goo blog サービス終了のお知らせ 

北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

速報 陸上自衛隊富士学校創立54周年記念 富士駐屯地祭2008年7月20日

2008-07-21 18:07:01 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■富士学校祭2008

 日曜日、静岡県御殿場市の富士駐屯地において行われた富士学校創立54周年記念行事へ撮影に展開した。本日は、その速報ということで掲載したい。

Img_9440  富士学校は、陸上自衛隊の普通科、機甲科、特科職種の専門教育や戦術研究、新装備の評価試験を行う教育機関である。その編成は総務部、普通科部、機甲科部、特科部、富士教導団、部隊訓練評価隊から成る。その中でも実任務を想定した部隊運用の指揮訓練を支援する富士教導団は陸上自衛隊有数の機甲部隊であり、機械化普通科連隊であり、多様な火砲を運用する特科部隊という性格を有している。

Img_9452  記念式典ののち、観閲行進準備の号令とともに一斉に車両に駆け寄る富士教導団の隊員。戦車教導隊は戦車連隊に匹敵する五個中隊編成。装備も90式戦車や74式戦車などとともに、極少数の試作に終わった74式戦車改が装備されている(写真中央の戦車が74式戦車改)。

Img_9531  写真の89式装甲戦闘車は第1中隊の車両で、熱戦暗視装置や対戦車ミサイル、35㍉機関砲を搭載し強力なエンジンとともに高い機動性を有する優秀な装備であるが高性能とともに高価格であり、装備はこの普通科教導連隊の他には東千歳の第11普通科連隊に装備されているだけである。このほか、96式装輪装甲車や軽装甲機動車など中隊ごとに異なる装甲車を装備している。重迫撃砲中隊や、96式多目的誘導弾を装備に数える対戦車中隊など、火力や機動力では日本最強の普通科連隊と言っていいかもしれない。

Img_9677  特科教導隊には、最新装備99式自走榴弾砲を筆頭にFH-70榴弾砲や203㍉自走榴弾砲、MLRS、88式地対艦誘導弾など多彩な装備を有している。良好な位置から観閲行進を撮影できたのは幸いであった。なお、隷下の第303観測隊には、非常に気になる装備らしき姿が観閲行進に参加しており、確認が取れ次第追ってお知らせしたい。

Img_9707  富士教導団は4100名の人員により構成されており、防衛出動の際には戦略予備部隊として投入される、とされている。必要に応じて高射学校高射教導隊や施設学校の施設教導隊、航空学校のヘリコプターとともに重要方面に投入されるのだろう。いっそのこと、教導集団として統合してみては、と思ったりもする。

Img_9928  戦車部隊の観閲行進、その殿を務めたのは第5中隊の90式戦車。砂塵を巻き上げつつ一糸乱れず高速で走り抜ける観閲行進は、まさに教導団、と唸らされるものがある、そしてこれだけの規模になると、足元の地面が小刻みに揺れる。いうまでもない、50トンの戦車が1500馬力のエンジンで進むとともに大地を揺るがしているのだ。この戦車教導隊には、遠からず第1中隊に新戦車が装備されるといわれる。

Img_0087  富士教導団に防衛出動命令が下った場合は如何に!?、そういった疑問に答えるのが訓練展示模擬戦である。各種火砲が速やかに陣地を構築し射撃準備に入る。写真は99式自走榴弾砲、自動装填により高い精度52口径という長い砲身(155㍉×52)が長射程を実現した。同時に偵察警戒車や偵察オートバイが敵情を探る。

Img_0113  火砲が林立しているというのはこういう状況を示すのだろう。こういった状況を実弾で再現したのが富士総合火力演習であるが、入場には応募で入手する入場券が必要である。空包射撃ではあるが、この富士駐屯地祭も大規模な機械化部隊による訓練展示をみることが出来、陸上自衛隊の現在を知ることが出来る行事といえる。

Img_0121  今回富士駐屯地祭にて撮影した写真は実に1500枚以上。速報では、その状況を手短に掲載した。観閲行進の機械化部隊による迫力、圧倒する機甲部隊、多種多様な特科部隊による訓練展示、自衛隊の歴史を伝える展示装備品などなど、詳しい富士学校祭の様子は詳報にてお伝えしたい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自衛隊アフガニスタン派遣見送り 輸送ヘリ・輸送機派遣を検討するも

2008-07-20 00:39:46 | 国際・政治

■実現は困難、連立与党からも難色

 多忙(遠征)につき時事記事を手短に掲載。政府は18日、アフガニスタン本土への自衛隊復興人道支援任務派遣を当面見送るとの方針を固めた。背景には新法制定の必要があり、加えてアフガニスタン国内の治安情勢の悪化。

Img_0214  現在、日本は、海上自衛隊をインド洋、アラビア海に派遣し、補給艦により洋上補給活動を通じて、武装勢力が海路により他の地域に移動する事案を防止及び阻止する海上阻止行動を支援している。常時、一隻の補給艦を中核として護衛艦などを滞りなく派遣する為には、一定以上の能力を有する海軍でなければ不可能であり、海上自衛隊ならではの国際貢献といえる。現在、5隻の補給艦を中心にローテーションを組み、護衛艦などとともに補給部隊を派遣している。

