北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ヘリコプター護衛艦はるな ヘリコプター護衛艦ひゅうが

2008-08-21 07:42:04 | 先端軍事テクノロジー

■護衛艦ひゅうが公試情報

 横浜磯子から太平洋へ公試に向かう護衛艦ひゅうが。このほど、横須賀基地の湾口にて、護衛艦はるな、と航過する様子を撮影することができた。最古参のヘリコプター護衛艦と就役すれば最新鋭のヘリコプター護衛艦が、一枚に収まるこの写真は、非常に貴重といえる。

Img_2613  8月19日、撮影時刻は0920時頃。全通飛行甲板を有する実質的に軽空母といえるヘリコプター護衛艦「ひゅうが」と、ヘリコプター3機を搭載し、対潜掃討を行う対潜作戦中枢艦として建造されたヘリコプター護衛艦「はるな」。設計や運用計画に30年の期間を置くと、海上自衛隊の任務拡大や政治の戦略的転換という背景が垣間見える2隻である。「はるな」の飛行甲板には、SH-60ヘリコプター1機が出ていることが望見出来る。「はるな」型と「しらね」型は、距離が遠いと、一瞬艦影を見間違えることもあるかもしれないが、これだけ違うと、その心配も無い。

Img_2617  護衛艦「ひゅうが」は満載排水量18000㌧。近年、「はるな」の満載排水量は6800㌧である。4月に掲載したフランス海軍の「ミストラル」のように、各国では国際貢献任務などへの能力充実を期して商船構造を採用するなど極力船価を抑え大型化を行う、いわゆる戦力投射艦が建造されているが、護衛艦「ひゅうが」は、速力や電子機器の配置などから、戦力投射艦というよりは、従来型の水上戦た対潜戦に重点を置いた伝統的な軽空母としての構造を採用している。

Img_2650  ミサイル護衛艦「きりしま」と「ひゅうが」。「こんごう」型イージス艦として、「あたご」型の就役まで日本最大の護衛艦の一隻であった「きりしま」の満載排水量は9500㌧とかなり大型なのだが、比べても「ひゅうが」は大きい。「ひゅうが」は全通飛行甲板を採用しているが、試験艦「あすか」にて研究を重ねたFCS-3改と、OQQ-21ソーナーを搭載し、新アスロックやESSM(発展型シースパロー)など対空対潜装備を有している護衛艦でもあるのだ。

Img_2687  「ひゅうが」と沖留の「むらさめ」型護衛艦。この日は、シンガポール海軍のフリゲイトが寄港するなか、リムパックより帰港する「はるな」、「きりしま」を迎え入れるべく吉倉桟橋では四隻並列係留、「はたかぜ」を隣の船越地区に係留し、それでも横須賀に入りきらない護衛艦は沖留とするなど頻繁に入出港やバースチェンジが行われていた。「ひゅうが」の海上自衛隊の引渡しは来年行われるとされる。

HARUNA

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ヘリコプター護衛艦はるな・シンガポール海軍ステッドファースト・イギリス海軍ケント 横須賀出港

2008-08-20 16:30:34 | 海上自衛隊 催事

■横須賀出港

 横須賀には、さまざまな艦船の往来があるが、この中で、今回は19日、20日に出港した「はるな」、シンガポールの「ステッドファースト」、イギリスの「ケント」出港の様子を掲載したい。

Img_3218  ヘリコプター護衛艦はるな。第3護衛隊群旗艦であり、海上自衛隊最古参の護衛艦として有名なヘリコプター護衛艦「はるな」は、リムパックなど派米訓練に関する報告を終えて本日1300時、母港の舞鶴基地に向けて横須賀を出港した。横須賀を5月9日に出港し、昨日19日に日本に帰港した「はるな」は、ようやく長く厳しい訓練を終えて家路につくことができた。

Img_8086 シンガポール海軍のステルスフリゲイト「ステッドファースト」は15日の横須賀寄港から、所要の行事を終えて、予定通り本日20日、1000時に、ホストシップの護衛艦「むらさめ」に先導されて横須賀を出港した。改めて洋上を進む同艦を眺めると、ステルス性の充実に特化した、その特異な艦容には驚かされる。

Img_2525  横須賀を出港するイギリス海軍23型フリゲイト、艦番号がF78であるので「ケント」。19日0900時に横須賀を出港した。その向こうには入港を待つ第4護衛隊群のミサイル護衛艦「きりしま」の姿がみえる。23型フリゲイトは、汎用艦として1989年から13隻が建造され、海上自衛隊の「あさぎり」型と同規模の水上艦だがステルス性を追究した艦容が特色である。

HARUNA

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ヘリコプター護衛艦はるな 派米訓練を終え日本帰港 横須賀基地に入港

2008-08-19 18:32:58 | 北大路機関 広報

■護衛艦はるな 日本帰港

 環太平洋合同演習リムパックや米国本土への訓練航海を終え、ヘリコプター護衛艦「はるな」、ミサイル護衛艦「きりしま」など艦艇部隊が日本に帰港した。

Img_2902  はるなを旗艦とし鍛冶雅和第3護衛隊群司令隷下の「きりしま」、「まきなみ」、「せとぎり」で、加えて潜水艦「なるしお」、第2航空群の哨戒機P-3C五機がリムパック2008に参加した。今回のリムパック2008は21回目、アメリカ、日本に加えカナダ、オーストラリア、チリ、オランダ、ペルー、シンガポール、イギリスが参加。艦艇35隻、潜水艦6隻、航空機150機、人員二万人の規模で6月29日から7月31日まで実施された。

