本当の自分とは何か?
むかしから、時々そんなことを考えてきた。
そして、この10年はU先生の<生き甲斐の心理学>で人格形成論を学び、昔より少し理論的にこの問題を考えることができるようになり、自分の方向性を考えるうえでも役にたつようになってきた。
カール・ロジャースの人格形成論の中に、人は独自の<傾向と渇望>があるという命題がある。人は自分で自分を創造するわけでなく、例えば神仏が創造したかけがいのない生命体とポジティブに考えてみると、本来的な<傾向と渇望>は自己実現の道への指標であり、この世の中での役に立ち方のヒントを与えてくれるようだ。
私の<傾向と渇望>は何だろうか?自分で考えるより、他者の意見や評価が参考になると考える人も多いかもしれないが、ここでは自分のストレスや感情を吟味する方法を考えてみたい。生まれてから、様々な社会を経験する。家族、近所の幼馴染、幼稚園、小学校、町内の祭り、信仰の集まり、中学、クラブ活動、高校、友人関係・・・際限なく、いろいろ出て来るが、その中で自分がイキイキとして輝いていた時、逆に元気がない時を吟味する。いろいろ思索していくと、自分の<傾向と渇望>がはっきりしてくるように思う。それは、残された人生の歩む方向と言ってもよいかもしれない。幼稚園のとき何が楽しかったか・・・経済的、社会的に頑張る中年期を過ぎて、高齢期になってくると幼いころの楽しみや感覚がより身近に感じたりする。
さて、拙書の縄文小説では、主要登場人物の<傾向と渇望>を意識して書いたつもりだ。主人公マポや副主人公ケンなどの幼いころの<傾向と渇望>、これが時代の荒波の中でどう影響していくか。満足する部分もあるが、書き足りない部分も沢山ある。
しかし、<傾向と渇望>を踏み外さなければ、大きなストレス(別離や死など)もネガティブなものというよりポジティブな糧になる可能性も増えるように思う。また、年をとっていくことによる障害も、さほど苦にならないように思う。
私のストレスとは?② 6/10