菅仮免首相の事故が起きてから原子力行政の改革を課題とする後手の姿勢は政治的不作為

2011-05-20 08:41:03 | Weblog



 菅仮免の5月18日の記者会見。これは5月に入って3回目の記者会見だそうだ。《首相、今月3回目の会見 失言防止? ぶら下がり取材は拒否》MSN産経/2011.5.18 20:05)

 今後も週1回ペースで会見する意向で、定例記者会見の様相となっているという。但し、東日本大震災の発生前は原則として平日夜に応じていた記者団の「ぶら下がり取材」再開は拒否。記事は、〈取材の機会を絞り、失言による政権のダメージを避ける狙いがあるようだ。〉と解説している。

 取材拒否については首相サイドは「震災への対応を優先するため」と説明、具体的な時期や条件は示さないまま事態の推移を見て再開とのこと。

 「震災への対応を優先する」のはいいが、どう「対応」しているか、国民への説明責任はあるはずだが、それを放棄していることになる。

 まさかぶら下がりをマスコミへの説明と把えているわけではあるまい。マスコミへの説明を経て国民は知りたい貴重な情報を得ることができる場合がある。

 ときには下らない情報もあるが、何がどう下らないか知ることも情報選択の勉強になる。

 下らないように見えて貴重な情報に出会う場合もある。例えば菅仮免は5月18日に計画的避難区域指定の福島県飯舘村村議会の佐藤議長から首相官邸で住民や事業所等への仮払金の支払いなどについて要望を受けたとき、次のように名言を吐いたという。

 菅仮免「皆さんも地元有権者から突き上げというか、大変な要請を受けている」

 この発言が表に洩れたということは発言を受けた側が不当な発言と看做したからだろう。こんなことを言われたと。

 不当という線に添って、自分なりにこの発言をお粗末ながらに解説してみる。

 要するに菅仮免は自身が受ける要請の中には妥当・全うな要請ばかりではなく、正当とは言えない強請り紛い、不料簡な要請が多くて普段から苦々しく思っている自らの経験を相手の経験とし、同じような要請を受けて苦々しさに駆り立てられているだろうと飯舘村の村議会議長に同情したと言うことだろう。

 実際に妥当・全うな要請ばかりではなく、中には正当とは言えない強請り紛い、不料簡な要請も多々あるに違いない。だが、要請を受けた側は取捨選択して、受け入れることができない要請は受け入れることができないことの説明を尽くして断ればいいことで、飯舘村村議会の佐藤議長にしても、地元有権者からの正当とは言えない強請り紛い、不料簡な要請をストレートに受けてストレートに官邸に持ち込んだわけではなく、取捨選択して妥当・全うと思える要請のみを行ったはずだ。

 それを自分の経験を以って相手も同じだろうと安易に解釈する。
 
 放射能汚染を避けるために計画的避難区域に指定され、先行きの見えない中で住民の生活の維持、村の維持、そしていつの日かは村の建て直しを図らなければならない思案模索で頭が一杯になっているに違いない村議会の議長に対して、議長の方から突き上げにあって大変ですと言ったならまだしも(言ったなら、表には出なかったはずだ。)、状況が状況なのだから、自分がそうだからと相手もそうだろうと、さも突き上げを食って大変だろうといったことを一国の首相が吐くべき言葉ではなかったはずだ。

 だが、言ってしまった。言葉が軽いと言われても仕方がない。人間が軽く仕上がっているから、人間の軽さに応じて言葉も軽くなる。

 いわばたいした発言ではないように見えても、そこから菅仮免の人間性まで窺うことのできる情報となり得る。

 また記事はぶら下がりを避けているのは失言をしないように取材の機会を絞っているからだとしているが、自身が用意した記者会見の優先は前以て周到に準備した発言でなければ安心して披露できない不安症の反動としてある情景であろう。

 この情景は臨機応変な発言が不得手であることの裏返しの現象であることをも示している。だから、国会答弁でも普段から口にしていない、あるいは勉強していない言葉を必要とする場面では、「アー、ウー、イー」と次の言葉を探すのに四苦八苦することになる。

 一国のリーダーでありながら、臨機応変に言葉を駆使できない判断能力の劣りは如何ともし難い。

 菅仮免は一昨日の記者会見の冒頭発言で原子力行政について次のように発言している。

 菅仮免「また、原子力行政全般に関して、長年の原子力行政の在り方を根本的に見直さなければなくなると思っております。例えばこの間、日本の原子力行政は、原子力を進めていく立場と、言わばそれをチェックする立場が安全・保安院という形でともに経産省に属しているチェック機関と行政的には原子力行政を進めていくという立場と両方が同じ役所の下に共存していた。こういった独立性の問題。更には、情報の共有あるいは発表の仕方などの問題。更には、省庁間を結ぶリスクマネージメント。こういったものについて、必ずしもしっかりした態勢が取られていなかったと思っております。

 そういった意味で、近くスタートする今回の事故の調査委員会においては、この長年の原子力行政の在り方そのものも十分に検討していただき、その根本的な改革の方向性を見出していきたいと考えております」――

 要するに日本の原子力行政は、経済産業省の外局である資源エネルギー庁の特別機関と法令上は位置づけられてはいるが、原子力の安全確保の指導・監督を行うチェック機関である原子力安全・保安院が、その立場・利害と相反する原子力推進の立場・利害にある経産省に連なって、より強い立場・利害を抱える側が他方の利害・立場に食い込んで独立性を損なう関係にあったためにリスクマネージメントの点からも独立性確保が必要だということで、「その根本的な改革の方向性を見出していきたいと考えております」と今後の課題とした。

 この「根本的な改革」の基本的中身は原子力安全・保安院の経済産業省から分離を指す。

 だが、民主党は2009年総選挙用の「2009年民主党の政権政策(マニフェスト)」には原子力問題に関して、〈安全を第一として、国民の理解と信頼を得ながら、原子力利用について着実に取り組む。〉の文言しか記載していないが、「民主党政策集INDEX2009」で、「安全を最優先した原子力行政」と題して、〈過去の原子力発電所事故を重く受けとめ、原子力に対する国民の信頼回復に努めます。原子力関連事業の安全確保に最優先で取り組みます。万一に備えた防災体制と実効性のある安全検査体制の確立に向け、現行制度を抜本的に見直します。安全チェック機能の強化のため、国家行政組織法第3条による独立性の高い原子力安全規制委員会を創設するとともに、住民の安全確保に関して国が責任を持って取り組む体制を確立します。また、原子力発電所の経年劣化対策などのあり方について議論を深めます。〉と謳っている。

 いわば政権交代し、民主党政権を確立した時点でスタートさせなければならなかった「独立性の高い」原子力安全チェック機関創設の動きでなければならなかった。

 そうであるにも関わらず、政権獲得から2年半を過ぎると言うのに菅仮免は福島原発事故を受けたからだろう、原子力行政の独立性確保を今後の課題だとしている。

 これを以て先手の姿勢とは言えず、後手の姿勢としか言いようがない。

 2010年参院選用のマニフェストとして菅仮免が主導し、作成した「2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)」には「原子力」という文字は一言も記載されていない。

 エネルギーに関する言及は、「グリーン・イノベーション」に関することのみで、〈再生可能エネルギーを全量買い取る固定価格買取制度の導入と効率的な電力網(スマート・グリッド)の技術開発・普及、エコカー・エコ家電・エコ住宅などの普及支援、2011年度導入に向けて検討している地球温暖化対策税を活用した企業の省エネ対策などを支援します。〉の記載だけとなっている。

 多分、原子力行政に関しては「民主党政策集INDEX2009」を引き継ぐ意思を持っていたから、「2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)」では触れなかったのかもしれない。

 もし意識的な回避なら、なおさらに菅政権発足後早急に取り組まなければならなかった課題だったはずだ。

 意識的な回避ではなく、看過した結果、「2010年民主党参院選政権政策(マニフェスト)」への記載がなかったということなのだろうか。

 例え前者であったとしても、菅仮免の政治的不作為・政治的怠慢は免れることはできない。

 もし後者であるなら、なお一層の政治的不作為・政治的怠慢に相当することになる。

 「民主党政策集INDEX2009」で安全チェック機能強化のための独立性の高い機関創設を謳いながら、原子力事故が発生してから今更ながらに取り組みますでは、後手の姿勢、政治的不作為・政治的怠慢と言うだけではなく、一国のリーダーとしてのその人間性から言っても、「皆さんも地元有権者から突き上げというか、大変な要請を受けている」の発言も無理はない、相互対象した人間性だと言えるのではないのか。


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菅仮免首相の放射能被災者は「国策による被害者」は賠償責任と人災責任回避のご都合主義

2011-05-19 12:46:07 | Weblog

 

 東電福島第一原発放射能事故の賠償問題を取上げる前に昨5月18日の菅仮免の記者会見に一ケチ。いや二ケチかな。

 記者会見では福島原発事故の安定化や放射の被害者の帰宅、原子力行政等について発言した。その冒頭発言。

 菅仮免「5月6日の記者会見の折に、浜岡原発について運転の停止を要請するということを申し上げ、その後、中部電力から受け入れていただきました。この間、国会でもいろいろ議論はありましたけれども、多くの国民の皆様が、国民の安全と安心ということで判断をしたこの要請に対して、御理解をいただいたことを心から感謝いたしたいと思っております」

 多くの国民から「御理解をいただいた」は世論調査に基づいた判断であろう。だが、少しは回復したと言うものの、内閣支持率は軒並み内閣運営の危険水域と言われる30%以下であり、支持よりも遥かに上回っている不支持の理由の多くが「指導力がない」、「政策に期待が持てない」となっている、いわば“国民からご理解を頂いていない”状況部分は無視して、“頂いている”所だけをつまみ食いするご都合主義を相変わらず発揮している。

 浜岡原発運転停止に限った、数少ない限定的支持に過ぎない。

 以上が一ケチ。

 今回の震災では各国から多大な支援を頂いたと前置きして――

  菅仮免「そのお礼の気持ちは、一日も早く日本自身が復旧・復興して、改めて世界のリーダー国の一つとして、いろいろな形で国際貢献を通してお返しをすることができるようになることこそが重要だと、このように考えております 」

 日本一国を満足にリードすることができないのだから、世界などリードできようがない自身の指導力ゼロを自己省察する能力も持ち合わせていない。

 これで二ケチ。

 震災2カ月目の5月11日前日の5月10日の記者会見で、菅仮免は福島原発事故に於ける国の責任を認める発言を行った。

 菅仮免「最後に、今回の原子力事故、直接の原因は地震、津波によるものでありますけれども、これを防ぎ得なかった責任は事業主であります。事業者であります東電とともに、原子力政策を国策として進めてきた政府にも大きな責任があるとこのように考えておりまして、その責任者として本当に国民の皆さんにこうした原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います。

 そういう責任者の立場ということを考えまして、原子力事故が収束するめどがつくまでの間、私の総理大臣としての歳費は返上をいたしたい。6月から返上をすることにいたしました」

 菅仮免は先ずは事故責任に関して事業主である東電を先に置いている。そしてその東電と共に「原子力政策を国策として進めてきた政府にも大きな責任がある」と、その責任を東電の後に置いた。

 そして5月17日、菅仮免政府は本部長が菅仮免である政府の原子力災害対策本部が東電福島第一原発電事故に対する政権の今後の取り組みを示した「原子力被災者への対応に関する当面の取組方針」を決定している。

 《原発事故 取り組み方針決定へ》NHK/2011年5月17日 12時21分)

 方針には次のように記載してあると言う。

 政府方針「原子力政策は、国策として進めてきたものであり、今回の原発事故による被災者は、いわば国策による被害者だ。復興までの道のりが仮に長いものであったとしても、最後の最後まで国が前面に立ち、責任を持って対応する」

 具体的政策として――

 ▽放射能避難住民向けに2万4000戸の仮設住宅などを8月半ばまでに確保。
 ▽原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」について、今月下旬から乗用車の持ち出しを認め、その後2
  巡目の一時帰宅を実施。
 ▽原発事故が収束したあとも長期的な健康管理を行う。
 ▽福島県外でも放射線の影響に不安を持つ人に対する相談や放射線量の測定などへの対応ができるような
  体制整備をする。
 ▽中小企業向けの無利子・長期の事業資金提供と特別支援。
 ▽ふるさとへの帰還に向けた取り組みとして土壌の除染や改良の実施。

 放射能被災者を「国策による被害者」だと定義づけながら、政府が賠償責任を東電と共に負うとはどこにも書いてはない。

 菅仮免が言っていた「事業者であります東電とともに、原子力政策を国策として進めてきた政府にも大きな責任がある」は道義上の責任のみで、金銭的賠償責任ではないようだ。

 だからこそ、東電を先に置き、東電の後に政府を置いたのだろう。

 勿論、仮設住宅建設や健康管理体制構築に国費を投じなければならない、カネがかかると言うだろうが、それは原発事故責任そのものを認めて、そのことに対する直接的な賠償責任の遂行ではない。

 「国策による被害者」だとする道義上の政府責任の金銭的賠償に関しては政府の責任者の立場からの総理大臣としての歳費返上を以って終わりにするということに違いない。

 福島原発事故を金銭的賠償を負わなければならない東電の責任と限定し、政府は金銭的賠償を負わない道義上の責任のみと矮小化する責任体制に電力10社でつくる電気事業連合会(会長=八木誠関西電力社長)が昨5月18日にクレームをつけている。

 《電事連「国も賠償負担を」 東電支援枠組みで要望書》asahi.com/ 2011年5月18日22時34分)

 記事は、〈東京電力福島第一原発の事故に伴う損害賠償の枠組みについて、経済産業省資源エネルギー庁に要望書を提出〉、〈原子力は国策で推進してきたとして、政府に賠償責任を果たすよう求めた。 〉と書いている。

 「賠償枠組みの政府案」は次のようになっているという。

 ▽原発を持つ電力各社が負担金を払って「機構」をつくる。 
 ▽東電を含めた電力各社が毎年支払う負担金によって「機構」を維持・運営。
 ▽「機構」が東電の賠償を支援する。
 ▽枠組みは将来の事故にも備えた共済制度と位置づける。
 ▽政府は一時的に公的資金を投入するが、東電が全額を返済する。
 
 要するにあくまでも福島原発事故は東電の責任であって、その金銭的賠償責任は東電が負わなければならないが、賠償を果たすために他の電力各社の支援を受けるという仕組みになっている。

 この賠償枠組みに対して電事連は、国も(金銭的な)賠償負担を明確化するように要望したのだという。

 果して原発事故自体の責任は東電のみにあり、位置づけとしては東電のみが賠償責任を負うとしてもいいのだろうか。昨日の当ブログ記事――《福島原発事故拡大は菅仮免が東電にベント指示を早急に機能させることができなかったことが原因の人災 - 『ニッポン情報解読』by手 代木恕之》で、菅仮免内閣の原発事故初動の遅滞・拙劣さが事故を拡大させたのだから、その責任は政府にもあると書いた。

 当然、金銭的賠償責任も東電共々負うべきであろう。

 最初にお断りするが、上記ブログに保安院が首相官邸に持参した資料を「保安院が予測した資料」と書いたが、正確には地震発生当日の3月11日午後10時(=22時)策定の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」という名称だという。謝罪し、訂正します。

 昨日のブログ記事と重なる部分があるが、改めて初動の遅滞・拙劣さとその責任に触れて、金銭的賠償責任を負う根拠を示してみたい。

 最初に地震が発生した日の夜の首相官邸での出来事を時系列で記載しておく。

1.3月11日午後22時――保安院、>「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」
  を官邸災害本部事務局に持参

2.3月12日午前1時30分頃――海江田経産省、東電に対してベント指示。
3.3月12日午前6時14分――菅仮免、官邸からヘリで視察に出発
4.3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対してベント命令。
5.3月12日午前7時11分――菅仮免、福島第一原発に到着
6.3月12日午前9時04分――1号機でベント準備着手
7.3月12日午前10時17分――1号機でベント開始
8.3月12日午前10時47分――菅仮免、首相官邸に戻る

 保安院が首相官邸に「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を持参したとき、そこには菅仮免、海江田経産相、斑目原子力安全委員会委員長、東電常務が既に雁首を揃えていた。

 この「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」は2号機に関する予測で、菅仮免以下、保安院提出の2号機の予測に基づいて行動したことになるが、実際にはベント指示もベント命令も1号機に対してのものとなっている。

 さらに5月16日に東電が公表した暫定評価データによると、1号機は地震発生16時間後の3月12日午前6時50分頃と一番早くメルトダウンを起し、2号機は3月15日午後6時43分頃、3号機は3月16日午後11時50分頃にそれぞれメルトダウンを起していたと予測しているが、「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」は結果的に1号機の事故進行に的中する予測となっている。