Img_2816  今回の派遣部隊は、5月9日に横須賀を出港し、5月21日から24日までをパールハーバー、6月2日から15日までをサンディエゴ、6月26日から8月4日までパールハーバーに寄港し、長距離航法、洋上訓練、ミサイル評価施設などを利用を行い、戦技の向上を図ることが目的。

Img_7974  「はるな」は、母港である舞鶴帰港前に報告などの目的で横須賀に寄港したとされ、舞鶴基地に帰港後は、即応艦として運用に就くとみられている。海上自衛隊最古参の護衛艦であり、年度内には除籍されるという護衛艦「はるな」であるが、海上自衛隊演習など、最後まで多忙な任務をおくることとなるようだ。なお、現在「はるな」は、先に入港した「きりしま」と並んで吉倉桟橋に停泊しており、その姿はヴェルニー公園から観ることが出来る。

HARUNA

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シンガポール海軍ステルスフリゲイト 『ステッドファースト』 横須賀寄港

2008-08-18 22:38:36 | 海上自衛隊 催事

■フォーミタブル級ステルスフリゲイト

 海上自衛隊横須賀基地へ、シンガポール海軍の最新鋭ステルスフリゲイトであるフォーミダブル級、ステッドファーストが日本との親善の為に現在寄航中である。

Img_2489  ステッドファーストは、第171駆逐隊指令オウ・エン・リム大佐座乗のもと、海軍中佐シー・ポーイン艦長の指揮により日本に寄港した。海上自衛隊ではホストシップとして第1護衛隊より護衛艦「むらさめ」を派遣、第1護衛隊司令の平野晃胤1佐が式典を艦上から指揮した。ステッドファーストは、満載排水量3200㌧、大胆にステルス性を考慮した上部構造物が最大の特色である。

Img_2434  8月5日付の海上自衛隊ニュースリリースによれば、ステッドファーストは、8月15日に横須賀へ入港、本日18日に日本とのスポーツ交流を行い、20日1000時に横須賀を出港するとのこと。シンガポール海軍艦艇の寄港は六年ぶり六回目にあたり、横須賀への寄港は二回目、とのこと。

Img_2439  寄港中の一般公開や、電灯艦飾、満艦飾の予定は無い、とのことだ。海上自衛隊の「むらさめ」型護衛艦やアメリカ海軍の「アーレイバーク」級ミサイル駆逐艦もステルス性を設計に大きく盛り込んだことで知られるが、本艦はステルスフリゲイトであるラファイエット級を送り出したフランスの設計ということもあり、そのステルス性は徹底しており、大半がレーダー波を特定方向に反射し秘匿性を高める角度の付いた平面により構成されているのが興味深い。
HARUNA

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京都 大文字五山送り火 夜空に浮かぶ精霊送りの伝統行事

2008-08-17 12:28:15 | 写真

■大文字、妙法、舟形 送り火

 ゆらりと暑い京の夜空に浮かぶ護摩木の焔。精霊送りの夏の伝統行事京都五山の送り火、いわゆる大文字が、今年も行われた。本日は、昨夜撮影した五山送り火、残念ながら左大文字と鳥居形は撮影できなかったのだが、大文字、妙法、舟形の送り火の様子を紹介したい。

Img_7577  五山送り火がおこなわれる16日は、物凄い通り雨があり、特に1630時頃の雨は、局地豪雨そのものであった。曇り空が広がり小雨がぱらついて、その一時間後の物凄い豪雨であったが、なるほど文字通り局地豪雨であったようで、雨が通り過ぎれば、まだまだ盆地の京都は暑いものの、それでも冷涼な空気が酷暑を押し返そうと少なからず風を起こしてくれる。

Img_2355  北京五輪と重なり、昨年の送り火のようにNHKが全国放送にて大文字山の点火から五山へと点火してゆく様子を中継したのと比べれば、今年は静かなものであったが、それでも望見出来る如意ヶ岳に灯る大文字の様子をみると、やはり何かこみ上げてくるものがある。これが本来の姿なのでは、と逆に考えたりもする。

Img_2358  2004時、上の写真と僅か十数秒の違いではあるが、点々と灯る火床の護摩木が、めらめらとその力強さを増してゆく。五山送り火は、文字通り送り火である。そのため、保存会の人たちが山に登り護摩木を火床に添える。そして点火して、五山送り火が行われるのだ。この行事のかたちは、時代を経ても変わることなく、なるほど京都市は時代と共に変わったものの、見下ろす峰々は殆どかわっていないのだなあ、と当たり前のことに気付かされる。

Img_7579 護摩木の煙が夜空にあがってゆく。なんでも、その昔の江戸時代は送り火の火、五山以外にもさまざまな山の頂において送り火が行われていたが、今日ではこの五山が送り火を行っている。そもそも、五山送り火という名前は、五山のみ火をつけるという戦後に付けられたことであり、五山ということで伝統文化という枠に押し込めてしまったのでは、と思ったりも。

Img_7581  妙法に点火。いろいろと考えているうちに妙法が灯っていたのだが、点火から七分が経過していた。妙法は、送り火の大きさでは、大文字よりも小さいのだが、画数が多いということで、火床の数は群を抜いている。よくみてみると、比叡にもほんのりと灯りが点っている。ちなみに、大文字焼き、というのは京都では禁忌である。比叡焼き討ちを連想させるというのが理由だ。

Img_7582  2020時、舟形に点火されている情景。ざんねんながら撮影位置からは、やや下の部分が隠れてしまったが、そもそも大文字を特等席(?)でみられるのだ、贅沢はいえない。舟形は2015時に点火されるのだが、点火をはじめてから舟のかたちが浮かび上がるまでは、やはり時間がかかるのだ。

