北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

海上自衛隊横須賀基地 横須賀サマーフェスタ2007 基地入場

2008-08-11 18:52:08 | 海上自衛隊 催事

■ヨコスカサマーフェスタ07

 2007年8月25日、海上自衛隊横須賀基地では、恒例の横須賀サマーフェスタが開催された。横須賀サマーフェスタ詳報では、数回に分けて、その行事の様子を出来る限りお伝えしたい。

Img_9007_1  横須賀地方総監部と大書された門。横須賀基地一般公開という事で、開門のかなり前の時間から長蛇の列が出来ていた。前年の横須賀サマーフェスタでは、先着順に護衛艦体験航海の乗艦券が配布されていたが、この年は、事前公募による抽選制となっていた。それでも、列の長さは変らないように感じられ、海上自衛隊への関心の高さが垣間見えた瞬間だ。

Img_8965  簡単な手荷物検査を終えて、いよいよ基地に足を踏み入れる。横須賀サマーフェスタでは、吉倉桟橋に停泊中の護衛艦などのナン無いが一般に公開され、更に術科学校なども一般公開された。地方総監部の建物の周りや厚生センター、そして駐車場などで装備品展示や模擬店が並んでいた。

Img_8972  訓練展示を行う水中処分隊の隊員さんが手を振ってくれる。海上保安庁のダイバーがドラマ“海猿”で一躍有名になったが、海上自衛隊の水中処分隊は、同じように海中に潜り、無言の脅威、機雷を処分する。特に水中処分隊は、海上保安庁のダイバーと同等の厳しい訓練に加えて、障害排除、つまり敵の妨害を排除して任務を遂行するという一段厳しい任務遂行能力が求められている。困難を努力と体力により克服する彼らの笑顔は、一際輝いていた。

Img_8979  防衛大学校の実習船、その向こうに艦尾がみえているのが、水中処分母船1号型。基準排水量300㌧の本船は、先ほどのゴムボートにて姿を示した水中処分隊員たちの母船である。さらにその背景には、なるほど横須賀らしい光景というべきか、アメリカ海軍のタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の姿が見える。

Img_9006_1  吉倉桟橋に向けて足を進めると、「すがしま」型掃海艇の「のとじま」がみえてきた。日本の高度な掃海艇木造造船技術に加え1991年のペルシャ湾における機雷処理作戦“ガルフドーン”の戦訓を取り入れて、新型の掃海機具を導入した掃海艇で、満載排水量は590㌧。後方視界確保の為に、並列式の二本煙突構造を採用した、掃海艇である。

Img_9012_1  すぐとなりにはSH-60K哨戒ヘリコプターが着陸していた。SH-60J哨戒ヘリコプターの改良型として2002年度より量産型の調達が開始され、既に22機が配備されている。機内容積の拡大やデータリンク能力の抜本的な向上、更に対工作船任務に備え機体の防弾化を図り、従来の対潜哨戒に加えてヘルファイア対艦ミサイルによりミサイル艇排除の任務も有している。

Img_9026_1  一般公開されている四隻。南極観測の支援などにあたりいよいよ除籍の時が近付いている砕氷艦「しらせ」、護衛艦「たかなみ」、護衛艦「ありあけ」、米ミサイル駆逐艦「ジョン・S・マッケーン」の四隻が並んでいる。海上自衛隊の護衛艦は、アメリカのイージス艦と比べると小さい、という印象があるようだが、満載排水量6200㌧の「ありあけ」は、けっして見劣りしない艦容。これはシーレーンを防衛するべく艦を大型化させた賜物だ。

Img_9039_1  体験航海の乗艦券は持ち合わせていないので、そのまま、護衛艦一般公開を見学するべく足を進めてゆく。すると横須賀サマーフェスタをいわうべく、ペリー提督。浦賀から京浜急行で来たのだろうか。こういった被り物(キグルミ?)のユーモアも、海上自衛隊らしい一幕、というべきか。

Img_9032_1  ヘリコプター護衛艦「しらね」や試験艦「あすか」とともに並ぶ護衛艦「ちびしま」。・・・、「ちびしま」?とおもわれるかもしれないが、イージス艦「きりしま」の艦番号174を捩った1.74の艦番号かが冠せられた小型のハリボテ。お子様の記念撮影などに活用されていた。よくみるとSPY-1レーダーや5インチ砲、それにCIWSや艦橋、スーパーバード衛星通信アンテナなどなどがかなり詳細にデフォルメされ再現されている。

 次回は、いよいよ護衛艦一般公開の様子を紹介したい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊呉地方隊 大阪湾展示訓練2007 神戸港帰港

2008-08-10 17:58:22 | 海上自衛隊 催事

■呉地方隊展示訓練

 大阪湾展示訓練の特集記事、大阪湾入港()、神戸港出港()、展示訓練()、護衛艦やまゆき()と続き、詳報の最終回は、展示訓練を終えて神戸港に帰港するまでの様子を掲載したい。

Img_7760  護衛艦など4隻が基点とした神戸港摩耶埠頭まで20浬、「やまゆき」は0930時に出港し、神戸港に帰港するのは1530時である。展示訓練は主として1230時から1330時までの時間であるので、展示訓練の多くの時間は移動する艦上が、その舞台となる。強すぎる日差しを避けて艦内を見学するも良し、爽やかな海風を求め甲板から水平線を眺めるも良し、過ごし方は人それぞれである。

Img_7790  神戸の街並がみえてきた。淡路島の津名港を出港した舞台は、1100時出港、1430時帰港という、展示訓練海域に最も近い艦艇もあるが、他方で神戸港から最も早い0920時に出港した「くろべ」が帰港するのは最後の1600時(これは接岸が海側なので)。大阪港の「くにさき」は0840時出港で、1650時帰港である。艦内を探検して、さらに潮風に身を任せる時間的な余裕もあるわけだ。

Img_7835  「やまゆき」に接舷する「くろべ」が神戸港に入港してくる。神戸港の巨大なクレーンなど埠頭設備を背景に、艦首では接岸作業の準備を始めており、照らす日差しは、そろそろ、強い夏の日差しも夕陽に色を替えようとしている。訓練支援艦であるが、3インチ砲を搭載していることで、自衛艦としての風格を見せている。

Img_7811  入港に際しての警備支援を行う巡視船「しきなみ」。「はまぐも」型巡視艇の4番船で、総トン数110㌧。同型船の「うらなみ」とともに神戸を母港としている。神戸港配置ということで、テレビカメラ式消防放水機や自衛用散水装置など、消防巡視船に準じた強力な消防設備を搭載している。

Img_7482_1  タグボートに導かれ接岸作業をおこなう「くろべ」、「やまゆき」ではいよいよ接岸作業が終了し、“上陸”が近付いてきている、接岸作業が終了しても陸と艦を結ぶには様々な確認作業が必要となる。実は、この作業中に民間のヨットなどが以上に接近する一コマがあり、巡視船が急行するという場面もあった。接岸作業中は、回避行動が取れないので注意が必要だ。