 菅仮免政府の対応が「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」の予測に基づいた当初の行動であったとしても、ベント実施に向けて迅速に行動していたなら、実際にベントを行った1号機の事故拡大は結果的に防げた可能性は否定できない。

 また対策はすべての原子炉に亘って緊急性を要していたことから、2号機の予測であることを無視して、1号機に向けた予測と読み替えて記事を進めていく。

 「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」の主たる内容。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。

      21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。

      22時50分――炉心が露出する。

 3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。
      5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。

 持参した3月11日午後22時から50分後の22時50分には既に炉心露出を予測し、持参2時間50分後、炉心露出から2時間後には炉心溶融の危険性を予測。

 さらに持参から7時間20分後、炉心溶融の危険性から6時間30分後には核燃料全溶融、最悪爆発の危険性を予測していた。

 非常に切迫した危険な状態にあったわけである。「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」の内容を検討・議論し、ベントを行うことに意見を決定させた。

 原子炉の待ったなしの切迫した危険な状態からしたら、ベント決定まで、そんなに時間は取らなかったはずだ。だがなぜか分からないが、東電に対して菅仮免の指示に基づいて海江田経産相がベントの指示を出したのは保安院が「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を首相官邸に持参した3月11日午後22時から3時間半後の3月12日午前1時30分頃である。

 3時間半もベント指示決定に時間を要した理由を海江田経産相は5月16日の衆院予算委員会で西村康稔(やすとし)自民議員の質問に答えて次のように答えている。

 海江田「正式にですね、東京電力からやはり通報が必要でありますから、通報がございましたのは、(12日)0時57分と、いうことでございます」

 何のためのどのような「通報」を待ったのか分からないが、原子炉が一刻の猶予もならない危険な状況にあるにも関わらず、ベント指示までに3時間半も要した事実は変わらない。

 だが、3月12日午前1時30分頃に出したベント指示を東電は即刻実施しなかったばかりか、海江田経産相の何度かの催促にも応じなかった。

 この政府の指示を東電に対して直ちに機能させることができなかった指導力欠如・威厳の喪失の責任は政府自身にあるはずである。

 東電が直ちにベント指示を実行しなかった様子を海江田経産相と菅仮免は上記西村自民議員との質疑応答の中でそれぞれ次のように述べている。

海江田「なかなか私共が指示を出しましたけども、なかなか実行されなかったものですから、止むに止まれずに命令という形で出したということに――」

 菅仮免「何度もお答えいたしております。つまり格納容器の圧力が高くなっていると。だからこそベントが必要だということで、格納容器が(圧力が)高くなっているということはそのまま放置すれば、格納容器が何らかのですね、ひび割れ等が、あー、起き得ることがあり得る。そういうことを含めて、なぜベントとを早く行わなきゃ、いけないと言っているにも関わらず、現地でやってくれないのかという思いがありました」

 政府が原子力発電所に対して監督・指導する原子力安全・保安院の予測に基づいて出した指示が、「なかなか実行されなかった」、「現地でやってくれない」で済ますことはできないはずだ。

 これは偏に菅仮免自身の指導力の問題であり、威厳が行き届いているかどうかの問題であろう。早い段階で保安院が炉心露出、炉心溶融と核燃料全溶融の危険性、最悪爆発の危険性を予測していたことに対して、それが例え2号機の予測であったとしても、重大な危険回避のベント指示を出すのに時間を要したばかりか、ベント指示を出しても、即刻実施させるだけの重みを指示に持たせることができなかった。

 その責任は非常に大きく、先ず問わなければならない。
 
 ベント指示がなかなか徹底されないからだろう、菅仮免は「現地を、ちゃんと指導してくる」(斑目原子力安全委員会委員長の言葉)と言って、福島原発に視察と称して乗り込んだ。

 だが、菅仮免が福島原発に到着する前の自衛隊ヘリコプターに搭乗している時間に海江田経産相を通して東電に対して3月12日午前6時50分にベント指示を法的強制力のあるベント命令に切り替えている。

 保安院が「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を首相官邸に持参した3月11日午後22時から8時間50分後である。

 だが、その法的強制力のあるベント命令にしても直ちに実施に移されたわけではない。ベント準備着手はベント命令の33月12日午前6時50分から2時間14分もあとの3月12日午前9時04分で、実際にベントが開始されたのはさらに1時間13分後の、ベント命令から計算すると、3時間27分後の3月12日午前10時17分である。

 このベントが開始された3月12日午前10時17分は、「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」に基づいた原子炉の予測状況に当てはめるてみると、「3月12日午前5時20分、核燃料全溶融。最悪爆発の危険性」の予測からさらに4時間57分後となる。

 このことと東電が5月15日に公表した福島第1原発1号機のメルトダウン(全炉心溶融)は3月11日午後2時46分地震発生から16時間後の3月12日午前6時50分頃としていることと併せて考えると、ベント開始はメルトダウン(全炉心溶融)からの3時間27分後となる。

 いわば既にメルトダウン(全炉心溶融)を起した後に緊急に必要としていたベントを開始したことになる。

 以上の経緯を見てみると、保安院策定・首相官邸提出の「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」で行った予測は1号機の実際の事故進行とほぼ的中していることになる。

 もしかしたら、東電は1号機のメルトダウンに気づいていたか、少なくともその危険性を予知していて、保安院予測が2号機対象でありながら、1号機に向けてベントを行ったのではないだろうか。

 既に言ったことと重複するが、菅仮免以下が保安院の予測に基づいて1号機、2号機関係なしに迅速にベントを命令ではなく、指示だったとしても、それを早い段階で機能させることができていたなら、事故拡大を抑え得た可能性は否定できないはずである。

 すべては菅仮免が東電に対するベント指示を直ちに機能させることができなかったからであり、また法的拘束力のあるベント命令に切り替えた後も、ベント命令を即刻機能させることができなかった失態による、決して不可抗力では済ますことはできない事故拡大であり、近隣住民の放射能避難であろう。

 この指示・命令を機能させることができずに重大な事故に拡大させた人災責任は重い。当然、風評被害を含めて放射能被害を受けた被災者を「国策による被害者」と位置づける以上、その責任の重さからして道義的責任にとどめずに金銭的賠償責任まで負うべきでありながら負わないとしたら、賠償責任と人災責任回避のご都合主義と言わざるを得ない。

 勿論、国策で原子力政策を進めたのは菅政権だけではない。一番の責任は菅内閣にあるものの、歴代自民党政権、あるいは連立を構成した政党は国策責任を取って、国民の税金から支払うのではなく、自分達の歳費の多くを政府の金銭的賠償責任に当てるべきだと思う。


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福島原発事故拡大は菅仮免が東電にベント指示を早急に機能させることができなかったことが原因の人災

2011-05-18 10:09:17 | Weblog



 一昨日の5月16日、西村康稔(やすとし)自民党議員が福島原発を巡る政府の初動対応を追及した。だが、西村議員も菅首相も海江田経産相も、政府の対応姿勢のどこに問題があったのかの点を認識しない質疑答弁に終始していた。

 また問題点を認識できていないことが責任を東電のみに押し付けることになっている。

 「衆議院インターネット審議中継」からダウンロードした動画の画面がフリーソフトだからなのか、小さくて、西村議員がパネルで示した時系列の政府初動対応が読み取ることができなかったために、西村議員の追及の中心の一つとなったベントに関して、初動に於けるその指示と命令の時間を予め記載して置く。

 また質疑の遣り取りの中で改めて明らかになった時間的対応はその都度記載する。

 3月12日午前1時半――海江田経産相、東電に対してベントを正式に指示。
 3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対して法的強制力のあるものとしてベントを命令。

 指示を命令に切り替えるまでに5時間20分を要している。

 ベントに関して言うと、ここで既に問題点が二つ浮かんでくる。なぜ最初に「指示」であって、最初から「命令」ではなかったのかが一点。

 「指示」を「命令」に切り替えるまでになぜ5時間20分も要したのかが2点目。

 いわばなぜもっと早い時間に切り替えることができなかったのか。5時間20分もかけて指示を命令に切り替えても構わない原子炉の状況にあったと見ていたのか。

 このことはどれだけ切迫した状況にあると見ていたかどうかによって決まってくる。極度に切迫していると認識していたなら、もっと早い段階で切り替えを行っていただろうし、あるいは行っていなければならなかったはずだし、逆に切迫していると見ていなかったなら、切り替えに要した5時間20分相応の切迫感だったと言うこともできる。

 東電は5月15日に福島第1原発1号機がメルトダウン(全炉心溶融)を起していたのは地震発生から16時間後の3月12日午前6時50分頃と暫定評価として公表している。

 いわば東電は公式に1号機のメルトダウンを認めた。

 西村議員はこの事実を取上げて、福島原発は衝動の遅れ、人災だと断じた。

 昨日の「asahi.com」記事――《2・3号機もメルトダウン 東電データで裏付け》asahi.com/2011年5月17日6時12分)によると、実際には1号機のみならず、一昨日の5月16日に東電が公表したデーターから、2号機と3号機でも炉心溶融が起こり、原子炉圧力容器の底に燃料が崩れ落ちるメルトダウンが起こしていたとみられることが裏付けられたという。

 2号機は3月15日午後6時43分に、3号機は3月16日午後11時50分に圧力容器内の圧力がそれぞれ低下、圧力容器の密閉性が損なわれ、圧力が抜けたとみられていると伝えている。

 要するにメルトダウンによって圧力容器のどこかに亀裂が生じたか、穴が開いた。

 班目春樹原子力安全委員会委員長(16日の定例会後の会見)「3月下旬に2号機で高濃度汚染水が発見された時点で、メルトダウンしていたという認識があり、助言した。1号機と3号機も、事故の経緯を考えると同じことが起こっているとの認識を持っていた」――

 早い段階でメルトダウンの認識があった。

 いわば地震が発生し、津波が襲って原発が事故を起こした時点で、原子炉はかなり危険な状態に陥っていたことになる。このことを前提に、質疑応答が午後まで伸びたが、堂々巡りの質疑応答となっていたから、午前中のみの遣り取りを取り上げて見る。

 西村議員「先ず保安院に聞きます。3月11日22時、プラント班2号機について、資料の届け先、災害本部の事務局に届けたと認識しております」

 ここで保安院が資料を届けてきた時間が加わることになる。
 
 3月11日午後22時――保安院、資料を官邸災害本部事務局に届ける。
 3月12日午前1時30分頃――海江田経産省、東電に対してベント指示。
 3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対して法的強制力のあるものとしてベントを命令。

 その資料である「保安院が予測した資料」に基づいて西村議員が指摘した事故経緯。

 3月11日20時30分――原子炉隔離時冷却系(RCIC)中枢機能喪失。

      21時50分――燃料上部から3メートルの水位。今後さらに下がっていく。

      22時50分――炉心が露出する。

 3月12日 0時50分――炉心溶融の危険性。(西村議員は「24時50分」の言葉を使ったから、12日の0時50分に直した。)

       5時20分――核燃料全溶融。最悪爆発の危険性。(西村議員は「27時20分」の言葉を使ったため、明確ではない。

 保安院が官邸に資料を届けた3月11日午後22時から50分後の22時50分には「炉心が露出する」と保安院は予測していたことになり、非常に切迫した危険な状況にあった。しかも極端に悪化の方向に進行形を取った切迫した状況であった。「原子力に強い」菅仮免としたら、当然、その切迫感を共有したはずだ。

 西村議員「この保安院が分析していたことを総理は認識していたのか」

 海江田経産相「この時間では総理と官邸に詰めていた。官邸の危機管理センターにこの書類が参りました。官邸には保安院もいました。こういう認識だということを総理に伝えた。総理もこういう認識だからこそ、ベントをやらなければいけないということで、そのあと(12日午前)1時半頃に私を通じて東京電力に対して出した」

 菅仮免もベントの必要性を共有していた。だが、原子炉の切迫した危険性に反して、命令ではなく、指示であった。西村議員もこの点を追及するが、中途半端に終わっている。

 西村議員「海江田大臣は11日の22時の時点、夜の10時の時点で、総理に報告をして、ベントをやろうと相談し、決めたと言っている。なぜこの時点でベントの命令を出さなかったのか。

 (ベント指示を)出したのは次ぎの日の1時半です。なぜ(11日)22時の時点で出さなかったのですか」

 海江田経産相「今委員が提示した資料は2号機のもので、同時平行で1号機も危ない状況にあった。1号機2号機どちらをという形でベントの指示を出すかについても、色々と議論をした。

 この日付が22時になっているが、私は22時にすぐにこれを承知したということではありません。これはあとで保安院に聞いていただけばなりませんが、恐らくこの文書を作ったのが22時で、そして官邸に来たり、色んな少し時間の幅はあると思う。そのくらいの幅はご容赦をいただきたい。

 そしてその上で、やはりベントをするということはここにも書いてあるが、放射性物質の放出ということだから、ベントをやる際には放射性物質の放出をできるだけ少なくするために、シールというものがどうなっているか、そういうことの確認をしたのは事実でございます。そしてできるだけ早くということで、ギリギリのところが1時半でございます」

 西村議員「ここに時系列の表があるが、1時半頃、そういう認識に至った。危機管理で(3月11日の)22時の段階で現場の保安院は直ちにベントをしなければいけないという判断をしている。

 大臣は色々議論をして、1号機だけではなく、2号機も大変だったのは分かる。しかも放射性物質を出すわけだから、周辺住民への避難命令も出さなければいけない。しかし実際に(ベントの)命令が出たのは、次の日の朝の6時50分。

 確かに指示をしたとか、色々言われます。22時の段階で直ちに、それを知った段階で、多少、5分や10分、危機管理上のもっと早い時間で、官邸にそれを伝えた。それを官邸はすぐさま、判断をして、避難住民の避難命令、周辺住民への避難命令、そして直ちにベントを行わなければならなかった。

 そうすれがメルトダウン、燃料溶融も避けることができたかもしれない。放射性物質の大量放出も避けれたかもしれない。総理にそのときのご判断を伺いたいと思います」

 以後の展開を見れば分かるが、西村議員はベントにのみ的を絞って質問すべきだったろう。
 
 「保安院から1号機2号機が危機的状況にあると報告を受けた3月21日22時の時点以降の早い段階で、なぜベント命令を出さなかったのか、その理由を聞かせてもらいたい」と言えば済むことをくどくどしい言い回しで聞いている。

 菅仮免「まあ、あの、事実を的確にご判断をいただきたいんですが、あの、先程、海江田大臣からも、お話がありましたように、えー…、発災の日の、おー…、早い段階から、えー…、イー、危機管理センターに、イー…、つながりまして、特に、イー…、原子炉の、オ、問題いついては、あー…、東電、ア、関係者、さらには、あー…、保安院、エ、さらに原子力安全、えー…、委員も、おー、同じ部屋にずっと詰めて、エ、私と、おー…、えー…、経産大臣とですね、ずっと、オ、状況を把握しながら、あー…、そのー、判断をいたしておりました。

 まあ、そういう意味では、私は、あのー、先程海江田大臣からお話がありましたように、えー、連絡があった時点で、えー、ベントを行うべきだと、その場にいた関係者も、オ、そういう認識にありましたので、そういう認識で以て行動したと。

 勿論、その場合に、えー、事前に、イー…、何か、必要なことがあれば、当然、しなければならないわけでありますから、そういうことを踏まえて、最終的に、イー…、1時30分ですか、翌日の午前の1時30分に大臣の方からですね、えー、確かこれは、東電と、一緒だったと思いますが、えー、1号と2号の、おー、ベントの必要について、えー、東電及び原子力安全委員会、イー…、が、説明し、それを了承して、その行動を取ったと、おー、指示したと、指示と言いましょうか、あ、そういう認識で、えー…、進めるように、その現場にいるわけですから、東電の関係者もですね、そういうことを、その場で、えー、合意したということであります」

 的確性を欠いたこの回りくどい話し方はそのままどうりに的確な判断能力の欠如の証明となる。

 いずれにしても、菅仮免は保安院から官邸に資料提出があって関係者と協議の末にベントの必要性を認識するに至った。その場に東電の関係者も居合わせていた。

 その場に東電の関係者が居合わせていたという点が重要である。その場に居合わせた東電関係者は菅政府がベントを必要とすると決定したことを知ったのである。

 そして海江田経産相が東電に対して、3月12日午前1時30分にベントの指示を発令した。保安院が官邸に資料を届けた3月11日午後22時から3時間半経過後である。

 このベント指示が早い判断かどうかが問題となるが、保安院が炉心が露出すると予測していた22時50分から2時間40分後と計算すると、果して早い判断だったと言えるのか、西村議員はその点を追及すべきではなかったろうか。

