◆1923年9月1日の関東大震災発災が防災の日
防衛省は8月30日から9月5日を防災週間とし、平成26年度「防災の日」総合防災訓練へ参加しました。南海トラフ巨大地震では想定犠牲者最大32万とも予測され、予断を許しません。
1923年9月1日、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源とするマグニチュード7.9の巨大地震が我が国首都圏を襲い、東京府神奈川県を中心に倒壊や火災などの大被害が及び1925年の震災予防調査会報告では死者14万、最新の調査を反映した2006年度以降の理科年表でも10万5000名、甚大な被害が発生したと記録されています。
震災前月に首相が急逝し空白期に在った状況下、政治行政中枢である大蔵省、文部省、内務省、外務省、警視庁などの庁舎も倒壊したという状況で、内田康哉が内閣総理大臣臨時代理に就任、混乱の中戒厳令、非常徴発令、暴利取締法、臨時物資供給令が発令したものの東京市内6割の家屋が損傷乃至全壊し、その復興には多大な時間を要しました。
震災復興に山本権兵衛首相を筆頭総裁として帝都復興審議会が設置されたものの、安政関東地震など過去の大震災などの周期性から遠くない将来再度首都圏が被災する可能性が生じたことから陸軍省を中心に遷都論議が討議され、後藤新平の帝都復興計画が提示されるまで、我が国の現代史を転換させ得る連続ともなった事例といえるでしょう。
1960年、長く9月1日は関東大震災犠牲者慰霊祭の日として執り行われていましたが、政府は1923年の関東大震災等の大被害や前年の1959年伊勢湾台風などを教訓とし、閣議決定を以て9月1日を防災の日と制定し、大震災や台風被害などへの防災と対処を期した防災訓練を行う強化日として制定され、今に至ります。
9月1日防災の日に合わせた防災訓練への参加は政府総合防災訓練、南海トラフ巨大地震広域医療搬送訓練、東海地震静岡県総合防災訓練、相模原市直下地震九都県市合同防災訓練等に参加したほか、全国の地方自治体が主催する防災訓練へも陸海空自衛隊及び防衛省内部部局から要員を派遣しました。
政府総合防災訓練、9月1日実施のこの訓練へは政府本部運営訓練に参加し、首都直下型地震の発生を視野に実施され、発災後の初動体制確立への即応態勢を演練すべく、首相官邸において防衛大臣が参加すると共に政府本部と連携する防衛省災害対策本部設営と運営などの連携を訓練しました。
南海トラフ巨大地震広域医療搬送訓練、8月30日に実施されたこの訓練では主に九州の大分県、宮崎県及び鹿児島県を被災地と想定し実施され、広域医療搬送訓練へ陸海空自衛隊の輸送部隊が参加するとともにDMAT(災害派遣医療チーム)の被災地への緊急展開輸送支援、SCU(航空搬送拠点臨時医療施設)の設営などを実施しています。
東海地震静岡県総合防災訓練、大規模地震対策特別措置法が対象としている唯一の巨大地震である東海地震、8月31日に実施された東海地震を念頭とした静岡県総合防災訓練と併せ政府現地訓練が実施され、ここに陸海空自衛隊の任務対応部隊が連絡要員や実働要員を派遣し実施しています。
相模原市直下地震九都県市合同防災訓練、8月31日に行われた相模原市に主会場を置いて実施された九都県市合同防災訓練への自衛隊の参加で、指揮系統の確立や現地本部と指揮所の設営及び連携などの要領を演練すると共に救出任務や人命救助活動などの実任務行動を実施した、とのこと。
防衛省発表では上記訓練への参加が報じられていますが、自衛隊の参加訓練はこれにとどまらず京都府総合防災訓練には第7普通科連隊と舞鶴第23航空隊に八尾の第3飛行隊などが航空機を参加、愛知県総合防災訓練では海上自衛隊多用途支援艦などが参加、全国で幅広く訓練が行われています。
火山性弧状列島である日本列島はプレート上の火山性運動により確実に地震が発生します。そして海底が震源で有れば東日本大震災のような大津波が発生し、大河に沿って発展した大都市は大河そのものが活断層の地殻変動による亀裂に沿って成り立っていることから直下型地震が最も多いところに大都市が形成されているという事も忘れてはなりません。
地震は必ず来ますが、問題はいつやってくるか、というところで、更に1960年代までは真剣にマグニチュード8.5以上の地震は発生しないと信じられていた中、我が国でも東日本大震災はマグニチュード9.0が発生しています。地震はその瞬間までの準備と発生直後から数分間の対応が多くの物事を左右します、防災文化、というものを改めて考える日として防災の日は機能しているといえるでしょう。
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