Img_7513_1  上陸。神戸港摩耶埠頭から、本日お世話になった護衛艦「やまゆき」を望見。大阪湾展示訓練が終了した。ひえ~氏の発案で上陸後はビール、ということで一杯、校長先生(?)が言うには、おうちにかえるまでが大阪湾展示訓練です!、ということで帰路についた次第。最後になりましたが、当日、現地・艦上でお世話になったみなさん、ありがとうございました。

HARUNA

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海上自衛隊呉地方隊 大阪湾展示訓練2007 護衛艦やまゆき

2008-08-09 18:54:15 | 海上自衛隊 催事

■呉地方隊展示訓練

大阪湾展示訓練を撮影した「やまゆき」について本日は特集したい。「はつゆき」型護衛艦は、1982年から1987年にかけて12隻が大量建造された護衛艦隊用汎用護衛艦の第一陣で、「やまゆき」は8番艦にあたる。

Img_7351  「やまゆき」は満載排水量4200㌧。全長130㍍、全幅13.6㍍、喫水4.4㍍。主機はガスタービンエンジン二基で出力は45000馬力、速力は30ノットに達する。武装は、3インチ単装砲一門、20㍉高性能機関砲2門、ハープーン対艦ミサイル四連装発射器2基、アスロック対潜ロケット八連装発射器1基、シースパロー短射程対空誘導弾八連装発射器1基、三連装短魚雷発射管2基。

Img_7343  哨戒ヘリコプター1機を搭載する格納庫を有し、更に必要に応じて12.7㍉機銃を武装工作船対処用に搭載する(銃座は常備)。乗員は、150名。地方隊用護衛艦はヘリコプターを搭載していないため、「はつゆき」型護衛艦は乗員200名が定員であるが、地方隊では150名にて運用しているとのこと。

Img_7346  「はつゆき」型護衛艦は、当初、アルミ製の上部構造物を有していたが、フォークランド紛争により熱に弱いアルミ製船体への問題点が浮き彫りとなり、この「やまゆき」から鋼製の船体を採用した。アルミニウムは軽量であるが、特にフォークランド紛争においてはダメージコントロールを行う際の梯子やラッタルなどがすぐに溶けてしまい、溶けたアルミは消火活動を妨げたとの事だ。

Img_7369_1  「はつゆき」型は、当初満載排水量4000㌧であったが、構造物を改めたことで4200㌧に増大した。当初は、「はつゆき」型を12隻建造する計画であったが、鋼製上部構造物としたことでトップヘビーとなってしまい、バラストを搭載することとなった。結果、重心を低下させ、各部に余裕をもたせた「あさぎり」型護衛艦8隻が建造されることとなった。

Img_7370_1  「はつゆき」型護衛艦から、護衛艦ではこれまで艦橋構造物に配置されていたCIC(戦闘指揮所)を船体内にあたる第二甲板に収め、対艦ミサイルによる攻撃への脆弱性を低下させた。本型は、艦隊が一丸となって行動する為のデータリンク装置を搭載しているが、スペースの関係上、相互通信用のリンク11は搭載できず、受信専用のリンク14を搭載している。

Img_7374_1  護衛艦「やまゆき」は、1981年度計画艦で、日立造船舞鶴工場において1983年2月25日に起工、1984年7月1日に進水式を迎え、1985年12月3日に竣工した。「やまゆき」と同じ1981年度計画艦には、「はつゆき」型の9番艦「まつゆき」が建造されている。

Img_7400_1  ヘリコプター護衛艦を中心として直衛にあたるミサイル護衛艦を配置、更にこの護衛艦部隊を保管する汎用護衛艦を周囲に配置し、海上護衛任務や上陸阻止任務などにも対応できるように編成したのが、現在の護衛艦隊編成の基礎となった、いわゆる八八艦隊編成である。その中でも、「はつゆき」型は対空、対水上、対潜能力にバランスのとれた編成が求められた。

Img_7410_1  付け加えれば昭和30年代から40年代にかけて就役した護衛艦の後継として計画された背景があり、オールガスタービン推進方式の護衛艦12隻の大量就役とともに海上自衛隊の任務遂行能力は大きく近代化されたとえいる。同時期にはP-3C哨戒機の大量整備やイージス艦導入計画の具体化などがあり、海上自衛隊は沿岸警備からシーレーン防衛に大きく舵をくることが出来たといえる。

Img_7412_1  特に、大型哨戒ヘリコプターを搭載可能とした格納庫を備え、アスロック対潜ロケットなどといった強力な対潜装備を備えており、データリンクさえ改めれば、当分は実用に耐える性能を有している。というのも、12隻を短期間の内に建造したことで一斉に多くの護衛艦が近い将来、耐用年数を迎えることになり、致し方ないことではあるが、後継艦問題が大きく圧し掛かっている。

Img_7777  大型ヘリコプターを搭載し、更に排気部分を大きくとる必要があるガスタービン艦を、満載排水量4000㌧に収めるという計画には、苦労を要したとされるが、結論としては非常に成功した護衛艦であると考える。なお、本型は、「あさぎり」型にも共通したことであるが、ヘリコプター甲板と船体の間に通路を有するなど、いわゆる見学や体験航海の舞台として見ても、実は優れた特性があり、護衛艦としての性能以外にも特筆できる部分として記したい。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊呉地方隊 大阪湾展示訓練2007 観閲部隊と展示訓練

2008-08-08 19:39:41 | 海上自衛隊 催事

■呉地方隊展示訓練

海上自衛隊呉地方隊展示訓練、この大阪湾展示訓練詳報は、いよいよ神戸港を出港した様子を前回紹介した(詳細はこちら→)。そしていよいよ、大阪湾における展示訓練の様子を紹介したい。

Img_7507  神戸港を出港した護衛艦「やまゆき」は大阪港より展開している輸送艦「くにさき」や潜水艦、訓練支援艦などの部隊と合流し、一列に航行している。

 群青の大海原を背景に、この一列の陣容は以下の通り。護衛艦「うみぎり」が「やまゆき」の先を行き、輸送艦「くにさき」、訓練支援艦「くろべ」、練習潜水艦「ゆきしお」、多用途支援艦「ひうち」、掃海艇「つきしま」である。

Img_7520  護衛艦「うみぎり」。第4護衛隊群第8護衛隊の護衛艦で、8隻が建造された「あさぎり」型護衛艦の最終艦である。映画「ガメラ2 レギオン襲来」において松島湾に潜むガメラを発見したことで一躍有名となった本艦は、満載排水量4950㌧、飛行甲板や通路には多くの観覧者が並んでいることがよくわかる。

Img_7558  旗艦「ひえい」を中心に、先頭を護衛艦「まつゆき」、しんがりを護衛艦「せとゆき」が固めている。護衛艦「まつゆき」「せとゆき」は、この写真を撮影した「やまゆき」とともに呉地方隊第22護衛隊を編成している。この「はつゆき」型護衛艦は、対潜、対艦、対空にバランスのとれた4000㌧級護衛艦である。望遠レンズの圧縮効果もあるが、ヘリコプター護衛艦へも遅れを取らない大きな艦容だ。

