中央省庁女性幹部相次ぐ登用は菅官房長官が言うように「戦略的な人事配置の実現」によるものなのか

2014-07-07 09:31:20 | Weblog



 ――安倍内閣人気取り目玉政策の要請を受けた外発的人事と見るべきだろう――

 4月成立の公務員制度改革関連法に基づいて府省庁事務次官・局長等約600人の幹部人事一元管理の内閣人事局5月30日発足となり、安部政権は7月4日、中央省庁の幹部人事を決定した。 

 〈法務省と経済産業省で初めての女性局長が誕生するなど、幹部に女性職員が相次いで登用され、「女性の活躍」を成長戦略の中核に据える安倍政権の方針が反映された人事〉となったと、《中央省庁で女性の幹部登用が相次ぐ》NHK NEWS WEB/2014年7月4日 18時04分)が伝えている。

 初めてではないが、外務省と厚労省にも新たに局長が誕生している。

 このことについて菅官房長官が7月4日の閣議後記者会見で発言している。

 菅官房長官「戦略的な人事配置の実現や女性の幹部職への積極的登用、府省間の人事交流のより一層の推進といった点に力を入れて取り組んだ。今回の人事以外でも、多くの女性職員の要職への起用や府省間交流人事を決定していく」――

 果して「戦略的な人事配置の実現」に力を入れた結果の中央省庁に於ける女性局長の誕生なのだろうか。 

 安倍晋三は[女性の活躍」だ、「女性が輝く社会」だを標榜し、標榜通りの女性の時代実現に向けて積極的な姿勢を示している。

 2015年度末までに中央省庁の採用者に占める女性の割合を30%程度にすると共に管理職に占める女性の割合を5%程度とする目標を掲げているばかりか、上記記事が伝えていることだが、6月24日、経済3団体のトップらと会談して、各企業が女性登用の目標を盛り込んだ行動計画の策定や有価証券報告書に女性役員の割合を記載するなど積極的な情報開示を要請している。

 アメリカの強い要請で何らかの政策を決めると、外圧に屈したとか、外圧を利用したとか言われるが、まさに安部政権の中央省庁や企業に対する外圧であり、中央省庁や企業側からしたら、外発的女性登用の形式を取ることになる。

 外圧にも等しい外発的形式を取らざるを得ないことは日本では女性の活用が余りにも少ないことが理由となっていることは断るまでもない。 

 リンク先のページで情報提供主体の記載がないから正確には不明で、情報元は厚労省辺りだと思うが、《資料「女性が輝く日本」の実現に向けて》が各国と比較した日本の女性登用率の低さを紹介している。

                
 「管理的職業従事者に占める女性割合の国際比較」

 アメリカ(2011年)43.1%
 フランス(2011年)39.4%
 スウェーデン(2011年)34.6%
 イギリス(2011年)34.5%
 ドイツ(2011年)30.3%
 イタリア(2011年)25.1%
 日本(2012年)11.1%
 韓国(2011年)10.1%

 〈ここで言う「管理職」は、管理的職業従事者(会社役員や企業の課長相当職以上や管理的公務員等)を言う。
 日本は、岩手県、宮城県及び福島県を除く。〉との注意書きがある。

 いわば中央省庁の管理職をも含めた数値であり、例え岩手県、宮城県、福島県を除いていたとしても、少な過ぎる。そしてこの女性占有割合(=女性活躍度)の少なさが、年々僅かながらずつ増えていても、日本の伝統であり、文化だということである。

 このことは上記同じpdf 記事の次の記述が証明することになる。

 《女性管理職が少ないあるいは全くいない企業の理由》(平成23年(2011年))

 「現時点では、必要な知識や経験、判断力等を有する女性がいない」54.2%
 「将来管理職に就く可能性のある女性はいるが、現在、管理職に就くための在職年数等を満たしている者はいない」22.2%
 「勤続年数が短く、管理職になるまでに退職する」19.6%――

 上位3位を上げたが、54.2%と圧倒的多数を占めている1位の「現時点では、必要な知識や経験、判断力等を有する女性がいない」という理由は、必要な知識や経験、判断力等を有する男性は大勢いるが、そのことに対して女性はゼロか、少数であるとしていることになる。

 もし女性の能力が事実このとおりであるなら、安部政権が目標としている[女性の活躍」、あるいは「女性が輝く社会」の実現は無理な望みということになる。

 もし事実ではなく、単に男性よりも女性の能力を低く見ているということなら、日本の男性の日本の女性の能力に対する圧倒的な見方となっていることを示すことになる。

 確実に言うことができることは、男共がこの女性の能力の見方を伝統とし、文化としてきたということである。女性の側も男たちの伝統と文化に影響されて、女性は能力の点で男に劣ると見做して、能力発揮の点で控え目であることを伝統と文化としてこなかっただろうか。

 その結果としての女性の管理職に占める割合の少なさを相互対応の伝統とし文化としてきたということではないだろうか。

 いずれなのか答えを出すとしたら、日本人の行動様式・思考様式となっている権威主義に於ける長年続いた男尊女卑の伝統と文化と、現在もなおその名残として存在している伝統と文化から考えると、男たちは女性の能力を低く見る見方に立って女性が能力を満足に発揮できない場所に置き、女性の側もそのことに慣らされてきた結果の女性の社会進出の低さであり、管理職にしめる割合の少なさとしなければならない。

 だとするなら、日本の男共が伝統とし、文化とし、その意識と精神に染みついている女性の能力を一段下に見る見方は一朝一夕に変えることができるのだろうか。変えることができる程にヤワな伝統と文化ではないはずだ。
 
 当然、菅官房長官が言うように、これまた伝統と文化としなければなかなか身につかないゆえに「戦略的な人事配置の実現」といった高度で創造的な人事などであるはずははなく、安倍内閣の数値目標を受けた外発的な人事に過ぎないといったところが正直な答であるはずだ。

 日本に於ける女性の社会進出の低さ、官庁や企業に於ける管理職に占める女性の割合の低さの本質的な原因を理解していなければ、男たちの女性の能力を一段下に見る伝統と文化を打ち破ることでできないことになって、外発的な女性登用からそう簡単には抜け出ることはできないことになる。

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