北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

北部方面施設隊創設6周年南恵庭駐屯地祭(2014-09-14) PowerShotG-16撮影速報

2014-09-15 23:26:46 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆北部方面施設隊&第73戦車連隊が駐屯

 南恵庭、土曜日の第5旅団創設10周年帯広駐屯地祭に続き日曜日に北部方面施設隊創設6周年南恵庭駐屯地祭へ行ってまいりました。

Mimg_1806  前日の第5旅団創設10周年帯広駐屯地祭、帯広駐屯地には第1対戦車ヘリコプター隊も駐屯していますが、行事に参加しませんでした。聞くところでは北部方面隊が大規模演習を週明けより開始する為、丘珠駐屯地に展開していたとのこと。例年ならば帯広駐屯地祭はもっと大規模とのことでした、これは来年も行けたらいいですね。

Mtimg_1815  南恵庭駐屯地は北部方面施設隊隊本部、本部付隊、第301坑道中隊、第105施設器材隊、第303ダンプ車両中隊、北部方面後方支援隊、第101施設直接支援大隊、 第73戦車連隊、本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊、第4中隊、第5中隊、第7後方支援連隊第2整備大隊第3戦車直接支援中隊、第326会計隊などが駐屯している。

Mtimg_1811  北部方面施設隊は第3施設団を改編し創設された部隊で2008年に改編が完了しました。第3施設団は最盛期には第1施設群、第12施設群、第13施設群を隷下に置く大型の編成を採っていましたが、2004年に第1施設群が廃止され、一部中隊が第12施設群と第13施設群の縮小施設隊に統合されています。

Mtimg_1822  第3施設団は北部方面隊の直轄施設部隊で、東部方面隊の第1施設団、東北方面隊の第2施設団、中部方面隊の第4施設団、西部方面隊の第5施設団、と施設団があるのですが現在施設隊に縮小されたのは北部方面対のみで、北部方面隊という冷戦時代の最前線部隊縮小は一つの象徴的な部隊改編だった、と言えるでしょう。

Mtimg_1828  歴史は古く、勝田駐屯地において独立第1施設群が新編、その後、南恵庭駐屯地へ移駐しています。本州で編成され北海道に駐屯、という方式は警察予備隊の編成が朝鮮戦争により引き抜かれた米軍日本本土進駐部隊の引き抜きを穴埋めるために配置され、更に教育訓練部隊に余裕があった警察予備隊草創期には珍しくありません。

Mtimg_1840  本土からの移駐に際して、米軍輸送船に乗せられ本州を出港する写真などが多く残されています、当時は朝鮮戦争中でしたので、部隊編成も米軍使用と米軍装備を揃えており、このまま国連軍として朝鮮半島に送られるのではないか、と不安感を抱いた方もいたのだとか。

Mtimg_1852  1961年に第3施設団が新編、第1施設群の隷下部隊を大隊ごとに拡大改編するかたちで編成され、第1施設群、第301パネル橋中隊、第301浮橋中隊、第306地区施設隊、第307地区施設隊、第308地区施設隊、以上を以て編成完結しています。機動運用部隊と地域配備部隊、というかたちですね。

Mtimg_1861  1976年、施設団は第1施設群、第12施設群、第13施設群という3個群編制に改編されます。1976年防衛大綱が公表された年に当たりました、ソ連からの軍事圧力が最も大きく、着上陸事案が現実的脅威と受け止められると共に1980年には欧州東西軍事均衡が東側有利になるとの西ドイツ軍分析が発表、MiG-25函館亡命事件が発生、更に緊急発進件数が最大となった年でもあります。

Mtimg_1915  施設器材隊の新編やダンプ中隊の新編、様々な改編が行われているのですが団編成時代の最たる改編について一つ挙げますと、1988年、北部方面隊隷下の地区施設隊は一斉に施設群隷下に編入され、僻地建設工事を実施する地区施設隊としての任務は完了しました。

Mtimg_1968  改編は施設団編成後数多く行われていますが、最後の大改編は1991年の地対艦ミサイルや上級部隊の掩砲所建築へ坑道中隊が新編、これにより戦術核などの脅威に重要装備残存の道筋をつけたところです。近年は国際平和維持活動への自衛隊参加が本格化すると共に花形部隊となった施設科部隊という位置づけにあるところです。

Mimg_19160  北部方面施設隊、第3施設団からの改編は、団本部が廃止されたい本部となり、指揮官が陸将補から1佐となったほか、第13施設群が施設隊に改編され、隷下中隊の規模も大きく縮小されています。ただ、行事の祝辞において、衆議院議員町村議員から、北部方面施設団へ拡大改編する動きがあるとのこと。