Img_7566  「ひえい」と「せとゆき」。この大阪湾展示訓練が実施される海域は、淡路島の津名港沖で、神戸港からは20浬、大阪港からは23浬の距離がある。今回の展示訓練参加艦艇は、12隻。更に6隻の艦船が警戒艦艇として参加している。これにエアクッション揚陸艇を含めると20隻となる。

Img_7579  先頭をゆく護衛艦「まつゆき」、いよいよ呉地方隊展示訓練の開始だ。どこまでも広がる大海原であるが、ここは神戸港、大阪港などに向かい多くの船舶が往来する大阪湾。展示訓練が行われる海域は1浬×5浬。ここに20隻の艦船が集結し、艦隊行動などを展示するのだから、海上自衛隊が世界に誇る高い操艦技術が試される瞬間である。

Img_7582  第四護衛隊群旗艦「ひえい」には、呉地方総監の半田謙次郎海将と、第4護衛隊群司令官井上力海将補が座乗している。なお、井上司令官は、第4護衛隊群司令官に続き、練習艦隊司令官の要職を拝命しており、同じ呉を基点として、日本に、世界に活躍されていると聞く。

Img_7588  背負式に二門が搭載された5インチ砲と、航空関連施設の調和が美しいヘリコプター護衛艦「ひえい」は、満載排水量6800㌧、ヘリコプター3機を搭載する「はるな」型護衛艦の二番艦として1974年に就役している。海上自衛隊では「はるな」に続き最古参の形式である「ひえい」であるが、大型のヘリコプター格納庫は、HSS-2A、HSS-2B、SH-60Jとヘリコプターの世代交代にも難なく対応しており、国際貢献などに任務が増加した新世紀の海上自衛隊にとって、不可欠な航空機運用能力を提供している。

Img_7513 観閲航行を終え、訓練展示に移行するべく、艦隊は一斉に回頭を開始する。14000㌧の「くにさき」の遠景には、警戒艦として参加している呉地方隊直轄の輸送艦「ゆら」が見える。本来であれば、観閲航行とともに航空観閲部隊として海上自衛隊よりP-3C哨戒機、US-1A救難飛行艇、SH-60J哨戒ヘリコプター、TC-90練習機、T-5練習機が、陸上自衛隊よりOH-6D観測ヘリコプター、UH-1多用途ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプターが参加する予定であったが、悪天候により中止となってしまった。

Img_7624  回頭の際に、二隻の掃海艇が重なる。掃海艇「つきしま」と、向こうには阪神基地の掃海艇「くめじま」がみえる。「くめじま」は警戒艇として参加。二隻とも、呉地方隊第42掃海隊の所属で、大陸棚程度までの中深度掃海が可能な「うわじま」型掃海艇である。高価であるが機雷掃海に不可欠な非磁性や耐爆性に優れた木製船体を採用しており、満載排水量は570㌧である。

Img_7631  高速航行展示を行うエアクッション揚陸艇。輸送艦「くにさき」に搭載されている。2隻が高速航行を展示した。通常60トン、最大75トンまでの車両や装備を搭載し、母艦を発進、沖合い95浬から40ノットで海岸に直接揚陸させる装備。2003年までは、搭載艇扱いであったが、現在は自衛艦扱いとなっており、同艇6隻で第1エアクッション艇隊を編成している。なお、運用は護衛艦隊第1輸送隊だが、整備は呉地方隊造修補給所のLCAC整備所が実施している。

Img_7657  操作性に優れ、その一端を展示していたが、水飛沫が凄いということが伝わってきた。くるくると廻っている性能は、航空機のようだが、実は整備なども航空機に準じているとのこと。なるほど、ホバークラフト方式だけに小回りは利いている、ただ、水飛沫で「せとゆき」の艦影が霞んでしまっており、もしかして艦まで水飛沫は届いていたりするのかな?と思ったりしてしまった。

Img_7665  続いて一斉回頭。観閲航行の際に、「ひえい」とともに、「やまゆき」と反航していった練習艦「あさぎり」「やまぎり」も艦列に加わっている。よくみると、ヘリコプター格納庫内にプレハブ式の建物がみえるが、これは練習艦として運用するために必要な講堂などを収めている。

Img_7700  淡路島を背景に回頭する「ひえい」。この展示訓練では、淡路島津名港沖の1浬×5浬の海域を用いて実施しているのは前述したが、20隻の艦船が行き来するには決して広いとは言えず、頻繁に回頭航行を行った。海上保安庁航路情報にて情報を開示しているのだが、展示訓練の航行に割り込もうとするクルーザがあり、警戒船により退去させられる一幕もあった。

Img_7614 訓練支援艦「くろべ」。満載排水量2550㌧で、訓練支援艦「てんりゅう」とともに、護衛艦隊の第1海上訓練支援隊に所属している。母港は呉。本艦は、艦隊の対空射撃などを支援するべく8機の高速標的機を搭載、マストの根元に装備されたフューズド・アレイ・レーダーにより管制する。

Img_7709 射撃評価をこれまでは発射艦が独自に行っていたのだが、複数の目標を操作可能で、第三者的視点から訓練を評価させることができる海上訓練支援隊により、護衛艦隊の対空戦闘能力は大きく向上したとされる。後部甲板にみえる蛍光色のものが、無人標的機チャカⅢとBQM-34AJ改である。背景にみえるのは回頭を終えたヘリコプター護衛艦「ひえい」。

Img_7703  回頭の際には複数の艦艇が様々な姿をみせることが嬉しい。護衛艦「せとゆき」と多用途支援艦「ひうち」。こうした回頭に一般船舶が巻き込まれないよう本訓練の警戒艦には、小松島航空隊の交通船2145号、阪神基地隊本部の交通船1028号、呉港務隊の交通船2152号と、呉水中処分隊の水中処分母船4号、輸送艦「ゆら」、掃海艇「くめじま」が出動している。

Img_7745  SH-60Jが掃海艇「つきしま」上空を行く。飛行展示は、大幅に縮小され、SH-60J哨戒ヘリコプター2機が参加した。66機が6個航空隊で運用されている海上自衛隊の主力航空機で、速力は149ノット、二本の対潜魚雷を携行し、国産センサー、データリンク装置などを駆使、海上の猟犬が如く潜水艦を追い立てる。近年は、武装工作船対処の為に画像伝送装置や機銃、防弾板装備などの改修が進んでいる。

Img_7746  多用途訓練支援艦「ひうち」の上空をフライパス。「ひうち」は呉地方隊の直轄艦で、護衛艦の対水上射撃訓練における水上標的“バラクーダ”の管制や魚雷発射訓練の支援、航空機からの魚雷投射訓練の支援や魚雷の回収などを行う任務にあたり、その他、災害派遣などにも後部甲板の輸送能力などを活かして対応する。

Img_7674 一連の展示訓練を終えて、最後の艦隊航行に移る。呉地方隊は、呉基地に加え、阪神基地、由良基地分遣隊、仮屋磁気測定所、紀伊警備所、小松島航空基地などを隷下に有する。呉地方総監部の下に第22護衛隊、第42掃海隊、小松島航空隊、呉教育隊、呉造修補給所、呉弾薬整備補給所、呉警備隊、呉基地業務隊、呉警備隊、呉衛生隊、呉音楽隊が隷下にある(部隊表記は展示訓練実施東寺のもの)。

