■死傷者6300名!自衛隊出動
地下鉄サリン事件。日本国内で政府転覆を目論んだ凶悪犯罪集団が首都東京で無差別殺傷事件を起こし6300名が死傷した事件です。
東京の地下鉄で神経剤サリンが散布され数千の死傷者が。こうした話題をあの日より前に可能性として警告したとして、説得力は大きくなかったかもしれません。1995年3月20日の地下鉄サリン事件は、それほどに想定外の事件でした。営団地下鉄職員、消防吏員と警察官、医療関係者と通勤客、そして何より自衛隊が、出来うる努力で被害を局限した。
地下鉄サリン事件から昨日で25年となりました。1995年3月20日、東京メトロ、当時の営団地下鉄車内においてカルト教団オウム真理教により神経剤であるサリンが散布され、死者14名と負傷者約6300名という大惨事となりました。神経剤によるテロとしては世界初であり、また神経剤が大規模に対人使用されたのは実に第一次世界大戦以来の規模です。
災害派遣要請、東京都から自衛隊へ災害派遣が要請された際、大宮の化学学校とその隷下に在る第101化学防護隊、ここに当時市ヶ谷に駐屯していました第32普通科連隊、そして練馬の第1師団司令部化学防護小隊や第1施設大隊等から即応要員を集め、自衛隊史上初のサリン除染という任務に、文字通り手持ちの器材を掻き集め対応する事となりました。
無差別テロを実施したオウム心理教は当時、坂本弁護士一家殺人事件や松本サリン事件など、教団とトラブルを通じて拡大した事件に対して警察の捜査が進んでおり、強制捜査直前において捜査を攪乱する目的から、世界最大規模の大都市東京、その中心部において神経剤を用いた虐殺行為を狙う無差別テロをおこなうという、身勝手極まりない凶行でした。
サリンという神経剤を生成したオウム真理教は、武装していた。山梨県内の施設においてソ連製Mi-8中型ヘリコプターを所有していたほか、国産の農薬散布用無人ヘリコプターを所持しており、こうした航空機からのサリン散布能力あるほか、神経剤VX精製や炭疽菌の培養、ロシア製AK-74突撃銃の模造や対戦車火器密造を進めており極めて重大な脅威です。
神経剤、化学兵器には短期間で強い殺傷力を発揮する攻撃型化学兵器と、糜爛剤のように長期間の地域汚染により土地を使用不能とする汚染型化学兵器があります。サリンなどの神経剤は人間の神経伝達物質を阻害する化学剤であり、眼球や呼吸器系、物質によっては皮膚からも浸透し、視神経や心筋等を瞬間的に冒し死に追いやる攻撃用化学兵器です。
地下鉄において散布されたサリン。日比谷線中目黒行では8名が死亡し2475名が負傷、日比谷線東武動物公園行では2名が死亡し532名が負傷、千代田線代々木上原行で2名が死亡し負傷者231名、丸ノ内線荻窪行では1名が死亡し358名が負傷、丸ノ内線池袋行では200名が負傷、そして列車と駅員、救急搬送等の際に付着した化学剤が被害を広げた。
自衛隊による除染が実施され、また衛生学校からの化学剤対処教範の緊急供与が行われ、この非常時においても教範に基づく治療法へ、パムやアトロピンといった治療薬が国内から集約する事が出来た、こうした僥倖もあったのですが、死傷者6300名という規模は、同年二ヶ月まえの阪神大震災とあわせ大きな社会不安を醸成しかねない事案ともいえました。
忘れてはならない。昨今驚かされるのは地下鉄サリン事件やオウム真理教を知らない世代が育っている、ということでしょうか。知識として知っていても経験として知らない、ということではなく、オウム事件、現在の日本における危機管理へも大きな教訓と影響を及ぼした事件が忘れられ始めている、という事でしょうか。実際、あの事件での教訓は多い。
危機管理。実のところ1995年という年は、1月17日の阪神大震災とともに我が国危機管理、という概念が再認識、現行憲政下では危機管理が試された事案は1950年朝鮮戦争や1976年のMiG25函館亡命事件など幾つかを挙げることは出来るのですが、平時枠組から有事への認識をどのように転換させるか、この認識は状況次第で多くの生命を左右する。