 西村議員「しかし現実にベントの命令を出したのは(12日午前)6時50分であり、(1号機のベントを)行ったのは次ぎの日の(12日)10時17分ですね(ベント準備着手は9時04分)。

 なぜ、なぜ、周辺住民の避難命令、避難指示、これ5時44分だったのか。この避難指示、どなたが出したのか、お答えください」

 この避難指示5時44分というのは「半径10キロ圏内の住民に対する避難指示」であって、半径3キロ圏内の住民に対する避難指示は11日21時23分に既に行っている。西村議員は保安院が資料を提出した3月11日の午後22時に直ちにベントの命令を出すべきだったという姿勢で追及をしているのだから、その一点に絞るべきを、「この避難指示、どなたが出したのか、お答えください」などと余分な横道にそれている。

 一点に絞ることができたなら、政府の対応姿勢のどこに問題点があったのか、的確に把握できたに違いない。

 海江田経産相「えーと、一つでだけ事実関係を、先程の話で、申し上げさせていただきますが、先程の22時44分というのはまさに保安院が、そういう予測をしたということでありまして、それは私共すぐに聞きました。深刻な事態だからと言うんで、そこにいる東電の、まあ、幹部社員と、原子力のことをよく分かっている方でありますが、相談をいたしまして、そして正式にですね、東京電力からやはり通報が必要でありますから、通報がございましたのは、(12日)0時57分と、いうことでございます。先程命令というのはやはり、あの、大変厳しいことになります。

 ということで、命令に切り替えなかったかと言いますと、なかなか私共が指示を出しましたけども、なかなか実行されなかったものですから、止むに止まれずに命令という形で出したということに。

 で、あと避難のことにつきましては、これは現地の対策本部でありますので、現地対策本部を通して、えー、周知をしたということでございます」

 保安院が3月11日22時50分に炉心露出、3月12日0時50分に炉心溶融の危険性、同3月12日5時20分に核燃料全溶融。最悪爆発の危険性を予測していたのだから、寸秒を争う切迫した状況にあったはずである。問題はそういった切迫した状況に合わせて行動ができたかどうかであろう。

 それを保安院から原発の予測状況を聞いたのが西村議員が言っているように3月11日午後22時なのか、あるいは海江田経産相が言っている3月11日午後22時44分なのかどちらであっても、3月12日午前1時30分のベント指示まで2時間から3時間以上の時間の経過の辻褄合わせに答弁のエネルギーを割いている。この合理的判断能力は如何ともし難い。

 切迫した状況に合わせて行動できていなかったことは、先ず第一に東電からの通報が必要だと、それを待った、保安院の予測状況に反した姿勢に現れている。

 この待ちの姿勢は大袈裟に言うと、阪神大震災で自衛隊が出動には県知事の要請が必要だからと、問い合わせもせずにいたずらに要請を待ち続けた姿勢に匹敵する危機感のなさである。

 保安院は赤信号を激しく点滅させていただけではなく、危険が間近に迫っていることを知らせるサイレンまで鳴らしていたのである。どのような通報を待たなければならなかったのだろうか。

 また、保安院の予測よりも東電の通報を優先させたということは原子力発電所を監督・指導する保安院を電力会社の下に置く判断の間違いを犯していたことを意味することにもり、ここにも危機感を見ることができない。

 そして何よりもの問題点は、これは菅内閣の原発事故初動に於ける最大の問題点だと言えるが、菅内閣の指示が東電に対して機能しなかったということである。

 保安院の予測を緊急性に則って関係者で早急に議論し、結論を得次第、東電の通報を待つことなくベント指示を出し、その指示が東電に対して機能していたなら、命令に切り替える必要はなかったはずである。

 だが、「なかなか私共が指示を出しましたけども、なかなか実行されなかったものですから、止むに止まれずに命令という形で出」すことになった。

 このことは東電の責任と言うよりも、菅内閣、特に菅首相をリーダーとして頭に頂いていながら、東電という一民間企業に指示を機能させることができなかった菅仮免自身の責任であるはずだ。

 東電の通報を待って、ベント指示に時間を要したこと。ベント指示を出したものの、その指示を機能させることができず、結果として水素爆発やメルトダウンを引き起こし、多くの住民を放射能避難者に追い込んだことはまさに人災である。

 ベント指示を出したのが、3月12日午前1時30分頃。ベント命令に切り替えたのは3月12日午前6時50分。

 《【崩れた安全神話 福島第1原発事故】<1>怪物 深刻事態に即応できず》西日本新聞//2011年5月12日 00:47)によると、海江田経産相はベント指示が機能しないために、「1時間おきに催促する間に1号機の格納容器圧力は上昇。午前4時半には、東電の社内マニュアルでベント実施と定めた8気圧を上回った。」となっている。

 「ベント実施と定めた8気圧を上回っ」ていたにも関わらず、「1時間おきに催促」しながら、ベント指示を機能させることができなかった。如何にバックに控えている菅仮免の威光がメッキに過ぎなかったかを物語って有り余る。

 菅仮免が自衛隊ヘリで福島原発の視察に官邸を出発したのが3月12日6時14分。ベント指示をベント命令に切り替えた3月12日6時50分よりも36分前で、まだベント指示が機能していない間である。

 福島原発到着は1時間近い飛行で、7時11分。ベント命令は「原子力災害対策特別措置法」(原子力災害対策本部長の権限) 第二十条の2で「原子力災害対策本部長は、当該原子力災害対策本部の緊急事態応急対策実施区域における緊急事態応急対策を的確かつ迅速に実施するため特に必要があると認めるときは、主務大臣に対し、規制法第六十四条第三項 の規定により必要な命令をするよう指示することができる。」とあるから、ベント指示が原子力災害対策本部長である菅仮免が主務大臣である海江田経産相を通して東電に伝えたのと同じく、首相の専権による発令であろう。

 海江田経産相が1時間ごとに催促しても機能しなかったベント指示が機能しない間に自衛隊ヘリの人となり、海江田経産相を通して飛行中にベント命令を発令したことになる。

 ヘリの中で菅仮免と斑目原子力安全印界委員長と何が話し合われたかである。

 但しベント命令が直ちに機能したわけではない。他の記事によると、東電がベント準備に着手したのがベント命令の3月12日6時50分から2時間14分後の3月12日9時04分となっている。

 菅仮免は福島原発に3月12日7時11分に到着、小1時間程の滞在だというから、原発から三陸方面の被災地に向けてヘリが飛び立った後になってやっと機能したことになる。

 菅仮免の原発視察によって東電の初動が遅れたとの疑惑が浮上し、菅仮免自身が否定しても、その疑惑は尾を引いている。

 ここで改めてこれまでの出来事を時系列で追ってみる。

 3月11日午後22時――保安院、資料を官邸災害本部事務局の届ける。
 3月12日午前1時30分頃――海江田経産省、東電に対してベント指示。
 3月12日午前6時14分――菅仮免、官邸からヘリで視察に出発。
 3月12日午前6時50分――海江田経産相、東電に対してベントを命令。
 3月12日午前7時11分――菅仮免、福島第一原発に到着
 3月12日午前9時04分――1号機でベント準備着手

 なぜ東電はベント命令が発令された3月12日午前6時50分以後、直ちにベント準備に着手しなかったのだろうか。この線から参考人として出席していた東電社長を追及して、菅仮免の視察がベント着手に障害となったのかどうか問い質すべきではなかったろうか。

 だが、西村議員はベント命令がなぜ遅れたのかの直球勝負のみとなっている。

 西村議員「そういう悠長なことを言っている事態ではなかったんですよ。まさにメルトダウンを予測して、全部溶けてしまう。穴が開くかもしれない。それなのに、なぜ命令が6時50分になったのか。指示をして、色々相談しながらやっている。色々議論をしてという言い方をしているんですが、こんな時間をかけてやったからこそ、時間がかかるからこそ、被害が拡大したわけです。

 総理の判断を私はお聞きしているのですが、この5時44分の(半径10キロ圏内の)避難指示は本部長である菅総理が出されてるんです。総理、この認識ないんですか」

 菅仮免「先程来申し上げていますように、えー、11日の、おー、夕方のかなり早い段階から東電の、少なくとも、おー、この問題で、責任を、のある人にも、きちんと、官邸に来ていただいて、そして、えー、保安院、さらに(原子力)安全委員会の委員長にも、同席をしていただいて、エ、そして私、そして海江田大臣もそこにいたわけであります。

 ですから、あー、本来、この、おー…、仕事そのものは、最終的には、東電が行わなければ、あー…、そのできる人は、東電以外にはいないわけでありますから、そういう判断の中で、是非やってくれということを、に、そして早い段階で、えー、確か、あー、(老眼鏡をかけて書類を確かめる)最初は3キロ、おー、の範囲の避難を、ヲー、前の日に提示をしているわけです。

 ですから、そういう意味ですはね、私は、その最終的な、あー…、その、法的手続きといったことが取られたのが、あー、あの、そこまで、何もしなかったということでは全くなくて、えー、早い段階から、そうするようにと言い、そして1時半には、海江田大臣自身がですね、記者会見を含めて、そういうことをやったと。

 それで東電もやるでしょうとも言われているわけですから、何か6時何分まで、何もやらなかったと言うような、認識でもし言われているとしたら、それは事実とは違います」

 一国の首相なのだから、もう少し的確な言葉遣いと的確な言い回しで簡潔明瞭に発言できないものだろうか。

 発言から窺うことができる様子は海江田経産相の発言と同様に菅仮免内閣のベント指示が如何に機能しなかったかのみである。しかも東電の幹部が官邸に居合わせながら、東電に対して指示を機能させることができなかった。この権威喪失の責任、無能の責任は非常に大きい。

 と同時に、「何か6時何分まで、何もやらなかったと言うような、認識でもし言われているとしたら、それは事実とは違います」と言っているようでは、何が問題となっているのか菅自身も何ら認識していないことになり、愚かしいと言わざるを得ない。

 「仕事そのものは、最終的には、東電が行わなければ、あー…、そのできる人は、東電以外にはいないわけでありますから」と東電に責任転嫁しているが、その東電に言うことを聞かせることができなかった、あるいは指示を指示として機能させることができなかった自分たちの責任は棚上げしている。

 西村議員「勿論、現場でこれを実行するのは東電です。しかしそれを命令しなきゃいけないんです。やらせなきゃいけないんです。そして今お聞きした、本気でベントをやる気があるなら、いいですか、5時44分という時間に10キロ圏内の住民の避難指示をしているんです。これは総理が出されているんです。本部長である総理の指示で、10キロ圏内の住民の避難指示をしてるんです。ま、ベントをやるために。

 総理、この10キロ圏内、何人住んでいるのか覚えておりますか」――

 「しかしそれを命令しなきゃいけないんです。やらせなきゃいけないんです」と追及していながら、ベントを指示の段階で早急になぜ能させることができなかったのかの菅内閣の能力とその責任を問い質す視点を持つことができず、「総理、この10キロ圏内、何人住んでいるのか覚えておりますか」などと一点に絞ることができない追及を行っている。

 ここで枝野官房長官が答弁に割り込んで、例の如くに詭弁家の本領を発揮する。

 枝野「ベントをやるから、5時44分に10キロ圏内の住民の避難指示を出したのではない。むしろその前の段階から、3キロ圏内避の難指示を出していたはずです。それに先程来総理、経産大臣が答弁申し上げておりますとおり、東京電力に対してベントをするようにと。

 そして東京電力もベントをすると言いながら、ベントをなされていない状況が、続きましたので、えー、万が一にもこれは圧力が高まるということでございますので、万が一にもさらに悪い状況になること、可能性に備えて、10キロ圏内に影響を及ぼす可能性があると言うことで、この時点で10キロ圏内の避難指示を出したのもです」

 「万が一にもさらに悪い状況になる可能性」とはベントが実施されないことによって招くことになる加速度的悪化状況でもあるはずである。

 そのような加速度的悪化状況のもとでベントが実施された場合、それ以前の段階のベント実施による放射性物質の放出とは比較にならない被害を予想しなければならない。

 当然問題とすべき基本的事柄はベント実施の遅滞に応じて刻々と状況が悪化していくことであろう。いわばベントの実施如何が左右する加速的度悪化状況なのだから、詭弁家枝野はそのことを問題とせずに「ベントをやるから、5時44分に10キロ圏内の住民の避難指示を出したのではない」などと、焦点を外したことを言って誤魔化す詭弁を用いているに過ぎない。

 避難指示を3キロ圏内から10キロ圏内に広げたのは原子炉が時間の経過と共により危険な状態に進んでいると認識していたからだろう。ベント指示を機能させることができず、その実施の遅れを招いた菅内閣の無能力とその責任を益々問わなければならないことになる。

 ベント指示を直ちに機能させることができなかったばかりか、ベント指示からより強制力を持ったベント命令に切り替えるタイミングも遅すぎた。その結果としてある現在の核燃料のメルトダウンであろうから、まさに菅仮免を筆頭とした菅内閣の人災が招いた原子炉事故だと談じることができる。

 枝野にしても、菅仮免や海江田経産相共々、雁首を揃えて何が問題となっているのか認識できないでいる。

 西村議員「仮に今の説明が正しいとすれば、10キロ圏内が非常に危ない状況になるかもしれないという状況にあったんですよ。仮にそれが正しいとすれば。

 そしたら、そこに官房長官、総理を現地に行かせたんですか。そういうところに行かせたんですか。最高指揮官を行かせたんですか。総理、その認識ありましたか」

 菅仮免「先程来何度も申し上げておりますけれども、ま、ベントというのは単に作業として東電が、あの、行うということだけではなくて、えー、東電は、そういう状況の中では、自らも判断をしているわけであります。

 例えば、(老眼鏡を自分の椅子から取って)3時、午前3時にはですね、えー、経産相に於いて、経産大臣、つまり海江田大臣と、共に東電常務がベント実施について会見をされています。

 つまりは、東電は必要であればですね、えー、いつでも、おー、自らの判断でやれる状況にあったわけでありますし、私たちも先程言ったような状況の中で報告を聞いて、それは是非やるべきだと言うことを、おー、再三、あー…言い、海江田大臣もそういう指示を、口頭で出していて、えー、その結果ですね、なかなか行わないで、最終的に、えー…、えー、措置命令ということになったわけでありまして、えー、そのことと私の視察について特に、そのことで、遅れた、云々とのことはないというのが、現地の、おー、東電、からも、そういう、あ、あのことは影響されていないというふうに言っていると理解をしております」

 相変わらず何が問題となっているかが認識できていないから、ベントが指示通りに着実的確に実施されない状況にありながら、東電は必要であれば、自らの判断でベントを行うことができる状況にあったとか、ベント指示についての記者会見を行ったとか、的外れなことを言っている。この認識能力は底なしの絶望感を誘う。

 ベント指示を早急に機能させることができず、止むを得ず命令に切り替えた。だが、その命令さえも、実施に2時間14分も手間取った。しかもその間、菅仮免自身が現場を視察に行き、直接現場の人間と顔を合わせていながら、ベント命令の即時実施とはいかなかった。

 内閣総理大臣であり、原子力災害対策本部長でありながら、この無力、この機能しない影響力はその地位にいる資格を疑わせるに十分過ぎる。

 西村議員「あの、私の質問に答えていただきますか。官房長官は大変危険な状況になってきた。10キロ圏内の人に避難指示、これは総理が出されているわけですけれども、総理が出した。しかしこうした状況の中に、最高司令官である、最高指揮官である総理大臣、あなたが現場に行く。この認識、この認識で行かれたわけですね、総理。総理、総理」

 枝野「あのー、5時代にですね、避難指示を出したは、圧力が上がってきているので、えー、単に悪い状況に単に悪化するのに備えて、えー、10キロ圏内に影響を及ぼす可能性があるということで、指示を出したわけです。

 指示を出した時点で、3キロから10キロのみなさんがすぐにもリスクがあったような状況であったのは、それは指示の出し方が遅いわけでありまして、えー、危なくなる可能性があったので、危なくなる可能性が生じる前に、イー、早めに出していただくように出したものでございます」

 枝野は避難「指示の出し方が遅」かったと言っている。その最終責任は菅仮免にある。枝野は詭弁に走るあまり、自らポロッとボロを出してしまった。この点を追及すべきだったが、西村議員はそうしなかった。