Img_2423  舟形の完成。手前の八木アンテナがすこし視界を遮るが、街の景色のその向こうに、送り火が点火されているという情景だ。ちなみにどうでもいいが、この舟形は、200×130㍍という大きさなので、現在、公試中の新型ヘリコプター護衛艦「ひゅうが」よりも大きかったりする(本当にどうでもいい情報だ)。

Img_2410  そろそろ最初に点火されて如意ヶ岳の大文字は、火が小さくなってきている。時計を見れば2022時。五山送り火の写真などの印象で、一晩中、点火しているような印象を持っている人が、意外に少なくないようだが、実際は20分もすると火の勢いは送り火ということで、お精霊さんとともに消えてゆくようだ。

Img_7587  舟形を望遠で撮影。よくみてみると、保存会の人たちの姿がみえる。また、火床のまわりには、山道が設けられている。ちなみに、五山送り火では、如意ヶ岳には一般の人が登ることができるようだが、他の山には登ることはできない。昨年は、大文字のあたりにフラッシュ(ただし大文字が別の文字にみえるようなところには人が行けないようになっているような気もする)が焚かれていた。今年は長時間露光で撮っても、そういうものは映っていなかった。

Img_7588  来年は鳥居形や左大文字を撮れる位置を一年掛けて探したい、と考えた次第。なお、京都府警の発表では、主な観覧場所において五山送り火を眺めた人は11万人とのことで、京阪電鉄などは臨時列車を運行した。ちなみに、祇園祭に天神祭と6300系ヘッドマークを掲げて運行した阪急電鉄であるが、五山送り火のヘッドマークは無かったようだ。

HARUNA

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京都大文字 五山送り火 夏の風物詩をどこから眺めるか

2008-08-16 11:36:16 | 写真

■五山送り火は本日

 本日2000時より、お盆の風物詩、京都五山送り火が行われる。夜闇に浮かぶ護摩木の焔という情景、もしかしたら、葵祭や時代祭よりも大文字の方が全国的な知名度は高いのではないのだろうか。

Img_8037  夏の風物詩と並んで冬の風物詩といえば、大文字に雪が浮かぶ、この情景。新世紀の到来の際の年末を除けば点火されることはない京都五山。冬の朝靄の中で時折みせるこの情景は、京都か、大津に住んでいないと観ることが出来ない。みえた、という情報を聞いて足を運んでもすでに消えていたりする。ほんの少し散策をしているだけでも、観光案内では滅多にお目に掛かる事が出来ない情景と出会うこともある、それが京都だ。

Img_7382  閑話休題。いよいよ本日行われる五山送り火を前に、Weblog北大路機関へも、“五山送り火 穴場”とか、“大文字見物名所”というような検索で入られる方が少なくない。しかし、一望できる高台というのは意外に少なく、さりとて、♪西だ東だ南だ北だァ・・どこに行くんだァ・・コンチクショーめッ!♪とやっていると、あっという間に点灯時間は終わってしまう。

Img_8801  一般に広く知られているのは、嵐山の渡月橋だ。渡月橋の上はかなり混雑するので大堰川の南岸あたりの遊歩道を歩いてゆくと、こんなかたちで大文字がみえる。すぐ近くには鳥居形の送り火が焚かれるのだが、鳥居形は、他の送り火がみえる名所からは中々みれないので、有名になったのでは、と思う。京福電鉄、JR嵯峨野線、阪急嵐山線で行くことができる交通の利便性の高さも挙げたい。

Img_3166  五山送り火の大半を一度に見ることが出来る場所としては、建勲神社のある船岡山が有名で、地下鉄北大路駅から205系統バス(これが最速)、京阪三条駅や阪急河原町駅からは12系統バスを利用して、大徳寺前バス停の次あたりで降車し、徒歩で行くことができる(山らしいものは一つしかないので、道に迷う可能性は低い)。

Img_5843  金閣寺前バス停付近からは、電線が少し邪魔であるが、護摩木をもって降りてくる様子も見ることが出来る。ここは、船岡山から205系統など北大路通り→西大路通り方面に向かうバスで数分の距離なので、船岡山で送り火を堪能して、バスで移動(本数は多い)、という方式で観覧することもいいのではないだろうか。

Img_0342  西大路通りからであれば、左大文字山の送り火は、比較的見ることが出来るのだが、電線や看板が入ってしまうので、これが難点というべきか。なお、二条駅から円町駅、花園駅へ高架部分がある嵯峨野山陰線の車内からもみえたはずだが、時間帯からして、あまりお薦めできない。

Img_5242  一番の王道は、非常に有名なのだが、賀茂川の堤防からみることだ。川床から杯に大文字を映してのむと無病息災ということ。更に脚力に自信のある方にお薦めしたいのは、今出川通りを銀閣寺にむけて足を運んでゆくと、大文字に近付くことができる。京阪三条駅、京都河原町駅、地下鉄東西線など、交通網も充実している。

Img_4945  もう一つ、これも王道だが、屋上ビアガーデンから観覧という方法。四条通界隈には屋上ガーデンを行っているところもあり、もちろん混雑するのだが、早めに入ってしまえば大丈夫のようだ。ただ、そこから見えるのかはしっかりと確認しておかないといけない。また2000時に開始なので呑み過ぎないように注意が必要だ。

