今日は私にとって最大級のおめでたい日であった。復活祭での孫の幼児洗礼だったのである。そして、感動的なひと時が済んで、家族集まって夕食を囲んだ。が、何かへんだった。皆いらいらしてているようだった。私も、何かへんであった。
こうした場合、自分のストレスを簡単に身体からくるストレス曲線、成育史からくるストレス曲線、魂からくるストレス曲線と分けてみることをU先生から学んだ。身体は医療(物理的な身体)の対象、成育史は心理療法やカウンセリングの対象、魂は宗教や哲学の対象である。まあ、簡単に言うと、このストレスから考えると、医者に行くべきか、カウンセラー(外国では国家資格がある)に行くべきか、宗教家のところに行くべきか・・・こんな分類である。
私は、先週は風邪で熱を出したり、仕事が深夜まで及んでいたので身体からくるストレスだと思った。「いやー疲れてるのかな~」。そんなことを言うと、皆異口同音に「私もそうかな」。
十分睡眠をとっての休養。こころのストレスをああだこうだと分析する以前に、睡眠が十分とれているか、体調はどうかは大事だ。特に4月はそんな季節かもしれない。そして、休養をとる。
この区別は、今の世の中ではとてもに重要だと思う。十分寝ればよい、ちょっと気分転換すればよい・・・そんな時に、結果的にへんてこな身体の治療をして、ますますへんになるということを聞くことがある。魂や成育史の問題に過度な身体の治療(薬)はどうだろうか。
話しはちょっと飛ぶが、認知症治療でスウェーデンでは医療より福祉に投資し、認知症が重度化するのを防ぎつつ、財政的にも成功していると聞いた。興味がそそられる。まあ、その真偽はわからないとしても、生き甲斐を求めている老人に、薬よりは別のものが必要なことは確かだと思う。生き甲斐の実現にそうことが重要ではないか(ささいなことでも)。
そして、実はこの問題について、最近こころの疼きを感じている。
私のストレスとは? 10/10