 また、「圧力が上がってきている」原因はベントを早急に実施しなかったからで、早急に実施させることができなかった責任も菅仮免にある。

 西村議員「あの、そもそも指示を出す時間は私は遅いと思っているんです。本来なら、22時の時点で直ちに、その時点で、(保安院から予測を)聞いた時点で、ベント命令を出し、そして避難指示をする。

 それが私は当然の初期的動作だと思います。それが10キロ圏内出したのは5時44分で、危険な状態になったから、いみじくも言われました。そして総理が飛んでいったんです。

 安全委員長、原子力安全委員長に確認します。そのような状況の中で、安全委員長も一緒に行かれていますが。最高指揮官である、総理大臣が、圧力が上がって、今後どうなるか分からない、非常に危険な状態、飛び上がってびっくりされたとういう答弁もされています。

 水素爆発が、水蒸気爆発が起こるということがマニュアルにも書いてあります。そうした状況の中に総理が、あなたが行くということを、これ了解したわけですが、総理に、爆発が起こることを、言わなかったわけですか」

 斑目原子力安全委員会委員長「当時の状況としては、あのかなり緊迫しているという認識は私は勿論ございました。しかしながら、あのー、総理に、現地を、ちゃんと指導してくると、おっしゃるのにたいして、ついて行ってくれと言われたので、あの、えーと、従ったということでございます。えーと、あのー、それ以上のことについては、私から申し上げられません」

 「それ以上のことについては、私から申し上げられません」は隠さなければならない出来事、発言があったことになる。

 菅仮免は「現地をちゃんと指導してくる」と言って出かけた。それが福島原発視察の理由だった。斑目は以前、「総理が、『原子力について少し勉強したい』ということで私が同行したわけでございます」と言っている。

 菅仮免は本人は鈍感・単細胞だから意識していなかったとしても、ベント指示を機能させることができない無能な状況下で視察に出かけた。「現地をちゃんと指導してくる」は機能させることができないでいたベント指示を機能させるための「指導」を意味していたはずである。

 その「指導」に自信がなかったからなのか、あるいはその「指導」効果の確実な担保とするためか分からないが、ヘリで飛行中にベント指示をベント命令に切り替えさせた。

 海江田経産相を通してだろう、3月12日午前6時50分発令のベント命令は直ちに福島第一原発にも伝えられたはずであるし、発令から21分後の3月12日午前7時11分に菅仮免は福島第一原発に到着した。

 菅仮免は現地に到着するや早い時間に命令に基づいて直ちにベントに着手するよう命じたはずだ。それが「指導」であった。

 だが、「指導」が効き目を現したのはベント準備着手の同日午前9時04分まで待たなければならなかったが、保安院予測の切迫した状況に反してベント命令の午前6時50分から2時間14分も遅れたこと、菅仮免が現地に到着した午前7時11分からそう遅くない「指導」の時点から少なく見積もっても約1時間30分遅れた、この即刻命令実施とはならなかった命令の実態に対する責任、「指導」の有効性の実態に対する責任は、「私の視察について特に、そのことで、遅れた、云々とのことはないというのが、現地の、おー、東電、からも、そういう、あ、あのことは影響されていないというふうに言っていると理解をしております」の菅仮免の釈明に反して残る。

 また、原子炉が切迫した危機的状況にあり、時間の経過と共に加速度的に悪化状況に進行するとの内容の「保安院が予測した資料」を保安院が(3月11日)22時に官邸に持参し、直ちに議論・検討してベントを決めた時間から合計すると、午前9時04分のベント着手までに10時間以上経過している、その遅れは人災に所属する責任であって、当然果たさなければならない責任であろう。

 西村議員「水素爆発が、水蒸気爆発が起こる可能性があるということを助言しなかったんですか。総理が行かれるというのに助言しなかったんですか」

 どうも追及の的を外している感が否めない。

 斑目委員長「水素爆発については、あのー、そのときは助言していないと思いますが、当然、格納容器内の圧がかなり高くなっておりますので、格納容器が、あの、爆発するという言い方をしたかもしれませんが、いわゆる破裂するという可能性があると言うことは、あー、認識していましたし、そのようなことを助言していたと思います」

 助言していなければ原子力安全委員会委員長の使命と資格を失うし、官邸に詰めていた理由を失う。

 斑目の発言から分かることは、原子炉は破裂の可能性が存在し、ベントは緊急を要する状態にあった。だが、菅政府の対応は遅れに遅れた。これを以て人災と言えないことはないはずだ。

 だが、初動に間違いはなかったの態度を一貫させている。責任回避体質は菅仮免という政治家の体質そのものとは言え、あまりにも酷い責任回避となっている。

 西村議員「総理、総理、安全委員長は物凄く重大なことを言いましたよ。格納容器が破裂するかもしれない。これは大量の放射性物質が出るということでございますよ。

 そういう状況の中で、あなたは防護服も着けずに現地視察に行ったんですか。どういう認識で行ったんですか」

 菅仮免「あのー、私はですね、えー、最初に、イー、すべての電源が落ちて、冷却機能が、あー、停止したという、この報告を聞いたときから、これは大変な、あー、事故、だという認識は、強く持っておりました。

 えー、そいう中で、えー、先程来申し上げておりますように、えー、通常、おー、格納容器は確か、まあ、3キロ圧と5気圧で、一定されているのが、えー、それも通常よりとても高くなっておりましたので、まさにベントが必要だという認識でも、おー、報告を受けて一応、おりましたので、そのことも指示をしておりました。

 しかし、イー…、なかなかですね、官邸にいる、ウー、関係者はいるんですけれども、それが、あー、東電の本店ないし現場との関係で、エ、コミュニケーションが、やるやると言ってなかなか実際に行われないということも含めて、私としては、これは両方の考え方があると思います。まあ、陣頭指揮という言葉もありますけれども、おー、陣頭指揮を取るには、かなり、えー、現地の、関係者ときちんと会うことが、私は重要だとそのように考えました。

 同時に、イー、いわ、いわゆる、津波の被害の状況も上空から、そちらを見たいと思いまして、その二つの目的で以って、えー、私の判断で、えー、あのー、行ったわけであります。

 色々な見方はあると思いますが、私はその現地で、エ、現地の、おー、責任者、あー、と、ア、それから、第一サイトの、所長とお会いをして、私の方からもベントについて、えー、やるようにということを改めて、指示をし、そしてそこで、きちんと話ができたことが、その後の、この対応にとって、極めて、エ、有意義だったと、今でも考えております」

 最高指揮官が現場に乗り込んで、現場の責任者に直接指示しなければ指示が機能しない権威・指導力の機能不全・無効性は最高指揮官に許させる資質ではあるまい。

 この最高指揮官としての権威・指導力の機能不全・無効性そのものが国家の危機管理に於いて既に人災そのものとなっている。

 現地視察を行ったことで、「きちんと話ができたことが、その後の、この対応にとって、極めて、エ、有意義だったと、今でも考えております」と言っているが、ベント実施の遅れは確実に事故を拡大させ、事故拡大に応じて放射能被害を拡大させたことを考えると、その責任意識の希薄性・楽観性はあまりにもノー天気に過ぎる。

 西村議員「総理、私の質問に答えてください。安全委員長は、原子力安全委員長は、爆発が起こるかもしれない、格納容器が破裂するかもしれない、そういう認識をして、あなたは行かれたんですか。つまり、もしそういうことがあったときに最高指揮官として、その後の指揮をしなければいけない。そういう立場の、総理が防護服を着ずに、現地に行ったわけですか。その点を確認したいと思います」

 目を向けるべき問題点に気づいていないから、堂々巡りの議論となっている。

 菅仮免「まあ、あの、西村議員は、あの、よく理解されて言われているんでしょうけども、いわゆる格納容器の圧が上がっていることと、ベントを行うということは、これはある意味、圧力を下げるためにベントを行うんです。爆発というのは別に、水素爆発のことを言われているんじゃないと思うんです。

 これは、あー、委員長が、えー、当時も言われていましたが、格納容器の中には窒素が充填されているので、えー、そういう形のですね、格納容器内の水素が爆発はないというのが、当時の委員長の認識がありましたし。ですから、何度でも言いましたように格納容器の圧が上がっているからこそ、ベントをやるべきだと、ベントをやらなければ格納容器、あー、壊れることがあり得るので、ベントをやるべきだということを、私は出発前からきちんと、指示をいたしておりました。

 えー、そいう中で、先程申し上げましたように、で、どうしてもそれがなかなか実行されないということも含めて、なぜ情報がきちんと、我々の意思が通らないのか、あるいは、なかなか情報が伝わってこないのか、ということで、やはり自ら、出かけて、えー、とう、当事者の、関係者と、意見交換をするとことが、これは必要だ、重要だと、そういう判断のもとで行ったことであります」

 菅仮免にしても何が問題となっているか何ら認識できないために堂々巡りの議論で対応している。内閣の指示・命令を首相がわざわざ直接出かけて伝えなければ機能しない指揮命令系統の劣悪状況がベント実施を遅らせたそもそもの原因である。

 あるいは首相がわざわざ直接出かけて伝えなければ、自らの指揮命令系統を機能させることができない無能・指導力欠如がベントを遅らせ、事故自体を拡大させた。

 西村議員「ベントの指示が遅かったことを先ず指摘をして、そして、これは進まなかった、進まなかった。そして、格納容器が破裂をするかもしれないという状況で、防護服を着ずに、委員長がそういうことを総理に助言したにも関わらず、最高指揮官のあなたが行かれた。

 そのことの認識をもう一度お伺いしたい。答えていただけませんか」

 ベントが遅れた原因がどこにあるかを探ることをしないで、遅れた事実を表面的に捉えて追及しているだけだから、どうしても堂々巡りとなる。

 菅仮免「何度もお答えいたしております。つまり格納容器の圧力が高くなっていると。だからこそベントが必要だということで、格納容器が高くなっているということはそのまま放置すれば、格納容器が何らかのですね、ひび割れ等が、あー、起き得ることがあり得る。そういうことを含めて、なぜベントを早く行わなきゃ、いけないと言っているにも関わらず、現地でやってくれないのかという思いがありました。

 ですから、そういう認識を持って、えー、出かけて、えー、現地の所長に対しても、おー…、早急に行いますということになりました。

 ですから、認識があったということについて言えば、格納容器の圧力が上がっていて、そういったことを放置すれば、ベントをしないで放置すれば、その格納容器が破壊する恐れが、あるからこそ、ベントをやれと言ったわけですから、そういう認識は勿論持っていました」

 西村議員が追及している「認識」と、菅仮免が答えている「認識」とは似て非なるものだが、菅仮免は単細胞だから気づかない。

 「なぜベントとを早く行わなきゃ、いけないと言っているにも関わらず、現地でやってくれないのかという思いがありました」は菅仮免の指導力・権威の喪失を物語って余りあるが、目出度くも自己省察能力を欠いているから、自己嫌悪に陥ることもない。但し、自己嫌悪感ゼロの代償として、責任意識も欠くことになっている。

 「ベントをしないで放置すれば、その格納容器が破壊する恐れがある」

 そのベントが遅れた。遅れたことと遅れたことの責任は一切捨象している。このことが初動遅れの批判の否定、人災批判否定の根拠となっている。

 中井洽委員長「総理、総理、防護服はなかったの?」

 菅仮免は無視したのだろう。

 中井洽委員長「西村君」

 西村議員「総理、総理は6時14分に出発をされています。実際に命令があったのはそのあとの(6時)50分です。出発前に当然命令を出すべきだと思いますし、しかも出発するんではなくて、いざ爆発が起こるかもしれないという状況の中で、現地に行くのではなくて、ここで、官邸で、ホームで指揮を取るのがあなたの本来の仕事です。

 しかも、しかも格納容器は爆発するかもしれないという状況の中で、防護服も着ずに現地に向かったんですが、破裂するという意識があったんですか。認識があったんですか」

 中井委員長が午前中の時間切れを宣し、午後に回すことになる。

 西村議員は追及の決め手を欠いて、自らの堂々巡りに対応する相手の堂々巡りを誘う泥沼に足を取られて身動きできなくなってしまっている。

 ベントを放置すれば格納容器がひび割れする可能性があるとの認識があったなら、なぜヘリで視察する前にベント指示をベント命令に切り替えなかったのかと追及すべきだったろう。

 菅仮免を筆頭に原子力関係の閣僚、その他関係者は原発事故対応のそもそもの初動から、菅仮免が原子力災害本部長の立場で発したベント指示を東電に対して機能させるだけの指導力、権威を持ち得なかった。

 そのような指導力・権威の機能喪失が最終的に原発事故を拡大させ、レベル7にまで至らしめた、あるいは地震発生後約16時間でメルトダウンに至らしめた人災の否定できない側面として抱えてもいるのだから、その人災部分の責任は取らなければならないはずだ。


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岡田民主党幹事長の「不信任案同調は離党を」の正当性と孫正義の首相擁護の正当性

2011-05-16 08:29:51 | Weblog



 一昨日の5月14日(2011年)、自民党の石破政務調査会長が山口市の講演で、内閣不信任案提出を目指すと発言。《石破氏 不信任決議案提出目指す》日テレNEWS24/2011年5月16日 0:58)

 石破政務調査会長「中部電力の浜岡原子力発電所を止めるというのは、見た目はいいかもしれないが、菅総理大臣は、関係機関にも相談せず、今後のエネルギー政策も議論していない。政治主導という名の政治暴走に陥っており、これ以上続けることは被災地のためにも日本のためにもならない。菅政権を打倒するには内閣不信任決議案を可決するしかない。衆議院では、民主党が圧倒的な議席を持っており、頭の痛いところだが、不信任案を可決するために全知全能を絞らないといけない」――

 「不信任案を可決するために全知全能を絞らないといけない」とは民主党内の同調者を念頭に入れてのことなのは断るまでもない、既に周知の事実となっている。

 記事も、〈民主党で菅総理大臣の批判を強めている議員の動向をにらみながら、今の国会に内閣不信任決議案の提出を目指す考えを示しました。〉と解説している。

 石破議員にしても同調の可能性が低ければ、不信任案可決の見通しを失うことになるのだから、内閣不信任案に言及することはなかったろうし、野党優勢の参議院での首相問責を内閣を追い込むより可能性の高い手段として言及したに違いない。

 自民党も民主党内の反菅派も、「首相の存在自体が震災復旧・復興の障害だ」と言っている。

 石破議員が期待した民主党内の同調の根拠となったに違いない動きを次ぎの記事が伝えている。《内閣不信任案賛成を働きかけ》4NHK/2011年5月15日 4時4分)

 民主党の小沢元代表が菅内閣の原発事故対応の拙劣さ、遅滞等を理由に菅仮免の自発的な退陣を求めていて、その退陣要求に呼応してのことだろう、小沢氏に近い議員が野党が内閣不信任決議案を提出した場合、賛成に回るよう、署名活動等の党内活動を行っていると伝えている。

 小沢元代表「今のような対応を続ければ、被害は拡大し、取り返しのつかないことになる」

 反菅グループの活動は党内にとどまらず、自民党に対しても不信任決議案を早期に提出するよう働きかけているという。

 民主党内の反応。当然のことがだが、不信任決議案に賛成することを決めている議員と非賛成派の存在。

 非賛成派議員「菅総理大臣の対応がベストだとは思っていないが、原発事故の収束の見通しがたたないなかで政局を起こすべきではない」

 「菅総理大臣の対応がベストだとは思っていない」とはベストを追求していく能力と姿勢を持ち得ていないということであろう。ベストを追求していく能力と姿勢を持ち得ていなければ、「原発事故」に関わる菅内閣の対応にしてもベストを追求していく能力と姿勢は望み得ないことになる。

 政治は国民に対してベストを追求する義務と責任を負っているはずだ。その能力と姿勢を持ち得ないなら、首相の座を去る選択こそがベストとなる。

 いずれにしても、石破議員の内閣不信任案提出への言及は民主党内のこういった動きに呼応した言及だと分かる。

 このような民主党内の動きを民主党の岡田幹事長が牽制したと、次ぎの記事が伝えている。《不信任案賛成は離党覚悟が当然~岡田幹事長》日テレNEWS24/2011年5月16日 0:58)

 昨5月15日(2011年)、民主党の岡田幹事長が青森市で記者団に話したそうだ。

 岡田幹事長「野党が内閣不信任案を出すというのは、当然の反応かと思う。(その不信任案に)与党の中で賛成する、あるいはそれを募るということは、まさしく与党としての責任を放棄するもので、当然、党を離れるということを覚悟した上で不信任案に賛成するというのが当然だと思う」

