イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

なみだの神様!(プロセススケールを考える 2/12)

2013-06-12 | 第三章「無意識の世界」

 早朝、一人で畝傍山に登ったが、登山口の近くにひっそりとした神社があった。東大谷日女命神社である。以前から気になっていた神社なので、神社を訪れた。鶯の声が冴え渡り、綺麗に紫陽花が咲いていた。

 なかなか良いところなので、次の日に旅行の仲間と一緒に神社の近くで爽やかに太極拳をしたりした。旅行から帰ってから、ちょっと気になるのでネットで神社のことを調べると、神武天皇のゆかりの奥様を祀ったとか、イザナミを祀ったとか諸説がある古い歴史を持つ神社のようである。

 そんなこともあり、今日は日本神話のイザナギ(男神)、イザナミ(女神)の話を読み返したりした。

 最愛のイザナミの命が火の神を産んで亡くなってしまう。それを観て夫のイザナキは泣く。その涙の中から生まれたのが涙の神様、ナキサワメの神。そして天香久山の麓にある畝尾都多本神社に祀られたとある。今回の旅行では、天香久山周辺の神社はいろいろ訪れたが、なんで寄らなかったかと後悔。実に涙(笑)。

 それは、とにかく古事記や日本書紀に掲載されている神話には感動する。涙の神様、ナキサワメの神もそうだが様々な神様の出生の秘密が記されている。特に驚くのは、汚くて申し訳ないが大便、小便、ゲロから生まれる神様までイキイキと語られているのだ。

 ギリシャ神話など、古くからの神話にも共通するが、訳の判らないような世界を描きつつも、神話の中にでてくる感情はイキイキとしている。イザナミをなくしたイザナキの悲しみは涙の神様になる。

 生き甲斐の心理学では、<湧いてくる感情はすべて意味がある>。そして<その意味を読み取らないと正しく自分を愛することができない>とある。当然ながら正しく自分を愛せなければ正しく他人も愛せない。それほど、湧いてくる感情は大事なのだ。

 神話の涙に象徴される感情は何だろう。直接的なイザナキの感情ではないが、萬葉集に巻2ー202に和歌があるので引用してみた。

 泣沢の 神社(もり)に神酒据ゑ(みわすえ) 祈れども 我が大君は 高日(たかひ)知らぬし

 (泣沢の 社に神酒を捧げ 祈ったが わが高市皇子は 空高くのぼってゆかれた)

 感情の中に絶望と希望が含まれているような意味があるように思えてならない。

 私もそうだが、世の中では自分の感情をストレートに表すことができにくい。しかし、倫理道徳等で自分をがんじがらめにすると自分の感情すら判らなくなってしまい、心の不健全に陥る。どんな湧き出す感情をも、いったん神々のように大事にしてみる。その中に知恵が隠れているのではないだろうか。

 プロセススケールを考える 2/12

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