写真は鑑真大和尚の御廟の門の鬼瓦であるが、古今東西の聖地には不思議な邪鬼のようなものがよくある。そして、そうした邪鬼のようなもののある世界を抜け出すと、何とも言えない聖なる空間が広がる。
いろいろな解釈があると思うが、「生き甲斐の心理学」の学徒でもある私は、感情の訓練を思い浮かべてしまう。
自分の人生を振り返ると、特に若い頃は感情に翻弄される自分を思い出す。突然、激しく怒り出す人に対し錯乱する。絶望感に襲われて錯乱する。勝手に身動きできなくなる環境に入ったのに、変に欝になる。仕事がうまくいかないのが原因で体調がおかしくなる。大事な人への怒りの感情をみつけて怒る。バクとした不安。
しかし、自分の感情生活をいろいろ経験していくうちに、感情は単にスポット的でないことを、理論抜きに学んでいくようだ。錯乱の後の統御感。欝の後の幸福感。身体症状の後の健康館。怒りの後の友好的感情。不安の後の平安感・・・ちょっと脱線するが、幼いころ、父から肝試しの経験を聴いたり、夜、暗闇の中を買い物に行かされた経験を思い出す。考えてみれば、これも恐怖の後の安堵感等を経験させる知恵だったのかもしれない。
生き甲斐の心理学は暗い感情には同質の明るい感情がペアのように隠れていて、状況が変化したり解釈を変えるなどで、180度移行できることを教えてくれる。そして、過去の自分の暗い感情の変遷を研究していくと、いろいろなことが見えてくるのだ。そして、自分の感情を理解すればするほど、感情自体を恐れなくなる。それは、自分の感情だけでなく他人にも当てはまる。
世の中には支援する仕事が沢山あるが、その道のプロはこの感情の訓練を自然に身につけている方が多いようだ。自分も、仕事柄感情の訓練に磨きをかけていきたいが、その最重要なのは、様々な自分の成功事例、失敗事例だとおもう。
支援すること2/8