Img_7447_1  点々と広がる艦隊。この艦艇だけで、中小国の海軍力を凌駕する規模だ。海上自衛隊は各国海軍と比較しても巨大な機構と多数の大型艦船を運用している。沿岸警備及び災害派遣に加え、呉という海上自衛隊教育体系の一大拠点を滞りなく機能させ、第4護衛隊群や第1輸送隊、第1潜水隊群などの部隊が最大限の抑止力発揮と任務遂行に寄与するという責務を負っている。こういった展示訓練のような一般公開を、毎年実施させることができる、これ自体が、抑止力と日本の平和に寄与しているのだなあ、という印象を抱かせ、帰港へと舵を切った。

HARUNA

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大阪天神祭 千年を越える伝統とともに 本宮の陸渡御と船渡御

2008-08-07 17:56:50 | 写真

■大阪天神祭 日本三大祭の一つ

 京都では祇園祭の花傘巡行を終えた7月25日、大阪天神祭は本宮を迎えていた。前日の宵宮は、特別演習関係(?)で三条大橋界隈に展開していたので展開出来なかったが、本宮は撮影へ足を運ぶことが出来た。

Img_6230  日本三大祭は、京都の祇園祭、大阪天神祭と、東京の神田祭をさしている。京都三大祭として祇園祭を筆頭に葵祭、時代祭が挙げられる。神田祭は関東大震災の天災により山車の大半が焼失してしまい、規模は著しく縮小されたというが、この天神祭は、大川を覆うほどの船渡御が行われ、なるほど、祇園祭の山鉾巡行に対して、水の都大阪らしい伝統行事、という強い印象を与えてくれる。

Img_0649  蛇足ながら日本三大祭というのは江戸時代に定められたもので、神田祭も江戸時代の規模に戻せないものか、とも思ってしまう。山鉾巡行のように神田神社から日本橋、両国までに大規模な交通規制を引いて実施する、という祭事もあっていいのではないか、と考える。しかし、山車の場合は京都の山鉾保存会の努力などを伝え聞くと、やはり東京では無理なのだろうか。

Img_6233  天神祭へは、阪急よりも京阪で行った方が様になるよ!という知人の助言(?)に従い、京阪特急にて展開した。北大路からは、やはり阪急かJR京都駅の方が利便性が良く、場合によっては神戸に展開することも多く、京阪よりも阪急を選んでしまう。自然、写真も阪急(特に京都本線)の写真が多いのだが、京阪は利用してみるたびに、なるほど撮影する景色や電車の多様さでは唸らされるものも多いのだなあ、と。

Img_6250  さてさて、京阪天満橋駅に到着する。すると、天神祭への経路を示した掲示とともに、京阪中ノ島線に関する掲示が目立った。急ぎ、小生は撮影ポイントに向かい移動を開始する。向かうは陸渡御の乗船場である。ここで待っていれば、乗船に向かう祭事の様子を余すところ無く撮影出来るというわけだ。

Img_6277  そもそも、この祭事を遡れば951年にまで至るという。千年以上の歴史を誇る祭事である。大阪天満宮の祭神が街々の平安を見届ける為の祭事であり、巡行であった。巡行にはざっと3000名が歴史装束に身を包み大阪の街を練り歩き、船渡御では100隻以上の船や艀が大川を覆う。大川は旧淀川であり、川を最大限活かした祭事は、冒頭にも述べた通り、この大阪が水の都であることを何よりも示しているのではないか。

Img_6304  大阪天神祭は、六月下旬より始まり、七月七日には天神七夕祭、十一日には船渡御事始敷き、二十一日には神輿蔵出、二十二日には献酒祭、二十三日と二十四日には宵宮が行われ、この二十五日には本宮夏大祭神事が行われる。期間の長さでも祇園祭に比肩する規模だ。

Img_6316  夏大祭は、この大阪の街の平安を祈り、御霊を御鳳輦に移し巡行することから始まる。この行事の様子はテレビ大阪により中継されるのだが、中継クルーはなんと祭り装束に器材を背負い、中継にあたっていた。これには驚いた。特に器材の多いテレビマスコミは祭事や神事、行事の空気をかき乱し、某放送協会などは国宝建築物の柱にコードを繋ぐ為に兵器で釘を打つほどの暴挙を平然と行うが、テレビ大阪のクルーたちは、祭事への同化、祭事の一員としての報道人の模範を示しているようだった。

Img_6322  陸渡御に続き、撮影していたところより御鳳輦は乗船、船渡御が開始された。大阪ビジネスパークなどの高層ビル群を遠景に収めつつ、船や艀が次々と川を上ってゆく。実は、陸渡御は4kmを往くので、その終点を撮影位置に選んだ小生は少なからず拾うが蓄積していたりした。そしてなにより、体が水分を必要としていたので、移動を開始することに。ここからは橋梁を通行しつつ片手を伸ばし撮影した写真群。

Img_6333  御鳳輦が乗せられた御鳳輦奉安船を中心に、神事に加わる供奉船、そして市民らが乗る有料の列外船などが続々と進んでゆく。写真にみえるのは天神橋であろうか、観覧者が多く集まることから規制線が張られるが、やや下流に下った小生の撮影した周辺は、列を後ろから観覧するかたちにはなるものの、そこまで混雑は無い(山鉾巡行の御池通、烏丸御池以西よりもかなり空いている)。

Img_6343  どんどこ船。どんどこ船とはユーモラスな名称であるが、これが正式名称である。このほかに人形船や落語船など、おもしろい名称の船があり、これらの船は列を自由に航行することが出来る列外船、として航行している。名前から分かるように、音楽を奏でており、祇園囃子とは異なり、雅、というよりも商都大阪の活気が伝わってくるような演奏だった。

Img_6358  この船渡御は、神鉾を天満宮より流し、この神鉾が行く場所にて祭事を行ったというのが由来であるが、現在では、大川を遡ることで行事を行っている。なぜ下流に流す行事が遡ることとなったのかというと、昭和初期の地盤沈下にて橋梁の下を船が航行できなくなってしまったから、という背景があるそうだ。

Img_0681  文楽船の船上には、くいだおれ太郎の人形が。改めて記載するまでも無いが、天神祭の少し前、7月8日に閉店したレストランくいだおれ、の看板人形であった。大阪を代表するイメージキャラクターである、くいだおれ太郎が、日本三大祭に彩りを添えている。これには驚いてしまった。くいだおれ太郎の奇抜な風体をみると、なにか笑みが湧いて来るのは何故だろうか。

Img_0703  そもそも、この船渡御は、幕末の騒乱や明治時代のコレラ発生、第二次世界大戦の戦災に地盤沈下による橋梁下降、石油危機による原油価格高騰などにより度々中止されて今に至る。天神祭が行われているということは、大阪の街が平和である、ということのなによりもの証明なのかもしれない。