Img_3836  京都の高層建築物といえば、東寺の五重塔が上げられるが、あれは昇れないので(当たり前だ)普通は京都駅ビルや京都タワーが挙げられる。あそこから送り火を見たことは無いが、遮る建物は無いので、角度的に難ありの場合を除けば、みれると思う。というか、見えたかみえないか、確証がもてないが、とりあえず京都駅ビルの空中回廊から京都タワーを観た場合、こんな感じにみえる。ガラス張りなので、フラッシュを隣の人が焚いたりするとみえなくなるやも。

Img_7631_1  京都タワーから平日に撮影した場合このようになる。恐らく見えるはずだが、京都駅も京都タワーも同じことが言えるのだが、穴場でもなんでもないので相当混雑するだろう。五山で行われるので、一箇所から撮影することは難しく、タワー内をくるくる移動しなければならないのだから、リスクは大きいやも。なお、小生は例年通りマンションの最上階階段から撮影しようかと検討中。

HARUNA

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8.15太平洋戦争終戦記念日 平和と戦争に関する再検討

2008-08-15 22:45:55 | 国際・政治

■8.15

 太平洋戦争の終戦が1945年8月15日、そして今日は2008年8月15日である。幸いにしてというべきか、あの世界大戦を最後に世界の諸国家が二つに分かれての世界大戦は生じず今日に至る。

Img_8686  空襲と空腹というものが、日本本土における太平洋戦争の大きなシンボルとなっているように思うのだが、幸いにして文民を巻き込んだ本格的な地上戦は、沖縄本島や慶良間、サイパン島など限られた範囲にて展開されたことで限られ、今日の歴史として知ることが出来る欧州の東部戦線と、それに続く都市攻防戦のような悲劇は、ごく限られた範囲に収められた。

Img_0808  沖縄戦に関する史的事実は、防衛省防衛研究所の戦史研究などによりかなり克明に進められており、特に文民を巻き込んだ大規模な戦闘は、悲惨の一言に尽きる。しかしながら、その災厄の記憶が刻印として日本国の国際関係の展開に大きな影響を行使し、いわゆる憲法9条に基づく平和主義、非核三原則を筆頭とする反核兵器の外交関係展開は、少なくとも日本国民が日本国内で戦火に追われるという事態を防ぐことに寄与したといえる。

 しかしながら、専守防衛や交戦権の否認という諸政策は、ともすれば大きな誤解を招くのではないかという点を、今回は問題として提起したい。

■武力を考慮しないという平和主義への疑問

 日本国憲法は、強く平和を希求し、なおかつ軍事力そのものの存在を否定した世界唯一の憲法であり、国家による戦争動員という暴力からの自由を銘記した稀有な憲法である。

Img_5188  付け加えるならば、日本国憲法は憲法24条において、いわゆる父権主義を否定することにより男女同権を銘記した、これも世界唯一の憲法である。意外に思われるかもしれないが、現時点で男女同権を銘記した憲法は男女同権が強く叫ばれる欧米諸国には皆無であり、日本国憲法が唯一のものである。したがって、国家からの戦争動員という暴力からの自由に加え、家庭内での父権主義という構造的暴力を排した世界に誇れる憲法である。

Img_2909  しかしながら、軍事力の存在を否定したものの、国際の平和と安全は諸国家の努力により担保されるという状況は替わらず、武力紛争は恒常的な存在として国際関係の主たる問題に挙げられている。こうした中で、日本は、軍事力により担保される防衛という問題に対応するべく1954年に自衛隊を創設し、専守防衛を国是として軍事安全保障への政策を展開している。

Img_0034  他方で、マハンを挙げるまでも無いが、日本は諸国家との交易により経済を稼動させており、原材料、化石燃料から食料に至るまでの産品を交易により入手して経済活動を営んでいる。いわば、諸国家の安全と海洋の自由通行に依拠した国家であり、これが防衛即本土決戦というべき専守防衛と必ずしも合致するのかについて、明確な国家戦略にあたるものは、残念ながら存在せず、暫時必要な政策を適宜法整備のもとで実施している。

Img_2486  また、攻撃を受けて初めて自衛権を発動するという防衛政策は、つまり国境が海洋を隔てている地政学上の要件から、必ずしも大陸国家が行うような専守防衛即本土決戦という政策は妥当とは言えず、海洋の自由というシーコントロオルの概念に依拠するべきではないのか。少なくとも、攻撃を受けるまで自衛権を発動し得ないという専守防衛の体系では、結果的に自国民の居住する本土を戦域とすることで、言い換えれば、期せずして自国民を盾とすることを強いる防衛戦略となっている。

 防衛と安全保障という国際関係の展開。これには必ずしも軍事力を必要としない局面もあるのだが、軍事力を念頭に置いた上での総合的な安全保障問題の難題を解決し、諸国家との友好な関係を展開してゆくという政策が、主体的に展開されているかといわれれば、これは著しくバランスを欠いている状態の下で実施されているといわざるを得ないのではないかと考える。

■恒常的に選択される武力行使

 日本は外交関係において少なからず武力行使、という選択を採ってきている。意外に思われるかもしれないが、こういう事は可能だ。かなり混乱するかもしれないが、国際法では武力行使(Used force)と、武力攻撃(Armd Attack)というように区分されており、このForce(スターウォーズでいうところのフォースの力)の強制力には、いわゆる経済制裁なども含まれると解されるので、例えばアパルトヘイトに伴う南アへの経済制裁や、ココムによる共産圏への輸出規制も含まれ得る(曖昧に表現したのは、学説により分かれる為) 。

