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大津皇子に関するメモ (2014年春の関西 )

2014-03-05 | 旅・雑記帳

 3月中旬に、琵琶湖・唐崎での勉強会への寄り道で、ちょっとした旅を計画しています。その一つが大津皇子を中心とした旅、大津皇子を体感したいのです。今まで読んだ古代史関係の小説や歴史。やはり現地で五感で体感したいのです。今日は、その準備のためのメモを投稿しました。大津皇子や壬申の乱、7-8世紀の日本の原型に興味のある方は参考にしていただければ幸いです。勿論、私のためのメモでもあります。

以下、大津皇子のメモ:

 A. 大津皇子の基本的な情報はウィキペディアに:

 B. 和歌や漢詩はとても大切なので、以下に関係ある歌を記します。引用は注がないものはウィキペディアより引用しています。

  a. 辞世の歌

    ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (萬葉集 3-416)

    金烏臨西舎 (金鳥 西舎に臨み)
    鼓声催短命 (鼓声 短命を催す)
    泉路無賓主 (泉路 賓主無し)
    此夕誰家向 (この夕 誰が家にか向ふ)

  b, 懐風藻(全訳注 江口孝夫 講談社学術文庫)の大津皇子の歌(現代語訳)

   ①御所の池のほとりにくつろぎ 御苑を散歩し景色を眺める 澄んだ池底に水草がゆらぎ

    霞んだ連峯は薄墨色にたたずむ さざ波は琴の音とともに

    鳥の声は風に乗ってくる 酔った諸公をのせた船の帰るさ 淵明の宴をたれか論ぜんやさ

     (全訳注 江口孝夫 講談社学術文庫 p55)

   ②朝に芸能の士を択んで狩りし 暮れには万騎の勇士と酒宴を開く

    肉を頬張り心のびのび朗らかに 盞を傾けてうっとりと酔うている

    勇士の弓は谷間にきらりと光り 幡の幡幕は峯の前にひるがえる

    日はすでに山の端にかくれたが 友はなお席上気炎をあげている

           (全訳注 江口孝夫 講談社学術文庫 P58)

   ③大空の紙に風の筆勢で雲翔ける鶴を描き 

     山姿の機に霜の飛び杼で紅葉の錦を織る

     天紙風筆画雲鶴

     山機霜杼織葉錦

       (全訳と元の漢詩 江口孝夫 講談社学術文庫 P59-60)

   c. 和歌

  • 万葉集巻第2 105~106番
    • わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし
    • 二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ
  • 万葉集巻第2 107~109番
    • あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに
    • 吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを
    • 大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し
  • 万葉集巻第2 163~164番
    • 神風の伊勢の国にもあらましを なにしか来けむ君もあらなくに
    • 見まく欲(ほ)りわがする君もあらなくに なにしか来けむ馬疲るるに
  • 万葉集巻第2 165~166番
    • うつそみの人なる我(われ)や明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む
    • 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに

 

  C. 年表

       663年 白村江の戦いで日本敗北: 大津皇子 九州で生まれる(尚、660年ころ大津で生まれたとする説もある)