Img_8310  アフガニスタン本土への復興支援拡大としては、過去にも要請があったように、陸上自衛隊が運用するCH-47輸送ヘリコプターによる輸送支援、航空自衛隊C-130H輸送機による地域間空輸支援などを想定していた。4000㍍級の山岳地帯が続くアフガニスタンにおいては薄い空気などによりヘリコプターの性能が限定されてしまい、地上からの対空砲火から回避するには一定以上の高度を飛行する必要があるのだが、出力に余裕がある大型ヘリコプターとなるとアフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)参加国軍にも多くはない為、陸上自衛隊のCH-47には、過去にも派遣の打診があったとされる。

Img_1803_1  航空自衛隊の輸送機支援であるが、小牧基地のC-130Hの派遣が検討されていた。イラク復興人道支援任務への派遣と重ね、航空自衛隊では対応できる性能を持ったC-130Hは一個飛行隊分しか無い為、国内での任務との併行を考えると、規模としては余裕があるのか、と心配になってしまう。ちなみにアフガニスタンではイギリス空軍が過酷な環境により不完全な整備により2機のC-130が亡失している。

Img_4313  アフガニスタン本土への派遣では、現地調査団の派遣など、実施に向けた情報収集や調整などを行ってきたが、新テロ対策特別措置法に加えて新法の制定が必要となるが、連立与党の中でも公明党が難色を示しており、更に自民党にも慎重論がある。なお、新テロ対策特別措置法は臨時国会において来年一月の期限切れ前に延長法案を可決させる方向である。

Img_9553  アフガニスタン本土での治安悪化は深刻で、首都カブールでも40名が死亡する自爆テロが起こっており、アフガニスタン東部でも武装勢力がISAF部隊に攻撃をかけ、9名の戦死者が出ている。これを背景に、米軍ではイラク駐留部隊の一部をアフガニスタンに派遣するなどの増強計画を進めているほどだ。ISAFのマキャナン司令官は、談話でアフガニスタン国内に武装勢力との戦闘が起きない地域があるとは保障出来ない、としており、ISAFの観点からは非戦闘地域という保障は出来ない旨を伝えているが、自衛隊派遣など貢献には歓迎するとしている。

Img_9573  仮にCH-47を派遣する場合は、米軍の戦訓などを紐解けば防弾板の加工や機体自衛装備などに加え、高高度を飛行するため酸素マスクなどの増設が必要となる。現在、陸上自衛隊中央即応集団第1ヘリコプター団には、重機関銃を搭載したCH-47が配備されており、派遣されるとすれば、この機体になるのだろうか。場所が場所だけに、アフガニスタンへの自衛隊派遣は、スーダンダルフール地方やイラクへの派遣と同等の心構えが必要になると考える次第だ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカ海軍原子力航空母艦ロナルド・レーガン 7月28日に佐世保寄港

2008-07-19 14:57:22 | 在日米軍

■USS Ronald Reagan(CVN-76)

 やや古い情報で恐縮だが、長崎新聞の2日付記事によれば、アメリカ海軍の原子力航空母艦『ロナルドレーガン』が28日に長崎県の佐世保基地に寄港する予定とのことだ。

Img_1222  写真のキティーホークが除籍の為に日本を離れて久しいが、後継となる横須賀前方配置の原子力空母ジョージ・ワシントンは火災事故のため、8月の横須賀入港は遅れることになるのでは、とされている。他方で、佐世保基地には2008年ではニミッツに続き二隻目の空母入港となる。佐世保基地への原子力空母寄港は過去の事例を併せても10回とのことで、近年、米海軍の基地機能再編に伴う前方展開体制の流動化が反映した事例というべきだろうか。

Img_0951_1  ロナルドレーガンは、満載排水量100000㌧を超える大型空母で、佐世保寄港は、港湾中心に五日間の停泊を予定しているとのこと。ただし、入港の予定などは流動的であるとしている。なお、現在のところ、一般公開についての情報は無く、恐らく過去の事例から行われない公算が高い。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭 山鉾巡行 長刀鉾を先頭に都大路をゆく 四条通編

2008-07-18 19:00:00 | 写真

■山鉾巡行 四条通

 京都祇園祭、17日には最も優美なことで知られる山鉾巡行が行われた。その写真のなかから、四条通編、御池通編に分けて山鉾巡行の様子を紹介する。本日は四条通編である。

Img_5089  山鉾巡行は、32基の山鉾が籤により進む巡行の順番を決めるのだが、常に長刀鉾が写真のように先頭をゆく事となっている。これは山鉾巡行に先立ち、稚児が疾病を模した注連縄を刀により断ち切ることで山鉾巡行が始まるからであり、疫病という人々の営みに常に脅威を及ぼす存在を、長刀が断ち切って進むという願いに起因している。写真は、その長刀鉾が阪急河原町駅の真上、四条河原町をいま廻ろうとしているところである。

