榛名さんの総監部グルメ日誌
いせやさん行ってきたというと呉の名店だしねえ、と返答が来そうですが今回は伊勢に熊野に初風というまあ戦艦や重巡や駆逐艦みたいな名前が並ぶ話題をひとつ。
熊野、という護衛艦に所縁ありそうな岐阜県大垣市の国道二一号線の一角がありまして、此処をまっすぐ進みますとほどなくして岐阜市と各務原市という岐阜基地に至る国道なのですが、平和堂が目印の一角に御首神社という神社があります、平将門所縁という。
伊勢屋、神社はお参りすることにしました際にこの界隈、平和堂の隣に割烹が暖簾を出していましたので、こういうのがご縁だろう、という気分に。岐阜というか美濃で伊勢屋、そもそも熊野町、と思っていますと直ぐ近くに熊野神社、全国数多ある熊野の一つ。
天麩羅御膳に寿司御膳と刺身御膳、そう割烹は宴会などを想定しているのでしょうね大広間もあれば気軽なカウンターに小上がりもありましたから、少し考えましたが空調の関係で快適な小上がりにひとつ陣取りまして、セットにありました一つ、初風御膳を。
初風御膳、提督さんにとって私は何人目の私かしら?、という駆逐艦初風さんの声が響いてきそうな、いやそれよりも、“やだ、く、首つながってる? 一度、妙高姉さんに落とされてから・・・どうも艦首弱くて・・・・。ああー・・・怖い・・・。”、と。
一人鍋に台の物とはじまりまして、刺身に天麩羅と小鉢、ここにご飯と汁物がついてきましてその上で小さなデザート、という。要するに、こういう沿海なんかでちょっと気の利かせたご馳走を揃えましたよ、大垣の熊野にありますお店の、そんな感じですわ。
初風、しかしなぜ初風なのかなあ、とおもいながら、初風といいますと大戦中の駆逐艦初風がブーゲンビル島沖海戦にて、戦闘中に重巡妙高と衝突し艦首切断に至ったことで、文化紹介ゲーム“艦隊これくしょん”では初風は首を気にする描写がありまして。
ブーゲンビル沖海戦は一九四三年十一月にありました日米の巡洋艦及び駆逐艦同士の戦闘でしたが、この戦いは日本海軍がお家芸としてきました水雷戦隊による夜戦が、初めてアメリカ海軍のレーダー射撃に完敗した象徴的な戦闘として記録されている。
御首神社が近いから初風御膳、というわけではないのだろうけれどもねえ。しかし伊勢屋さん、屋号は戦艦伊勢を思わせるのですが、軽巡エビフライとかは存在しませんので品書きの何処を眺めても初風以外艦艇の名はなく、そうだ伊勢御膳というのもない。
一人鍋は、麹に魚を出汁として使っているのか、乳成分のような、豆乳を使っているのか、滋味あふれていてもう少し食べたいほどに美味しかった。鍋が固形燃料でひと煮立ちする合間に、先ずは天麩羅、そして刺身を交互に。時間柄お酒を呑めないのだけが。
二〇一五年頃には自動運転技術の向上がAI人工知能とともに進み、あと十年ほどで自動運転車が実用化される、と本気で信じられていた、ちょうど大阪万博が二〇二五年となっていたし。すると一杯やっても自動運転で飲酒運転にならない時代も予感できた。
刺身の海老さんは味噌を感じるような頭を外す、首が取れても初風さんとかは気にせず頂く、この苦みの奥の甘みが甘えびの味わいの妙なのだよねえとおもいつつ、さて天麩羅は、これなんのお魚なのだろう、お刺身の白身が脂身載っていて旨い、とあじわう。
伊勢屋さん、何故伊勢なのかと考えるとここ大垣の熊野は関ケ原がほど近く、有名な関ケ原戦役での烏頭坂の戦い、沖縄戦で第三二軍が参考とした島津の退き口で、退路として使われた伊勢街道がここからそう離れていないという事を思い出します。
御首神社を参拝しつつ、しかし初風御膳の初風さんはどんな謂れで伊勢屋さんの御膳に並んだのだろう、平将門由来の神社に、少々雨は強かったのは並行しましたけれどもお参りしまして、今度また行く機会があれば聞いてみよう、と熊野をあとにしました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