 武力行使そのものは国連憲章二条四項において禁止されており(ちなみに憲章に明記されている武力行使は“use of force”)、例外として国連によるuse of force、そして国連憲章51条に基づく自衛権の発動としてのuse of forceが挙げられている。Armd AttackとUsed forceであるが、Armd Attackの定義は、比較的明瞭であるものの、Used forceについては解釈が分かれ、参考として国連憲章25条に拘束力を有するとされた安全保障理事会決議に基づく、国連憲章40条の“停戦命令や軍の撤退の要求”、国連憲章41条の“経済封鎖、外交関係の断絶”がUsed force、国連憲章42条の“秩序の回復の為の陸海空軍の派遣”がUsed forceとArmd Attackに含まれると考えることが出来る。

 42条に関して派遣=戦闘による強制力行使、とは言い切れないので、解釈の余地が残るが(演習により圧力を掛ける、包囲して特定の行動を強いるのがUsed force、直接介入することをArmd Attack)、同じように経済封鎖、外交関係の断絶を銘記したいわゆる非軍事的措置にも“全面か部分的かについての解釈の余地”が残る。この点に依拠すれば、日本はUsed force、つまり強制力の行使という意味での、武力行使を行っているといえる。

 二条四項で、武力行使は禁止されているが、武力行使にあたるかは、国連憲章39条に“安全保障理事会は平和に関する脅威(中略)を決定し・・・”という文言がある為、Used forceのforceが全て禁止されていると読むのは早計である。無論、悪い、という訳では全く無いのだが、国際法上のUsed forceを、日本は外交関係の展開に際して、恒常的に行っているという事を記憶しておく必要はあるのではないか。

■世界の安全保障の根幹部分に関与

 国際の平和と安全、というと、やはり防衛、つまり軍事としての安全保障を筆頭として連想する方が多いのではないかと思う。根拠は、国際貢献=PKOという広範な解釈の類型だ。

Img_0880  しかしながら、予防外交という、武力紛争を未然に防ごうという国際関係の展開においては、軍事力の展開による武力紛争の抑止はあくまでも最終的な手段として用いられており、軍備管理、信頼醸成という手法が、その一つ前にあり、さらにその一つ前に広範な外交関係の展開による紛争や係争の平和的解決などが用いられる。なるほど、深刻な武力紛争に軍事力をもって介入して平和な状態を取り戻すよりは、そもそも武力紛争の要因となる紛争や係争を平和的に解決する方が、労力は少なくてすむ。

Img_6544_1  こうした中で、国際金融の安定化に、日本は大きな影響力を有している。第二次大戦以降の国際経済体制の再建以来今日に至るまで、ブレトンウッズ体制に基づく、ドルを国際通貨とした国際金融の体制が維持されているが、ドルが金と交換出来るというドル体制にあって、1968年、アメリカの経済収支赤字によってドル体制に危機が生じたことがあった。この際、既に経済大国への道を歩んでいた日本は、ドル体制を支える為の金プール協定に参加しており、その後、通貨切下げや切上げなどの面でドル体制を支えてきた。

Img_9704  以後、国際通貨ドルを支えたのは、インフレ率が低く、経常収支赤字の度合いが少ない日本円とドイツマルクであり、特に比較的早い時期に地域為替媒介通貨としての地位に至ったドイツマルクを、牽引しドル体制の維持に注力したのは日本である。国際金融体制の防衛による国際経済の安定化には、日本が払った努力は非常に大きく、少なくとも経済安全保障の展開においては、日本はその根幹的な位置にある。近年、競争力を伸ばす中華人民共和国の存在はあるものの、いまだ固定相場制を維持しており、ドルを支える位置に昇華することは不可能であるため、当分はこの位置は不変であろう。

■一国安全保障の限界

 日本はアメリカの世界戦略に利用されている云々という論調を偶に見かけることがある。しかしながら、国際経済の連環からは日本もアメリカも逃れることは出来ず、これは問題視すべき命題というよりは、グローバリゼーションへの再認識以上のものではない。

Img_5967  相互に影響される諸国家の関係をみれば、日本の国家や国民の生活は国際の平和と安全に依拠したものである。さて、国際金融における日本の位置づけは既に述べたが、少なくとも、日本が一国平和主義という政策目標を実現するには、グローバリゼーションが進む国際関係において、国際政治(もしくは世界政治)において関与し、手段は別としても国際の平和と安全を維持させる努力無くしては、今日の安定と繁栄を維持させることは難しいのではないか、といえる。

Img_0642  少なくとも、一国平和主義という政策は、国際関係に対する選択肢を前に自ら視野狭窄に陥るのではないか、という問題が挙げられる。近年では、例えばオタワプロセスにおける対人地雷全廃条約、オスロプロセスにおけるクラスター爆弾禁止条約の原動力となったNGOの存在のように、いわゆる“規範起業家”という存在がある。諸国民に受け入れられる国際公序に基づき、規範を提起する存在であるが、一国平和主義を貫けば国際規範との接点が少なくなってしまう訳だ。

Img_5951  また、日本のように集団的自衛権の行使(現在の内閣法制局の統一解釈では、集団的自衛権を有しているが行使は留保している)を否認した一国平和主義に基づきつつ、必要な防衛力を整備するという方策は、結果的にその軍事力が何処へ指向しているかが不透明と成りえる。どちらに指向しているかが明確にされず、加えて、軍事力を憲法上否定したことにより、その行使への分水嶺が明確にし得ないという関係上、その行使が如何なる条件の元で行いえるかが提示されていないことは、何時使われるか、何処へ使われるかが不明確であることを示し、かえって国際関係にマイナスの要素を加えてしまうのではないかという疑問が生じる。

