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修学旅行は巡礼の旅の予行演習!(古今東西 10/10)

2013-06-10 | 第三章「無意識の世界」

 中学生のころだっただろうか。イスラム教のメッカ等の巡礼のことを学んだ。ヘーと思ったが、何か遠い世界のことのようであった。

 私は中年を過ぎるころから、急速にキリスト教(カトリック)に接近した。それと同時に比較宗教学や比較文化学を大切にするオックスフォード流の心理学をU先生から学んできた。そんなことで、巡礼にも接近してきた。

 一気にイスラム教の巡礼ではなく。身近な巡礼に興味を持つようになったのだ。カトリックも巡礼をとても大事にしているが、日本でも西国三十三箇所、坂東三十三箇所、四国八十八箇所など巡礼を大事にしている。最近、流行りとなってきた御朱印帳も買い求めて実際に廻ると、いろいろ見えてくるものだ。そして、巡礼を大事にしている方は宗教は別にして親近感を覚えるようになってきた。

 今回のNPOCULLの奈良の旅も、持統天皇を中心とした巡礼の旅のような側面があった。それは、まさしく日本の原型探索の旅でもあった。飛鳥寺、岡寺、本薬師寺、薬師寺、藤原京跡、天香久山、吉野宮滝遺跡、吉野、天武天皇・持統天皇陵。そして、曾孫の聖武天皇の時代にゆかりの、唐招提寺や東大寺・・・

 人は身体、こころ(生育史を中心とした領域)、魂(宗教の領域)からなるという理論がある。思うに、今の時代というか、自分のことを考えてみても、若い頃は身体を大事にしても、こころや魂は何か置き去りにしていたようだ。それでも何とかなっているのが今の文化ではあるまいか。しかし、どうだろうか?人間には本来、見神欲(デジデリウム)があるという理論がある。そして、ある期間。時間をゆったりとかけて巡礼をし、歩きつつ祈る。これは本当に素晴らしいことではないだろうか。

 今回の旅では、早朝、一人畝傍山に登りつつ祈ったり、昨年来見損ねていた三月堂の不空羂索観音菩薩を拝観したりした。素晴らしい時であった。もう、あちらの世界の住人のような(笑)浮世を離れた時であった。

 さて、不空羂索観音菩薩は中学校の時に修学旅行でも拝観していた。

 修学旅行は、意外に巡礼の旅の予行演習だったかもしれない。良い文化を残していただいた。

 古今東西 10/10

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