いせやさん行ってきたというと呉の名店だしねえ、と返答が来そうですが今回は伊勢に熊野に初風というまあ戦艦や重巡や駆逐艦みたいな名前が並ぶ話題をひとつ。
熊野、という護衛艦に所縁ありそうな岐阜県大垣市の国道二一号線の一角がありまして、此処をまっすぐ進みますとほどなくして岐阜市と各務原市という岐阜基地に至る国道なのですが、平和堂が目印の一角に御首神社という神社があります、平将門所縁という。
伊勢屋、神社はお参りすることにしました際にこの界隈、平和堂の隣に割烹が暖簾を出していましたので、こういうのがご縁だろう、という気分に。岐阜というか美濃で伊勢屋、そもそも熊野町、と思っていますと直ぐ近くに熊野神社、全国数多ある熊野の一つ。
天麩羅御膳に寿司御膳と刺身御膳、そう割烹は宴会などを想定しているのでしょうね大広間もあれば気軽なカウンターに小上がりもありましたから、少し考えましたが空調の関係で快適な小上がりにひとつ陣取りまして、セットにありました一つ、初風御膳を。
初風御膳、提督さんにとって私は何人目の私かしら?、という駆逐艦初風さんの声が響いてきそうな、いやそれよりも、“やだ、く、首つながってる? 一度、妙高姉さんに落とされてから・・・どうも艦首弱くて・・・・。ああー・・・怖い・・・。”、と。
一人鍋に台の物とはじまりまして、刺身に天麩羅と小鉢、ここにご飯と汁物がついてきましてその上で小さなデザート、という。要するに、こういう沿海なんかでちょっと気の利かせたご馳走を揃えましたよ、大垣の熊野にありますお店の、そんな感じですわ。
初風、しかしなぜ初風なのかなあ、とおもいながら、初風といいますと大戦中の駆逐艦初風がブーゲンビル島沖海戦にて、戦闘中に重巡妙高と衝突し艦首切断に至ったことで、文化紹介ゲーム“艦隊これくしょん”では初風は首を気にする描写がありまして。
ブーゲンビル沖海戦は一九四三年十一月にありました日米の巡洋艦及び駆逐艦同士の戦闘でしたが、この戦いは日本海軍がお家芸としてきました水雷戦隊による夜戦が、初めてアメリカ海軍のレーダー射撃に完敗した象徴的な戦闘として記録されている。
御首神社が近いから初風御膳、というわけではないのだろうけれどもねえ。しかし伊勢屋さん、屋号は戦艦伊勢を思わせるのですが、軽巡エビフライとかは存在しませんので品書きの何処を眺めても初風以外艦艇の名はなく、そうだ伊勢御膳というのもない。
一人鍋は、麹に魚を出汁として使っているのか、乳成分のような、豆乳を使っているのか、滋味あふれていてもう少し食べたいほどに美味しかった。鍋が固形燃料でひと煮立ちする合間に、先ずは天麩羅、そして刺身を交互に。時間柄お酒を呑めないのだけが。
二〇一五年頃には自動運転技術の向上がAI人工知能とともに進み、あと十年ほどで自動運転車が実用化される、と本気で信じられていた、ちょうど大阪万博が二〇二五年となっていたし。すると一杯やっても自動運転で飲酒運転にならない時代も予感できた。
刺身の海老さんは味噌を感じるような頭を外す、首が取れても初風さんとかは気にせず頂く、この苦みの奥の甘みが甘えびの味わいの妙なのだよねえとおもいつつ、さて天麩羅は、これなんのお魚なのだろう、お刺身の白身が脂身載っていて旨い、とあじわう。
伊勢屋さん、何故伊勢なのかと考えるとここ大垣の熊野は関ケ原がほど近く、有名な関ケ原戦役での烏頭坂の戦い、沖縄戦で第三二軍が参考とした島津の退き口で、退路として使われた伊勢街道がここからそう離れていないという事を思い出します。
御首神社を参拝しつつ、しかし初風御膳の初風さんはどんな謂れで伊勢屋さんの御膳に並んだのだろう、平将門由来の神社に、少々雨は強かったのは並行しましたけれどもお参りしまして、今度また行く機会があれば聞いてみよう、と熊野をあとにしました。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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