安倍晋三は靖国参拝を国家指導者の責務と発言、自身の参拝・真榊奉納を私人行為とするインチキ人間丸出し

2017-10-18 06:50:50 | 政治

 安倍晋三が10月17日(2017年)から始まった靖国神社の秋の例大祭に合わせて、「内閣総理大臣 安倍晋三」名で「真榊(まさかき)」と呼ばれる鉢植えの供え物を奉納したと「NHK NEWS WEB」(2017年10月17日 8時37分)記事が伝えている。    

 安倍晋三は、と記事は呼び捨てにしていないが、第2次安倍内閣が発足して以降、毎年、春と秋の例大祭に「真榊」を奉納しているほか、8月15日の「終戦の日」には自民党総裁として私費で靖国神社に玉串料を納めていて、今回の例大祭に合わせて、伊達参議院議長、加藤厚生労働大臣、水落文部科学副大臣も「真榊」を奉納したと紹介している。

 慶大商学部卒50歳、官房副長官野上浩太郎の10月17日記者会見発言を伝えている。

 野上浩太郎「総理が真榊を奉納されたとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を申し上げる事柄ではない。靖国神社に参拝されるか否かは総理が適切に判断される事柄だ」

 記者「奉納の際の名前が内閣総理大臣安倍晋三となっているが、私人という見解と矛盾がないか」

 野上浩太郎「肩書を付すことは、その地位にある個人を表す場合に、慣例としてしばしば行われることであり、指摘は当たらない」

 安倍晋三の今回の真榊奉納も首相という立場で行ったものではなく、私人として行ったもので、奉納の名前を「内閣総理大臣安倍晋三」としていたとしても、慣例上、「その地位にある個人を表す場合」もあると説明している。

 会社の部長がバーか何かに一杯飲みに行って、そこで見知らぬ客と意気投合してお互いに会社の名刺を出し合って自己紹介し合う。例え自身が会社の部長であっても、あくまでも個人として行っている飲酒であり、部長という立場での意気投合ではなく、個人としての意気投合に過ぎない。

 だが、靖国神社に総理大臣の肩書で行った参拝や真榊奉納を私人行為だとしている。

 安倍晋三は自民党幹事長代理を務めていた際の2005年5月2日(日本時間3日未明)、ワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」で講演し、中国が小泉首相の靖国神社参拝の中止を求めていることについて次のように述べている。

 安倍晋三「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ。

 靖国神社に参拝しても決して軍国主義になったわけでもなく、日本は戦後60年、平和な国としての道を歩んできた。中国は共産主義の国で、信教の自由がない。彼らがやっていることは内政干渉で、日中平和友好条約に違反している」――

 参拝は「リーダーの責務だ」と言っている。その「リーダー」とは断るまでもなく、「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ」と言っている以上、日本の首相を指し、国家指導者たる首相としての参拝を責務としていることになる。

 「リーダーの責務だ」と言いながら、肩書だけは「総理大臣」で、行為そのものは私人としたのでは一国のリーダーの立場からの参拝、あるいは真榊奉納と言えなくなり、安倍晋三は自身の発言と矛盾することになる。と言うより、ウソをついていることになる。

 肩書と一致させた行為とすることで発言と整合性を取り得るはずだ。

 安倍晋三は「ブルッキングス研究所」の講演で「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ」と主張していながら、その主張を第1次安倍政権では裏切り、第2次安倍政権発足1年後の2013年12月26日の初めての靖国神社参拝で果たしている。

 講演での発言を初めて実行に移すことができたと言うこともできる。

 参拝後、記者たちに囲まれて発言している。

 安倍晋三「私は『第1次安倍政権の任期中に靖国神社に参拝できなかったことは痛恨の極みだ』と、このように申し上げて参りました。それは総裁選に於いても、あるいは衆議院選挙のときに於いても、そう述べて参りました。その上で私は総裁に選出をされ、そして総理大臣となったわけでございます。えー、私はこれからもですね、私の参拝の意味について理解をして頂くための努力を重ねていきたいと思います」

 言っていることは、「第1次安倍政権の任期中に靖国神社に参拝できなかった」ことの「痛恨の極み」をずっと抱えてきた、「総裁に選出をされ、そして総理大臣となった」、その1年後にやっと参拝することができて、「痛恨の極み」から解放されたとの趣旨となる。

 いわば総理大臣としての参拝であることの表明以外の何ものでもない。このことを裏返すと、総理大臣としての参拝ではないと、意味は無いとしていることになる。こう解釈することで「ブルッキングス研究所」での発言と一致することになる。

 安倍晋三は参拝と同じ日付で首相官邸サイトに「安倍総理大臣の談話~恒久平和への誓い~」を載せいている。    

 要するに靖国参拝に備えて談話を前以って用意していた。

 安倍晋三「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました」

 題名から言っても、上に挙げた談話の内容から言っても、総理大臣の立場で参拝し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げた」ことを指し示している。

 靖国参拝翌年の安倍晋三の施政方針に対する2014年1月29日「参議院各党代表質問」      

 安倍晋三「靖国神社参拝と憲法の関係についてのお尋ねがありました。

 私は、靖国神社を参拝し、国のために戦って尊い命を犠牲にした方々に対して、尊崇の念を表し、御霊安かれなれと御冥福をお祈りしました。この参拝は、私人の立場で行ったものであって、また、供花代を公費から支出しておらず、憲法の政教分離原則に反する可能性があるとの御指摘は当たりません。(拍手)ありがとうございます」

 参拝は国の「リーダーの責務だ」と言い、総理大臣としての参拝でなければ意味はないとの趣旨の発言をしていながら、昨年暮れの参拝は「私人の立場で行ったもの」だと発言している。

 総理大臣でありながら、参拝が「私人の立場で行ったもの」なら、公人であることから離れた参拝ということになって、「リーダーの責務」として行う参拝ではなくなる。

 逆に国家指導者たる総理大臣を指して参拝は「リーダーの責務」としながら、「私人の立場で行ったもの」とした場合、誤魔化しの「極み」となる。これ以上の誤魔化しはないだろう。

 今回の真榊も「内閣総理大臣 安倍晋三」名で奉納しながら、私人として行ったこととし、奉納が「内閣総理大臣安倍晋三」名であったとしても、慣例上、「その地位にある個人を表す場合」があるとの理由付けで肩書と行為の食い違いを正当化している。

 一国の首相の地位にありながら、このような言っていることと実際に行っていることの矛盾、肩書と行為との公私の使い分けはインチキ人間丸出しでなければできないテクニックであろう。

 この公私の使い分けは政教一致を政教分離と言いくるめるインチキに発している。安倍晋三はインチキにインチキを積み重ねることによってインチキ人間丸出しとなった。
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