兵器を用いた無差別攻撃は、日本の戦後の認識から国家という国際法上の主体により展開されるものであり、こうした攻撃の脅威は交渉や平和努力により払拭し得る、こうした安全神話ではありませんが、一つの共有した認識があったのです。それが我が国の同胞が初めて経験した無差別テロ事件により、その認識の土台が瓦解してしまった、というものが。
兵器を用いた無差別攻撃、国際関係の枠外からも生じうるものであり、不幸にもこの懸念は六年後の9.11アメリカ本土同時多発テロにより、世界でも共有される認識となりました。そしてこの認識は更に進み、我が国との間で国交のない諸国からの攻撃、近年は核開発による無差別攻撃、核攻撃は元々無差別ですが、こうした脅威が顕在化し今日にいたります。
忘れてはならない。こう考えるのは危険なカルト教団が存在し今もその系統の団体が残っている、という安易な警告に留まらず、時間が経つとともにあの時最悪の状況に身を切る覚悟で備えた、覚悟の背景は法整備の不備、即ち立法府の怠慢、そうした人々の努力と、良い成果が出ようとその逆であろうと責任を現場に押し付ける、この部分についても一つ。
法整備の重要性、実のところもう一つ問いかけられるべき命題は、明らかな国家への敵意が国民への無差別攻撃という形を以て具現化する、こうした脅威の下での非常事態法制の重要性を示した点なのかもしれません。法整備が行われていない状況では、危機に対応する場合に遵法による怠惰か、法の精神に則った超法規、選択を迫られる事となるでしょう。
超法規、こうした視点を示しますのは、地下鉄サリン事件とともに防衛庁は北富士演習場付近のカルト教団施設に建設されている化学プラントが目撃され、また長野県警や警視庁から化学学校に寄せられる問い合わせ等から、なんらかの非正規戦準備が我が国において進められている、何らかの準備が要る、こうした認識があった、といわれているのですね。
最悪の事態となった場合には、より厳しい対応を求められた可能性があった。山梨県の教団施設強制捜査においてサリンが用いられた場合、可能性としてですが戦後初の治安出動命令が発令された可能性もありました。特に事件から25年となりました。改めて考えるのは、そろそろ、行われていた、という自衛隊が進めた準備に関する話が出てくる頃か、と。
自衛隊の準備、これは公式文書には残りませんし、一種都市伝説的なものであり、単なる訓練の一環であったと説明され、偶然である、と答え以上のものは無いのですが、第1空挺団や第1師団の準備、都市伝説的に第1空挺団が待機体制に入り更に防護衣を着用しての訓練比率が平時よりも特に高まっていた、とはいわれていますが、定かではありません。
不測の事態では、例えば北富士駐屯地に当時第5大隊だけが駐屯していました特科連隊のうち、駒門駐屯地を拠点としていた第1特科連隊が訓練名目で強化されるとともに北富士演習場での富士教導団普通科教導連隊の装甲車が訓練名目で富士駐屯地から転地した、練馬の第1通信大隊がカルト教団の無人ヘリコプター攻撃に備え展開した、等が囁かれる。
非常事態法制。この視点から現在の日本を考えた場合、現在広がるコロナウィルスCOVID-19拡大にともなう特別措置法改正が行われましたが、実のところ強制措置、憲法上の人権を維持できないような非常事態が突発的に発生した場合、可能である行動を限定列挙する期間限定の特別措置法ではなく、恒久法として、危機の再来に備えるべきと思う。
超法規的措置。実のところオウム事件の危機管理以外にも、戦後日本の危機管理は場合によっては超法規的措置を織り込むか、つまり現場の判断と覚悟の多寡に左右される要素がありました。この点、地下鉄サリン事件から25年という節目とともに、改めて、あの時に日本国内で何が起こりえたかを踏まえて、検証してゆく必要があるようにも、思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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地下鉄サリン事件。日本国内で政府転覆を目論んだ凶悪犯罪集団が首都東京で無差別殺傷事件を起こし6300名が死傷した事件です。
