もう一ヶ月経ってしまったが、先月に10年前に辞めた会社のOB会があった。昔と違い、最近は定年退職で辞めるという方が大半というご時世でないので、老若男女が楽しく集い、とても楽しかった。その中には、私と一緒の時期に辞めた方もいらっしゃって、旧交をあたためつつ、この10年くらいを語ったりし感動したりした。
外資系のコンピュータ会社に勤めて、その後、どのような職業を選ぶかは、ご本人の意志によると思うが、私のように福祉とか心理学の世界に入ったりする、所謂キャリア・パスを度外視して新しい道に入る人も確実にいらっしゃる。昔と比べ格段に厳しい就職環境であるにも関わらず、選んだ方向性を粛々と進む姿は美しい(自分もかな?)。
現在、世界的な雇用環境の激変で、職を得ることで悩んでいる若者も多い。また、定年退職した後の生活で悩んでいらっしゃる方も多い。そんな話を、いろいろなところで最近聴く。
さて、一般論、他人は他人としても、自分でも同じような切実な問題がある。今はとにかく将来は今の仕事を続けられる保障もないし、自分のしたい(できる)仕事分野も変化してくるだろう。どんな仕事をするかは、恐らく人生の悩みとして付きまとうのだと思う。
そんな中、「生き甲斐の心理学」を思い出しつつ、職業についてあれやこれやと今日は哲学してみた。
事例は自分のことでしか話せないが、私は、父母や祖父の影響から建築家を目指したものの、大学は創造工学とか心理学という別の分野に興味を持った。しかし、不思議な偶然とそれまでの習慣(生育史)の賜物で、某外資系企業に入社し全く考えてもみなかった営業の仕事やマーケティングの仕事を30年近くやってきた。
そして、中年の悩み多き波乱万丈の中で、「生き甲斐の心理学」に出会い、会社を辞めることを決心。その後、福祉の仕事を経てお蔭様で社会教育の世界に入っていく。この中で、良かったことは、好きな「生き甲斐の心理学」の学びと普及の仕事が続けられていることで、そんな私の背中を見つつ家族も自然体でそれぞれの道を生きているようだ。勿論、別の道を選んだわけでないので、それが良かったかどうかは永久に判らないが、自分では満足している。
こんな拙い経験の中、先日、図書館で見つけたパスカルの次の言葉にハッとした。
「人間は、屋根屋だろうが何だろうが、生まれつき、あらゆる職業に自然に向いている。向かないのは部屋の中にじっとしていることだけ」。パンセ138(中央公論社 世界の名著 パスカル)
会社を辞めた時、心理学を学ぶ中で興味があったので、ハローワークで職業選択支援のコンピュータソフトを試したことがあった。その時、自分がやろうとしていた仕事は、かなり不向きとの答えがでた。まあ、キャリアパスから職業を考えたわけでないので、長年の仕事・習慣(生育史)の中から、新しい仕事分野は無謀・不向きと出たのだろう。しかし、実際にやってみると2-3年で何とか心地よくできるように。
適性というものや特別な才能なども関係することもあるのだろうが、今思うのは、パスカルが述べているように、生まれつきはどんな職業でも向いているという至言だ。そして、それなら、自分の好きな仕事(自分の傾向に関係があり、自分を自然にモチベートする)を択ぶのが大切だと思うし、「生き甲斐の心理学」の理論にもかなっているように見える。
さて、幼いころから若いころ、両親や祖父母が何となく建築の仕事を薦め、自分でもそう思ったことあったが、それはどうだったのだろうか。
やはり、父母や祖父母の影響は意識・無意識の世界を左右する強烈なものだと思う。会社を辞めて福祉の仕事をするにあたっても、自分の実現しなかった建築の夢が何となく現れ、福祉住環境の資格をとったり、グループリビングの建物に興味をもったりしたことも、今考えるとその影響かなと思う。孫悟空がお釈迦様の手のひらから抜け出せなかったようなところがあるのだろう。しかし、そうだからと言って、真実はパスカルの言葉のほう、さらに自分の傾向と渇望なのだろう。
時間と空間の旅⑥ 1/10