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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の生き甲斐を見つける旅!(時間と空間の旅 ⑥ 2/10)

2014-03-25 | 第二章「五感と体感」

 家の近くの大栗川には水どりが、琵琶湖ほどではないが、群がっている。水どりにとっては、餌を食べ子供をなし、集団で移動をしたりすることは誰が教えたか判らないが当たり前で、特に深く考えているようでもない。

  

 恐らく地球上で人間だけが、「何の為に生きているのか?」、「生き甲斐は何か?」などを考えるのだろう。しかし、こうした自問自答は自分のことを振り返っても、意外にしていないようだ。日々の忙しさの中で忘れられがちな、重要だが身近に感じられない問いかけなのだろう。

 「今日の昼飯は何にしようか?」、「この失敗をAさんに言うべきか否か?」など、恐らく、自分の生活の中での思索の大半は水どりレベルかもしれないのだ。

 しかし、時に人生の深淵を見てしまった時など、「自分は何なんだろう?」とか「生き甲斐は何だろう?」と考えることがあるものだ。こうした問いは人類が生まれてからずっと問い続けられたもので、数多の書籍や芸術などの中に様々な試行錯誤が刻まれている。しかし、この問いへの回答は一人ひとり違うようであり、また他者は支援することができても身代わりになることはできないものだ。

 さて、今日は「生き甲斐は何か?」という問いを考えている。

 自分の仕事、自分の家庭、自分の所属するコミュニティ、自分の趣味・・・「生き甲斐」の糸口というか幸福感はある程度見えているが、どんどん時間と共に状況は変わるものであり、自分の「生き甲斐」探しは尽きることがない。そして、自分のアイデンティティの問題、「自分は何のために生きているか?」という問題にも関わりがあり、この問いも尽きることもない。

 最近はよく自分の仕事のことを考えている。還暦を過ぎた私にとっては、死の問題もより身近になり、それゆえ仕事も大事に考えなければならなくなっている。そんな中、自分の「生き甲斐」は何か、自分の心のどこかには回答があるはずだが、十分見えていないことに気付く。

 それは、心理学から考えれば、こころの防衛機制(フロイトの14の防衛機制)ゆえに、見えていないと考えるべきなのだろう。心の安定を得るために(防衛機制をすること)、人には不思議な死角ができる。本来、考えなければならないことを一次的に忘れてしまう傾向だ。それ故にポジティブになれることもあるが、例えば、ネガティブな防衛機制3兄弟(逃避、抑圧、感情転移)で八つ当たりすると、益々負のスパイラルに落ち込む。

 そんな時に、ちょっとした旅をしたのだが、日常の中での自分のストレス曲線を、何か俯瞰する瞬間があったようだ。大津皇子の墓の可能性が高い鳥谷口古墳で一人感じたストレスは、ひょっとすると、自分の生き甲斐を考える上で大切なストレス曲線だったかなと思う。

 大津皇子は謀略だったのか、自滅だったかよく判らないが若くして処刑された。政権トップに近い位置に居ながら状況が激変し死を賜るのだ。次のような辞世の歌を残している。

ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ (萬葉集 3-416)

 大津皇子に感情転移をする中で、私は何か自分の死をどこかで想いつつ、生き甲斐探しをしていたようだ。そして、今は身近な日常でのあり方に直結するパワーとなったようだ。旅でのストレス曲線は貴重な宝だ。

時間と空間の旅⑥ 2/10

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