Img_5076  山鉾巡行は0900時から四条通(四条堀川~四条河原町)、河原町通(四条河原町~河原町御池)、御池通(河原町御池~堀川御池)とその周辺の小路を封鎖して行われる。山鉾は人の手により曳かれ、実に徒歩と同じくらいの速度にて前にすすむ。山鉾の中では、祇園囃子が奏でられており、動く美術館と称される山鉾は動く音楽館とも表現するべきという印象だ。

Img_8790  四条通は、オフィス街であり繁華街であり電気街である。それは、四条通の地下を阪急京都本線が走っていることが何よりも示している。大丸、高島屋など大きなデパートも並んでおり、修学旅行生で賑わう新京極、電気街である寺町も、この四条通に繋がっている。ちなみに、山鉾巡行は一ヶ月間の祇園祭において定められた日に行う神事であるので、雨天でも行われるが、四条通のこうした街並の関係上、アーケードがあるため、雨に濡れず観覧することが可能だ。

Img_5080  四条烏丸を行く。四条烏丸の地下には阪急烏丸駅があり、阪急烏丸駅から阪急河原町駅までの四条通は阪急地下道により結ばれている。山鉾巡行の際には四条通歩道はかなり混雑し、移動もままなら無いが地下道はある程度空いており、道路を渡るにも、この地下道をゆくと楽である。

Img_8810  山鉾巡行であるが、こういった行事に多くある後継者問題というのは、京都に限れば大きな問題ではない。交代を含めて鉾には数百人の曳き手が必要となるのだけれども、大学生、大学院生に曳き手の希望者は多く(同期でも曳き手経験者は多い)、なんと聞くところでは祇園祭の曳き手になるべく関西支社を希望し、有給休暇をとって参加するつわものも多いのだとか。

Img_8798  ちなみに、徒歩でゆくのと同じくらいで進む山鉾ならば、0900時から始まる山鉾巡行が、なぜ1430時までかかるのか、と思われる方もいるかもしれないが、山鉾が向きを換える転回にはかなりの時間を要するのだ。何分20㍍以上、10㌧以上のものであるから転回にはかなりの労力を必要とする。その様子は御池通編にて詳しく紹介したい。

Img_8829  阪急地下道を走って走って走った末に、素晴しい撮影ポイントを確保。四条通に山鉾が林立しているような情景は、この祭事がどのようなものであるかを端的に示すものである。この祇園祭、山鉾巡行にて全国のテレビ報道から祭事中継がほぼ終わるので、これを以て終わると誤解される方も多いようだが、七月いっぱい、行われている。

Img_8798_2  祇園祭に関しては、書店を探すまでも無く、保存会の方の話を聞くだけでかなりの情報量がある。いっそのこと、京都祭事、というカテゴリを、と考えたこともあるが、何分京都の歴史や祭事は奥が非常に深く、妥協して、Weblogには、ある種観光案内的な記事を順次ささやかながらも掲載している次第。

Img_8757  さてさて、山鉾巡行、全てを撮りたいのではあるが、悲しいかな山鉾巡行の日は所用が(なんの因果かほぼ確実に、しかも毎年ほぼ同じ時間に)入っていたので、四条通編、御池通編の中間にあるべき“河原町通編”は無い。しかし、冒頭の長刀鉾が四条河原町を転回するのは1000時前であり、当方、0955時の電車にて移動と時間を区切り、撮影に成功した。今回は、ここまで。御池通編は次週にも掲載を予定しておりますのでお楽しみに。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭 宵山(7月16日) 燈火に浮く山鉾伝統行事

2008-07-17 08:26:54 | 写真

■本日は山鉾巡行

 本日は、間もなく0900時から山鉾巡行が始まる。本日の京都は青空が広がっており、日本海側の舞鶴は予報では35度を越えるとの情報、そういったなか、昨夜の宵山速報記事を掲載したい。

Img_8673  1800時より始まった宵山であるが、まだ明るい時間帯には、燈火の写りは良くないので、少し暗くなってから9系統バスにて北大路から四条堀川に向かう。堀川通りは交通規制の対象となっていないが、それでも四条堀川から四条通が、四条烏丸、四条河原町に向かって交通規制が引かれているので、その基点である四条堀川周辺は、やはり交通がやや混雑していた。しかし、ダイヤの乱れは若干。

Img_4946  宵山会場は、なるほど例年の活気。京都というと古都という印象が強いが、それでも政令指定都市なのでオフィス街も多い。四条通界隈は、その代表格であり、電気街の寺町も近い。そのメインストリートを祭事で完全封鎖してしまうというのが、この祭事にかける街の情熱を伝えている。

Img_5032  船鉾。宵山は、地方都市の人口に匹敵する30~40万の観覧者がこの会場に溢れるということで、通りそのものも一方通行という交通規制が引かれている。決して広くは無い通りの両側に屋台の出店が出ていたりするので、それだけ混雑は凄くなる。もう少し幅の狭い屋台にするか、片側だけにするとか、と屋台の扱いについて考えてみたりする。