Mimg_1929  現在の北部方面施設隊は、隊本部、本部管理中隊、第12施設群、第13施設隊、第105施設器材隊、第301坑道中隊、第302水際障害中隊、第303ダンプ車両中隊です。各部隊は南恵庭駐屯地、岩見沢駐屯地、釧路駐屯地、幌別駐屯地、倶知安駐屯地、と北部方面隊隷下各地に駐屯しています。

Mimg_1965  第12施設群の編成は、群本部、本部管理中隊、第335施設中隊、第336施設中隊、第337施設中隊、第342施設中隊、第312施設器材中隊、第302坑道中隊です。第13施設隊の編成は、隊本部、本部管理中隊、第360施設中隊、第361施設中隊、第383施設中隊、とのこと。

Mtimg_2001 第73戦車連隊は東千歳の第7師団基幹部隊である戦車連隊の一つで、遡れば第1戦車団第3戦車群、第104特車大隊を起源に持つ戦車部隊で、M-4特車、M-41軽戦車、61式戦車、74式戦車を経て現在の90式戦車を装備することとなり、今に至る戦車連隊です。

Mtimg_2004  陸上自衛隊は大型歩兵師団に当たる管区隊と機械化旅団にあたる機械化混成団を編成し、管区隊を基盤的防衛力、機械化混成団を機動防衛力とする運用を想定していたのですが、陸上自衛隊部内での機械化重視よりも空中機動力重視という論調がありました。

Mtimg_2007  ここで機械化よりも空中機動重視が我が国の地形では有利との分析が、米軍のエアモービル編成により担保され、装甲車調達予算の多くを航空機調達予算に割かれる形となり、機械化混成団の編成が実現したのは第7混成団、いまの第7師団のみとなり、1962年に混成団と管区隊を全て小型師団へ改編することで論争に区切りがつきました。

Mtimg_2010 北部方面隊ではソ連からの軍事力を正面に受け、第7師団を第11普通科連隊、第23普通科連隊、第24普通科連隊を基幹とした機械化師団と位置付けるとともに、方面隊直轄の第1戦車団を置き、第1戦車群、第2戦車群、第3戦車群を隷下に置いていました。

Mmimg_2017  第1戦車団と第7師団、共に機動運用部隊であり、第1戦車団は有事の際に本土からの増援師団への重装備付与や第一線師団への戦車部隊増援という位置づけにはありましたが、第7師団との共同訓練を、特に駐屯地が近傍であり北海道大演習場に隣接している関係からも継続的に実施しており、統合する案が出ます。

Mmimg_2023 1981年、第23普通科連隊の廃止と第24普通科連隊の九州転地とともに第7戦車大隊を第71戦車連隊へ拡大改編、第1戦車団の第2戦車群を第72戦車連隊へ、第3戦車群を第73戦車連隊へ拡大改編し、第7師団の機甲師団改編が実施されました。こうして第73戦車連隊は誕生したわけです。

Mimg_2032  連隊は1999年に90式戦車への装備改編を完了させましたが、2000年の部隊改編で即応予備自衛官基幹のいわゆるコア化部隊編成へ改編されましたが即応予備自衛官制度の機甲科職種における運用と訓練体系の問題点が指摘され2014年3月をもって現役自衛官編成へと再編され、今に至ります。

Mmimg_2042  第73戦車連隊は基幹部隊編成を、本部管理中隊、第1中隊、第2中隊、第3中隊、第4中隊、第5中隊、としています。 90式戦車は120mm滑腔砲と高出力エンジンに複合装甲を備えた第三世代戦車で、自動装填装置と目標自動追尾能力を備えた世界最強水準の打撃力を有し、近年一部車両へデータリンク対応改修が開始された最高峰の性能を備えた戦車です。

Mtimg_2050 観閲行進の写真を中心に南恵庭駐屯地と北部方面施設隊に第73戦車連隊の歴史を簡単に紹介してみました。このほか、訓練展示は橋梁展開の施設部隊による展示、戦車部隊の攻撃前進を戦車連隊による展示として行われています。会場は十分な広さがありましたが、観閲行進の方を広報の方が行進のみ熱心に撮影しており、それよりは行進と見学者と併せられる構図から撮影していただければ、角度的に双方良かったのかな、とも思いましたが、充実した一日を過ごせました。

北大路機関:はるな

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コメント (1)
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