■青空と洛北の歴史ある社
洛北の情景は素晴らしいのだけれどももう熱くなってきたのだなあ。熱いというよりもこれからは蒸すことでちょっと出歩くには勇気ある季節がやってくるのだけれどもね。
上賀茂神社、天気が良かったのでちょっと散歩ということで歩いたまま上賀茂神社まで巡ってきました、が、そこは京都、六月の梅雨の季節は雨滴に紫陽花、という写真が象徴するようにもう少しじめじめしていても気温だけは低かった気がしたが、気のせい。
賀茂別雷神社という名が正式という上賀茂神社は京都市北区上賀茂本山の、北大路堀川から散歩で巡っていてもそう時間はかからない立地で、もっともごはん時となりますと堀川通には幾つか心惹かれるお店がありまして、寄り道をすると時間はかかりますが。
参道は白い砂が敷き詰められていて、いや雪の日には白い砂といっても雪ほどではない、なんていうものだけれども、初夏の日差しとともに青空と緑の木々とともにこの参道を眺めますと、歴意志ある神社、という風格を大事にする風潮が見てとれるようです。
天武天皇6年こと西暦677年に創建された神社は、平安遷都遥か昔まで遡るという神域なのですが、そのはじまりは神話の時代、神武天皇が当地まで行幸の際、心配した父の彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊が当地に様子見に降臨したため、という伝承により創建された。
葵祭。そうこの散策は先月に久々の葵祭を撮影できたものの、時間の都合というか交通規制の都合というか体力の都合というか、徒歩で重い撮影機材と脚立を担いではこの上賀茂神社までいくことが出来なかったため、という心残りの整理がその背景にあります。
茅の輪潜りがとりおこなわれる季節、そうもう2023年も半年を過ぎたところでして、和菓子屋には水無月が並べられる季節、しかし熱くなったり寒くなったり空梅雨の先にいきなり台風が来たり、ちょっとイミワカンナイといいたくなる気候の中の茅の輪潜り。
無病息災を願う茅の輪潜り、そのご利益のほどはと考えるところですが無病息災といえばどうしても考えるのは季節外れのインフルエンザ流行で、COVID-19の陰に潜んでいた伝統的な流感、しかも夏には予防接種をやるところがほとんどないという状況だ。
神頼みというわけではないのですが、コロナウィルスの次はインフルエンザで、その危険性は確かに新型ではなく、季節性インフルエンザではあるのですが、怖いとも思う。こうしたなか、まあ、心落ち着けて社殿の歴史を思い浮かべ、そして歩みを進めるのですが。
山城国風土記によれば、玉依日売が懐妊し賀茂別雷命を生んだことを神社の始まりと記すところがありまして、神話の世界には整合性を超えた何かがあると深く詮索はしません、が、賀茂別雷命を祀る社殿は京都有数の歴史を紡いだ社殿であることもまたたしかです。
競馬会神事の反省会が行われたこの日。競馬会神事で反省会というのは、ウマ娘のコスプレ出来不出来の検証や、なぜスッてしまったかを次に備えて馬に詳しい新聞などで勉強する事では決してなく、五月五日に執り行われる上賀茂神社の行事に由来するところ。
賀茂の競べ馬を見侍りしに車の前に雑人立ち隔てて見ええざり、こう徒然草にも記されているところで、賛同の横を勇壮に騎馬が駆け抜ける様子は、脚立を用意して一度しっかり、と思うのですが例年その季節は騎馬よりも戦車の撮影で忙しく、とこれも毎年思う。
祭事はそう、上賀茂神社といえば葵祭は有名なのですが、実のところその葵祭も数多ある祭事、京都の祭事ではなく上賀茂神社の、祭事の一つというもので、これもCOVID-19からの日常が回帰してこその日常、といえるのでしょうか、次は九月に烏相撲が行われる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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洛北の情景は素晴らしいのだけれどももう熱くなってきたのだなあ。熱いというよりもこれからは蒸すことでちょっと出歩くには勇気ある季節がやってくるのだけれどもね。
上賀茂神社、天気が良かったのでちょっと散歩ということで歩いたまま上賀茂神社まで巡ってきました、が、そこは京都、六月の梅雨の季節は雨滴に紫陽花、という写真が象徴するようにもう少しじめじめしていても気温だけは低かった気がしたが、気のせい。
賀茂別雷神社という名が正式という上賀茂神社は京都市北区上賀茂本山の、北大路堀川から散歩で巡っていてもそう時間はかからない立地で、もっともごはん時となりますと堀川通には幾つか心惹かれるお店がありまして、寄り道をすると時間はかかりますが。
参道は白い砂が敷き詰められていて、いや雪の日には白い砂といっても雪ほどではない、なんていうものだけれども、初夏の日差しとともに青空と緑の木々とともにこの参道を眺めますと、歴意志ある神社、という風格を大事にする風潮が見てとれるようです。
天武天皇6年こと西暦677年に創建された神社は、平安遷都遥か昔まで遡るという神域なのですが、そのはじまりは神話の時代、神武天皇が当地まで行幸の際、心配した父の彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊が当地に様子見に降臨したため、という伝承により創建された。
葵祭。そうこの散策は先月に久々の葵祭を撮影できたものの、時間の都合というか交通規制の都合というか体力の都合というか、徒歩で重い撮影機材と脚立を担いではこの上賀茂神社までいくことが出来なかったため、という心残りの整理がその背景にあります。
茅の輪潜りがとりおこなわれる季節、そうもう2023年も半年を過ぎたところでして、和菓子屋には水無月が並べられる季節、しかし熱くなったり寒くなったり空梅雨の先にいきなり台風が来たり、ちょっとイミワカンナイといいたくなる気候の中の茅の輪潜り。
無病息災を願う茅の輪潜り、そのご利益のほどはと考えるところですが無病息災といえばどうしても考えるのは季節外れのインフルエンザ流行で、COVID-19の陰に潜んでいた伝統的な流感、しかも夏には予防接種をやるところがほとんどないという状況だ。
神頼みというわけではないのですが、コロナウィルスの次はインフルエンザで、その危険性は確かに新型ではなく、季節性インフルエンザではあるのですが、怖いとも思う。こうしたなか、まあ、心落ち着けて社殿の歴史を思い浮かべ、そして歩みを進めるのですが。
山城国風土記によれば、玉依日売が懐妊し賀茂別雷命を生んだことを神社の始まりと記すところがありまして、神話の世界には整合性を超えた何かがあると深く詮索はしません、が、賀茂別雷命を祀る社殿は京都有数の歴史を紡いだ社殿であることもまたたしかです。
競馬会神事の反省会が行われたこの日。競馬会神事で反省会というのは、ウマ娘のコスプレ出来不出来の検証や、なぜスッてしまったかを次に備えて馬に詳しい新聞などで勉強する事では決してなく、五月五日に執り行われる上賀茂神社の行事に由来するところ。
賀茂の競べ馬を見侍りしに車の前に雑人立ち隔てて見ええざり、こう徒然草にも記されているところで、賛同の横を勇壮に騎馬が駆け抜ける様子は、脚立を用意して一度しっかり、と思うのですが例年その季節は騎馬よりも戦車の撮影で忙しく、とこれも毎年思う。
祭事はそう、上賀茂神社といえば葵祭は有名なのですが、実のところその葵祭も数多ある祭事、京都の祭事ではなく上賀茂神社の、祭事の一つというもので、これもCOVID-19からの日常が回帰してこその日常、といえるのでしょうか、次は九月に烏相撲が行われる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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