ストレスの原因はいろいろある。昨年の私のように自分自身の健康不安といった自分関係もあるが、他者がストレス曲線の原因ということも実に多い。
さて、昨日は久しぶりに三谷幸喜監督の映画「short cut」を観た。この映画は、中年の夫婦と妻の幼友達の3人が出演するだけのシンプルな映画であるが、軽妙なタッチながらストレスに関しても考えさせられる映画であった。破たん寸前の不仲な夫婦が、森の中で迷子となるが、そこから脱失する中で変わっていく話なのであるが、お互いを受容し和解していくために、なにが大切かを考えさせられる。
ストレスそのものの他者を、如何に受容していくか。ぷいと離れることができれば簡単だが、仕事上逃げられない、家族などの人間関係のしがらみで逃げられない・・・こんなケースは実に多い。そして、そんな中でどう苦悩と対峙していくか。
この映画では、妻の故郷の森、夫の昆虫への幼いころからの興味、小学校のころに埋めたタイムカプセルなどが巧妙に登場する。個人の花やかな表面的な世界ではなく、個人のもつ本質や傾向、成育史といったことが幅を利かせる、根のような異界の世界だ。
その中で生命そのものから滲み出す、個人の傾向や渇望が見えて来る。すると、表面的な今の世界の解釈が不思議に変わる。普段はあまり見ることもない根の部分を知ることで、他者がストレスであることは変わらないまでも、ストレスが耐えられるものに変わっていく。基本的な解釈(理想や現実の)が変わると世界が変わる。
私個人の経験を考えても、他者のストレスで悩むときに、宗教や哲学で人間とは何かを考えたり、成育史の理解を深めることは、遠回りなようで近道だった。
写真は、聖蹟桜ヶ丘で昨晩とった写真。夜桜はとても素敵だった。
私のストレスとは? 4/10