Img_5037  粽、これは誤解を恐れずに表現すれば護符として用いるようなものなのだが、これを買うと山鉾の中をみることができる。一種拝観料のような扱いなのだが、やはり混雑している。32の山鉾は広く分散していて、地図上で上手く一筆書きをシュミュレートしても、実際は通りの一方通行などで頓挫してしまったりする。やはり、数年に分けてみるものなのだろう。

Img_8644  四条通の活気。日暮れのなか、ほんのりと稜線の姿が見える。かなり混雑しているように見えるが、これはまだ大丈夫な方で、長刀鉾周辺は、この広い四条通も上下線、車道のように歩行者天国にも交通規制が引かれる。事故が起きないようにと、関係者や警察官も全力を挙げてロープを支え、規制を伝える掲示を掲げている。

Img_8707  京都祇園祭の宵山は、秋葉原での連続通り魔事件を受けて、通常よりも多くの警察官を動員して行われた。中隊長という腕章をかけた京都府警機動隊の精鋭も出動、これだけ多くの警察官が展開していたので、避けるべき事案の抑止以外にも、迷子のぼうやの捜索は迅速、すぐにご両親に会う事ができたという微笑ましい出来事もあったようだ。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭 いよいよ本日が宵山 まもなくはじまる!

2008-07-16 17:42:57 | 写真

■今日は宵山、明日は山鉾巡行

 京都祇園祭、間もなく1800時から宵山である。やや天候は曇りながら、なんとか雨にならずに宵山を迎えることが出来た。

Img_4932  神宮皇后がかつて朝鮮半島に攻め込んだ時の船を模った“船鉾”。32もの山鉾の中で一風個性的な印象を与える鉾、舵も取り付けられており、装飾品で包まれている。ある種ユーモラスといえるこの形状には、多くある山鉾の中でこの船鉾が一番親近感を感じる。明日の山鉾巡行に備えて、ほぼ全ての山鉾が建てられており、その周囲は観覧者で溢れている。

Img_4915  さて、これら写真は、本日お昼に撮影したものである。山鉾には提灯が取り付けられており、今日の宵山では提灯に灯が燈される。京都市のメインストリートと称されるこの広い四条通も、もう間もなく交通規制が引かれ、宵山の時間帯には車道が観覧者に開放される。

Img_4920  町内にある山鉾保存会により大切に保存してきた山鉾は、広く点々と並んでおり、動く博物館と称される山鉾が32基、これは最早、古都京都の近代的な中心部がそのまま博物館に還ったという印象だ。全ては、とても宵山の一日ではまわることができない。保存会の建物は、市内の企業などが供しており、こんなところに、と常に驚かされる、祇園祭は伝統を重ねつつ、重ねて新鮮な行事だ。

Img_4868  長刀鉾の情景。四条烏丸に位置する長刀鉾は、先日、保存会の人たちによる、その鉾建の様子を記事としてお伝えしたが、小職を施すとこのように優美な姿を道行く人々にみせる。また、手前の京都市バスと比べても分かるように、その大きさは写真でも伝えることは難しいほどだ。

Img_4878  宵山が間もなく始まるということで、日本各地から報道陣が京都に入っている。なるほど、街角に重いテレビカメラをトライポットに据えている姿が散見でき、山鉾を一つ一つ巡る道程、路地裏を散策していると、中継車が駐車していたりする。ちょうどニュースの時間とも重なるので、祇園祭に沸く京都の情景を夕方のニュースにて全国に配信するのだろう。

Img_4879  宵山に伴い、京都市内は市営バスを含め大規模な交通規制が間もなく引かれる。交通規制は2300時頃まで行われる予定だ。公共交通機関でも市バスは交通規制の対象となり、更にそうとう混雑するので、205系統や9系統など、会場を若干離れた場所に運行される系統を利用するのが理想的だ。

Img_4893  京都市近傍の大阪府から鉄道利用の場合、宵山会場に最も近いのは阪急烏丸駅、真上の地上に長刀鉾がある。烏丸駅へは、10分間隔で運行されている特急、通勤特急が停車する。京阪電鉄利用の場合は、京阪四条駅から四条通に沿って歩いてゆく。JR利用の場合は地下鉄利用を推奨したい。地下鉄利用の場合は四条駅で降車、すぐ上の地上が会場だ。嵯峨野山陰線二条駅から地下鉄東西線利用という方法もある。

Img_4911  自動車での観覧はあまりお薦めできない。市内の会場に近い市営、私営駐車場は交通規制の区間内に入っていることがある。パーク&ライドで電車かバスの利用が理想的だ。宵山はかなり混雑することは既報の通りである。歩道も一方通行が引かれ、通りごとに上下線の規制がかかっていることも特筆しておきたい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

0系新幹線 原色塗装復元のもと山陽新幹線にてラストスパート運行中

2008-07-15 12:32:08 | コラム

■0系新幹線 開通時塗装再現

 3000両を超える空前の生産数を誇り、新幹線の代名詞として高速鉄道網の名声を全世界に轟かせた0系新幹線も、さすがに老朽化は否めず今年11月にも運用を終了し、栄光の鉄路から歴史の一幕へとポイントを曲がることとなる。

