百田の「ニュース9」大越キャスター批判は卑怯者のすること、誰に対しても言論の自由を振り回す資格なし

2014-07-27 07:53:32 | Weblog

  

 安倍晋三とお友達であり、お友達であるがゆえに公共放送のNHK経営委員にNHKの放送全般に対する監視役として差し向けられたのだろう、連合国軍総司令部(GHQ)が占領時代、日本人に徹底した自虐思想を植え付けたとする歴史認識に立ち、 今年(2014年)2月9日投開票の都知事選での田母神俊雄候補の応援演説で細川護煕候補や宇都宮健児候補を「人間のクズ」呼ばわりした、いわば自分を何様に置いた百田尚樹が夜9時から放送の7月17日NHK「ニュース9」での大越健介キャスターの発言を7月22日の経営委員会で強く批判したと、次の記事がが伝えている。

 《百田尚樹氏:強制連行説明でNHK番組を批判》毎日jp/2014年07月25日 21時03分)

 大越健介キャスター(在日コリアン3世の結婚観を取り上げた後)「在日コリアンの1世の方たちというのは、1910年の韓国併合後に強制的に連れてこられたり、職を求めて移り住んできた人たちで、大変な苦労を重ねて、生活の基盤を築いてきた」

 何様百田尚樹の7月22日の経営委員会での批判。

 百田尚樹(後日公表される議事録には記載しないよう求めた上で)「韓国併合後に強制連行はなかった」(などと発言)

 上村達男委員長代行(放送法は経営委員に対して個別の番組への干渉を禁じているため、放送法の条文を読み上げた上で)「発言は単なる感想ですよね」

 つまり批判ではなく、「単なる感想」に変えて、決着させた。これは事勿れ主義の処理に当たらないだろうか。

 記事は末尾で、〈百田氏はこれまでにも講演などで「南京大虐殺はなかった」などの発言を繰り返している。〉と解説。

 5月24日土曜日午後の岐阜市内で開かれた自民党岐阜県連の定期大会での講演では次のような発言もしている。

 百田尚樹「私は憲法改正派です。軍隊は家に例えると、防犯用の鍵であり、(軍隊を持つことは)しっかり鍵を付けようということ。

  軍隊を持たないバヌアツ、ナウルは家に例える と、くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」(時事ドットコム

 百田尚樹は「韓国併合後に強制連行はなかった」などとする歴史認識をどこから持ち出したのだろう。何度かブログに引用しているが、内務省嘱託であった小暮泰用が朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられ、1944年7月31日付で内務省管理局に報告した「復命書」は次のように記されている。

  《植民地朝鮮の戦時労務動員―政策と実態―》 

 復命書「…徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである。

 そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか。 要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる。内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が屡々あったからである」――

 「人質的略奪拉致」の言葉は身体的な強制力を用いた暴力的な強制連行そのものを意味し、「労務管理の拙悪極まること」とは労働環境・労働条件が劣悪であったことを意味している。

 戦争の長期化・激化による戦死兵士の増加に対する兵士補充のために学徒動員として大学生や徴兵検査で甲種・乙種に次ぐ、現役不適格とされた丙種合格の最終対象年齢の45歳までの男子を赤紙一枚で戦場に駆り立て、そのことによって生じた国内と朝鮮の労働力不足を朝鮮人や中国人を強制連行して代償し、過酷な労働を強いて、その多くが賃金は日本人の半分、その半分を様々な名目を用いてピンハネしてタダ同然で働かせ、与える食事は粗末な最低限の食事だったという。

 いわばなり振り構わない無秩序な極めて威嚇的な権威主義が横行していた。

 このことは軍隊入りした新兵に対する古参兵の陰湿なイジメが証明の一つとなる。

 朝鮮人や中国人に対する威嚇的な権威主義の横行の理由は日本人を優越民族とし、朝鮮民族や中国民族を劣る民族とした差別観以外に考えることはできない。

 百田尚樹は自身の歴史認識に不都合な情報は遮断し、都合の良い情報だけを受入れて自身の歴史認識を成り立たせているようだが、何よりも問題なのは、後日公表される議事録には記載しないよう求めたことである。

 自身の歴史認識に関する主張が公になることは隠蔽する形にして、自身が所属する組織の内部で秘かにその主張を、失敗したものの、押し通そうとした。

 もし成功していたら、百田尚樹の歴史認識に反する発言は困難になるか、最悪、避けることになる。

 あるいは失敗しても、放送現場で百田尚樹の歴史認識を忖度して、面倒なことは避けようとする種類の自己規制が働かない保証はない。

 いずれにしても百田尚樹が自身の発言を議事録に記載しないよう求めたことは世間の目から自身の姿と自身がそうさせようとしたことを隠して放送現場の言論をコントロールしようとしたことを意味する。

 言論の自由の権利のもと、社会常識的に節度を保った批判は許されている。但し批判は言葉を手段として相手の言動を自身の言動と同じに変えさせようとする、あるいは変えさせたい意思を持つ。

 そのような意思を持たない批判は言うだけの批判となって、批判としての役目を果たさない。
 
 議事録に記載されることを承知のうえで自身の歴史認識を、正しいか間違っているかは別にして、堂々と主張し、大越キャスターの歴史認識を批判したなら、言論の自由を言う資格はある。だが、批判者としての自身の姿と自身が放送現場の言論をコントロールしようとしたことを隠そうとしたのだから、あるべき言論の自由の姿を壊したことになって、誰に対しても言論の自由を振り回す資格はないし、大体が自身の姿を見せないようにした批判は卑怯者のすることである。

 これが安倍晋三のお友達、百田尚樹の正体と言ったところなのだろうか。

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