 野党提出の内閣不信任案に同調して賛成するなら、離党を覚悟で賛成しろと言っている。この発言に正当性はあるのだろうか。

 民主党の代表は指導力ゼロの菅直人である。内閣を担ったものの、未だ仮免状態で、本免の政権運営ができていない。

 菅仮免が民主党の代表であったとしても、民主党という政党の所有者ではない。いわば民主党は菅仮免の所有物=私物ではない。民主党は民主党の国会議員、地方議員、サポーター、そして民主党を支持する国民の所有物である。

 例えそこに党内抗争が存在したとしても、党紀に違反する行為がない以上、野党提出の内閣不信任案に賛成したからといって、民主党が菅仮免の所有物でない以上、出て行け、離党せよと言う資格も権限もないはずである。

 1980年5月、社会党が大平内閣に対して内閣不信任決議案を提出、与党自民党の反主流派がその採決時に欠席した結果、賛成が上回り、可決、大平内閣は衆議院を解散、衆参同日伝挙に持ち込んだ。

 大平正芳は選挙中に急死、同情票を掻き集めて自民党は衆参とも勝利。このとき、不信任案採決時に欠席したからといって、主流派による反主流派に対する離党騒動に至ったわけではない。

 もし離党要求に正当性があるとしたら、民主党が菅仮免の所有物でも、菅執行部の所有物でもない以上、反菅派の菅派に対する離党要求も正当性を得ることになる。

 菅仮免の進退についての言及の正当性如何に関係することだが、5月14日(2011年)の夜、菅仮免が「自然エネルギー財団」の設立を表明しているソフトバンクの孫正義社長と東京都内で会食した。《不信任案賛成は離党覚悟が当然~岡田幹事長》毎日jp/2011年5月15日 2時3分)

 孫正義「浜岡原発停止要請は歴史的な英断」

 菅仮免「再生可能エネルギー普及と原発の安全性を懸命にやっていきたい」

 ベストを追求していく能力も姿勢も持ち合わせていないが、政策だけは口にする。

 与野党に広がる菅仮免の退陣論を批判する趣旨で――

 孫正義「嵐のど真ん中で船長を代えることはあり得ない」

 菅仮免「大変元気をいただいた」

 浜岡原発停止要請を「歴史的な英断だ」とお褒めをいただき、無能でも構わない、首相は続けるべきだとお墨付きをいただいたのだから、いやでも元気をいただくだろう。

 孫正義は菅仮免に対する退陣要求は正当性がないと談じた。その理由は国難(=嵐)のときだからだとしている。

 いつも見せている死んだ魚の生気のない目を生きいきと輝かせただろうし、国会で追及を受けているときは唇を不満げに突き出しているが、唇を閉じることなく得たり顔でニヤニヤとにやけたことだろう。

 だが、帆船や蒸気船の時代、嵐に満足に対処できない実際の船長は実力行使を受けて幽閉され、一等航海士等が代って船長を務めている。嵐のときこそ、国難のときこそ、政権運営の能力を問わなければならないはずだ。

 それを孫正義は「嵐のど真ん中で船長を代えることはあり得ない」と、嵐のときこそ問うべき能力、指導力を問わなくてもいいとしている。

 倒錯的認識を示しているように見えるが、そうではないだろうか。

 指導力ゼロの無能な菅仮免には嵐とは正反対の波が立つことはない小さな池でボートでも漕がせておけばいい。

 岡田民主党幹事長の「不信任案同調は離党を」の正当性にしても、孫正義の首相擁護の正当性にしても、いずれも正当な理由になっているとは言えないはずだ。


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五百旗頭復興会議議長の復旧・復興は「今の首相がバカかどうかという問題」ではないとする幼稚な認識能力

2011-05-15 11:11:22 | Weblog

 

 昨日ウエブ記事の中に面白い記事と出会った。

 5月13日午後、東京・内幸町の日本記者クラブで行った講演で飛び出した発言だそうだ。発言の主は復興構想会議の五百旗頭真議長。例の復興構想会議の議長に就くや否や、いきなり復興財源確保には「震災復興税」の創設が必要だと言い出した人物である。「会議の中で議論を深めていただきたい」とは言ったものの、記者会見で言うことではなく、会議の中で提言し、増税以外の財源確保策と議論を尽くしていく中で議論の過程をマスコミを通じて国民に知らせつつ構想会議として一つの方向性を出していくという手続きを取ることが公平性確保の賢明方法であったはずだ。

 だが、そういった賢明さは備えていなかった。

 4月13日の復興構想会議初会合で、「16年前の(阪神・淡路大震災の)被災がかわいく思えるほどの、すさまじい震災だ。空襲で遺体がなくなることはなかったが、今回は津波で多くの方が連れ去られた」(MSN産経)と今回の被害と比較した発言を当ブログ記事――《五百旗頭復興構想会議議長の人間を見ない阪神大震災と東北関東震災との比較 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之で取上げたが、認識能力を欠いているからなのか、何となく人間味を感じさせない人間だとは思っていた。

 五百旗頭議長の発言を伝えた記事は、《五百旗頭氏「首相がバカかどうかではない」》MSN産経/2011.5.13 18:41)

 〈歴史家の視点を持って被災地復興に取り組む考えを強調した。〉と記事は書いている。その上で応仁の乱(1467年)や戦国時代を振り返って、次のように発言したそうだ。

 五百旗頭「国中が、血で血を洗う争乱で乱れに乱れた。今の首相がバカかどうかという問題のレベルではなかった」

 記事は、〈菅直人首相の資質を問うべきではないとの認識を示した。〉発言だとしているが、具体的にどういった発言だったのか詳しく伝える記事、もしくは動画がないかとインターネット上を探したが、あいにく見つからなかった。

 産経新聞系の「SankeiBiz」が同じく日本記者クラブの講演を取り上げているが、主として経済問題を扱うマスメディアらしく、その方向の視点からの報道となっている。 《増税論議は不可欠 復興財源で五百旗頭氏》SankeiBiz/2011.5.13 18:20)

 五百旗頭(復興財源について)「借金をさらに上積みすると、財政的な『レベル7』への引き金になるのではないか」

 何が何でも増税でなければ国の経営が成り立たなくなるとする主張は一つの考えではあっても、また理解しやすい表現として用いた言葉ではあっても、増税なしによるなお一層の危機的財政状況への予想される進展を国際原子力事象評価尺度で最悪のレベル7(深刻な事故)で比較するのは、実際にレベル7(深刻な事故)を受けて放射能避難をしている被災者にはいい気持がしないのではないのか。

 こういったことにも認識能力が満足に働いていない様子を否応もなしに見てしまう。

 五百旗頭「外国人の永住を含め人材を吸引することが大事だ」

 これは農漁業再生のための外国人労働者受け入れを課題とした発言だそうだ。

 これ以外には、〈復興会議が6月末に纏める第1次提言では、地域限定で規制緩和を進める「特区」構想の具体像や、国による被災した土地の買い上げ、住民の移住支援策を盛り込むと表明。農漁業を主力産業とする地域では過疎化問題に取り組む必要性を指摘し〉たという。

 そして最後に上記「MSN産経」と同じ内容の発言を伝えている。野党の復興策批判と首相退陣の動きを批判する趣旨の発言だそうだ。

 五百旗頭「政治には制度をチェックする反対派が必要だが、国難の時には政局、政略を一時棚上げしてでも協力しなければならない。今の首相がばかかどうかという問題ではない

 民主党内にも、「党内で足を引っ張り合っているときではない。一致協力して首相を支えるべきだ」とか、「今こそ挙党一致が必要だ」といった発言が時折持ち上がるが、実質的には協力とか挙党一致といった行動の在り方は求めて得るべき人事上の秩序ではない。

 一見、求めて得られた協力というのは基本的には求められた者をして協力をしてもいいという動機付けが必要となる。それが高額報酬の約束であったり、役職の提供であったりする場合もあるが、そういった協力関係は役職や報酬に惹きつけられて集まった人間相手の能力発揮となるから、協力が絆まで深まる成果は期待しにくい。

 協力関係に於ける欠かすことができない要素は何よりも指導者の指導者としての資質であろう。指導者としての資質とは優れた指導力を言う。求めて得られた協力の形式を取ったとしても、実質的には指導者の優れた指導力が人を惹きつけた協力関係であるはずだ。

 優れた指導力が軸となって、そこに求心力が働き、否応もなしに一致協力、あるいは挙党態勢の絆が築かれていく。

 いわば確かな協力関係とか挙党一致とかは指導者の資質が常に問題となる。もし指導力を欠く指導者なら、協力を求めていくら得られたとしても、たいした協力関係は築き得ない。

 当然、「今の首相がバカかどうか」は重要な問題点となる。

 だが、五百旗頭は「今の首相がバカかどうか」は協力関係に於ける要素としては必要ない能力だとし、そのような能力を抜きに協力は求めて得ることができるものとする認識能力を示している。

 前者の「MSN産経」記事が伝えている五百旗頭の、「国中が、血で血を洗う争乱で乱れに乱れた。今の首相がバカかどうかという問題のレベルではなかった」が正確にどうよな文脈のもと発言したのかはっきりとは分からないが、記事が解説する、〈菅直人首相の資質を問うべきではないとの認識を示した。〉から悪い頭で察するに、今回の被災地の惨状は応仁の乱や戦国時代の惨状にも等しい最悪の状況にあり、「今の首相がバカかどうかという問題」を超えている。そういった問題を抜きに一致協力して復旧・復興の当たらなければならないといった文脈を取ったと思う。

 後者の「SankeiBiz」の発言は簡単な解説で済む。「政治には制度をチェックする反対派が必要だが、国難の時には政局、政略を一時棚上げしてでも協力しなければならない。今の首相がばかかどうかという問題ではない」は、国難の現在問われていることは「今の首相がばかかどうかという問題」ではなく、「政局、政略を一時棚上げして」反対派も賛成派も一致協力すべきだという趣旨であろう。

 応仁の乱も戦国時代も人間営為のなせる業として歴史上現出した。地震は人間営為と関係ない自然の営為であり、自然現象である。

 だが、肝心要の復旧・復興は人間営為そのものによって成し遂げられる。指導者の「今の首相がバカかどうかという問題」――指導力のあるなしが諸に影響していく。当然、「今の首相がばかかどうか」という指導者としての資質は問うべき重要問題となるはずである。

 提言を最終的に評価し、実行を指示するのは指導者なのである。指導者が指導力を欠いていたのでは成せることも成せないことになる。

 大体が現在の被災地の惨状を応仁の乱や戦国時代の惨状と同等だとするために、あるいは国難に於ける一致協力を求める必要性から、「今の首相がバカかどうか」は小さな問題に過ぎないとすること自体の認識能力を疑う。

 枝野詭弁家官房長官が4月11日の記者会見で五百旗頭の復興懐疑議長就任について次のように述べている。《枝野官房長官の会見全文〈11日午後4時10分〉》asahi.com/2011年4月11日21時41分)

 枝野「議長は五百旗頭真さんにお願いする。ご承知の通り、我が国を代表する政治学者であり、また、阪神淡路大震災の復興を後押しし、現在も『ひょうご震災記念21世紀研究機構』副理事長として21世紀の新しい街づくりなどの研究活動をリードされている。こうした経験を生かしてぜひに、とお願いしたところだ。また、同じく阪神淡路大震災の復興に尽くされた世界的な建築家である安藤忠雄さん、政治学者で関東大震災、阪神淡路大震災からの復興の過程に関する研究もなされている御厨貴さんに議長の補佐をお願いすることとした」

 「我が国を代表する政治学者であり、また、阪神淡路大震災の復興を後押しし、現在も『ひょうご震災記念21世紀研究機構』副理事長として21世紀の新しい街づくりなどの研究活動をリードされている」かどうか知らないが、認識能力に幼稚さしか感じない。

 4月23日放送のNHKスペシャル「東日本大震災『被災地は訴える~復興への青写真」で、出演した五百旗頭は次のような発言を行っている。

 司会者の「復興会議の提言が具体的に実行されない懸念がありますが」との問いに対して――

  五百旗頭「今日も会議があって、3人の被災地の県知事の話、それからその他の委員の話を、3時間半に亘って、熱い議論があったんですが、驚くべきことに1回目のみならず、今日の2回目の、総理以下の政府幹部がずうっと動くことなく張り付いて聞いてらっしゃるんですね。

 これはやっぱりしっかり受け止めてやるという意志がなければね、こういうことはあり得ないと思うんですね。私はどういう形かっていうのはまだ検討中だと思いますが、必ず受け止めて、全力を尽くしてくれるものと思っています」――

 熱心に聞く能力が指導力に結びつく保証とは必ずしもならない。指導力の欠如を補うために一生懸命聞く努力を払う場合もある。

 司会者は復興会議の提言が具体的に実行されない懸念の存在を質した。懸念の具体的な払拭を以って答えるべきを、議論を聞く姿勢の熱心さを根拠に「必ず受け止めて、全力を尽くしてくれるものと思っています」と期待感に代えて済ましている。

 この認識能力にしても幼稚としか言いようがない。

 「具体的に実行せざるを得ないような提言を示します。誰もが飛びつく提言です。実行せざるを得ないでしょう」と言うべきだったろう。

 提言の内容とそれを実行する際の指導力が具体的な実行実現の何よりの保証となるはずである。



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菅仮免は東海地震の誘発地震が特に北陸の原発地域に飛び火しないと『政治判断』できるのか

2011-05-14 12:05:37 | Weblog


 
 菅仮免は昨5月13日(2011年)の参院予算委員会質疑で山本順三自民議員が浜岡原発停止要請は「法的根拠がない」と指摘したのに対して、例の“東海地震発生30年以内87%確率”を錦の御旗として持ち出して次のように答えたと言う。《菅首相、浜岡原発の全面運転停止について「評価は歴史の中で判断してほしい」》FNN/2011/05/14 02:48)と伝えている。

 菅仮免「緊迫性と特別な事情がある。国民の安全と安心という観点から要請すべきだと。政治判断でさせていただいたわけでありまして、それの評価は、歴史の中で判断をいただきたいと」

 どのように政策が批判されようと、あるいは間違った対応をしようとも、「それの評価は、歴史の中で判断をいただきたい」としたなら、批判も対応もすべて正当化し得る。

 歴史の評価と一国のリーダーの判断一つで、もしくは政府の対応一つで動いていく現実世界の利害に対して国民がそれぞれに下す評価の全体的趨勢とは時間的な影響の点でも性格そのものも異なる。

 歴史がいくら評価したとしても、現時点での現実世界には手の届かない評価に過ぎない。現実世界の政権運営からは隔絶した、何ら影響することはない評価に過ぎない。

 影響するのは現時点での最終的に下す国民の全体的な評価であり、その評価が政権運営に於ける挙措進退にも影響を与えていく。

 政権運営に影響を与えるとなると、当然、リーダーの出処進退にも影響していく。菅仮免は「それの評価は、国民に判断をいただきたい」と言うべきだったろう。

 歴史を相手に政治を行っているわけではない。現実に生き、生活している国民相手の政治であるはずだ。認識能力・判断能力共に欠いている単細胞な頭脳の持主だから、国民の評価と勝負することができずに歴史の評価に逃げ込む。

 そのくせ国民の評価である内閣支持率を上げようと人気取りのパフォーマンスにあくせくする。

 菅仮免は浜岡原発停止要請は「政治判断」と答弁しているが、このことは原子力安全委員会班目委員長及び原子力安全・保安院寺坂院長と事前に協議していないことに対応させて用いた発言であることが次ぎの記事で分かる。

 《首相 原発停止要請は政治判断》NHK/2011年5月13日 18時41分)

 菅仮免「最終的に海江田経済産業大臣の話も受けて、熟慮を重ね、国民の安全と安心のために運転停止の要請を行うことが必要だという結論に達した。結果として行政指導であり、私や海江田大臣を含めた政治判断で、その評価は、歴史の中で判断いただきたい」

 この発言に続けて、記事は〈運転停止の要請について、国の原子力安全委員会の班目委員長と原子力安全・保安院の寺坂院長は、いずれも事前に相談は受けなかったことを明らかにしました。〉と書いている。

 国の機関として原子力政策委に関わっている原子力安全委員会委員長とも原子力安全・保安院院長とも事前の相談も協議も行わなかった。それを以て「政治判断」だとする。最終的には「政治判断」だとしても、関係機関との協議を経て万全を期す手続きを取るべきを、そういった手続きを省いた独断性に否応もなしに政治主導を演出することによって人気を得ようとする意図が窺える。

