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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

違って見えてくるとき・・・(私のストレスとは? 1/10)

2017-04-05 | 第一章「意識と知覚」

 知覚という言葉がある。これは平たく言えば五感プラス思考だとU先生から学んだ。冒頭の写真は先日、大国魂神社で撮った枝垂桜であるが、美しいなと思い携帯でとったものであるが、視覚と何らかの嬉しさは込められているものの、私的に言えば視覚の写真で知覚レベルの写真ではないようだ。

 同じような風景が、ある時を境に違って見えてくることがある。

 一つの例であるが、10年前くらいに私は何年か福祉の仕事をして高齢者施設に勤めていたことがあった。見慣れた施設の中の風景。それが、母が施設のお世話になり何年か経ったときに、違って見えてきた。それは、施設の理解が身内の母がお世話になることで格段に深まったことによる。単にケアの仕事をしていても、身内でないと切実でないとわからないことがあったようだ。

 他人と自分の知覚の差ということもあるだろう。

 昨日の朝に、テレビを妻と一緒に見ていたら、鯛が6-7匹籠に載せられていた映像が出ていた。おいしそうと妻は知覚したようだが、私は反対に嫌悪感を覚えてしまった。死んだ鯛が並べて写されているという風に知覚してしまったからだ。これは私の年齢もあるかもしれないし、最近考えていることの影響もあるかもしれない。

 このあたりの知覚の差は、結構本来はあるはずだが、毎日の生活の中では流していて意識しないことが多い。しかし、知覚の問題を知ることは、社会生活をするうえの基本なのであろうが、意外に突っ込んで考える人は少ないようだ。

 ストレスを考えるうえでも、知覚の問題は大きいと思う。

私のストレスとは? 1/10

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