Img_0733  伊丹空港に向かう日本航空の旅客機。航空機が来るとカメラを向けてしまう悲しい習性。大阪の中心部からは、このように伊丹空港に向かう旅客機がよくみえる。大阪モノレールで結ばれており、便利な立地だ。最近某知事が議論提唱の為に伊丹空港廃止も含め関西国際空港の再生を論じ、物議を呼んだが、そもそも黒字の伊丹空港、それも大阪兵庫に跨るこの空港の廃止を提唱するということは、ある種滑稽に思えてしまった。

Img_0726  さて、この後、大阪天神祭は、壮大な花火により夜空と川面を照らしつつ、この本宮を終える。しかしながら、諸般の事情で、大学院の共同研究室に足を運ぶ必要があり、一応は、中座して再度花火の時間帯に、というのも考えたのだが、京都と大阪は遠くは無いが、近いというのも難しい。

Img_0704  翌日は早朝から舞鶴基地へ展開する予定がある。距離としては舞鶴基地は、京都府の日本海側であるし、直線距離で比較するならば京都から舞鶴までは京都から神戸までとほぼ同じ、決して遠くは無いのだが新快速が運行されないJR西日本アーバンネットワークの圏外である為、所要時間では姫路や名古屋よりも遠く、本数も少ない。そういった理由もあり、花火に後ろ髪引かれつつも大阪を後にした。

HARUNA

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京都祇園祭 神幸祭 八坂神社から四条寺町へ勇壮な神輿が往く

2008-08-06 18:26:23 | 写真

■河原町通から四条通へ御旅所に向けて

 7月17日は山鉾巡行を終えて、山鉾が保存会の皆さんの手で翌年に向け解体されてのち、八坂神社より中御座、東御座、西御座の神輿が四条寺町の御旅所に向かう神幸祭が行われる。

Img_5319  祇園祭を本当に愉しむには、京都に住むしかない、大津でも高槻でも大阪でも良いのだが、山鉾巡行や宵山だけを二日間か三日間滞在しただけでは、この祭事を知ることはできない、という事を言う人が居た。確かに一理あるが、京都に住んでいても高校生までは平日に行われる山鉾巡行を観るのは難しいのでは、とも。さてさて閑話休題、本日は八坂神社よりの神幸祭の写真を掲載したい。

Img_9269  山鉾巡行の撮影を終えて、再び大学院にて専門演習。終了すると装備一式を身につけて三度祇園祭へ。北大路駅の北大路バスターミナルから37系統バスを利用して河原町へ向かう。37系統バスは河原町通を通る、非常に今回の撮影には都合の良いバス系統なのだが、河原町三条バス停を越えたあたりで、神幸祭の列が通り、河原町通りは閉鎖。市バスの運転手さんの機転で、路上にて途中下車させてもらう。

Img_9271  ここは河原町三条。左折すれば京阪三条駅、この道を直進すれば阪急京都河原町駅である。中御座と西御座は、八坂神社から京都市役所を廻って寺町のアーケードを通過、三条寺町にて転回し、ここ河原町通りに至る。バスの運転手さんがここで途中下車を乗客に勧めたのは、交通規制と誘導が手間取れば2時間は足止めとなるからであろう。

Img_9278  途中下車はしたものの、河原町通界隈のアーケードは観覧者で溢れている。並行して前進しても良い写真は撮れないだろう。また、夜空を見上げると、ぽつぽつと雨が降り始めた。本降りにはなりそうにない小雨であるが、電子機器を多数携行する小生、濡れることは出来れば避けたいので、三条から寺町へ、アーケードの下を通ることとした。

Img_9274  四条寺町。交通規制が引かれている。左側に見える大きなアーケードの入り口が寺町商店街の入り口で、四条寺町の反対側が、京都の電気街として知られる寺町電気街である。寺町電気街はアーケードも無く、自動車も通行できる一方、通りは名古屋の大須電気街よりも狭いが、電気街としての体裁は整えており、電子消耗品や器材などの調達は、ここに頼るところが大きい。京都駅周辺に二つの家電量販店が展開し電気街化した、といわれるが、京都駅までバスで220円。しかし、この真下の阪急河原町駅から大阪梅田まで阪急特急で390円、こういう地の利もある。話題がそれた。

Img_9308  2112時、四条通に神輿の姿が見え始めた。画面端の高島屋がみえるあたりが四条河原町交差点。そこから、掛け声とともに神輿が近付いてくるのだ。観覧場所は歩道のみ、車道は完全交通規制が引かれているものの、出てはいけない。ただ、小生からちょうどカメラの延長線上に何回も注意されているのに、車道に出る人がいる。撮影の邪魔になるし、警備員さんの警告も無視している。京都府警のお巡りさんがきつく注意して、ようやく歩道に戻ったという状況。ううむ。

Img_9318  神輿が、旗手を先頭に喊声とともに近付いてくる。四条寺町の御旅所に到着する。この御旅所は、祇園祭の時期以外には店舗として京都の土産物を販売している。次々と時間はおいているものの神輿が、この御旅所に終結する様子、担ぎ手の熱気が撮影しているこの歩道まで感じられるような印象だ。

Img_5336  こうして、神輿がここ、御旅所に到達して、神幸祭は成功した。さてさて、この神幸祭が行われるのは平日である。昨年は山鉾巡行を撮影し、中座した後、山鉾の解体を撮影した、更に神幸祭の神輿が八坂神社を出る様子を撮影。今年は、御旅所に到着する様子を撮影した。祇園祭は伝統行事である、つまり日本に京都がある限り無くなる心配はない。何年間にも渡って、急がず焦らず観覧してゆくのが一つの方法なのかな、と小生は考えたい。

HARUNA

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京都祇園祭 山鉾巡行 快晴とともに見上げる伝統行事 御池通編

2008-08-05 19:32:05 | 写真

■山鉾巡行 御池通

 祇園祭山鉾巡行は、四条烏丸より長刀鉾を先頭に執り行われる。祇園祭といえば山鉾、という印象をもたれる方が多い中で、これは必ずしも正しくは無いのだが、他方、もっとも優美で荘厳な行事であることも確かだ。

Img_8919  さてさて、七月十八日に掲載した山鉾巡行、四条通の様子に続いて、本日は御池通の様子を掲載したい。実のところ、途中に河原町通りを経て、この御池通に至るのだが、諸般の事情にて大学院に行く必要があり、中座するかたちとなった。その後、共同研究室から京都市内にある地下鉄、市営バス、私鉄というほぼあらゆる公共交通機関を駆使して再び山鉾巡行へ馳せ参じた次第。

Img_5150  四条通と比べて、御池通は道幅も広く、特に歩道がアーケードではないので、殊更広い印象を与える。小生が完全装備にてカメラを構えている丁度目の前の情景は、烏丸御池を越えて、いよいよ山鉾を廻し、それそれの保存会が置かれた町内に戻る、そういう瞬間であった。

Img_5190  この大きな菊水鉾(多分)が転回するには、まずおおくの青竹などを車輪の下に敷き、ここに多くの水を掛けることからはじめる。何分、重量は10㌧を越え、さらに高さも20㍍を越えている。転回させるというのは苦労の蓄積であり、この困難を汗と技量と心の調和にて乗り切ることが、山鉾巡行の曳き手にとっての華なのでは、ともおもえたりする。