 菅仮免は“東海地震発生30年以内87%確率”を緊急性ある重大な危険性と看做して、そのことを錦の御旗とし、地震発生した場合の「国民の皆様の安全・安心を考えて」中部電力浜岡原発の停止要請をし、中部電力は首相の要請は重いとその要請を受入れた。

 言葉は軽い、態度は軽い菅仮免の要請は重いとする逆説性は滑稽ではあるが、菅仮免の思惑通りに進んでいる。

 だが、5月6日の停止要請の記者会見では、“東海地震発生30年以内87%確率”を持ち出して、「極めて切迫をしております」とその緊急性ある重大な危険性を訴えながら、続けて、「こうした浜岡原子力発電所の置かれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施することが必要です。国民の安全と安心を守るためには、こうした中長期対策が完成するまでの間、現在、定期検査中で停止中の3号機のみならず、運転中のものも含めて、すべての原子炉の運転を停止すべきと私は判断をいたしました 」と、停止期間を「防潮堤の設置など、中長期の対策を確実に実施する」までとしている。

 いわば菅仮免は「防潮堤の設置など、中長期の対策」をクリアしさえすれば、そのことを以って“東海地震発生30年以内87%確率”の万が一の現実化に対して浜岡原発を守る、あるいは浜岡原発事故を回避する唯一絶対の条件と看做している。

 このことは海江田経産相も浜岡原発停止要請の独断性を菅仮免と共にした関係から意見を同じとしている。《海江田経済産業大臣談話・声明》経産省HP/2011年5月9日午後7時過ぎ)

 緊急安全対策の実施状況、浜岡原子力発電所の停止及び中部地域の電力需給対策について

 海江田経産相「浜岡原子力発電所については、耐震安全対策はこれまで適切に講じられてきており、また、技術基準等の法令上の安全基準は満たしている。しかしながら、文部科学省の地震調査研究推進本部地震調査委員会の長期予測によれば、30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性が87%と極めて切迫している。同発電所は、30年以内に震度6強の地震が発生する可能性が84%と、他の発電所に比べて、際だって高く、他の発電所と全く異なる環境の下にある。地震発生に伴う大規模な津波襲来の切迫性と、津波による今回の事故を踏まえ、苦渋の決断として、『一層の安心』のための措置が必要と判断した。

 このため、6日、中部電力に対し、同発電所について、短期対策だけではなく、防潮堤設置や原子炉建屋の水密化工事などの中長期対策を完了するまでの間、全号機の運転を停止することを求めた。従って、中長期対策が完了したことを原子力安全・保安院が確認できれば、現時点の知見によれば、再起動するのに十分な安全性を備えることとなる。これは同発電所における、大規模津波襲来の切迫性という特別な状況を踏まえたものであり、同発電所の耐震性能自体を問題とするものではなく、また、他の原子力発電所については、このような切迫した状況にあるものではない

 菅仮免同様に「防潮堤設置や原子炉建屋の水密化工事などの中長期対策」をクリアすれば、再稼動は可能だとしている。尤も菅仮免主導、二人で企んだ停止要請なのだから、意見・立場に違いがあっては困る。

 海江田経産相のこの記者会見で新たに分かったことは、「大規模津波襲来の切迫性という特別な状況を踏まえた」原発停止要請であって、「同発電所の耐震性能自体を問題」とした原発停止要請ではないということである。

 福島第一原発事故は果して津波のみによる被害だと絶対的に断定できるのだろうか。断定できない動きを内閣府の原子力安全委員会は見せている。《原発周辺の断層の活動、さらなる注意促す 原子力安全委》asahi.com/2011年4月30日6時42分)
 
 原子力安全委員会が4月28日、全国の原発の耐震安全性について、これまで考慮していなかった断層が活動する可能性がないか再確認するよう経済産業省原子力安全・保安院に求めたとする記事である。

 この再確認要請の措置は東京電力が地震を起こさないとしていた断層が東日本大震災後に起きた地震(余震)で動いたことを受けたものだとう。

 〈4月11日に福島県で起きた地震(余震)では、東電や保安院、安全委が指針(2006年改定の耐震指針)の対象になる活断層ではないと判断していた「湯ノ岳断層」に沿って地表がずれているのが確認された。〉――

 記者「今回のような想定外の活断層が、既存の原発直下に見つかった場合は運転を止めるのか」

 班目原子力安全委員会委員長「そういうところにはつくっていない、と理解いただきたい」――

 菅仮免や海江田経産相のように津波のみの備えを原発稼動の条件とするなら、考慮外の活断層の活動の可能性は問題にならないはずだが、原子力安全委員会は注意を促している。 

 耐震指針の対象となっていなかった、いわば東京電力が地震を起こさないとしていた断層が地震で動いた。

 「湯ノ岳断層」は余震で動いたが、本震で動く可能性は否定できないはずだ。地震学説が想定していないことも起こるのが地震だからだ。

 この「湯ノ岳断層」については《「活動しない」認定の断層、地震で動く 福島・いわき》asahi.com/2011年4月21日15時3分)が詳しく伝えている。

 「湯ノ岳断層」は福島県いわき市の福島第一、第二原発の南40~50キロ地点に存在。〈土木研究所や京都大チームの調査で、長さ約10キロにわたり地表の亀裂やずれが見つかった。4月11日夕方に震度6弱を観測した地震(マグニチュード7.0)で動いた可能性がある。 〉

 2006年制定の新耐震指針に基づき地震を起こさないと認定された断層が活動したのは初めてだという。

 このことはどのような断層も活断層に変身する可能性を教えている。但し、〈揺れは原発で想定した範囲に収まったものの、結果的に地震を起こす活断層を見落としたことになり、電力会社の調査や国の審査、指針のあり方が問われることになる。〉と記事は書いているが、この揺れは結果であって、常に「原発で想定した範囲」に収まる保証はどこにもないはずだ。

 東日本大震災自体が、マグニチュード9.0にしても、高いところでは16メートル近くにも達した津波高にしても誰もが「想定した範囲」ではなかったはずだ。

 「湯ノ岳断層」は過去の研究で活断層と見られるとされていたが、東電は改めて調査後、原子力安全委員会の新指針が過去12万~13万年前以降に動いていない断層は再び地震を起こさないとの想定のもと作成されているために「12万~13万年前以降の活動はない」として、活断層の想定外に置いた。いわば一般的な断層と看做した。

 また、東電のこの「湯ノ岳断層」に対する想定を保安院と安全委が昨年、福島第一原発の機器変更の申請に伴って活断層を再審査し、妥当と判断、お墨付きを与えていた。

 お墨付きの根拠は、〈周囲の地形に地震による変形が生じていない、断層の境目が固結していることを挙げていた。〉としている。

 記事は、〈東電の福島第一、第二原発の揺れの想定は、より近くて規模も大きい双葉断層などの揺れをもとにしている。4月11日の地震の揺れは想定の10分の1程度に収まっている。〉と締め括っているが、〈想定の10分の1程度〉が常に想定の範囲内となる保証はどこにもないことは想定していなかった断層がずれたこと自体が証明している。

 当然、マグニチュード7.0の余震以上のマグニチュード9.0の本震で誘発されない保証もないはずである。 

 また東日本大震災が単一の地震では終わっていないことも、想定している活断層のみならず、活断層と想定していない断層まで活断層化し、地震を誘発する可能性は否定できない。

 このことは次ぎの記事が証明している。《「列島各地で誘発地震、M6以上が広がる可能性も》YOMIURI ONLINE/2011年3月12日13時27分

 記事は冒頭、3月〈11日午後2時46分に三陸沖を震源として発生した東日本巨大地震に続き、長野県北部で震度6強の強い地震が起きるなど、東北、中信越、関東など列島各地で地震が相次いでいる。

 マグニチュード(M)6以上の地震だけでも(3月)12日午前11時現在、合計20件発生した。周辺部の地盤が連鎖的に刺激を受け、地震が頻発していると専門家は見ている。〉

 その後5月に入ってからも各地で余震を誘発している。

 横山気象庁地震津波監視課課長(3月12日)「今回のように日本各地の広域にわたって地震が多発した例はない。(長野県北部で最大震度6強を記録した地震(M6・7)について、東日本巨大地震の発生によって)地盤にかかる力が変化し、誘発された可能性がないとはいえない。ほかの地域でも地震が起きる可能性がある」

 加藤照之・東大地震研教授(地殻変動)「今回の震源域での余震だけではなく、広範囲でM6~7クラスの地震が起こりうる」

 岡田義光防災科学技術研究所理事長(地震学)「今回の地震では茨城県沖まで断層がずれた可能性があり、半年から1年の間は注意が必要だ」

 1677年房総半島東方沖発生の200人以上が津波で亡くなっているM8・0クラスの巨大地震が東日本大震災で半年から1年の間に誘発されることへの懸念だという。

 以上のことは巨大地震が襲った場合、地震発生地域以外の各地の活断層、あるいは想定外の断層まで刺激して単一の地震では終わらない連鎖的な地震発生の可能性を教えている。

 かくまでも日本列島は脆くできている。東日本大震災発生の3月11日から4日後に起きた静岡県東部を震源とする地震(マグニチュード6.4―暫定値)は東日本大震災の誘発の可能性が指摘されている。

 《2011年3月15日静岡県東部の地震の評価》地震調査研究推進本部地震調査委員会
/2011年年3月16日)

  一部抜粋――

 〈3月11日に発生した平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の発生に伴って、水平方向に4m以上の水平変動が観測されるなど、大きな地殻変動が観測され、概ね東西方向に伸張、南北方向に圧縮するひずみを、広域にわたり与えており、今回の地震はその影響によって発生した可能性は否定できない。〉――

 三陸沖を震源とした巨大地震が静岡県東部の地震を誘発した。このような関連性を考えると、果して“東海地震発生30年以内87%確率”を根拠として浜岡原発を停止させる「政治判断」を“大英断”とし、津波のみを想定して、原発事故は「防潮堤の設置など、中長期の対策」によってクリアできるとしていることに不備はないだろうか。

 《防潮堤設置・かさ上げ、全国の原発26基が計画》asahi.com/2011年5月11日9時31分)によると、その対策をこれから挙げる原発は1、2年の範囲内で行う予定としている。

 26基の中には福島第一原発と静岡県東部間の距離とほぼ等距離に当たる浜岡原発を起点とした福井県内の美浜原発・大飯原発・高浜原発・敦賀原発の13基と石川県内の敦賀原発の2基の合計15基が含まれている。

 東海地震は南海地震・東南海地震と3連動型巨大地震が言われている。巨大地震が各地の活断層、あるいは非活断層を刺激して地震を発生させない保証はない以上、またその震度、津波の発生如何と津波の高さを想定できない以上、現時点では浜岡原発と同様に津波対策等をクリアしていない同条件にあるなら、15基全部に対して停止要請の「政治判断」を示してこそ初めて公平性が担保できるはずである。

 記事は各原発の防潮堤のかさ上げは各原発地震が想定していた津波の高さに9.5メートルを加えた高さとしているが、福島第一原発が想定した津波は5.5メートルで、実際に襲った津波の高さは想定5.5メートルに9.5メートル上回る15メートルだったということだから、福島第一原発の想定を上回った9.5メートルを基準としていることが分かる。

 とすると菅仮免の「政治判断」は“東海地震発生30年以内87%確率”によってもたらされるかもしれない巨大津浪の危険性のみを判断基準とし、誘発地震を判断要素に入れていない原発停止要請であり、さらに東海地震発生の危険性は40年前から言われているにも関わらず、他の地域で巨大地震が発生している現実的な確率性を計算に入れていない中途半端な「政治判断」だと言うことができる。

 尤も中途半端は菅仮免の人間性そのものとなっている。

 この中途半端を補って、真に「国民の安全と安心」を担保するにはどこでどう、あるいはどこでいつ、どのような地震が発生するか想定不可能であることから考えると、地震列島下に於いては福井県や石川県の原発のみならず、すべての原発停止以外にはないはずである。

 菅仮免が“30年以内87%確率”の東海地震が発生したとしても、東南海、南海地震と誘発することはない、それが各地の断層を刺激することもない、東海地震・南海地震・東南海地震の3連動型巨大地震となったとしても、それ以外は如何なる誘発地震も発生することはないと原子力安全委員会や原子力安全・保安院、あるいは他の原子力関係機関とも相談も協議もせずに自らの「政治判断」で保証してくれるなら、話は別である。



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東電原発事故収束「工程表」に見る政府と東電の危機管理の甘さ

2011-05-13 09:11:26 | Weblog



 今朝の各新聞者のWEB記事が一斉に東電福島原発1号機の「メルトダウン」(炉心溶融)を東電が認めたと伝えていた。その一つ、「asahi.com」記事――《燃料の大量溶融、東電認める 福島第一1号機》(2011年5月13日3時1分)

 東電は核燃料上部まで格納容器内を水で満たす「冠水」作業を通じて核燃料を冷却するための1万トンを超える水を注入していた。だが、昨日の検査で高さ20メートルの圧力容器内の水位は底部から約4メートルの位置より下にあると考えられ、2割程度の貯水しか認められず、注水量1万トン超に対して3千トンの水が行方不明、圧力容器に複数の穴があいていて、どこかに漏れ出ている可能性が浮上。

 そのため全露出状態となっていた核燃料棒は「メルトダウン」(炉心溶融)を引き起こして圧力容器の底部に溜まっていると予想、東電は昨夜そのことを公表した。

 東電はこれまで核燃料の状態を「一部損傷」と、いわば軽症に診立てて、そのような軽症に基づいて、4月17日に事故収束の「工程表」を発表し、菅仮免政府もその工程表に基づいて放射能避難者の帰宅等の今後の見通しを発言してきた。

 その前提がすべて崩れることになる。

 〈冷却が長期化して注水量が増えれば、圧力容器の底から原子炉建屋やタービン建屋、地下坑道へもれる放射能汚染水が増える。東電は汚染水を浄化して冷却に再利用する設備をつくっているが、処理すべき量や濃度が増えて計画見直しが求められる可能性もある。

 東電によると、溶けた燃料が圧力容器の外に漏れている可能性が否定できないといい、汚染水の発生量はさらに増える恐れがある。汚染された格納容器そのものの処分も、格段に難しくなる。〉――

 当然工程表の見直しが必要となると記事は書いているが、最悪、工程表に描いた計画そのものがご破算になりかねないのではないだろうか。

 東電が4月17日に発表した工程表は、3カ月を目安に「原子炉を安定的に冷却し、高レベルの放射能汚染水の流出をさせないようにする」ことに目標を置いた「ステップ1」と、さらに3カ月~6ヶ月を目安に「原子炉を冷温停止状態にするとともに、放射能汚染水全体の量を減らす」ことに目標を置いた「ステップ2」の2段階に設定し、合計して最終的に9カ月を事故収束の目標に置いていた。《原発安定冷却に3カ月、冷温停止は最速半年 東電会見》asahi.com/2011年4月17日15時23分)

 東電自らが作成したこの原則が崩れるとなると、この工程表に基づいて発言してきた政府の見通しも、あるいは政策自体が崩れることになる。

 東電が工程表を発表した翌4月18日の東日本大震災をテーマとした参院予算委員会集中審議で、菅仮免は工程表について次のように発言している。《東電社長、国会集中審議で陳謝 首相「原発政策を検証」》asahi.com/2011年4月18日13時55分)

 菅仮免「どういう形で住民が従来の所に戻ることが可能になるか(一定の段階で)方向性が出せる報告書になっている。政府も全力を挙げて東電の作業に協力し、国の力でやれることはやっていく」

 なかなかの力強い発言となっている。政府としてどう検討を重ね、どう検証したのか分からないが、工程表を全面肯定しているのだから、力強い発言となるのは当然のことで、この力強さは放射能避難者に対する帰宅に向けた力強い保証ともなったはずである。

 原発政策に関しては。

 菅仮免「安全性を大事にしながら原発を肯定してきたが、従来の先入観を一度白紙に戻し、なぜ事故が起きたのか根本から検証する必要がある。核燃料サイクルの問題を含め、必ずしもしっかりした体制がとれていない中で、使用済み燃料が(原発内に)保管されていたことも検証しなければいけない」

 震災対応に関しては。
 
 菅仮免「すべて100%とは言えないが、政府が一丸となって取り組んできた。初動が不十分だという指摘はあたっていない。ほかの場合に比べても十分な対応ができている」

 物資支援の遅れや仮設住宅建設の遅れなど眼中にない態度となっている。

 清水東電社長「放射性物質を外部に放出させる重大な事故で、大変なご迷惑とご心配をおかけしていることを改めて心からおわびしたい。福島第一原発と連携を密にして復旧に全力をあげてきた。高い緊張感を持って対処した」

