■絵馬迎える神社の社殿
寒い中での参拝ですが寒いという事は人口密度の低さの表れでもあるのだからぜいたくは言えないのでしょう。
参拝に際して、なにか抱負を、願いを、こう祈りたいところですが、健康と繁盛、深く考えずに浮かぶのはこんなもので、しかし筆頭に疫病退散を簡単に願えないものは、これが簡単に退散するような疫病ではない、ということを熟知しているためかもしれない。
下鴨神社、この社殿には拝殿い巨大な絵馬が奉納されていまして、楽しみといますと妙な表現となるのかもしれませんが、干支で卯年はうさぎさんが描かれているのは知っているのですけれども、どのように優美に描かれているかというものをみてみるのも愉しみです。
平和、絵馬にはこう記されているのですが、もう本当にそうですよね。昨年の初詣では危機的な状況がウクライナ国境では進んでいましたが、まさか21世紀にここまで時代錯誤な戦争が始まり、その影響は世界を分断するほどの勢い、改めて平和を願いたいのです。
疫病退散、COVID-19,難しいことです。政府は感染症五類へ変更させることをこの一月に画定しました、ただ、得られる利点はどんなものがあるのか、マスクをしているから感染するのではなく感染するのだからマスクをしているわけで、逆因果関係をみるべきです。
五類に変更しますと指定医療機関以外で全て診療できるので、医療崩壊を回避できるという主張がありますが、発熱外来設置に義務はなく、変な話発熱者は診療しませんという、院内感染対策の上で受け入れを拒否されては、発熱外来、最初の診療さえ維持できない。
応召義務、診察については医療機関に自ら患者が訪れた場合は医師法に応召義務が生じるとあります、いや、これが医療過誤訴訟の温床であり、専門外であっても力の限り診察し、これが専門外故の誤診であっても医療過誤訴訟、だから病院に入れないという趨勢となる。
医療崩壊ひとつとって、こうした危惧があるのですがもう一つ、現行の入院そしてもう一つの施策として自宅療養、これは感染症法上の措置として、無症状でも呼気から感染させるCOVID-19の特性に合わせた措置となっているのですが、これも義務ではなくなります。
無症状であれば出勤することでしょうがここで感染を広げた場合、もちろん全て無症状となるのであれあ問題はありません、しかし発症率も低くはなく、特に非正規労働者率の高い、高くなってしまった我が国ではここを自己責任といわれては雇用や収入に影響します。
一億火の玉、ではないのですけれども無症状率がもっと高くなるような状況までは、たおれた感染のこととはきにせず生き残ったものだけで社会を回す、方式では今のに本社会は限界があるように思う、せめて療養者を雇用面で保護する法制度がなければ社会が崩れる。
ロックダウンしろというわけではなく、感染を押さえるのではなく抑える程度の施策を維持する選択肢から、感染のことは考えない、という施策に切り替えるのは少々乱暴なように思えてならないのですね。いや、戦時中のように日本には命を尊重する余裕がないのか。
疫病退散というのを願うよりも、もう少し数値というものをみて、同じ現実をみる努力ができる、いや知ることをおそれず時間を使うことを無駄と思わない、短絡主義から抜けられるような社会が来る、いや、戻ってくるように、どうしても願ってしまうのです。
最悪期は抜けた、こういいきる事は勿論できるのですけれども、しかしこの一月と先月の亡くなった方の膨大さは、ある程度の感染対策はしていてマスクも着用してワクチンも一億総接種の勢いでも現状なのです、するとやはり、ここは祈ってしまうのも自然でしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
寒い中での参拝ですが寒いという事は人口密度の低さの表れでもあるのだからぜいたくは言えないのでしょう。
参拝に際して、なにか抱負を、願いを、こう祈りたいところですが、健康と繁盛、深く考えずに浮かぶのはこんなもので、しかし筆頭に疫病退散を簡単に願えないものは、これが簡単に退散するような疫病ではない、ということを熟知しているためかもしれない。
下鴨神社、この社殿には拝殿い巨大な絵馬が奉納されていまして、楽しみといますと妙な表現となるのかもしれませんが、干支で卯年はうさぎさんが描かれているのは知っているのですけれども、どのように優美に描かれているかというものをみてみるのも愉しみです。
平和、絵馬にはこう記されているのですが、もう本当にそうですよね。昨年の初詣では危機的な状況がウクライナ国境では進んでいましたが、まさか21世紀にここまで時代錯誤な戦争が始まり、その影響は世界を分断するほどの勢い、改めて平和を願いたいのです。
疫病退散、COVID-19,難しいことです。政府は感染症五類へ変更させることをこの一月に画定しました、ただ、得られる利点はどんなものがあるのか、マスクをしているから感染するのではなく感染するのだからマスクをしているわけで、逆因果関係をみるべきです。
五類に変更しますと指定医療機関以外で全て診療できるので、医療崩壊を回避できるという主張がありますが、発熱外来設置に義務はなく、変な話発熱者は診療しませんという、院内感染対策の上で受け入れを拒否されては、発熱外来、最初の診療さえ維持できない。
応召義務、診察については医療機関に自ら患者が訪れた場合は医師法に応召義務が生じるとあります、いや、これが医療過誤訴訟の温床であり、専門外であっても力の限り診察し、これが専門外故の誤診であっても医療過誤訴訟、だから病院に入れないという趨勢となる。
医療崩壊ひとつとって、こうした危惧があるのですがもう一つ、現行の入院そしてもう一つの施策として自宅療養、これは感染症法上の措置として、無症状でも呼気から感染させるCOVID-19の特性に合わせた措置となっているのですが、これも義務ではなくなります。
無症状であれば出勤することでしょうがここで感染を広げた場合、もちろん全て無症状となるのであれあ問題はありません、しかし発症率も低くはなく、特に非正規労働者率の高い、高くなってしまった我が国ではここを自己責任といわれては雇用や収入に影響します。
一億火の玉、ではないのですけれども無症状率がもっと高くなるような状況までは、たおれた感染のこととはきにせず生き残ったものだけで社会を回す、方式では今のに本社会は限界があるように思う、せめて療養者を雇用面で保護する法制度がなければ社会が崩れる。
ロックダウンしろというわけではなく、感染を押さえるのではなく抑える程度の施策を維持する選択肢から、感染のことは考えない、という施策に切り替えるのは少々乱暴なように思えてならないのですね。いや、戦時中のように日本には命を尊重する余裕がないのか。
疫病退散というのを願うよりも、もう少し数値というものをみて、同じ現実をみる努力ができる、いや知ることをおそれず時間を使うことを無駄と思わない、短絡主義から抜けられるような社会が来る、いや、戻ってくるように、どうしても願ってしまうのです。
最悪期は抜けた、こういいきる事は勿論できるのですけれども、しかしこの一月と先月の亡くなった方の膨大さは、ある程度の感染対策はしていてマスクも着用してワクチンも一億総接種の勢いでも現状なのです、するとやはり、ここは祈ってしまうのも自然でしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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