      667年  大津京遷都 4歳

    668年 蒲生野にて天智天皇と天武天皇の争いが 近江令の年 5歳

      669年  鎌足、藤原の姓を賜う。そして、死去。

    672年 壬申の乱 近江から桑名等に 9歳 大津京を廃して、飛鳥浄御原宮に遷都

      673年  天武天皇即位、持統皇后

    679年 持統天皇・六皇子の盟約 難波宮に羅城を築く 16歳

    680年 薬師寺建立 持統皇后病 17歳

    681年 草壁皇子が皇太子になる 18歳

    682年 大津皇子 初めて朝政 19歳

      684年  八色の姓制定

    685年 位階60階 23歳

      686年  難波京焼失

    686年 天武天皇崩御、持統天皇称制、大津皇子謀反の罪で死を給う

  D. 参考文献からのメモ

   ①黒岩重吾著 天翔ける白日 小説 大津皇子

  大伯皇女斎宮:天武天皇と大伯皇女の関係(天武天皇が憎悪していた天智天皇を投影していたのでは)という説、

   持統天皇が政治的に大伯皇女を嫌うという通説。

  石川郎女(大名児)と草壁皇子、大津皇子の三角関係は、一時代前の額田王と天武天皇、天智天皇の関係と相似形。

   この三角関係が、この小説の大きな魅力になっている。

  御方皇子:名前は不詳だが続日本紀に天武天皇の時代に皇子をはく奪された皇子がいて、それを大津皇子の事件と結びつけた。

       天武天皇の前半生は日本書紀に掲載されておらず、前半生の妃がどうだったか。

  大津皇子の死は、持統天皇の陰謀説などに繋がるが、黒岩氏は政治の構造的な問題から、日本書紀の記載とおり大津皇子の陰謀があったとして    いる。

  津守連通の情報収集力、持統天皇との関係が面白い。

  新羅との関係がよく判る

  大津皇子の死を、彼の自己実現のありかたとして描き、その死に関しても萬葉集の歌ではなく硬質の懐風藻の歌で解釈している点は面白い。

  金烏臨西舎 (金鳥 西舎に臨み)
   鼓声催短命 (鼓声 短命を催す)
   泉路無賓主 (泉路 賓主無し)
   此夕誰家向 (この夕 誰が家にか向ふ)

   ②死者の書 折口信夫著

  難解な小説だが、熟読したい。

  E. 今回観光を検討する場所: 

             当麻寺(壬申の乱の激戦地としても有名)、二上山、鳥谷口古墳、

             天智天皇山科陵(持統天皇の時代につくられた)

             近江大津京跡

             弘文天皇陵(大友皇子陵 大津市市役所近く) 

             瀬田唐橋

             蒲生野万葉公園

             などなど

 

2014年春の関西

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過去に生きたり、将来に生きたり・・・でも今でしょう!(時間と空間の旅 ④ 6/10)

2014-03-05 | 第二章「五感と体感」

 月に一回のペースで江の島の近くの腰越の勉強会に通っている。昨日も、快晴で片瀬江ノ島から腰越まで散歩しながら向かった。

 普段は、トンビが眼につくが、昨日は鳩が何故か多いようだった。勿論トンビも眼を光らせていたが。

 

 さて、最近、南海トラフなどの関心が高まったこともあり、地震の際の脱失のための情報が目に付くようになった。時折みかける海抜表示。緊急時のための看板など。とはいえ、そういうときは逃げればイイネ!と昨日などは気楽に考えたものだが、かつて、20歳台のときに海岸の異常に高い防波堤などを見ると、恐怖感に苛まれた時期があった。

 これは、将来の不安が異常に膨らんだ経験だと思うが、それゆえに平和に昼食をとっている今がどこかに消えてしまう。昨日だと、鳩とにらめっこをする余裕もなく、鳩も何か邪眼?を感じて逃げ出してしまうようなものだ。

 これは、将来の不安だが、過去の不安に生きる人もいる。私も一時そういう経験をしたが、ある事件を過剰にとらわれてしまい、罪悪感、劣等感、疑惑感などが噴き出すようだ。

 そして、将来の不安や過去の不安に生きているときは、どちらも共通点があるように思っている。心理療法の世界ではアイデンティティの問題を学びなるほどと思ったりする。私の場合だと、①自分は何に為に生きているか?など考えていない状態だ。目先の問題に追われたりするなか、自分のアイデンティティを見失い、過去や将来の不安の中に逃げ込んでしまう。

 ある意味心地よいのかもしれないが、変なのだ。

 自分が何のために生きているか?生き甲斐は何かがはっきりすると、例えば過去のことで無益な劣等感や罪悪感はどこかに吹き飛ぶ。そんなバカバカしい将来や過去のことより、自己実現の現場、今が大事だと思うようになるからかもしれない。

 写真の鳩は、シャッターを押した次の瞬間飛び立って海の方向に去ってしまった。ノアの方舟で陸地を目指した鳩が希望を象徴するようであった。

 

 

時間と空間の旅 ④ 6/10

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