 事故を起こしたことを一方で謝罪しながら、事故対応に不備はなかったの証言となっている。

 菅仮免は放射能避難者の帰宅の「方向性が出せる報告書」だと請合ったが、工程表はメルトダウンとその処理を前提として作成されていない。メルトダウンを前提として、その処理にどのくらいの期間が必要か、「ステップ1」及び「ステップ2」には含まれていない。

 菅仮免の首相官邸で行った4月22日の記者会見。

 菅仮免「福島原発事故の今後についてでありますが、既に17日に東電から今後の見通しについて工程表が提示をされております。政府としては、この工程表を予定どおり実現する。ステップ2は、ステップ1の3か月に加えて、更に3か月から6か月となっておりますけれども、できることならなるべく短い期間の間にそれを実現する。そうすれば、その中から避難した皆さんに対してどういう形で戻ることが可能なのかを提示することが、ステップ2が終わった段階に立ち入れば、できるのではないか。このように考えているところであります」――

 「政府としては、この工程表を予定どおり実現する」――

 政府としてどう検証したのか、東電作成の工程表の全面肯定となっている。工程表を基準として、原発対応の政府政策が決定していく姿を見て取ることができる。

 いわば政府にしても東電にしてもメルトダウンを想定していない危機管理となっている。勿論、「核燃料の一部損傷」のみを前提とた、メルトダウンを想定していない東電の判断に従った政府の判断だろうが、だとしても東電の判断をどう判断したかの責任は政府も負わなければならない。

 「世界の知見を集めて解決する」と言ってきている。当然、東電の工程表が第三者機関の知見に耐え得る内容かどうかの二次検証を行ったはずである。

 また菅仮免は自身のことを「原子力に強い」と言っていた。東電の判断に対する自身の判断にも個人的な責任を負わなければならない。負えないとなれば、「原子力に強い」ということにならない。

 震災発生2ヶ月に合わせた5月10日の記者会見。

 菅仮免「既に2か月になるわけですけれども、東電が示している工程表などもきちんきちんと進んできて、完全に原発の事故も新たな放射性物質を出さないで、低温停止になるというメドがつけば、逆にその後のメドもお示しできるということを、私その場でも申し上げてまいりました」

 工程表どおりの実現の可能性に基づいた発言となっているが、第三者機関の検証を前提とした実現の可能性でなければならないはずだ。

 また工程表発表の4月17日から既に約3週間経過した5月10日の記者会見である以上、この間の工程表と東電の対応との間に齟齬がないことを前提とし、その前提に基づいた発言となるから、工程表を全面肯定していることに変わりはない。

 菅仮免は5月4日に 福島県双葉町住民が集団避難場所としていた埼玉県加須市旧県立騎西高校体育館を訪問した際も、東電の工程表に何ら疑いを差し挟まない、全面肯定した発言を井戸川双葉町長らに行っている。《首相、双葉町の避難所に5時間滞在 避難住民に「気持ちを強く持って」》MSN産経/2011.5.4 22:32)

 菅仮免「東電の工程表が予定通り進めば、年明けには(原発が)一定の安定状況になる。その時点でモニタリングの結果を含め戻れるか判断する」

 「予定通り進めば」の実現可能性の発言、仮定の発言ではあるが、工程表に基づいた政府の対応であることに変わりはない。尤も責任回避意識順風満帆の政治家だから、東電の判断に対する自身の判断の責任をどれ程認識しているかどうかは不明である。

 細野首相補佐官も、同じ政府の一員だからだろう、東電の工程表全面肯定に立っている。《放射性物質止まる時期「数カ月後が目標」 細野補佐官》asahi.com/2011年4月3日10時36分)

 4月3日の民放テレビ番組出演の際の発言。

 細野補佐官(放射性物質放出停止時期について「おそらく数カ月後が一つの目標になる。国民に不安を与えないためにも目標を設定すること(が大事だ)。原子炉を冷却する仕組みを完全に作って安定させるという目標がある。試行錯誤で行っていることを説明する時期が来た」

 原子炉の冷却後の事態の完全収束期間について――
 
 細野補佐官「使用済み核燃料が1万本以上あり、処理するのに相当時間がかかる」

 細野補佐官(番組後に記者団に対して)「事故発生直後は炉心溶融(メルトダウン)の危機的な状況を経験したし、原子炉格納容器が破断するのではないかという危機的状況も経験した。しかし、そういう状況は脱した。若干落ち着きを取り戻している」

 炉心溶融(メルトダウン)一歩寸前の危機的状況に達したが、一歩寸前で回避、「若干落ち着きを取り戻している」状況だと言っている。

 細野補佐官の発言は4月3日。その2週間後の4月17日に東電は工程表を発表。当然の結果として、工程表は炉心溶融(メルトダウン)という危機的状況を事故対応の対象には含まない内容となり、今日に至った。

 一部識者が1号機でメルトダウンを起こしているとする指摘を前々から行っていた。いわば炉心溶融の疑惑を引きずってきている。なぜ最初から炉心溶融を可能性として想定した工程表の作成、危機管理としなかったのだろうか。

 危機管理とはあくまでも最悪の場合を想定して、そのことに備えることをいう。最悪の場合に備えた対処方法を取れば、対処自体に大きなズレが生じない。

 炉心溶融を引き起こしていたことが判明したことによって、工程表に描いた「ステップ1」と「ステップ2」の期限の見直しが必至となり、そのことに対応して放射能避難者の帰宅や生活の原状回復を含めた政府の事故対応政策も見直すことになる。

 東電の工程表を菅仮免は第三者機関に検証させたのだろうか。検証させた上での確実性に基づいた各発言であり、政府の対応だったのだろうか。

 メルトダウンを想定した事故対応であったなら、想定しない場合よりもより迅速な処理が可能と言えたのではないだろうか。政府にしても東電にしても、どう見ても危機管理が甘かったように思える。


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菅仮免首相が振り向けるべき責任は歳費返上ではないし、震災2ヶ月目の各国への感謝の意味不明

2011-05-12 09:20:20 | Weblog



 昨5月11日(2011年)夜、外務省飯倉公館(東京)で松本剛明外相主催の「感謝の集い」が各国大使を招いて開催され、そこに国民からはスペシャルと扱われていない菅仮免がスペシャルゲストとして登場したという。これは東日本大震災発生2ヶ月に合わせた催しだとのこと。

 《首相 各国に感謝し復興へ決意》NHK/2011年5月12日 0時14分)

 菅仮免「各国からは、資金や技術、そして心という支援を頂いた。大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故という苦難に遭遇したが、皆さんの国々が示していただいた気持ちは、日本と世界の間に本当に深い絆があることを証明してくれた」
 
 さらに第1次補正予算でODA=政府開発援助の予算を削減したことに触れて、さらにさらに例のにこやかな笑顔を振り向いてだろう、景気のいいことをぶち上げた。

 菅仮免「日本が元気に再建したときには、削った金額を何倍にも増やして、多くの国の応援に充てていきたい」

 記事は放射能風評被害防止を兼ねて東北地方の食材を使った料理や地酒が大使らに振る舞われたと書いている。

 松本外相「皆さんが手に取るものは安全です。大いに食べて飲んでください」

 大震災発生2ヶ月目と「感謝の集い」とどう関連があるのだろうか。まさか大震災発生2ヶ月目を記念して開催したわけではあるまい。大震災は記念すべき事件ではない。

 また、復旧・復興が目に見えて進み、一段落がついたというわけではないから、この状況を機会とする関連性は見い出すことはできない。

 政府は既に大震災発生から1ヶ月となる4月11日に世界各国の主要紙に支援を感謝する菅仮免の「絆」と題したメッセージ広告を掲載している。

 仮設住宅の建設も満足に進んでいない。依然として多くの被災者に不自由な避難所生活を強いていながら、東日本大震災発生2ヶ月に合わせたという意味がどうも理解できない。

 勿論開催が不適切だと言っているわけではない。2ヶ月に合わせたことの意味が納得できないだけである。

 国民の贅沢や愉しみを避ける、いわゆる個人的な消費活動の“自粛”は被災者の困窮を思い遣ってのことであるはずである。だが、政府は東日本大震災発生2ヶ月に合わせて各国向けの「感謝の集い」を開催した。果して被災者の困窮を思い遣る気持があったのだろうか。

 菅仮免のODA発言は《首相「ODA削減分は再建されたら何倍にも増やす」 駐日大使招いた震災支援「感謝の集い」で明言》MSN産経/2011.5.11 19:47)では次のようになっている。

 菅仮免「補正予算で1つだけ多くの人に『まずい』と言われていることがある」

 記事は、〈その上で将来的な増額を「約束する」と明言した。〉と簡単に済ませている。

 菅仮免は各国大使から笑いを取ろうとしたのだろうが、膨大な赤字国債・国の借金を抱えている中で大震災の復旧・復興費用が20兆円を超えると予想され、日本の浮沈がかかっている重大な分岐点に立たされている。また国民に対しては一部で増税の形で負担を既定事実化しようとする動きもある。なぜ苦渋の選択だとする真剣な態度を取ることができなかったのだろうか。

 言葉が軽い、当然態度も軽いのは前々からのことで、菅仮免の本質的な体質なのだろう。それが「感謝の集い」で本領発揮されただけのことかもしれない。

 NHK記事からが画像を引用して置くが、笑顔の中にも一国のリーダーとしての重々しさ、威厳な印象を些かも窺うことができない。つい色眼鏡で見てしまうからか、品のない軽い笑いにしか見えない。

 昨日と今朝のNHKニュースが避難所生活を送る12万人近い被災者が現在もなお不自由な日常をを強いられていると伝えていた。 

 NHKのウエブサイト――《被災者の80%近く心身不調》NHK/2011年/5月11日 19時33分)から見てみる。
  
 外務省主催の「感謝の集い」と同様、これも東日本大震災から11日で2か月になるのに合わせてNHKが被害が特に大きかった岩手、宮城、福島の各県で被災した17歳から88歳の435人に聞き取ったアンケートだという。

 具体的な症状に対する複数回答――

「よく眠れない」       ――44%
「ささいな音や揺れに反応する」――33%
「疲れやすく体がだるい」   ――31%

 不調がやわらぐのはどんなときか――

「家族や友人と話をしたとき」――35%
「やわらぐことはない」   ――17%

 記事は次のように解説している。

 〈全体の77%の人が何らかの不調を感じていると答え〉、〈仕事や住まいの見通しが立たないことへの不安やストレスを訴える人が多〉いと。

 宮城県気仙沼市避難所の62歳男性(不眠や頭痛などの症状を訴えて)「住宅など将来のことを考えると憂うつになる」

 テレビでは30歳前後の女性が仮設住宅に入ることができても、入居期限が2年で、その先はどうなるのかと将来の不安を訴えていた。

 特に原発事故の影響等で福島県からの県外避難者は83%が不調を訴え、ほかの地域よりも多く、5人に1人は不調が「やわらぐことはない」と答えたと伝えている。

 災害心理学が専門の広瀬弘忠東京女子大学名誉教授「今回は地震、津波、原発事故という3つの災害が重なるこれまでに経験したことのない事態となり、過去の災害よりも早い段階で心理的な不安が高まっているとみられる。被災者どうしが体験や将来を語り合うとともに、医師など専門家によるケアも必要だ」――

 同じアンケートを扱ったNHKの別記事――――《2人に1人“不安は住まい”》NHK/2011年/5月12日 6時15分)はさらに別の質問と回答を載せている。

 今後の生活に向けて不安なことの複数回答――

「住まいについて」  ――55%
「仕事や収入について」――46%

 記事は〈この傾向は、震災から1か月の時期に行ったアンケートの回答と変わって〉はいないと書いているが、政府と自治体の現在までの政策が何ら将来に対する回答となっていないことを示している。

 記事は、「仮設住宅に入れたとしても収入がなく、先がない」という声や、「仮設住宅には2年しか住めないと聞いてるので、その後のめどが立たない」、あるいは「行政の方針が決まらず、元の地域に家を再建していいのか分からない」といった訴えが目立ったと解説している。

 記事も書いているが、どのような街づくりで地域の復興を果たすかの方針が、そのことによって生活再建の方法が決まってくるのだが、未だ示されていない、宙ぶらりんな状態に置かれていることの苛立ち・ストレスが被災者の精神的・肉体的不調となって撥ね返っているという。

 被災者が避難所でプライバシーが保てない、落ち着くことのできない窮屈な生活を余儀なくされ、確たる生活設計も描くことができずに将来に対して強い不安を抱えている。

 いわば政府は果たすべき責任をまだまだ果たし得ていない状況にある。

 そういった状況を大震災後の場面として未だ残していながら、東日本大震災から11日で2か月になるのに合わせて外務省主催で「感謝の集い」を開催、スペシャルゲストとして菅仮免が招かれた。

 菅仮免を筆頭とした菅仮免内閣が果たすべき責任を果たしていないことは避難所生活を強いられている被災者の生活状況が何よりの証拠となるが、次ぎの記事が1995年1月17日発生の阪神・淡路大震災に於ける村山内閣との責任遂行速度の違いを教えている。

 《発生2カ月 菅内閣VS村山内閣…対応遅れ、首相のパフォーマンス》MSN産経/2011.5.11 00:16)

 記事はそれぞれの震災発生後2カ月の対応の進捗状況を記載している。

 次のように解説している。〈村山内閣では震災発生1カ月後に被災者の所得税などの減免措置を盛り込んだ緊急特別立法関連3法案が成立。2カ月間で計16本の法律が成立した。これに対し、菅内閣で初めて震災関連法案が成立したのは47日後。現在も10本の法律しか成立していない。

 村山内閣は自民、社会、さきがけの3党連立政権で衆参で過半数を確保していたが、現在は衆参ねじれで国会運営が難しいことも確かだ。だが、自民党など野党各党は震災発生直後に「政治休戦」に応じており、平成23年度第1次補正予算も提出からわずか5日間で成立した。〉――

 勿論村山内閣にも“功”ばかりではなく、“罪”もある。自衛隊の初動に於ける救援出動が遅れ、結果的に多くの被災者の救える命を死なせてしまっていたはずだ。

 また、阪神・淡路大震災によって心身に障害を負った被災者に対する経済的な支援に不備があった“罪”を次ぎの記事が伝えている。

 《阪神大震災による障害者は349人、身体の8割が経済支援の対象外 兵庫県が被災3県に報告書送付へ》MSN産経/2011.5.10 20:02)

 兵庫県と神戸市の昨年4月に開始し、5月10日までに纏めた実態調査によると、精神・知的障害を負った被災者が21人。

 身体障害を負った328人(うち121人が死亡)と合わせ、震災障害者は349人と確定。

 但し身体に障害を負った震災障害者の約8割が見舞金の支給などを受けていないことが判明。

 兵庫県は〈「見舞金などの支給要件の緩和が必要」とした報告書をまとめ、東日本大震災で被災した宮城、岩手、福島の3県に送付する。〉――

 菅仮免は最近まで、「政府を挙げてやるべきことはしっかりやってきている」と言い張っていたが、「私自身、この大震災のときに、総理という立場にあった一つの宿命だと受け止めている」の言葉とは裏腹に明らかに菅仮免の東日本大震災対応は遅れている。これは20もの対策本部、対策室等を立ち上げた反映でもあろう。少ない組織で多くの責任を機能させる能力を欠いていた。

 当然の結果として果たすべき責任はまだまだ多岐に亘っている。責任遂行のスピードも上げなければならない。

 果たすべき責任の多くを残しておきながら、原子力事故の収束の目途がつくまで総理大臣としての歳費を返上することを以って原子力事故を防ぐことができなかった責任の一端を責任者としての立場上、果たす。
 
 歳費返上によって未だ残している責任の身代わりとすることができるわけではない。遅れている責任のスピードを上げることができるわけでもない。

 やはり歳費返上に責任を振り向けることよりも、被災者の支援及び救援、究極的には生活の原状回復につながる復旧・復興にこそ責任を振り向けるべく、自らの指導力、エネルギーのすべてを集中し、リアルタイムに注ぐ姿勢を示すべきだろう。

 歳費返上を言い出した5月10日夕方の同じ記者会見で、「連休中、福島県の産品を売っている八重洲のお店に行ってまいりました。福島でのお酒やお米や野菜や味噌や、そういうものを買わせていただきました」とも言っていたが、果たすべき責任を多く残している状況での買い物であることを考えると、やはり見当違いの責任遂行でしかなく、歳費返上共々、パフォーマンスにしか映らない。