東京の地下鉄で神経剤サリンが散布され数千の死傷者が。こうした話題をあの日より前に可能性として警告したとして、説得力は大きくなかったかもしれません。1995年3月20日の地下鉄サリン事件は、それほどに想定外の事件でした。営団地下鉄職員、消防吏員と警察官、医療関係者と通勤客、そして何より自衛隊が、出来うる努力で被害を局限した。
地下鉄サリン事件から昨日で25年となりました。1995年3月20日、東京メトロ、当時の営団地下鉄車内においてカルト教団オウム真理教により神経剤であるサリンが散布され、死者14名と負傷者約6300名という大惨事となりました。神経剤によるテロとしては世界初であり、また神経剤が大規模に対人使用されたのは実に第一次世界大戦以来の規模です。
災害派遣要請、東京都から自衛隊へ災害派遣が要請された際、大宮の化学学校とその隷下に在る第101化学防護隊、ここに当時市ヶ谷に駐屯していました第32普通科連隊、そして練馬の第1師団司令部化学防護小隊や第1施設大隊等から即応要員を集め、自衛隊史上初のサリン除染という任務に、文字通り手持ちの器材を掻き集め対応する事となりました。
無差別テロを実施したオウム心理教は当時、坂本弁護士一家殺人事件や松本サリン事件など、教団とトラブルを通じて拡大した事件に対して警察の捜査が進んでおり、強制捜査直前において捜査を攪乱する目的から、世界最大規模の大都市東京、その中心部において神経剤を用いた虐殺行為を狙う無差別テロをおこなうという、身勝手極まりない凶行でした。
サリンという神経剤を生成したオウム真理教は、武装していた。山梨県内の施設においてソ連製Mi-8中型ヘリコプターを所有していたほか、国産の農薬散布用無人ヘリコプターを所持しており、こうした航空機からのサリン散布能力あるほか、神経剤VX精製や炭疽菌の培養、ロシア製AK-74突撃銃の模造や対戦車火器密造を進めており極めて重大な脅威です。
神経剤、化学兵器には短期間で強い殺傷力を発揮する攻撃型化学兵器と、糜爛剤のように長期間の地域汚染により土地を使用不能とする汚染型化学兵器があります。サリンなどの神経剤は人間の神経伝達物質を阻害する化学剤であり、眼球や呼吸器系、物質によっては皮膚からも浸透し、視神経や心筋等を瞬間的に冒し死に追いやる攻撃用化学兵器です。
地下鉄において散布されたサリン。日比谷線中目黒行では8名が死亡し2475名が負傷、日比谷線東武動物公園行では2名が死亡し532名が負傷、千代田線代々木上原行で2名が死亡し負傷者231名、丸ノ内線荻窪行では1名が死亡し358名が負傷、丸ノ内線池袋行では200名が負傷、そして列車と駅員、救急搬送等の際に付着した化学剤が被害を広げた。
自衛隊による除染が実施され、また衛生学校からの化学剤対処教範の緊急供与が行われ、この非常時においても教範に基づく治療法へ、パムやアトロピンといった治療薬が国内から集約する事が出来た、こうした僥倖もあったのですが、死傷者6300名という規模は、同年二ヶ月まえの阪神大震災とあわせ大きな社会不安を醸成しかねない事案ともいえました。
忘れてはならない。昨今驚かされるのは地下鉄サリン事件やオウム真理教を知らない世代が育っている、ということでしょうか。知識として知っていても経験として知らない、ということではなく、オウム事件、現在の日本における危機管理へも大きな教訓と影響を及ぼした事件が忘れられ始めている、という事でしょうか。実際、あの事件での教訓は多い。
危機管理。実のところ1995年という年は、1月17日の阪神大震災とともに我が国危機管理、という概念が再認識、現行憲政下では危機管理が試された事案は1950年朝鮮戦争や1976年のMiG25函館亡命事件など幾つかを挙げることは出来るのですが、平時枠組から有事への認識をどのように転換させるか、この認識は状況次第で多くの生命を左右する。
兵器を用いた無差別攻撃は、日本の戦後の認識から国家という国際法上の主体により展開されるものであり、こうした攻撃の脅威は交渉や平和努力により払拭し得る、こうした安全神話ではありませんが、一つの共有した認識があったのです。それが我が国の同胞が初めて経験した無差別テロ事件により、その認識の土台が瓦解してしまった、というものが。