Img_8020  1964年の東海道新幹線開通以来、新幹線といえばこの車両を示していた0系は、いよいよ近付く最後の瞬間に向けて、やはり思うものがあるようで、西日本旅客鉄道の英断として、0系新幹線を山陽新幹線塗装から新幹線開通当時の原型塗装が復元されることとなった。4月18日から営業運転を開始し、その懐かしい車両を写真として残すべく、新大阪駅へ展開した。本日は0系新幹線の新大阪における写真を軸に記事を掲載したい。

Img_7961  朝の冷涼な空気の中、一日の始動に向け活気を帯びはじめる新大阪駅のホームに福山駅始発の“こだま620号”新大阪行きが到着する。到着した20番線は、主として山陽新幹線新大阪駅始発の新幹線特急電車が発着するホームであるが、隣のホームからは期せずして懐かしい車両が飛び込んだ瞬間、0系こだま号は、のぞみ号を待つ乗客からも視線を集めていた。

Img_7970  0系新幹線は、近年の微衝撃波対策と空気抵抗の低減を緻密に盛り込んだ動物然とした最新車両と比べると、設計思想の相違を痛感させられる。最高営業運転速度は220km/hと、500系やN700系の300km/hと比べれば見劣りすることは否めないが、しかしながら今をもって在来線の如何なる特急車よりも高速であり、世界的に見ても高性能特急車の一員であることに変わりはない。

Img_7982  さて、現在、山陽新幹線用に6編成の0系が維持されている。全車、アコモゼーション向上のためにシートをグリーン車から転用し2×2並列座席となっており、16両編成から8両編成に短縮化されているが、その姿は紛れも無く、久しく写真でしか知ることができなかった0系新幹線の姿である。

Img_7984  2008年7月現在の山陽新幹線における0系新幹線運行状況であるが、新大阪方面に向かう上り運行で六本。内訳は『こだま620号』新大阪行(始発:福山駅0609→終点:新大阪駅0747)、『こだま638号』岡山行(始発:博多駅0919→終点:岡山駅1253)、『こだま762号』小倉行(始発:博多駅1804→終点:小倉駅1824)、『こだま674号』新大阪行(始発:博多駅1842→終点:新大阪2321)、『こだま724号』広島行(始発:博多駅1912→終点:広島駅2120)、『こだま682号』福山行(始発:広島駅2315→終点:福山駅2358)。

Img_7997  博多から新大阪方面に向かう下りの0系新幹線は四本で、『こだま』629号博多行(始発:新大阪駅0612→終点:博多駅1041)、『こだま』639号博多行(始発:新大阪駅0759→終点:博多駅1309)、『こだま』629号博多行(始発:岡山駅1451→終点博多1821)、『こだま』769号博多行(始発:小倉駅1836→終点:博多駅1856)という運行状況だ。

Img_8019  新大阪駅を博多に向けて発車する「こだま639号」、追越駅では通過待ちを行う為、0759時に出発しても終点の博多駅に到着するおは1309時となっている。他方で、座席は前述のようにグリーン車のものを設置しているので乗り心地は良い(ひかりレールスター等、山陽新幹線はアコモゼーションや運行の改革に精力的だ)。

Img_8023  新大阪駅にて0系新幹線を撮影するには、0612時発(こだま629号)、0747時着(こだま620号)、0759時発(こだま639号)、2321時着(こだま674号)となっている。今回掲載したのは0747時着、0759時発の列車で、全ての0系が新大阪に来るわけではないので、時間を良く調べていかないと残念な結果が待っている。山陽新幹線の中央辺りにある広島や岡山あたりが撮影には容易やもしれない。

Img_8024  余韻を新大阪駅のホームに残しつつ、発車してゆく。0系新幹線の山陽新幹線こだま運用は、順次500系新幹線(短縮編成)により代替されてゆく。300系新幹線が間もなく大規模に廃車を向かえ、500系も短縮化により一部車両が廃車となるなか、0系新幹線の寿命は驚かされるものであり、また、多くの0系新幹線が様々な施設にて保存車両という第二の人生を送っている点でも、特筆される車両といえよう。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山崎SUNTORY CURVE 東海道本線京都線の名撮影地に安全防護柵設置

2008-07-14 18:51:58 | コラム

■“サントリーカーブ”と“コモンズの悲劇”

 東海道本線屈指の名撮影地として、多くの鉄道雑誌などで紹介されている山崎、一般にはサントリー山崎蒸留所にちなんでサントリーカーブとして親しまれている。小生も今年3月に初めて展開し、寝台特急「なは・あかつき」の長大な編成を撮影した。

Haruna_img_8201  東海道本線でも多くの撮影地があるのだが、この山崎が注目される背景に、良好な勾配とともに美しい編成写真が撮影可能、というだけではなく歴史的な背景がある。京都~大阪間をゆく特急に加え、新幹線開通前の東京~大阪直通特急「こだま」から、九州ブルートレインなど多くの“時代の流れ”を見守ってきた撮影地という背景があるようとのこと。

