◆名古屋を襲った500年に一度の豪雨
同時多発テロから9年、という記事を掲載しましたが本日は一日遅れで東海豪雨の話題を掲載。
500年に一度と言われる規模の東海豪雨から10年が経ちました。名古屋は京都以上の大都市、人口は200万を越えるのですが、その大都市が機能付随に陥るという豪雨は、当方としても衝撃で、半年後、当時災害派遣に当たった第10施設大隊が駐屯する春日井駐屯地祭に足を運び、いろいろと聞いて回りました。あの頃はODの66式作業服が中心で、第10対戦車隊も健在でしたね。
当時第10師団は管区内に水害の多い部隊ということを教えてもらいまして、施設大隊の展示では、東海豪雨に際して部隊がどの時点でどのように投入されたか、という詳細が展示されていまして、被災地から若干距離はあったものの、守山駐屯地の師団主力とよく連携して迅速に対応していた、というのが印象的でした。
京都市にあっては災害即応は桂駐屯地の中部方面後方支援隊がその任務に当たり、福知山駐屯地の第7普通科連隊、大久保駐屯地の第4施設団を主力に災害を含む有事の際には対応することとなっています。桂駐屯地は京都市中心部へも比較的近く、加えて駐屯地も中部方面隊有数の規模を誇りますので100万都市京都が災害や大水害に見舞われ機能付随となった際にも対応することが期待されます。
阪神大震災においても伊丹駐屯地の第36普通科連隊は即応して阪急伊丹駅周辺での近傍災害派遣を行っていますし、災害派遣においては駐屯地が全国に配置されていることにより即応することができる点、そして自治体のと連絡体制を密にとることができ、加えて防災訓練なども実施が容易となることから、連隊や大隊規模での駐屯地の配置、ということは毎年多くの災害に見舞われるそれなりに意義があるといえるでしょう。
しかし近年、防衛費削減の観点から駐屯地の全国への均一的な配置というものを見直そう、という構想があるようです。財務省としては檜町の防衛庁跡地を売却した際の、六本木ヒルズ再開発などの事例がありますので、駐屯地を集約してその分都市部の駐屯地を売却すれば、という思いはあるのかもしれません。確かに師団が中演習場近傍に戦闘部隊の主力を駐屯させる、という方式は米軍などではとられている手法ではあります。
他方で日本の災害の多発、という状況に鑑みれば、もちろん激甚災害のような規模の事案に対して少なくとも24時間は対応できる規模の即応部隊を自治体や消防に警察が整備できるのならば話は変わってくるのですが、そもそも予算縮減がこの検討の骨子にあるわけですから、災害時、自治体に自衛隊を補う能力の整備ということは本末転倒であり無意味でしょう。
空中機動能力や海上輸送能力の抜本的強化により機動力を確保して、その駐屯地の配置を補う、ということも考えられるかもしれないのですが、しかし元々は自衛隊が日本列島の広大さに比べて人員規模が少ないわけですから、一機数十億円で十数人から数十人を輸送できるヘリコプターや、数百億円で数百人程度を輸送できる輸送艦を整備知るとしても一個普通科連隊が戦闘団を組んだ場合の規模は2000名、防衛出動であれば事前展開、ということもあり得るのですが地震予知連絡会が関し対象としているのは東海地震だけでして、台風や豪雨災害に対しては事前展開、ということがそもそも不可能なわけです。
昨今、当時500年に一度と言われた東海豪雨規模の災害は多発するのでは、と気候変動の観点から指摘されています。仮にですが今後、日本において豪雨災害や台風災害、火山や大規模地震よる被害が根本的に減少するような都市計画、例えば全道路の防火拡幅、高層建築物の長周波振動を含めた耐震化の徹底、建築落下物の全面規制というような方策や市町村の堤防かさ上げや河川付近の居住制限といった防災体制がとられる、というようなことがないのであれば、減災には限界があるわけで、防災を主眼とした全国への自衛隊の均一配置、ということは維持されるべきだと考えます。
HARUNA
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