Img_2008  少なくとも、国際関係における規範起業家が提示するような諸問題は、兵器、貧困、開発、環境などのグローバルな諸問題に国境に捉われず解決までの手法や問題の緩和への提案が為されており、対して、一国平和主義という視野狭窄な立場に留まれば、かえって諸国家の平和(これは軍事という狭義の平和に留まらず広義の平和を示す)に混乱を来たすのではないか、という危惧も持ち得る。

Img_6678  手段として平和を用いても、結果として平和以外のものが到来しては本末転倒である。いわば、達成できる目的としての平和を希求するには、どのようなものがあるのか。いわゆる、一方的な軍備廃止や強制的停戦というような手段としての平和を用いれば歪が生じて短期間で平和ではない方向に指向する。

Img_5300  他方、長期的な平和という目的を達するには、もちろん、ミクロ、マクロの観点から様々な方策があり得、更に試行錯誤があり得る命題だ。整理する間もなく書き連ねた弱み、問題提起に終わることは恐縮であるが、いわゆる、祈るような平和主義と平和祈念から脱却した上での、戦争と平和に関する再検討が必要なのではないか、と考えて終戦記念日の記述としたい。

HARUNA

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海上自衛隊横須賀基地 横須賀サマーフェスタ2007 DDG56 John S. McCain

2008-08-14 16:35:26 | 海上自衛隊 催事

■ヨコスカサマーフェスタ2007

 横須賀サマーフェスタ2007は、横須賀市制100周年ということもあり、アメリカ海軍のミサイル駆逐艦も一般公開された。ミサイル駆逐艦であるが、イージスシステムを搭載しているいわゆるイージス艦である。

Img_9066_1  DDG56 John S. McCainは、アーレイバーク級ミサイル駆逐艦の六番艦として1994年に就役した。満載排水量8315㌧で、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」型ミサイル護衛艦より一回り小さく、汎用護衛艦の「むらさめ」型や「たかなみ」型よりも一回り大きい。搭載するイージスシステムはベースライン4で、汎用駆逐艦にイージスシステムを搭載することに重点を置いており、ヘリコプター格納庫など航空機搭載設備を有していない点が特筆される。

Img_9010  艦橋左右には12.7㍉重機関銃が連装で搭載されている。これは2000年にイエメンのアデン港において同じアーレイバーク級ミサイル駆逐艦のコールが停泊中に自爆ボートによる攻撃を受け、大破した戦訓に基づくものである。目視照準のローテク装備であるが、その分、手動により即座に射撃に移ることができる即応性が挙げられる。

Img_9033  艦尾の飛行甲板において展示販売を行う水兵。アーレイバーク級は、初期型のフライトⅠが21隻、システムを一部改良し価格低減を同時に図ったフライトⅡが7隻、更に後部甲板にやや無理ではある者の900㌧の満載排水量増加で2機分のヘリコプター格納庫を配置したフライトⅡAが最終的に34隻が建造される計画で、アメリカ海軍の標準駆逐艦としての地位を担う水上戦闘艦となるであろう。

Img_9061_1  25㍉単装機関砲。ブッシュマスターと愛称されるこの機関砲は、米軍では装甲車車載機関砲として多く用いられている。電動式で、これも対自爆ボート用の装備であろう。英海軍などは30㍉単装機関砲を個艦防空用に搭載しているが、本艦ではレーダー管制の20㍉CIWSがこの任務にあたっている。

Img_9078_1  先日、海上自衛隊の現役幹部の方にお話を聞いた際、海上自衛隊の護衛艦は艦橋周辺に12.7㍉機銃を単装で左右二門を搭載しているだけであるが、水上艦としては、ローテクであってもこのように機銃などを出来る限り装備しておく方が、本来用途に適っているのではないか、というお話だった。小生も、例えば事故防止の見張り面の向上も含め、こうした措置は広くとられるべきでは、とおもったりもした。

Img_9080_1  更に12.7㍉機銃が並ぶ。艦橋付近にはM-16A2を装備した水兵が警戒にあたっていた。弾倉は取り付けられていたが、防弾ベストなどは着用していなかったので、日本国内の港湾はまだ安全という事だろうか。この駆逐艦、CIWSにはカバーが被せられていた。護衛艦は銃身むき出しであったが、12.7㍉機銃は取り外されていたのが印象的であった。

Img_9082_1  弾薬ケース。すぐに取り出して撃てるような配置となっている。ジョンSマッケーンは、上甲板のみが一般公開されており、艦内は一般公開されていなかった。個人的には、艦内の売店や食堂がどういった設計になっているか、護衛艦と比較したかったのだが、これはまあ、もう少し日本の近海が平和になるまで実現は難しいのだろうか。

Img_9089_1  海上自衛隊の護衛艦と、この米海軍のミサイル駆逐艦、細かいところを見ると日本の艦船の方が小奇麗なのだが、それ以外にもなにか本質的に違う雰囲気。あと、驚いたのは、写真のスポーツ飲料を含め、さまざまな物資の在庫が中々尽きないということ。在庫もイージス艦の建造数も、アメリカの物量、というものを強く感じた印象である。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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海上自衛隊横須賀基地 横須賀サマーフェスタ2007 訓練展示

2008-08-13 19:22:25 | 海上自衛隊 催事

■ヨコスカサマーフェスタ2007

 横須賀サマーフェスタ詳報第三回は、訓練展示の様子である。海上自衛隊というと、護衛艦や潜水艦、哨戒機が筆頭に挙げられるイメージがあるが、その作戦遂行能力を支えるのが地方隊の重要な任務である。