Haruna_img_8214  ただし、年々、鉄道写真愛好家が増え、結果的に残念ながら、少数のマナーの悪い方がクローズアップされるに至っている。伝聞した範囲内ではあるが、廃止間近の列車や団体専用列車、臨時列車が運行される日などは多くのカメラが並べられ、よりよい撮影環境を求めて、ある種危険な状況も生じているとのことだ。

Haruna_img_8213  こうした背景があってか、今月11日に撮影へ足を運んだ際、高さ180㌢程度の安全フェンスが設置されている事に気付いた。180㌢というと、撮影が難しい高さである。安全フェンスは、サントリーカーブ全域に渡って設置されており、特に複々線の一番外周を走る上り線の特急、貨物列車、新快速の撮影は非常に難しい状況となっている。フェンスに足をかけたり、もたれたりせずとも角度的になんとか撮影できるポイントも若干あるが、面積としては先着極数名という印象だ。

Haruna_img_8218  普通列車や快速が運行される複々線内側の列車に関しては、カメラ構図の中でフェンスに掛からず撮影することができるが、脚立が無ければ外周部分を走る特急などの撮影は難しい。フェンスは従来設置されていたガードレールよりも線路側に配置されているので、もし、多くの人数が特定の列車撮影の為に同時にもたれ掛った場合、フェンスごと線路側に転倒するのでは?という印象も受けてしまう。

Haruna2_img_8188  二段式程度の脚立を装備していれば、多分、問題なく撮影できるのでは、と考えるのだが、何分脚立は嵩張り、特に山崎駅までの道程、鉄道移動をされる方に脚立持参というのはラッシュ時や混雑する時間帯には周囲に迷惑をかけることにもなるので考えることも必要になるだろう。なによりも、撮影場所が非常に限られてしまったことから、いわゆる場所取りの際の混乱が心配である。

Haruna2_img_8210 京都方面から大阪方面に向かう列車の撮影は比較的良好な環境である。理由は、サントリーカーブが線路に並行してゆるやかな上り道路上にあるため、大阪方向から来る列車は、上りとともに高くなるフェンスに鉄道車両が重なってしまう為で、逆に下り道を見下ろす格好になる京都方向からの列車はフェンスがあっても角度が広くとれ、撮影が容易なのだ。

Haruna2_img_4823  しかしながら安全フェンスの設置地域は広範囲に及んでいる。フェンス設置の理由は、一部の鉄道写真愛好家による常軌を逸した行為だけにあると断言することは出来ないものの(尼崎鉄道事故の二次被害の教訓からという話があるようだが、このフェンスでは、脱線車両を受け止められるとは考えにくい)、ガードレールにもたれ掛り上の部分に多くの錆が生じていることから分かるように、身を乗り出した写真撮影者が列車運行に大きな支障を及ぼす危険性を防止する役割に重点を置いたことは想像に難くない。

Img_8172  撮影地での、これ以上列車運行への支障という危惧を与えない為のマナーを向上方法、とりあえずマナーの悪い人を注意すれば、場合によっては喧嘩になる可能性がある(航空祭でも見かけるような)。究極の対処法としては、先日小生がダイヤ改正直前のパノラマカー撮影とともに行ったように、人が集中する“名撮影地”は極力利用しない(人が集まる日は、山崎以外で撮る)方策が最良、ということか。

Img_8197  この山崎の状況を説明する上で“コモンズの悲劇”を挙げたい。経済学の初歩に出てくる概念であるが、牧草地や河川など、全ての人に無料で開かれたコモンズ(共有地)では、例えばより多くの利益を獲得する為に先を争って牧草地には放牧し、河川には灌漑取水口を取り付けたり、排水溝を設ける。多くの集団の中の数名が、これによって生じる破局(放牧が多すぎて牧草地の荒廃したり、河川の枯渇、河川の汚染)を予測しながらも、自分がやらなくとも他者はその“行為”を続けるだろうから、結局破局が訪れるということ。

Haruna_img_8199  撮影地の割り込みはどこでも多く見かけて顰蹙を買っているが、駅での撮影で、長時間露光用にラッシュ時の混雑するホームに三脚を設置したり、停車する特急電車の先頭車輌に夜間ということでフラッシュを焚くという状況も、撮影地という一種共有地にはマイナスである。無論、気付く人には非難するつもりはないが、それにしてもこれは山崎に限ったことではないだろう事から、コモンズの悲劇を避ける方法は無いものか、考える必要はあるやも。

Img_8206  コモンズの悲劇を防ぐ為には、例えば共有地を私有化し、利用を制限出来る状況を構築して、破局的な状況が生じないように“管理”することが、その方法として知られている。しかし、これを山崎サントリーカーブに当て嵌めると、対処法は非常に明快で簡単なのだが、その実行は難しい。安全フェンス設置により、撮影は非常に難しくなってしまったが、個々人の心がけによりこれ以上マナーが悪化しないようにする、のが気休めだが、現実的な“名撮影地の保存方法”なのだろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭鉾建 四条烏丸にて勇壮な長刀鉾が疾病を祓う

