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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

すべての感情は美しい天からのプレゼント!(プロセススケールを考える 5/12)

2013-06-15 | 第三章「無意識の世界」

 嫌な感情が湧き上がると、そんな自分を責める。これは、どうもかなり一般的なようです。しかし、それは心の健康にとってどうでしょうか。湧き起る感情をすべて受容し、そこから貴重な前向きな意味を汲み取り、地に足がついた思考や行動に結びつける。これが、生き甲斐の心理学から学んだ、私の拙い思いです。

 嫌な感情を抑圧して、それゆえに心の自由さを失った典型的な例があります。私の6歳の時の友達の交通事故現場に遭遇した事例です。

 A君は、元気なリーダーシップのある子供で、私とBさんはいつも一緒(同学年だった)にA君に従って登校してました。そのうち、A君は車の通りが激しい通りを、駆けて横断する遊びを思いついたのです。勿論、車に轢かれないように駆けて渡るのですが、それについて行くのは結構苦痛でした。

 そして、ある朝A君はB君と私の前で急に通りに飛び出し、車に轢かれてしまったのでした。その時の場面は、今でも思い出すほど鮮明なものでした。ただ、そのときの感情は随分時がたってから思い出したのでした。

 実は私はA君が轢かれて、ホッと明るい感情が沸き起こったのです。しかし、この事件は社会的に見れば、A君の悲惨であり(轢かれて数日後に亡くなる)、私の周りは悲しみに満ちました。6歳の少年でしたが、私はそういう環境の中で、事故のときの明るい感情を抑圧(人からの避難、嘲笑等を恐れて意識、無意識に、何らかの感情、自己主張を我慢する)してしまったのです。

 特に日常生活に影響を大きく与えた事件ではなかったようですが、心の抑圧は、幾分か心の健康に暗い影を与えたようです。車を運転するのが何となく嫌だとか怖い。変な自責感。そんな病的な傾向が実に40-50年続いたようです。そして、生き甲斐の心理学と出会い、自分の抑圧に気がついたことは大きな喜びでした。きっと、天国でA君も喜んでくれたと思います。

 こうした勉強をしなければ、恐らく解決できなかったと思いますが、解決への大きなポイントは、すべての感情を大切なメッセージであり、自分の真実を語る何かと考え直したことだと思います。考えてみれば、人はとにかく、虐められていると思っていた私にとって、A君がいなくなることは、ある意味嬉しかったのでしょう。それは、自然な感情です。

 今となっては、そんなものだと思いますが、人の心は複雑で、6歳のころに感じたり、考えたりしたしたlことが、大人になってからも無意識に残り、歪みを産みます。

 湧き起る感情のうち、明るい感情は少ないものです。本当の幸福感など、人生の後半になって初めて感じたりしたように貴重です。それに対し、日々の殆どの感情は不安、怒り、身体症状、ウツ、錯乱など、あまり心地よくありません。しかし、そういった感情は真実を語る、神聖なメッセージと考えてみたらどうでしょうか?

 そして、感情を前向きに解釈する修行を積むことで、生きる力は遥かにますようです。また、人生の岐路の中で正しい判断をしたり、何よりも悔いのない人生を歩む杖となると思います。

 今回の旅行で行った、吉野の宮滝遺跡。謀略が渦巻く政治の世界の中心人物、持統天皇が31回行幸したとの記録が日本書紀にあります。現代の日本以上に極めて複雑怪奇な政治の中で、的確に判断をしつつ世の中の方向を定めた大政治家でもある持統天皇。その感情は、きっと吉野川のように清かったかもしれません。

  

プロセススケールを考える 5/12

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