Img_5203  丁度、正午を過ぎたこの時間帯。この日の山鉾巡行は、記憶を辿ってみてもここ数年を見渡しても屈指の晴天に恵まれており、広角レンズにて撮影し写る青空と、京都の都大路に一年ぶりに繰り広げられる伝統行事の情景が相まって、なかなか撮れないような光景を人々に魅せてくれた。

Img_5204  橋弁慶山、黒主山などなどが鉾の横をゆく。

 じつは、こうした山は、そこまで重量がないことから転回に時間があまりかからない。

 ここで、時間の掛かる鉾を追い越すこととなっている。競争ではないので、木目細かく定められた順番に従って執り行われている。

Img_5216  望遠レンズの圧縮効果が、多くの山鉾を一枚に収めている。曳き手が、山鉾ごとに異なる装束にて曳いている点に注目。

 ここは京都市内のビジネス街をやや外れたあたり。マンションなども目立つ。写真の奥の辺りが、地下鉄烏丸御池駅があるあたりである。

Img_5231  この日は本当に暑かったのだが、アーケードに囲まれた四条通とは異なり、この御池通の歩道は広く、その分たくさんの出店が軒を連ねていた。早朝から連続しての行脚(特に途中中座した距離を含めると本当に行脚という表現が正しいやも)、補給を取ろうと言うことで合間をみて焼き鳥の特大とたこ焼、そしてアイスクリームを補充する。焼き鳥は並んでいたものを炭火で暖めなおそうとしていたが、冷めていた方が良いという事でそのままお願いした。

Img_5252  写真はアイスクリームの屋台裏より撮影。山鉾巡行実施本部、と大書された天幕が張られている。冷却容器に収められたアイスをダブルにしてもらう。安価に提供するべく、アイスクリームというよりはラクトアイスというべきな印象であったが、それでも火照った身の上には、歯に凍みる感覚が嬉しい。

Img_8898  菊水鉾。鉾を展開させる前に、裃で着飾った町内の長老(?)たちが、転回の様子を一番良く見ることが出来る場所に着席する。

 山鉾は、京都市中心部の町内保存会にて代々受け継がれた、文字通りその街の宝物であり、転回という瞬間が滞りなく行われるように、長老達の視線は鉾に注がれる。若い頃には囃子の弾き手、そして山鉾の曳き手として祭事を支えた人たちである。

Img_8946  扇を手に、掛け声にあわせて菊水鉾が向きを換えてゆく。

 唐破風造の屋根に乗る人たちは振り落とされないようにしっかりと掴まっている。もちろん一度に転回などできない、青竹に水を掛けながら、その都度扇に合わせて掛け声が響く、掛け声とともに転回する情景は、演劇の世界に迷い込んだような錯覚だ。

Img_9024  放下鉾。幟を手に進む山鉾。悲しいかな小生、一目で識別できる山鉾は限られており、写真と照合する際に、この幟がないとけっこう識別が大変である。

 戦艦榛名と戦艦比叡の識別は出来るのだけれども、山鉾の識別もできるようになりたい。さて、稚児が乗る山鉾は現在、長刀鉾だけであるが、1929年まで、この放下鉾にも稚児が乗っていた。現在は稚児の人形にて山鉾巡行に参加している。

Img_9067  船鉾が続く。神功皇后が韓国を攻めた時の船がモデルとされているが、祇園祭には、もう一つ大船鉾というものがあった。これは元治の乱の戦乱により焼失し現在に至るのだが、焼失を免れた大船鉾の遺構はあり、復元されれば、と思ったりもする。こういった山鉾は休み山鉾と呼ばれ、他にも幾つかがある。

Img_9150  船鉾は、文字通り出陣の戦舟を模ったものであるが、大船鉾は凱旋の船を模したものといわれている。その船鉾が、転回してゆく。正面からみるとの、こうして展開している様子をみるのとでは、印象は全く違う。祇園囃子は印象的なのだが、音は残念ながら写真には写らない。またデジタル一眼レフなので動画撮影も出来ないことから、こういった動作を写す事で動きを表現したい。

Img_9233  山鉾巡行が最後に転回を終えたのは1440時。公式HPなどをみると、1230時頃に終了するような印象を受けなくも無い山鉾巡行(実際、読売旅行の方々など1230時頃には大挙退去していった)であるが、とんでもない!、これからが本番といってもいいくらいなのである。こうして町内に戻った山鉾は、この日のうちに来年の祇園祭に向けて解体される。

HARUNA

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清水みなと祭り(第61回) 祭りを盛り上げた陸海空自衛隊と海上保安庁

2008-08-04 19:21:58 | 海上自衛隊 催事

■清水みなと祭り2008

 清水みなと祭りは、今年で61回目を迎える行事で、みなと祭りを成功させる為に地元では五つの団体が中心となって、この祭事を成功させるべく頑張っていた。その祭事を盛り上げる為に、陸海空自衛隊と海上保安庁が展開した。

Img_1360  清水みなと祭りを海から盛り上げたのが護衛艦の体験航海。清水港へ入港する護衛艦「むらさめ」。その向こうには薄っすらと護衛艦「はるさめ」の艦影がみえる。体験航海を終えた二隻で、0830時に出港して、港に戻ってきた。当日早朝にはキャンセル待ちの場所があり、埠頭に一番乗りを果たした方で乗艦券を持たない人でも体験航海に参加することが出来たとのこと。港に戻ってきた様子を撮影している小生は、もちろん体験航海には参加していない。

Img_7407  今回、清水みなと祭りに足を運んだ背景には、駒門駐屯地からの展示車両がある、というのも一つ挙げられる。その駒門駐屯地から、国際教の車両が参加していた、これが撮りたかった!。国際教とは、簡単に言うと富士に総本部があって、小銃や装甲車で武装していて、訓練した人たちを海外の紛争地に派遣する組織だ。

Img_7029  説明を端折り過ぎた、これではウルトラ警備隊の解説になってしまう。国際教とは国際活動教育隊の略称で、80名の隊員から構成されている。国際任務を行う隊員に言語教育や関連法規、PKO任務を行う上で必要な知識を習得させることが目的の部隊である。写真の96式装輪装甲車もその教育支援小隊の装備である。他に共通教育科、評価支援科、研究科などが置かれている。

Img_7033  軽装甲機動車。銃座の周囲には防護板が配置されており、ワイヤーカッターや後部にはスペアタイヤが装着されていた、つまりイラクに派遣された車両と同等の防御力向上措置が採られている。展示されていた96式装輪装甲車はイラク派遣仕様のような銃塔は無く通常型とされていたのと対照的だ。

Img_7066  清水港に到着すると、既に護衛艦は出港していたので、停泊していた巡視船「やしま」を見学する。「みずほ」型巡視船の「やしま」は1988年に就役した大型巡視船で、常備排水量は5317㌧、ベル212型ヘリコプター2機を搭載している。甲板強度はシュペルピューマの搭載にも対応でき、北方海域での活動を想定して甲板には融雪装置も取り付けられている。

