もう10年くらい経つが、福祉の仕事をしていた時期がある。一年くらいアルバイトをしつつ資格をとり、障害当事者の団体で何年か働いた。そこで、眼が丸くなるほど衝撃を受けたことがある。障がい者に関する認識も、今では随分変わったが、もちろん人によることであるが、かなり重度の障がいをもっていても、それを知恵をもって克服し素晴らしい活動(健常者以上の)をしている方々が沢山いらっしゃるということであった。
歩けなければ車いす(電動型もある)に乗ったり、車を運転しハンディを乗り越えて活躍する。それは、半分薬漬けでテレビを見て過ごしておられる、見慣れていた老人ホームとは全く違った光景であった(もちろん、そうでない施設もある)。
今、前期高齢者となり、記憶力なども衰えてきたかな感じるこのごろであるが、当時の経験がよみがえってきている。衰えてきている部分は増えても、何かに向かっていれば、智慧でカバーし同じように生活を楽しむことができる。記憶力のカバーも調べてみると、結構いろいろノウハウがあり、身に着けると違う。
健康もそうだが、お金も似たところがある。ハングリー感を感じて智慧を絞ると、不思議なことに世の中の常識に反して、克服できることが多い。
私も、早期退職をしたこともあり、今でも経済的に楽ではない。しかし、その中でも縄文小説を出版したり、旅行を楽しんだりできている。これは、20年前では想像もできない智慧のお蔭だと思う。
さて、智慧はどこから来るのだろうか。自分の能力を信じていた若いころとは違い、今では何かやってくるもののように思う。それは、時々のストレス(理想と現実のギャップ)の意味をあれこれ考えていると、ふと気づいたり、不思議な出会いで教えてもらったりで得るもののようだ。
言葉を変えると祈りと聖霊の働きといった世界かもしれない。
写真は先日の娘の結婚式で送られた花束。これも、私というより誰かに送るべきもののように少し感じてしまう。
私のストレスとは?② 7/10