2008-07-13 18:53:01 | 写真

■実況:祇園祭2008

 京都祇園祭、一日より始まった一ヶ月もの期間にわたり進められる疾病祓いの伝統祭事は10日から17日の山鉾巡行に向けて鉾建に進んだ。今回は、その鉾建に関する掲載だ。

Img_4830  山鉾の中で、実に高さ20㍍を超える幾つもの鉾が立てられる行事即ち鉾建は、それはそれは勇壮というものの、何分平日に行われる行事ということで、京都在住の小生含め、多くの方はご覧になったことがないのではないようにも思う。今回は、その様子を初めて撮影する機会に恵まれた為、その様子の詳細を掲載したい。

Img_7937  京都の中心部、四条烏丸。ご覧の通り政令指定都市の中心部に相応しいオフィス街であり、繁華街を形成。交通も阪急京都本線の終点京都河原町駅や阪急烏丸駅に隣接し、地下鉄で京阪線、JRや近鉄と結ばれ、バスターミナルも京都の隅々に向けてバスを発車、ビジネスマンから観光客、学生、修学旅行の児童や生徒で賑わっている。

Img_7949  その京都のメインストリートに忽然と現れるという表現が相応しい山鉾の組み立て。その数実に32に達し、祇園祭の季節がやってくると毎年、各々の町内にある山鉾保存会の手により組み立てられている。そもそも、その鉾建とは組み立ての行事なのだが、全国津々浦々に所在する山鉾に似た山車を用いた祭事において、特に後継者の不足などにより山車を完成状態にて格納庫に保存する方式では、鉾建のような組み立てということが出来ないのであるから、稀有といえる行事なのかもしれない。

Img_7942  さてさて、小生、浅学にて鉾が朝、シートに覆われて鉾建を待っているのに、鉾建が行われる日の午後に四条へ足を運べば既に鉾は天に通じるが如く聳えており、てっきり東京タワーや京都タワーを組み立てるように下部から上部に組み上げていると考えていた小生には甚だその工程の早さが一種疑問でもあった。

Img_7954  写真は、上の写真も含め、夜に撮影されたものは10日に撮影した情景で、鉾建に備えて、長刀鉾や函鉾、月鉾などが覆いが被せられて翌日に行われる鉾建を待っている。メインストリートである四条通は一部に交通規制が引かれているものの、祇園囃子の音色が奏でられている他は、日々の京都の喧騒と全く変らない営みが続けられている。

Img_4827  明けて翌11日、1230時、四条烏丸に足を運ぶと、いよいよ鉾建が行われようとしている瞬間であった。鉾を立てるべく奮闘する保存会の人々が声を枯らし、汗を流す中で、多くの観光客や京都市民、昼休みのビジネスマンに新聞記者、テレビ局の取材が長刀鉾の周りに集っている。

Img_4826  ジャッキのようなもので、ゆっくりと慎重に鉾を立てて行く。車道にて行われるこの鉾建は、保存会の方や警備員さん、そして京都府警の警察官が安全確保のための交通整理にあたっている。蛇足ながら、京都府警の雑踏警備に関する能力は、祇園祭、葵祭、時代祭から五山送り火、そして無数の伝統祭事における警備の経験から、全国では最高レベルにあるのでは、と思う。動きに無駄が無く、危険回避に動きが巧い。

Img_4828  さてさて、ジャッキを使っての鉾建であるが、パズルの最後のピースが当て嵌まったように疑問は氷解した!、鉾建とは、文字通り寝かせてある鉾を立てるという行事なのだ!。これならば確かに立てる行事を開始してより一時間ほどで立てることができよう。だから鉾“建”なんだ!と驚かされた。

Img_8255  疾病を祓う長刀鉾の長刀が、鉾の頂点にあって天を点く。鉾が立てられる瞬間というのは、一種感動を誘うものであった。長刀以外にも高い鉾を立てるということは、バランスが崩れれば周囲の観覧者には不幸である。前後からゆっくりと相互にジャッキを操作し建ててゆく情景に、あたかも転倒戦車を戦車回収車と他の戦車により立て直らせる様子を思い出してみたりした小生。

Img_4829  ジャッキの確実な操作とともに、ゆっくりと、しかし確実に長刀鉾が組み上げられつつある。四条通を行く自動車やオートバイも一瞬ブレーキをかけてしまうほど、初見の方には心躍らせる瞬間だ(かくいう小生も同じであるが)。鉾建の瞬間をシャッターに収めようとタクシーやバスからも慌ててカメラを取り出す様子もみられた。

Img_4845  こうして立てられた鉾には、装飾作業を行う為に通路が設けられる。鉾では保存会の皆さんが慎重にしかし大胆に、順次装飾を行い、曳き初めの前日には“動く美術館”という呼び名が勿体無いほどに、タペストリーなどの装飾品により京都の伝統行事にあって筆頭に挙げられる祇園祭をしめす雅な姿を人々の前に見せることとなる。