Img_7079  「やしま」の印象は、護衛艦とは異なる。まったく別の種類の船、という印象だ。航続距離8500浬という非常に長い行動力を有しているが、他方で、ミサイルなどの装備を有さず、交戦も想定していないので、マストには電子戦機器の類は無く、ブリッジに期間制御機能があり、水密扉などのダメージコントロールも普通、木材も用いられており、なんというか、非常に美しい船、という印象だった。

Img_1336  ブリッジ上から、護衛艦「むらさめ」の入港を撮影する。101という艦番号が示すように艦はステルス性を意識した設計であり、更に対空ミサイルや対潜ロケットなどを垂直式発射装置(VLS)より発射する方式を採用した、新世代の護衛艦である。入港作業を支援するために、既に民間のタグボートが並行して航行している。

Img_7143  ゆっくりと祭りの会場である日の出埠頭に向かう。満載排水量6200㌧と、汎用護衛艦のなかではかなり大型といえる「むらさめ」を、「やしま」船上から広角レンズにて捉えた一枚。望遠レンズを用いた圧縮効果とはことなり、艦そのものの美しいラインが際立って見える。

Img_7151  艦上では、こちらに向かって手を振る模様もみられた。自然とこちらも手を振って応える。今回は、「むらさめ」型二隻により行われた体験航海。実際経験してみると分かるが、単艦で行うよりも、もう一隻と寄り添って行われる体験航海の方が、もっともっと新鮮だ。しかし、参加できなかった小生一行も、いつもよりも高い視点から撮影できた、というのは新鮮だったやも。

Img_7211  艦番号102、とあるので、護衛艦「パスカルメイジ」・・・、と護衛艦が海賊を掃討するアニメーション「タクティカルロア」の制作にあたって参考とした海上自衛隊の護衛艦「はるさめ」。「むらさめ」型護衛艦の2番艦だ。本型9隻と拡大改良型の「たかなみ」型5隻の就役により、その作戦能力は大きく向上した。

Img_7254  日の出埠頭に接岸する「はるさめ」。既に「むらさめ」は接岸作業を終了しており、見学者も艦を降りている。両艦を比較すると、マストのレーダーが、入港し停止している「むらさめ」と、まだ回転させている「はるさめ」の対比ができる。やはりレーダーが動いていると、生きている護衛艦、という活気が伝わってくる。

Img_7260  18㍉広角にて「やしま」の上甲板と二隻の護衛艦とを併せて見る。埠頭には、祭事ということで多くの出店が並んでいる。地元静岡名物の“うなさん”の蒲焼はもちろん、佐世保バーガーやモスバーガー、ドネルケバブなどの店も並んでいた。個人的に暑い日にはドンドルーマ(トルコアイスクリーム)が食べたい(無かったけど)!

Img_7383  カキ氷が直ぐに溶けてしまうほどの暑さ、実際救急車も出動するほどであったが、小生一行は水分補給に重点を置いて見学を続行。飛行甲板のベル212を見学。航空自衛隊浜松基地のパイロット(LOとして参加?)も見学に来ており海上保安庁ならではの洋上飛行用の設備などを興味深く見入っていた。

Img_1604  正午を過ぎてしばらくすると、航空自衛隊の練習機による展示飛行が実施された。航空自衛隊の飛行展示は、静浜基地の第11教育飛行団からT-7練習機が三機編隊で参加、一航過で帰投していったが、浜松基地のT-4練習機は三機編隊で機動飛行などの飛行展示を実施した。

Img_1555  第1航空団からのT-4練習機は、三機ともロービジ塗装、通常塗装、レッドインパルス塗装という組み合わせで、笠取山第1警戒群創設記念行事の際の飛行展示を思い出させた。T-4はブルーインパルスも運用している傑作練習機であり、俊敏で軽快な飛行性能を展開、会場は航空機の迫力に、一瞬、熱波を吹き飛ばされたような清涼感に包まれた。

Img_7405  航空自衛隊は、浜松基地から高射教導隊のペトリオットミサイルPAC-2を展示のために参加させていた。通勤中継器材など3台が地上展示に参加していた。ペトリオットミサイルは、発射機の旋回動作展示なども実施しており、見学者の中には熱心に装備について質問をする一幕もみられた。

Img_7414  護衛艦の一般公開。101,102と「みらさめ」「はるさめ」が並んでいる。当初は、埠頭における防舷材の配置から一隻づつ埠頭に停泊するのかと見られたが、メザシ係留となった。夜には花火大会が行われるので、視界を確保する観点からは、もしかしたらこの係留方法の方がいいのかもしれない。また、二隻、同型艦が並ぶと迫力も増す。

Img_7454  この護衛艦の威容に、やはり体験航海でなくともその様子を一目見てみたいとおもうのは人の常。「むらさめ」型護衛艦の全長は151㍍なのだが、その長さをはるかに上回る人たちが並んでいた。この長さだとはるかに上回る、というのは大袈裟なのでは?と勘ぐられる方もいるのではないか。

Img_7455  大丈夫(?)、後ろもこんな感じ。ホラ、どうみても艦の全長よりも長いデショ♪。というか、これだけ並ぶとは思わなかった。ううむ、昨年十二月のキティーホーク一般公開ほどではないにしても、汎用護衛艦でこれくらい見学で並ぶのは初めてみるかもしれない。メザシ係留でなければ、行列は半減するのになあ、と思ったり。この時間帯、「やしま」の一般公開も終了しているので、その分、列が長くなったのだろうか。

Img_7513  護衛艦「はるさめ」の艦内。本型から広範に二段ベッドが採用されるようになったという。なるほど、ブルートレインのA寝台に匹敵する室内、という印象だ。実は体験航海などでは居住区画の一般公開はあまり行われず、艦橋などを廻って撮影したのだが、一番目新しいというか、新鮮だったのが、この居住区。

Img_7526  後部甲板にはSH-60K哨戒ヘリコプターが一般公開されていた。この「はるさめ」は、「むらさめ」とともに新型のSH-60Kが最初に部隊配備された護衛艦である。SH-60Jよりも非常に先進的な性能を有しているのだが、その分価格も高価となってしまい、SH-60Jの配備数よりもその総数は最終的にすくないものとなる見込みだ。

Img_7535  SH-60Kのコックピット。キャビン部分も一般公開されており、入ってみた。SH-60Jよりも床と天井を下げて上げる方式でキャビンを広くし、S-70シリーズの天井の低さを低減しようという設計。というそうだが、入ってみると、やはり高いとは言いがたい。S-90やEH-101が注目されるのが良くわかった。

Img_7545  1500時、護衛艦の一般公開が終了する頃に、巡視船「やしま」が小笠原諸島における哨戒任務のために清水港を出港して行った。埠頭からは手や帽子を振って航海の無事と任務の遂行を祈った。

 以上が第61回清水みなと祭りの情景である。最後になりましたが、ご一緒いただきましたC.ジョニー様、T様、文明様、H様、ありがとうございました。MAD様、WAPC様、また自衛隊関連行事でお会いできれば幸いです。

HARUNA

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遠隔操縦観測システム 富士教導団特科教導隊第303観測中隊に配備