Img_9039  横須賀サマーフェスタ、訓練展示は、横須賀水中処分隊の複合艇による機動展示より開始された。水中処分隊隊員の最大の難関は5週間に渡るスキューバ訓練で、25㍍プール無呼吸の水泳を立て続けに何十も泳ぐ、そして妨害排除などの訓練を行う。港湾埋め立て作業などで発見される第二次大戦中の機雷や魚雷、不発弾などを確実に排除するには、こういった厳しい関門を潜り抜けねばならない。

Img_9047  水中処分隊の訓練展示の背景を体験航海を実施していた護衛艦「はたかぜ」が帰港してくる。イージス艦とターター搭載ミサイル護衛艦の移り変わる過渡期に導入されたミサイル護衛艦で、満載排水量は5900㌧、前方からの経空脅威に素早く対処するべく、艦首付近にスタンダードミサイル発射器を搭載したことで、この独特の艦容に繋がっている。

Img_9005  第二回の体験航海に向かうべく、護衛艦「しらゆき」が基地を出港してゆく。ヘリコプター甲板には鈴なりの艦船ファンがカメラを並べ、親子連れが手を振っているのがここからも見えた。手前にみえるのは海上保安庁の放射能測定船「きぬがさ」。米海軍の原子力艦寄港時には必ず放射線測定を実施している。幸い、放射能測定船が放射能を検知した事例は無いようだ。

Img_9018  SH-60J哨戒ヘリコプターによる機動飛行。順次最新型のSH-60Kに近代化されているものの、数の上では現在の海上自衛隊主力哨戒ヘリコプターである。哨戒ヘリコプターの存在は潜水艦の天敵といってよく、上空に哨戒ヘリコプターが飛行しているだけでも潜水艦の行動を大きく制約させる。この無言の抑止力が潜水艦の脅威からのシーレーン防衛の完遂に近づける。

Img_9019_1  港内において実施された曳船(タグボート)による放水展示。今回の展示には横須賀港務隊の曳船68号と曳船79号が参加した。実際、夏期のものすごく暑い季節には、放水をみているだけでも清涼感が伝わってくる。着色された放水で、逆光なのが残念であるが、非常に晴れ渡った空に放水が散ってゆく様子が幻想的だ。曳船は、放水とともに機動航行を展示していた。

Img_9030  SH-60Jによる救難飛行の展示。哨戒ヘリコプターは、外洋においては護衛艦の艦載機として、対潜哨戒の他、工作船対処やミサイル誘導の中継といった戦闘任務にくわえ、災害派遣任務にあどにもあたる。機内のスペースを活かせば、海難救助から急患輸送、緊急物資輸送などにも活躍する。

Img_9031  救難飛行展示において要救助者を回収し続いて救助にあたった機上救難員(フロッグマン)を吊り上げている様子。足ヒレのシルエットが大きめに写っており面白い。SH-60Jは、ここ数年間の横須賀サマーフェスタにおいて飛行展示を実施しているが、その前はS-61が救難飛行展示を実施していた。砕氷艦「しらせ」艦載機として運用されるS-61は、SH-60Jと同じ館山航空基地に所属している。

Img_9045  ミサイル護衛艦「はたかぜ」と護衛艦「しらゆき」が体験航海を終えて入港してきた。撮影時、「はたかぜ」は第1護衛隊群の第61護衛隊に所属、「しらゆき」は横須賀地方隊第21護衛隊に所属している護衛艦で、入港の様子も複数となると急にフレームが賑やかになった印象だ。

Img_9071  曳船66号と曳船74号、横須賀港務隊の曳船で、それぞれ排水量は35㌧と50㌧。海上自衛隊は40隻の曳船を運用している。こうした支援船は、入出港支援や人員輸送を行う第一種、基地周辺での訓練や爆発物処理を行う第二種、訓練教育用の第三種に区分され、曳船は入出港の支援を行うので第一種支援船に区分される。

Img_9073  手前の船は、交通船2146号。交通船2137号型で、基準排水量は30㌧、船体はFRP製で、主として沖に停泊する艦船や基地の離れた区画と区画との連絡に用い、場合によっては港湾哨戒などにも用いるという。交通船には、上陸用舟艇型の船首がランプになったものもあり、支援船の世界は、なかなか奥が深いのだ。

HARUNA

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海上自衛隊横須賀基地 横須賀サマーフェスタ2007 護衛艦一般公開

2008-08-12 19:23:04 | 海上自衛隊 催事

■ヨコスカサマーフェスタ2007

 海上自衛隊横須賀基地一般公開“横須賀サマーフェスタ”詳報、第一回の基地入場に続き、第二回は、護衛艦「ありあけ」などの艦内一般公開の様子を掲載したい。

Img_9288  水面に映る海上自衛隊の艦船。この日に開放された横須賀基地吉倉桟橋には多くの艦船が停泊しており、これらの艦船が一般公開されている。神戸港や大阪港、名古屋港に艦船が寄港した場合に一般公開が行われることもあるが、これだけの数の艦船が同時に一般公開されるのは、こういった海上自衛隊の艦船基地ならではの規模といえる。

Img_9102_1  今回の写真は、護衛艦「ありあけ」のものである。「ありあけ」は9隻が建造された「むらさめ」型護衛艦の最終艦として就役した護衛艦で、本型は護衛艦としてステルス性を強く意識した設計を採用、国産のFCS-2と加え、垂直発射装置(VLS)を大胆に採用したのも本型の特色で、Mk41に内臓されたアスロック、Mk48に搭載されたシースパロー短SAMによる素早い任務遂行が可能である。

