先日行った薬師池公園。今まで気がつかなかったが、望遠レンズ付きのカメラの威力で、池の真ん中付近にある筏の上の不思議な風景を知った。
初夏の光を浴びて、鳥や亀が呉越同舟ではないが、のんびり一緒に甲羅干し、日向ぼっこをしているのだ。私も池で泳いだりしたら、一緒に甲羅干しも悪くない!?。
さて、他者を支援する場合。まず相手を知らなければならない。特に、心の支援は相手の性格理解が必要だ。性格理解のためには、性格形成論をきっちり勉強することが、やはり大切だ。臨床心理学関係では大きく8つの学派があって、それぞれ性格形成論をもつが、生き甲斐の心理学ではロジャースやエリクソンの性格形成論をU先生から深く学んでいる。
ただ、現場では性格の着眼点がとても大事だと思う。
U先生の生き甲斐の心理学の着眼点は、とてもシンプルである。<喜怒哀楽の感情>=<理想>と<現実>のギャップ。かなり荒いが、こんな公式になる。そして、まず<喜怒哀楽の感情>に注目する。
さて、自分の事例で考えてみよう。昨日仕事に行く時、駅でパスモ・カード(Suicaとか、そういった乗車用のカード)がないことに気がつき不安になった。落としたのか、どこかに忘れたのか。また、いつもの忘れ物か。しかし最悪の落として他人に使われたら・・・不安が湧き起る。
こうしたことは、誰にでもあるかもしれない。しかし、パスモ・カード紛失の反応は人類の数70億とおりあるのだろう。こうあるべきだ・・・というような理想は生育史の影響もあり人それぞれである。そして、この理想は時には凶器となり人を苦しめることすらある。また、理想とともに現実の解釈もひとそれぞれ。そして理想と現実のギャップとしての喜怒哀楽。
結局、カードはジャケットのポケットの中に鎮座されていた。
私は、どこか生育史からくる固有の不安に憑かれていた部分があったかもしれない。しかし、慌ててカードを探しに戻って遅刻をしたり、他人を巻き込んで混乱させることもなかったので現実吟味力のありようは普通だったようだ。私のモノ無くしの不安の原型はなんだろう。小学校一年のころの担任の先生に怒られた経験?
こんな風に、自分の生育史を着眼していくと、いろいろ発見があったりする。
とはいえ、パスモのカードは、それを利用する人にしか意味はない。もちろん、鳥や亀にとっても食べられないし喜怒哀楽が湧き起ることもないであろう。
支援すること 4/8