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仮免首相の首相歳費返上は単細胞・短絡的な責任のハキ違え

2011-05-11 09:59:55 | Weblog



 菅仮免が昨5月10日(2011年)夕方、「明日で大震災発生から2か月になります」の出だしで記者会見を始めた。何だかイヤに顔が赤く、目が結膜炎でも患っているみたいにショボついた感じで潤んでいて目の輝きがなく、酒でも飲んでいるのか、クスリでもやっているのではないかと疑った。頭が正常に働いていないことだけは確かである。

 冒頭発言の最後になって議員歳費ではなく、首相としての歳費返上を申し出た。

 菅仮免「最後に、今回の原子力事故、直接の原因は地震、津波によるものでありますけれども、これを防ぎ得なかった責任は事業主であります、事業者であります東電とともに、原子力政策を国策として進めてきた政府にも大きな責任があるとこのように考えておりまして、その責任者として本当に国民の皆さんにこうした原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います。

 そういう責任者の立場ということを考えまして、原子力事故が収束するめどがつくまでの間、私の総理大臣としての歳費は返上をいたしたい。6月から返上をすることにいたしました」

 記者との質疑でもこの返上問題が取上げられている。

 田中毎日新聞記者「先ほど総理がおっしゃった、総理としての歳費を返上するという部分ですけれども、これは国会議員としての歳費相当額は引き続き受け取るということなのか、ちょっとその辺をお願いします。

 それと、他の閣僚の方にもそのような歳費返上というようなことは呼びかけるのか、その点についてもお願いします。

  菅仮免「総理の歳費の返上というのは、今、ご指摘のように大臣というのは、国会議員の場合ですが、国会議員の歳費に、言わば上乗せする形でその総理の歳費、二重取りはしておりませんので、そういう形になっておりますが、私としては一般の国会議員としての歳費は、一般の国会議員の皆さんと同じように一部返上しておりますが、その返上も含めて同じような形で国会議員の歳費は受け取らせていただきたい。しかし、総理として上乗せされている歳費については、月々のものも、ボーナスも含めて全額返上したいと、こう考えております。

 また、他の閣僚については、私からは特にまだお話をしておりません。やはりこの分野で最も責任があるのは、言うまでもなく総理大臣であります。ただ同時に、海江田大臣とは少し話をしておりまして、海江田大臣は海江田大臣として自ら判断されるんではなかろうかと。他の大臣とは、特にこの件はお話はいたしておりません」――

 菅仮免はこの記者会見でも、「同時に今回の事故による賠償のスキーム(枠組み)づくりも進めております。この賠償はいつも申し上げているところでありますが、一義的には事業者であります東京電力の責任でありますけれども、それが適切に賠償が行われるよう、政府としてもしっかりと責任を持って対応してまいりたいと、このように考えております」と言っていて、既に多くが気づいていると思うが、「一義的」という言葉を“根本的には”の意味で間違った使い方をしている。

 「一義的」の意味は、「意味が一種類だけあるさま、一つの意味にしか解釈できないさま」(『大辞林』(三省堂)であって、“根本的には”の意味を当てるとしたら、「最も根本的で、一番に大切なさま」(同)の意味を持つ「第一義的」の言葉を当てなければならない。

 菅仮免がこのような間違った使い方をするのは一国のリーダーとして根本的且つ大切な第一義的姿を取り得ず、一つの意味しか持ち得ない「一義的」な姿しか見せることができない単純な人間にできているからであり、そういった単純な人間であることを示している「一義的」の使い方に違いない。

 これは単なる勘繰りではない。歳費返上に言及した責任論自体が誤魔化しそのものの矛盾を犯していて、単純思考となっている。

 菅仮免は最初、原子力事故を「防ぎ得なかった責任は事業主であります」という言葉で事故責任の第一義者は事業主である東電にあると位置づけておきながら、「原子力政策を国策として進めてきた政府」の責任者として、「原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います」と国をも東電と同列の事故責任の第一義者に位置づけている。

 歳費返上はその責任遂行の一端だと。

 いわば東電と同様に国の責任を同等とした。

 この文脈からすると、何も矛盾はなく、言っていることに間違いはなくなる。

 当ブログ4月26日記事――《菅仮免首相(4月25日参院質疑)「原発事故の責任は私にも政府にもありません」の答弁に見る責任意識欠如 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で取上げたように、1990年原子力安全委員会作成の「原子炉安全設計指針」には、「長時間に亘る外部電源の喪失は送電線の復旧または非常用交流電源設備の修復が期待できるので、考慮する必要がない」と書いてあって、今回の福島第一原発時で問題となった全電源喪失に対する備えを国が要求していなかったことと、1992年の「アクシデントマネジメント対策」には「我が国の原子炉施設の安全性は多重防護の思想に基づき、厳格な安全確保対策を行うことによってシビアアクシデント(過酷事故)は工学的に現実に起こることは考えられないほど、発生の可能性は十分小さいものになっている」と国自身が「原発安全神話」を打ち立てていたことからすると、原子力発電事業者に対する国の監督・指導が甘かった、あるいは間違っていたのだから、「原子力政策を国策として進めてきた政府」と言う以上、東電以上に国の責任は重いはずである。

 だが、菅首相が言っている「一義的」にはこれまでの発言からも分かるように事故責任に於いても賠償責任に於いても東電が負うべきであるとし、政府の責任は単に東電が事故解決と賠償解決が適切に行われるよう対応することに置く文脈となっている。

 それが「同時に今回の事故による賠償のスキーム(枠組み)づくりも進めております」云々以下の発言であろう。

 賠償責任を東電に置くと言うことは事故責任も東電に置くということを意味する。賠償金が足りない場合は、仕方がない政府が面倒見ましょうとしているに過ぎない。

 もし双方の責任の置き方がこれで正しいとなると、原子力事故を「防ぎ得なかった責任」を事業主に置きながら、「原子力政策を国策として進めてきた政府」の責任者として、「原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います」と国の責任を東電と同列に置くのは矛盾を来たすことになる。
  
 誤魔化しそのものの矛盾だとしたことは次の点にある。

 政府の責任は東電が事故解決と賠償解決が適切に行われるよう対応することのみではない。冒頭発言の最初の方で、「私もこの連休中、双葉町の原発で避難されておられる皆さんの避難所に行ってまいりました。多くの皆さんから、元の生活に戻りたい。また、政府の対応についても厳しい言葉もたくさんいただきました。私も改めて、こうした被災者の皆さんに何としても、一日も早く元の生活に戻れるように、一層の力を注がなければならないと、思いを新たにいたしました」と言っているが、東電の賠償実現と共に早急な帰宅と生活の原状回復の実現を可能とする対応は政府の最終コースの責任であって、「政府の対応についても厳しい言葉もたくさんいただきました」という表現で放射能避難者に対して満足に責任を果たしていなかったことをサラッと言ってのけているが、事故発生からのこの中途コースの責任を果たしてこそ、早急な帰宅と生活の原状回復の実現につながる政府の責任を一貫して十全に果たしたと言えるのであって、そうであるにも関わらず、放射能避難生活は現在進行形であり、そのことに対する政府の責任も現在進行形でありながら、中途コースの責任を欠いていながら最終コースの責任をについて発言するのは矛盾・誤魔化しそのものであろう。

 中途コースの責任を満足に果たしていないことは、原発周辺からの退避指示と屋内避難指示に関して地元市町村に事前連絡がなかったこと、放射能汚染水海洋放出に関しても周辺自治体、周辺国、農水省に事前連絡がなかったことにも現れている。

 放射能避難生活者に対して、その避難生活に関して政府は十分な責任を果たしてきただろうか。避難生活が現在進行形である以上、現時点に於いてはその点にこそ政府の責任を集中し、万全を期すべきを、期しているとは言えないにも関わらず、そのことに視線は向けずに、「原子力事故が防ぎ得なかったことを大変申し訳なくおわびを申し上げたいと思います」から、責任者の立場から、首相の歳費を返上することに決めた。

 これはまさしく責任のハキ違えそのものであろう。

 放射能避難生活者に対して政府が満足に責任を果たしていない象徴的な事例が一時帰宅の最中に起きている。《大荒れ一時帰宅「自己責任」署名に住民怒》サンスポ/2011.5.11 05:04)   

 昨5月10日午前9時頃、川内村の放射能避難住民123世帯のうち、約15キロ圏外に家がある54世帯、92人(21~85歳)が原発から22キロ離れた村民体育センターに集合。

 事前の説明会で国側が各自に用紙を配布した。その用紙には「警戒区域は危険であり、自己責任で立ち入る」と書いてあり、住民は同意の署名を求められた。

 しかも同意書には「宛名」が入っていなかったという。住民がキレると、国側は次のような説明を行った。

 政府の現地対策本部担当者「放射能汚染を含めたリスクが存在することを村民に了解してもらうことが目的」

 リスクの存在は厳重な防護服着用と線量計携行、さらに2時間という短い滞在時間によって既に答は出ている。それを「放射能汚染を含めたリスクが存在することを村民に了解してもらうことが目的」とは薄汚い弁解に過ぎない。

 大体が同意書に宛名が入っていないこと自体が誰が同意を求めたのか曖昧にするということであって、責任逃れそのものを示している。

 「自己責任で立ち入る」とすることは、政府に責任はないとすることに他ならない。

 一時帰宅は現在もなお進行形である政府の中途コースの責任に入る。だが、その責任は政府にはないと言う。

 そういったことにこそしっかりとした責任を果たすよう重点的に視線を向けるべきを、原子力事故を防ぐことができなかった責任を首相の歳費返上で果たす。

 まさしく責任のハキ違えとしか言いようのない単細胞・短絡的な歳費返上だと言わざるを得ない。


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民主党石井一はフィリッピンゴルフ不謹慎の責任を取って民主党副代表も辞任すべき理由

2011-05-10 09:56:07 | Weblog



 昨年9月半ばの民主党代表選で菅直人を支持、対抗馬小沢一郎の悪口を仁義もなく言い振らしていた民主党副代表の坊主憎けりゃ、袈裟まで憎しの石井一がここのところマスコミに取り上げられ、一躍脚光を浴びることとなった。

 菅仮免のマスコミ釣りが芳しくない評価・評判が多いことを反映してか、石井一の今回のマスコミ釣りも同種の扱いとなっている。

 石井一は民主党の副代表を務めている。民主党最高顧問が羽田孜と渡部恒三。最高顧問というのはお飾りに過ぎないだろう。

 党代表が菅直人。代表は党のトップ。これ程までに無能・無指導力のトップというのも珍しいが、このことが統一地方選大惨敗に代表される今日の民主党の体たらくを招いている。

 代表代行が仙谷由人。かつて影の総理大臣であったばかりか、影の党代表と言ったところか。だが、誰が影に控えていようと、影が表を補って全体の底上げを図るところまでとてもとてもいかないのは表の無能が底なしであることを物語って余りある。
 
 そして副代表が筆頭が石井一で、山岡賢次と直嶋正行と鉢呂吉雄と岡崎トミ子と石毛子の6人。大盤振舞いの一山いくらの叩き売りといったところか。

 ところがこの民主党副代表兼民主党東日本大震災対策本部副本部長が大震災対策をほっぽらかして「日本・フィリピン友好議員連盟」のメンバーとしてフィリッピンに行き、ゴルフに打ち興じていた。

 「日本・フィリピン友好議員連盟」のメンバーとしての行動だから、当然公務となる。勿論、単なるメンバーというだけではなく、民主党筆頭副代表という地位と東日本大震災対策本部副本部長という地位を同時に背負った公務であるはずだ。

 どのような場面でも民主党筆頭副代表としての器量・品格を常に内に秘めていなければならないことは断るまでもないし、東日本大震災は日本一国で終わる問題ではなく、各国から援助を受けていると言うことだけではなく、経済的影響や原子力政策に関して深く世界が関わっている問題でもあるのだから、民主党東日本大震災対策本部副本部長としての使命感を震災問題が解決するまで常に頭に置いて行動しなければならないはずだ。

 その使命感を打ち忘れてゴルフに打ち興じていたのだから、その時点で既に民主党筆頭副代表としての器量・品格を失っていたと看做さざるを得ないことになる。

 尤も党代表の菅直人からして器量・品格を持ち合わせていないのだから、いくら筆頭副代表だからといって、右へ倣えで持ち合わせていないのも無理はないとするなら、今度は菅内閣の人事に於ける人材の問題へと波及することになって、それまでの話とはならない。

 《民主・石井副代表ら、比でゴルフ 「目につかないと思った」》47NEWS/2011/05/06 10:37【共同通信】)

 5月5日、大震災被災者が今なお不自由な避難生活に苦しめられていることなどスッカラカンのオッパピーで忘却の彼方に打ち捨て、マニラ首都圏郊外でゴルフに打ち興じた。

 つるんでいたのが反小沢で有名な生方幸夫元副幹事長と反か親か、那谷屋正義(なたにや まさよし)参院議員。石井一と生方が反小沢だから、つるんでいる関係からして一人だけ親小沢と言うことはないから、那谷屋にしても反小沢に違いない。

 外国に出たとしても、民主党東日本大震災対策本部副本部長としての使命感を常に担って行動しなければならないにも関わらずその使命感を打ち忘れた石井一とつるんで共々ゴルフに打ち興じたのから、生方も那谷屋も同罪だろう。

 同罪の那谷屋が正義(せいぎ)という字を当てて「まさよし」と読ませているこの逆説は何を意味するのだろうか。

 石井一は東日本大震災後、ゴルフをするのは初めてだと記事は書いている。

 石井一「国外であれば目につかないと思った。被災者の方から見れば『何だ』という気持ちになるでしょうね。あくまで公務」

 公務だから許されると思っているらしい。公務には常に民主党副代表、民主党東日本大震災対策本部副本部長という肩書き・使命がついて回るからこそ問題だという認識がない。

 だが、ゴルフに打ち興じたことに被災者に対して少なからざる罪悪感を感じていた。その罪悪感を大切にするどころか、「国外であれば目につかない」からと抜け道を策した。被災者に対して誤魔化しを働いたことになり、余計に始末に悪い。民主党筆頭副代表としての器量・品格を打ち捨てたも同然である。

 いや、既に触れたように最初から持ち合わせていなかったとしたら、いくら党代表の菅直人に見習って持ち合わせていないとしても、こういった不謹慎な問題を起した以上、本人の問題と言うだけではなく、党代表としての菅直人の任命責任も問わなければならなくなる。

 《ゴルフ「もう少し自制してもよかった」 石井氏が党地震対策副本部長を辞任》MSN産経/2011.5.9 19:36)

  石井一は昨5月9日、党地震対策本部副本部長を辞任することを岡田克也幹事長に申し出て了承され、生方は衆院消費者問題特別委員の辞任を党執行部に申し出、那谷屋は西岡武夫参院議長に参院総務委員長の辞任を申し出て、三人揃って討ち死にを果たした。

 だが、石井は民主党副代表の職を辞任していない。

 石井一「被災者に聞けば、ネガティブな反応は出るだろう。不適切とは認識していないが、もう少し自制しても良かった」

 あとで気がつく寝小便だが、「不適切とは認識していない」という認識能力は如何ともし難い。この程度の認識能力しか持ち合わせていない政治家が一政党の筆頭副代表を務めている。

 民主党筆頭副代表としての器量・品格までが問われているということが認識できない。

 岡田幹事長(記者会見)「被災者の気持ちを考えるとあまり適切ではなかった」

 岡田幹事長にしても民主党東日本大震災対策本部副本部長としての使命感だけの問題ではないという認識を持てずにいる。

 菅内閣の人事はどうなっているのだろうか。類は友を呼ぶで、同質・同程度の人材が並んだということなのだろうか。

 石井一の職務上の器量・品格に関しての5月9日の党役員会での発言を次ぎの記事が伝えている。《石井一氏が震災対策副本部長を辞任 ゴルフ問題批判受け》asahi.com/2011年5月9日21時46分)

 記事は書いている。〈副本部長の辞表を提出したが、副代表や選対委員長は続投する意向だ。〉

 石井一「迷惑をかけ議会人として反省している」

 議会人としての器量・品格を欠いていたことの反省であろう。そこまで認識できるなら、民主党の幹部としての行動でもあったのだから、なぜ一歩踏み込んで民主党筆頭副代表としての器量・品格を欠いていたことへの認識が持てないのだろうか。

 この責任を果たすには副代表辞任以外に道はないと思うが、それを許す民主党なら、国民の政治不信をなお一層招くだけのことだろう。

 参考までに――

  2010年3月20日記事――《小沢独裁体制批判からの副幹事長解任に見る民主党生方氏自身の功罪 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2010年3月24日記事――《生方議員の小沢幹事長辞任要求意志に反する副幹事長続投容認 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


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