Img_9143_1  艦橋部分。「むらさめ」型護衛艦は艦橋情報装置ABSを護衛艦として初めて採用しており、データ化された航海情報を大モニターに表示、航海要員に提供している。艦橋のすぐ後ろにFCS-2機器室が配置されている。その一層下にはチャフ弾庫、通信機器室が配置、一層下にCIWS管制室と二層に別れた士官居住区が配置されている。この01甲板の居住区には、右側に艦長室、左側に司令室が配置されている。

Img_9141_1  イギリスのJane's Fighting Shipsが記載した内容によれば、「本型は、あさぎり型の拡大改良型というよりもこんごう型の縮小型というべき」という旨を十年ほどまえに掲載したが、そこまでではないものの、三次元レーダーであるOPS-24対空レーダーを搭載し、戦術情報処理装置OYQ-9、対艦戦術情報処理装置ASWCSなどにより高い能力を有する。

Img_9164  一般公開された士官室。写真はサロンエリア、諸外国、特に西欧諸国の艦船をみると、バーカウンターなどを設けたフリゲイトや駆逐艦もみられるが、海上自衛隊は基本的に禁酒である。また、木材を多用した西欧諸国の艦船の士官室と比べると、防火性を重点的に設計した印象で、さしずめ、機能的な寝台特急カシオペアと豪華特急トワイライトエクスプレス、という違い、という印象だろうか。居室は基本的に二段ベットで、環境としては、寝台特急に例えると全体的に最盛期の東海道山陽ブルートレイン並、幹部は二人用個室A寝台並、曹士は開放型B寝台並というところか。

Img_9167  士官室。天井の配管などが隠されている部分など、こういう部分への配慮から、士官室らしさがよくわかる。この他、体験航海などで休憩所として開放される科員食堂がある。この他、曹士用に15名に一箇所の割合で、レストエリアがある。内装としてはその中間くらいのレベルとして、先任海曹が利用するCPO室がある。

Img_9178  主機操縦室。機関室にはスペイSM1Cガスタービンエンジン二基、LM2500ガスタービンエンジン二基が搭載されている。スクリューは二軸方式であり、スペイSM1CとLM2500が各一基づつが用いられるCOGAC方式が採用されている。機械室は自動化されており、機側自動運転が可能となっている。ただ、ロールスロイス社製とジェネラルエレクトリック社製エンジンを合わせて搭載している事で、無駄な点もあり、政治的妥協を強いられた背景も垣間見える。

Img_9174  状況表示板。攻撃を受けて被害などがでたりすると、被害箇所について、ここに配置されたランプが点灯します、と解説を受ける。本型は煙突が二箇所に分かれていることから分かるように分散配置されており、このシフト方式を採用することでミサイルや魚雷による被害の局限化を期している。この他、艦内のデータ通信や電話を被害発生時に脆弱性のある通常ケーブルから光ファイバー方式としているのも本型の試みだ。

Img_9175  被害表示ランプが一斉に点灯、ここまで同時に被害を受けたのか、ああ、今日が命日だ、と半ば諦めムード。案内の隊員さんが、慌てていや、ランプの点灯試験しただけです、と。閑話休題、プレーリー装置付可変ピッチプロペラの採用や微粒子水泡を用いたマスカーを搭載しており、音響ステルス性にも、上部構造物のRCS低減ステルス性並の大きな配慮をしている。

Img_9193  科員食堂。椅子は48基あり、129名が交代で食事をとるようだ。本型は、汎用護衛艦として始めて科員居住区に二段ベットを採用していることが特筆される。これは、基準排水量増大により「あさぎり」型よりも艦内容積が増加した一方で、自動化により乗員定数を低減させることに成功したからで、更に定員の一割程度は、ソファー兼寝台を利用することで、これまでは自身の寝台以外座る事が出来ない、という艦内生活に余裕を与えることが出来た。

Img_9190  「むらさめ」型護衛艦は、科員寝台を15名分づつに小分けしておりプライバシーをある程度確保した設計を取っている。ただ、「たかなみ」型からは大部屋方式に回帰しており、その話を聞いた時、戦闘艦と居住性は両立し得ないのだろうか、と考えさせられたものだ。しかし、インド洋やアラビア海といった行動範囲の増加に伴い、居住性とストレス問題は、どれだけ考えてもやりすぎという事は無いだろう。

Img_9199  嬉しい麦茶のサービス。乾いた喉に染み渡る冷涼感、本艦は佐世保基地から展開したとのことで、佐世保というと実戦的な基地部隊というイメージがあるが、こういった気配りもあるのか、と感謝した。居住性に関してであるが、本型から司令、艦長、士官、先任海曹、曹士の各浴室に洗濯機と電機乾燥機が個別に配置されており、更に水周りの設備の一人当たりの個数も、従来の護衛艦よりも増加しているようだ。

Img_9200  艦内にあった書架。重要な娯楽といえる。貨物船や客船の自動化と稀に比較する人も居るようだが、実際はダメージコントロールなどを考えると、その自動化には限界がある。米アーレイバークミサイル駆逐艦などと比べると、かつての護衛艦の寝台とロッカーしかなかった居住区と比べれば進んだものの、娯楽などについて更に進んでもいいのでは、と思ったりもする。

Img_9206  ヘリコプター格納庫部分。2機を収容することが可能とされるこの格納庫は、搭載ヘリコプターのローター取り外しなどの作業も考慮している。一定時間以上海上を飛行した場合塩分除去などのために取り外す事は珍しくないということである。着艦拘束装置は、艦の後方気流と回転トルクの関係上、右舷後方から着艦するということで、レールや格納庫内の配置も工夫されている。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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