Img_4835  高々とした姿をみせる鉾。四条通に姿をみせる鉾のほかにも、四条通に面する路地を進んでゆくと鉾建が行われている。山に関しては、宵山の初日、つまり宵宵宵山に足を運んで見ると、まだ組み上げている途上、という情景に出くわすこともあるが、他方。台風が来ても作業は予定通り行われるくらいに伝統は根付いている。

Img_8279  夕刻と長刀鉾の情景。四条通は車道の通行量にくわえ歩道の往来も多く、阪急烏丸駅から阪急河原町まで、四条通に沿って阪急地下道が設けられているほどだ。宵山には、この四条通をはじめ山鉾が置かれた車道や路地が全面的に車両規制され、毎夜、都路をいっぱいに溢れさせる30万以上の観光客で賑わう。

Img_8283  祇園祭は伝統行事である。なんと山鉾巡行も太平洋戦争中の1943年まで行われており、終戦の次に訪れた祇園祭では、さっそく鉾を組み立てて山鉾巡行を行うほどに根付いた行事である。昨年、宵山に台風が襲ったものの、滞りなく宵山が行われたほどである。皆さんも一度、足を運ばれてみては如何だろうか。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都祇園祭 宵山・山鉾巡行・神幸祭 平成19年の情景から

2008-07-12 19:48:53 | 写真

■祇園祭14・15・16・17日が最盛期

 鉾立の勇壮な様子を金曜日に撮影したのだが、撮影データの整理などで掲載が遅れている。そこで、2007年の祇園祭の情景を掲載して、代えたい。是非、一見をお薦めしたい次第。

Img_5006  京都祇園祭、この名前ほど京都を示す祭事は無いのではないか。八坂神社から京都の中心部に向けての四条通りに沿って動く美術館といわれる山鉾が組みたてられ、実に32もの山鉾が曳かれる山鉾巡行を頂点として、七月の一ヶ月にも及ぶ、祭事に京都が沸く。無病息災を目指した祇園祭は、いまや世界的にも認知度を広げ、平日にも拘らず宵山の三日間の夕刻だけで、100万もの観覧者が京都を沸かせる。

Img_5043_1  祇園祭は、山鉾巡行や宵山など、主たる行事がほぼ平日に行われることで、観覧にはやや時間的余裕が必要となる。多忙なビジネスマンは言うに及ばず、時間がありそうな学生も最終講義試験の時期と重なる。しかし、三日間にわたる宵山は、1800時から2300時まで、というように何とか神戸や、新幹線を利用すれば名古屋(東京は帰路に寝台特急(サンライズを大阪から乗車、翌0700頃に東京着)でも使わなければ難しい?)からも観覧が可能だ。

Img_5080_1  宵山とは、山鉾の灯を燈し、祇園囃子とともに一般に公開するもので、山鉾の特に一部の鉾は内部が一般公開される。多くの屋台が軒を連ね、無論多くの観覧者により歩道が一方通行になるものの、阪急烏丸駅下車すぐ、京阪三条から徒歩、京都駅から地下鉄で四条駅下車という立地にて行われるこの伝統行事には、36万名前後の観覧者で賑わっている。今年は14日、15日、15日に宵山が行われる。

Img_5213  17日に行われる山鉾巡行は祇園祭の絶頂である。山鉾からは祇園囃子が奏でられ、囃子とともに曳き手の団結のもと、人力にて曳かれるのが山鉾巡行で、各々の町内から四条通に集まった山鉾は、そのまま四条河原町まで、そして四条河原町から河原町通りを烏丸通まで移動し烏丸御池を通って町内に戻ってゆくのが山鉾巡行。

Img_5187_1  方向を換えるその瞬間が最も勇壮ということだが、残念ながらその様子を撮影する機会に小生は恵まれていない次第。鉾は、その多くが高さ20㍍を超えており、重量も10㌧を超えるものである。かつて、京都が今日のように近代的な建築物に覆われる前であれば、これだけの高さがある山鉾である、八坂神社はもちろんのこと、清水寺や東寺からも、山鉾の様子が見ることが出来たのではないだろうか。

Img_5253  山鉾巡行が終わると、そのまま山鉾は解体され、翌年の祇園祭まで各々の町内にある保存会により大切に保管される。山鉾のような山車を用いる祭事は全国に多々あるものの、保存会の人手などの関係から、山車をそのまま車庫のようなものに入れているところが多い、この点、若い衆にも大切に受け継がれる伝統が息づく街、京都ならではの情景が、この山鉾の解体だ。

Img_5331  八坂神社から神幸祭として三基の神輿が担がれて四条寺町へ往く行事が、山鉾巡行を終えた17日に行われる。山鉾に比べると神輿の大きさは決して大きく無いが、2㌧もの神輿は300名もの担ぎ手により街をすすむ。神輿は別々の経路を辿って四条寺町へ向かい、山鉾以上に縦横無尽に進む神輿と担ぎ手の熱気に街は否応無しに活気付く。行われるのは夕刻なので、こちらもお仕事の帰りにお薦めしたい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする