚ますより、未来を期待するほうがよい)」――
以上は何日前かのブログで取り上げたが、〈だが、加害者が言うべき言葉だろうか。 同じ戦争でも、国によって受けた傷や被害の質と量、戦死者の人数等、それぞれに異なる。オーストラリアの被害と比べたなら、韓国や中国が受けた被害は比べ物にならないだろう。〉と書いた。
要するにメンジーズ元首相はオーストリアの立場はこうあるべきだと言ったのであって、他の国々まで同じであるべきと言ったわけではないだろう。言ったとしたら、僭越も甚だしい。
安倍晋三は7月19日(2014年)、長州「正論」懇話会で講演した際、豪州議会の演説後にアボット首相が記者会見で語ったという言葉を紹介している。
安倍晋三「先週、オーストラリア議会で演説する機会を得ました。冒頭、70年前の戦争で命を失ったオーストラリアの若者に哀悼の意を捧げた。その痛切な反省のもとに、日本は平和で民主的な国を作り上げてきた。そのことを申し上げた。いまや基本的な価値を共有する歴史の試練に耐え、経済安全保障をあらゆる分野で進化させていくべき。こうオーストラリアの議員の皆さん、国民の皆さんに訴えてきました。最大の敵が最高の友人になる。オーストラリアの皆さんから心温まる賞賛の声を頂きました。この演説の後アボット首相が大勢のメディアの前に毅然としてこう語った。この言葉を最後に紹介して、私の講演を締めくくりたいと思います。
『日本はフェアに扱われるべきだ。70年前の行動ではなく、今日の行動で評価されるべきだ。日本は戦後ずっと世界に第一級の市民として貢献し、法の支配の下で行動してきた。私たちは過去ではなく、今の日本を評価すべきだ』
私は本当にアボットの言葉を聞き、胸が熱くなる思いだった。まさに正論だった。正論に国の壁はありません。今後いっそう、こうした評価と期待に応えていきたいと思います」――
アボット首相の言葉が安倍晋三を正論だとしてその胸を熱くさせた。結構毛だらけ、猫灰だらけ。
メンジーズ元首相が言ったという言葉とアボット首相の言葉はほぼ同じ趣旨となる。
日本は「70年前の行動ではなく、今日の行動で評価されるべきだ」と言っているが、日本の側から言うと、日本の「70年前の行動」に対する日本に於ける今日(こんにち)の歴史認識は日本の「今日の行動」の一つを成し、「今の日本」の姿に映し出さる。
いわば歴史認識が日本の「70年前の行動」と「今の日本」をつなげて、日本の「今日の行動」をつくり出している。少なくとも行動の一つの基準となる。
このことは安倍晋三の靖国神社や歴史認識発言を見れば、格好の証明となる。
確かに戦後の日本は平和憲法のもと、「世界に第一級の市民として」かどうかは分からないが、戦争をしない平和国家として戦後の歴史を歩んできた。だが、安倍晋三とその同類の日本の政治家たちの日本を経済大国としてだけではなく、軍事大国としても世界に君臨させたいとする願いは日本の「70年前の行動」に対する歴史認識がそうさせているはずだ。
決して平和の歩みを進めてきた戦後の歴史に対する認識がそうさせるはずはない。戦前の歴史を否定し、戦後の歴史を肯定する立場に立っていたなら、つまり日本国憲法と共に歩む歴史認識を行動基準としていたなら、軍事大国化という思いを頭に思い浮かべることもないはずだ。
だが、安部政権は2014年4月1日、防衛装備の輸出を原則禁じる武器輸出三原則を見直し、それに代わる「防衛装備移転三原則」を閣議決定して、軍拡競争の仲間入りを果たそうとしている。
日本の「70年前の行動」と「今日の行動」、あるいは「今の日本」をつなげるのも断絶させるのも歴史認識である。表面上は「戦後ずっと世界に第一級の市民として貢献し、法の支配の下で行動してきた」としても、内なる行動基準が歴史認識を反映させ、歴史認識を反映させた行動基準が国の姿に影響を与えていく。
安倍晋三の戦前肯定の歴史認識から発した国家主義が日本の国の将来像を決めていく。
当然、安倍晋三自身が戦前の日本の歴史と戦後日本の歴史をつなげようとしている以上、アボット豪首相の「70年前の行動ではなく、今日の行動で評価されるべき」との発言を正論だとする正当性は一切存在しない。