■椛と見上げる清水の舞台
江戸時代の構造物がこうして今も多くの拝観者を支えているのは数字だけでも凄いと思いますが改めて見上げると改めて凄い。
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清水寺を拝観していますと、舞台の一つ手前のところで修学旅行生さんたちが、ここの舞台から飛び降りた際の生存率について話し合っていました、実際この話題は例えば漫画などでも”ネギま”が20年ほど前に紹介していまして、意外な生存率の高さは有名という。
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音羽の滝、将棋倒しを警戒してという事なのかもしれませんが清水の舞台から音羽の滝への階段はこの日閉鎖され、安全な経路を一周するという一方通行、しかしそれゆえに会談と音羽の滝が、なにか静かな京の様な風情を醸し出している、そして清水の舞台の高さも。
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清水の舞台から飛び降りる、つもりで。友人知人で実際にこの高さを飛び下りた人は幸い一人もいませんが、清水の舞台から飛び降りるつもりで、という表現を使う人は案外多い印象があります。そしてこれ、元々は自殺的な意味を含むものではないともいうのですね。
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検非違使が賊徒と乱闘の際に賊徒の群れに包囲され舞台ほ端にじりじりと追い詰められたために意を決して飛び降り、そして応援を待って賊徒の掠奪から寺院を守った、それがそのはじまりでした、とは伝えられるのですがこれもいわば生きる為の道を見い出した訳で。
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舞台の欄干にて、お前は最後にするといったな、あれは嘘だ。うわああああ、と盗人宿と頭目の情報を吐いて用済みの賊徒を検非違使が落とすいうコマンドーのような展開は検非違使と賊徒の間には無かったと思うのですが、此処で飛び降りるには相応の意味があった。
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願掛け。飛び降りるという行為は江戸時代に在って一種の願掛けであったという、これは本堂の観音様に命を預けて舞台から飛び降り、高い段からの落下でも生還する事で願いが成就する、少々命がけと云いますか無謀といますかそうした願掛けであったというのです。
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生還率は85.4%といいましてこの願掛け、要するに20名飛び降りれば3名程度は残念な結果に終わる事となりますが、元禄7年こと西暦1694年から元治元年の西暦1864年の間に235回の方が、このちょっと物騒な願掛けに挑戦した、という。御利益は不明なのですが。
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元禄時代以前の概況はどの程度であったのかとか、検非違使の時代に飛び降りたという事は徳川家光の再建前である平安朝の時代にもやはり清水の舞台は有ったのかとか、いろいろと考えてしまう事ですが、生還率であって重傷でも四肢欠損でも生還と規定されます。
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願掛けは家族の病気や障害の治癒や仕官任官出世その他、本人の病気平癒も含まれたと記録されるのですが、一方この願掛けは懸造の堂宇から文字通り命がけで飛び降りる事に代わりは無く、また駄目だった場合の確立も20名中3名という、低いとも言えないという。
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明治維新後の明治5年、つまり1872年京都府庁は舞台飛び降りを禁止する布告を発布します。これは廃仏毀釈との関係なのですが、舞台飛び降りを封建的な悪習と解釈しまして、これを禁止するとともに清水寺へ舞台欄干周囲に安全柵を設置するよう行政指導しました。
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廃仏毀釈、という日本史における有数の文化破壊という新時代を求めるにもその方向性に悩む時代の日本の施策とはいえ、しかし人命を考えての施策ともいえまして、もう少しこの施策は明示日本から昭和初期の日本における人命尊重の流れを圧していれば、とも思う。
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三重塔を見上げる位置、春の頃合いには此処は桜の花々が春を示すところですけれども、桜は紅葉の季節に一足早く紅葉と冬支度を終えてしまいます、しかし椛の紅葉はこれから師走の頃合いまで、秋から冬への季節に彩りを添え、そして歴史を一頁積み上げるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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江戸時代の構造物がこうして今も多くの拝観者を支えているのは数字だけでも凄いと思いますが改めて見上げると改めて凄い。
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清水寺を拝観していますと、舞台の一つ手前のところで修学旅行生さんたちが、ここの舞台から飛び降りた際の生存率について話し合っていました、実際この話題は例えば漫画などでも”ネギま”が20年ほど前に紹介していまして、意外な生存率の高さは有名という。
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検非違使が賊徒と乱闘の際に賊徒の群れに包囲され舞台ほ端にじりじりと追い詰められたために意を決して飛び降り、そして応援を待って賊徒の掠奪から寺院を守った、それがそのはじまりでした、とは伝えられるのですがこれもいわば生きる為の道を見い出した訳で。
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舞台の欄干にて、お前は最後にするといったな、あれは嘘だ。うわああああ、と盗人宿と頭目の情報を吐いて用済みの賊徒を検非違使が落とすいうコマンドーのような展開は検非違使と賊徒の間には無かったと思うのですが、此処で飛び降りるには相応の意味があった。
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願掛け。飛び降りるという行為は江戸時代に在って一種の願掛けであったという、これは本堂の観音様に命を預けて舞台から飛び降り、高い段からの落下でも生還する事で願いが成就する、少々命がけと云いますか無謀といますかそうした願掛けであったというのです。
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生還率は85.4%といいましてこの願掛け、要するに20名飛び降りれば3名程度は残念な結果に終わる事となりますが、元禄7年こと西暦1694年から元治元年の西暦1864年の間に235回の方が、このちょっと物騒な願掛けに挑戦した、という。御利益は不明なのですが。
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元禄時代以前の概況はどの程度であったのかとか、検非違使の時代に飛び降りたという事は徳川家光の再建前である平安朝の時代にもやはり清水の舞台は有ったのかとか、いろいろと考えてしまう事ですが、生還率であって重傷でも四肢欠損でも生還と規定されます。
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願掛けは家族の病気や障害の治癒や仕官任官出世その他、本人の病気平癒も含まれたと記録されるのですが、一方この願掛けは懸造の堂宇から文字通り命がけで飛び降りる事に代わりは無く、また駄目だった場合の確立も20名中3名という、低いとも言えないという。
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明治維新後の明治5年、つまり1872年京都府庁は舞台飛び降りを禁止する布告を発布します。これは廃仏毀釈との関係なのですが、舞台飛び降りを封建的な悪習と解釈しまして、これを禁止するとともに清水寺へ舞台欄干周囲に安全柵を設置するよう行政指導しました。
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廃仏毀釈、という日本史における有数の文化破壊という新時代を求めるにもその方向性に悩む時代の日本の施策とはいえ、しかし人命を考えての施策ともいえまして、もう少しこの施策は明示日本から昭和初期の日本における人命尊重の流れを圧していれば、とも思う。
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三重塔を見上げる位置、春の頃合いには此処は桜の花々が春を示すところですけれども、桜は紅葉の季節に一足早く紅葉と冬支度を終えてしまいます、しかし椛の紅葉はこれから師走の頃合いまで、秋から冬への季節に彩りを添え、そして歴史を一頁積み上げるのです。
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