兵器を用いた無差別攻撃、国際関係の枠外からも生じうるものであり、不幸にもこの懸念は六年後の9.11アメリカ本土同時多発テロにより、世界でも共有される認識となりました。そしてこの認識は更に進み、我が国との間で国交のない諸国からの攻撃、近年は核開発による無差別攻撃、核攻撃は元々無差別ですが、こうした脅威が顕在化し今日にいたります。
忘れてはならない。こう考えるのは危険なカルト教団が存在し今もその系統の団体が残っている、という安易な警告に留まらず、時間が経つとともにあの時最悪の状況に身を切る覚悟で備えた、覚悟の背景は法整備の不備、即ち立法府の怠慢、そうした人々の努力と、良い成果が出ようとその逆であろうと責任を現場に押し付ける、この部分についても一つ。
法整備の重要性、実のところもう一つ問いかけられるべき命題は、明らかな国家への敵意が国民への無差別攻撃という形を以て具現化する、こうした脅威の下での非常事態法制の重要性を示した点なのかもしれません。法整備が行われていない状況では、危機に対応する場合に遵法による怠惰か、法の精神に則った超法規、選択を迫られる事となるでしょう。
超法規、こうした視点を示しますのは、地下鉄サリン事件とともに防衛庁は北富士演習場付近のカルト教団施設に建設されている化学プラントが目撃され、また長野県警や警視庁から化学学校に寄せられる問い合わせ等から、なんらかの非正規戦準備が我が国において進められている、何らかの準備が要る、こうした認識があった、といわれているのですね。
最悪の事態となった場合には、より厳しい対応を求められた可能性があった。山梨県の教団施設強制捜査においてサリンが用いられた場合、可能性としてですが戦後初の治安出動命令が発令された可能性もありました。特に事件から25年となりました。改めて考えるのは、そろそろ、行われていた、という自衛隊が進めた準備に関する話が出てくる頃か、と。
自衛隊の準備、これは公式文書には残りませんし、一種都市伝説的なものであり、単なる訓練の一環であったと説明され、偶然である、と答え以上のものは無いのですが、第1空挺団や第1師団の準備、都市伝説的に第1空挺団が待機体制に入り更に防護衣を着用しての訓練比率が平時よりも特に高まっていた、とはいわれていますが、定かではありません。
不測の事態では、例えば北富士駐屯地に当時第5大隊だけが駐屯していました特科連隊のうち、駒門駐屯地を拠点としていた第1特科連隊が訓練名目で強化されるとともに北富士演習場での富士教導団普通科教導連隊の装甲車が訓練名目で富士駐屯地から転地した、練馬の第1通信大隊がカルト教団の無人ヘリコプター攻撃に備え展開した、等が囁かれる。
非常事態法制。この視点から現在の日本を考えた場合、現在広がるコロナウィルスCOVID-19拡大にともなう特別措置法改正が行われましたが、実のところ強制措置、憲法上の人権を維持できないような非常事態が突発的に発生した場合、可能である行動を限定列挙する期間限定の特別措置法ではなく、恒久法として、危機の再来に備えるべきと思う。
超法規的措置。実のところオウム事件の危機管理以外にも、戦後日本の危機管理は場合によっては超法規的措置を織り込むか、つまり現場の判断と覚悟の多寡に左右される要素がありました。この点、地下鉄サリン事件から25年という節目とともに、改めて、あの時に日本国内で何が起こりえたかを踏まえて、検証してゆく必要があるようにも、思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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あと、第一次世界大戦で使われた『毒ガス』は、塩素ガスやホスゲンやイペリットみたいなもので、神経剤はまだ無かったはずです。
>ホスゲンやイペリットみたいなもので、神経剤はまだ無かったはずです
嗚呼勘違い、大昔、義務教育の時代に塹壕で神経をガスでやられたイギリスの詩人とかの話を選択科目で学び、そしてのちのドイツの独裁者の人も目をやられた歴史から、よく調べず延々勘違いしていました、指摘感謝!
>が、今の政治情勢じゃとても制定なんて考えられません
ご指摘の通り、だからこそ主権者が政治を育てる必要が、と