2008-08-03 00:44:53 | 先端軍事テクノロジー

■Flying Forward Observertion System

 富士学校祭の速報記事において、気になる装備品が観閲行進に参加していた、と記載したが、このほど確認が取れたので改めて掲載したい。

Img_9752  写真は、観閲行進における特科教導隊第303観測中隊の車列で、後方の車両は対砲レーダーであることは容易に確認できるのだが、手前の車両は、もしかしたら、ということで各方面に確認を行ってみた次第。やはり、これは遠隔操縦観測システムの車両であることで、意見の一致を見た。恐らく、西部方面特科隊に続き、富士教導団にも空中標定小隊が新編されたのであろう。

Img_9754  遠隔操縦観測システムとは、無人ヘリコプターに複合光学監視機器を搭載し、特科火砲の正確な誘導を行うことが目的の装備で、2004年から配備が開始された。車両は追随装置を搭載した車両と思われる。ヘリコプター本体が無いと実感が湧かないものの、日本で二番目の装備部隊である。

Img_9662  長射程化する火砲の命中精度向上や索敵任務などにかねてより必要性が提唱されていたのが、この無人観測ヘリコプターである。行動半径は50km以上、三時間以上の飛行が可能であるとされており、現在は改良型が開発中。自律飛行により運用、観測ヘリコプターが到達不可能な危険な状況下においても任務遂行が可能である。無人観測ヘリコプターは、朝霞の陸上自衛隊広報センターにレプリカが展示中だ。

Img_9414  観閲行進に待機する第303観測中隊の車両。特科火砲は長射程化とともに迅速な目標情報の入手と情報の共有化、そして何よりも瞬発性が、その任務遂行を左右するといわれており、いわゆる情報RMAに、特科部隊は陸上自衛隊の部隊体系にあってもっとも近い職種と呼ばれている。今回、撮影できた遠隔操縦観測システムも、その一角を占めている装備だ。

HARUNA

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海上自衛隊呉地方隊 大阪湾展示訓練2007 神戸港出港

2008-08-02 17:25:14 | 海上自衛隊 催事

■呉地方隊展示訓練

 海上自衛隊呉地方隊展示訓練は、第一日目が台風の直撃を受けることとなり残念ながら中止となったが、小生一行が見学予定の第二日目は航空部隊の参加を縮小するかたちで実施へと至った。今回は、その神戸港出港編である。

Img_7490  なぜ神戸港か。まずここから説明したい。第一日目の土曜日は、予行を実施しており、大阪港に入港する輸送艦「くにさき」やヘリコプター搭載護衛艦「ひえい」の様子を撮影した。

 さて、沿岸警備任務にあたる呉地方隊の展示訓練といっても、護衛艦隊や潜水艦隊隷下の艦艇が多数参加し、満載排水量6800㌧の「ひえい」を初めとして、その展示艦艇の規模は中小国の海軍を上回るほどのものである。

Img_7319  これだけの規模の部隊は、到底大阪港一港に入港できるものではない。やれないかといわれれば不可能ではないのだが、平時の港湾機能を維持しつつ埠頭や航路の大半を海上自衛隊が訓練に使うということは難しく、大阪港、神戸港、淡路島に分散して停泊していた。

Img_7324  阪急特急にて展開した小生一行は、駅から神戸港摩耶埠頭へシャトルバスにて展開し、現地にて京都以外からの参加の方と合流、簡単な手荷物検査を受けた後、護衛艦「やまゆき」に乗艦した。音楽隊の演奏に見送られ、護衛艦「やまゆき」は出港準備を完了、ゆっくりと神戸港の摩耶埠頭を離岸してゆく。

Img_7372  神戸港を出港、摩耶埠頭が朝靄の彼方に見えなくなった頃、海上に航空機のエンジンがあげる活気が届いてきた。海上空港として開港し、一年と少しを経た神戸空港横を「やまゆき」が通過したのである。もともと関西国際空港は、ここ神戸港沖に建設される予定で用地まで取得したのだが騒音問題で頓挫、現在の泉佐野市沖に建設されたのだが、やはり神戸にも空港の活気が欲しいと急遽建設計画が復活した空港だ。

Img_7368  この日は日曜日、しかしながら国際港湾都市神戸の海上は、貨客船、貨物船、などなど多くの船が行きかっている。

 大阪湾展示訓練は淡路島盗難海域で実施されるのだが、大阪港へ、神戸港へ向かうという海上交通量の多いこの航路を陣形を保ちつつ自衛艦が向かうという、この移動も大阪湾展示訓練の一こまなのだなあ、という印象だ。

Img_7379  20㍉CIWSと貨物船。そんな写真も撮ってみる。前衛的な写真を撮りたいのではなく、朝靄は海にも立ち込めており視界は数km、前を行くはずの艦艇もよくみえないのでやることがないのだ。他方で、流石に民間船舶は小生の知識では船名と船影が一致するものは少なく、とりあえず零細時間の有効活用ということでカメラを向けて撮ってみよう、というかたち。

Img_7409  そういった中で、この艦影を捉えたのは全くの偶然だった。この日の展示訓練には潜水艦が参加予定なのは知っていたが、艦番号が記された潜水艦ということで気になった。300㍉望遠では番号を艦上にて識別するには至らなかったのだが、後で確認すると600、つまり当時、公試中の最新鋭潜水艦「もちしお」が展示訓練参加部隊の列に並んで進んでいたのだ。これにはかなり驚かされた次第。

Img_7383_1  輸送艦「くにさき」とコンテナ貨物船の反航の様子。あたかも1998年のトルコ大地震に際して海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が救難物資が収められたコンテナを満載してトルコに急行した様子を思い出させたので、タイミングを見計らって何枚か撮影してみた次第。空母型船体を採用した「おおすみ」型は多くの装備を甲板に搭載して輸送することが可能だ。

Img_7431  大阪湾と太平洋を結ぶ紀伊海峡にさしかかると、海も晴れて、はるか遠くの淡路島の様子もみえてきた。輸送艦「くにさき」が14000㌧の巨体を一糸乱れず護衛艦「やまゆき」後方に並んで航行している。呉地方総監座乗の旗艦「ひえい」の姿こそ見えないが、既に展示訓練の参加部隊は観閲部隊と受閲部隊に分かれ、展示訓練最初の観閲行動に向けて航行しているのだ。

Img_7462  「くにさき」から発進したエアクッション揚陸艇(LCAC)が水飛沫を上げつつ通過してゆく。満載状態でも40ノットを発揮する16000馬力のガスタービンエンジンが轟音を上げている。「くにさき」が寄港した大阪港は、神戸港よりも展示訓練実施海域に近い。機動航行の展示を行うLCACは、恐らく早めに大阪港を出港した後に海上で発進させたのだろう。

Img_7496  輸送艦「ゆら」。満載排水量710㌧と、自衛艦の中では最小のものである。最高速力12ノット、装輪装甲車や人員70名を輸送可能な本艦は呉地方隊直轄艦として離島への物資輸送や災害派遣にあたっている。「ゆら」は展示訓練への直接の参加部隊ではなく、展示海域に接近する船舶が部隊と事故を起こさないよう、警戒艦任務についていたようだ。こうして艦艇が続々と展示訓練に向かい集結して来ていた。次回はいよいよ展示訓練本編を掲載したい。

HARUNA

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