イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大切なお守りを活かす!(心の仕組みを活かす 4/10 )

2012-11-25 | 第七章「光と復活体」

 今年の2月に、初めてヨーロッパに行ったが、その時U先生やKさんに勧められたフロイトのウィーン大学の銅像を見に行った。今、奮闘している14の防衛機制のフロイトの像である。

 大学の中庭の、たくさんの像の中では、かなり地味で印象的であった。しかし、この地味な像は欧米の学者が記念写真をわざわざ撮りに行くほど大切にされているとのことだった。私も、その時の記念の写真を、「生き甲斐の心理学」の勉強会用の七つ道具の一つとして大切にしている。

 大切な思い出の写真とか、お守りを持ち歩くのは、フロイトの14の防衛機制の中では、摂取という機制にあたる。「自分の中に自分以外のものを取り入れて心の安定を図る事」が摂取である(「生き甲斐の心理学」97ページ)。

 お守りというと、今年の夏に、時間が余ったときに立ち寄った、第二次世界大戦の展示会が印象的だった。鉄砲の弾が当たらない祈りをこめたお守り。お守りとは、実に真に迫ったものであることを実感した。古代の壬申の乱などでも、恐らくお守りは大切にされたのだろう。持統天皇や天武天皇はどんなお守りを持っていたのだろうか?

 さて、自分の個性や傾向、自己実現(何のために生きているのか?)などと重なる場合は、摂取は爽やかだが、そうでないこともある。自分の心の底では納得していないのに、お守り(何かの現象ということも)で無理に納得し事態を悪化させる。

 宮本武蔵の名言「神仏を敬い、神仏に頼らず」は、微妙な摂取の扱い方を神仏を例に言っているように思うが、どうだろう? 

 心の仕組みを活かす 4/10

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死んでからも、なかよくしようね!(心の仕組みを活かす 3/10)

2012-11-24 | 第七章「光と復活体」

 植物でも、動物でも、もちろん人間でも「なかよく」は大事である。厳しい環境を生き抜くためには、共感しつつ「なかよく」共存することが大事である。しかし、自己実現を考えたりする場合に、適度に離れなければならないことも。

 同一化という防衛機制は、「自分ひとりでは不安なので、自分以外のものと自分が融合した自他一体感をもとうとする事」(生き甲斐の心理学 96ページ)である。

 自分の人生を考えても、この心の仕組みにどれだけ助けられたか判らない。そして、今でも助けられている。友人や同志、家族など、この防衛機制がなければきっと成り立たないのではないか。

 そして、それと共に、自分の個性とか傾向、自己実現を考えた場合、状況の変化の中で、この防衛機制がネガティブに作用することがあったのも確かである。思い出すのは、もう10年前になるが、長年勤めた会社を辞める時に感じたものであった。自分のアイデンティティや意志も今考えれば、軟弱であった。

 さて、昨日の続きであるが、持統天皇の祖母、皇極天皇(後に重祚し斉明天皇)を今日は考えてみたい。皇極天皇は、今でも時々ニュースになるほど話題性(波乱万丈の人生は持統天皇にも似ている)がある。二年前にも牽牛子塚古墳の隣接地に古墳が発見され、それが太田皇女(持統天皇の姉)ではないかと話題になった。牽牛子塚古墳は八角墳で、この発見でいよいよ皇極天皇のお墓である可能性が高まった。

 日本書紀等によると、皇極天皇は、悲運な身内や孫たちを引き取り、大切にされた優しい方だったようだ。持統天皇の幼少時代も母が悲惨な状況で亡くなったりする。姉の太田皇女や障害をもった弟の建王子、皇極天皇の娘で天智天皇との関係を噂された間人皇女等と難波宮近隣でなかよくしていたのだろう。吉田知子氏の飛鳥の風のように、倭姫王ともいらしたかも。

 そのなかよしは、皇極天皇が亡くなった後も、その墳墓やお墓の記録に残されているようだ。

 持統天皇も、きっと祖母の皇極天皇のそうした愛に育まれ、両親や祖父の悲惨にもかかわらず、健全に育ったのだと思う。

 ただ、厳しい時代の流れの中で、姉の太田皇女は若くして病死。姉の息子の大津皇子や娘の大伯皇女へも一時は身内として大事にしただろうが、敵対する関係になり、最後には甥を謀殺し姪を斎宮として排除する。同一化の防衛機制にも、倫理道徳に縛られない現実的行動をとった。それ故、持統天皇の理想とする国家体制に近づいたとも思える。

 この持統天皇のお墓は、同志の天武天皇と合葬されている。しかも、持統天皇は日本の皇室では最初に火葬され銀の骨壺に遺灰が入っていた。天武天皇は土葬なので、後から亡った持統天皇の意志が感じられる。

 死んでからも後に残るほど、深い同一化のこころの仕組み。深く考えてたい。

 心の仕組みを活かす 3/10

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大混乱の中でも、正しく判断する人!(心の仕組みを活かす 2/10)

2012-11-23 | 第七章「光と復活体」

 先日、伯父さんのところにお見舞いに行った。その時、紅葉の話が出て、大阪の箕生の紅葉の話で盛り上がった。私も関西に住んだこともあり、懐かしかった。それは、とにかく東京も紅葉・黄葉の真っ盛り。

 昨晩も、近くのアウトレットを散策したが、紅葉がライトで綺麗であった。高幡不動尊の紅葉はどうなっているのだろう。今日の雨、心配である。

 さて、今日は寝不足気味である。実は図書館で「飛鳥の風ー持統天皇」(吉田知子著)をようやく入手でき、読んでいたからである。まだ、最初のほうであるが、生誕前後のことなど、新しい見方などでワクワクしている。

 特に、持統天皇の祖父の蘇我倉山田石川麻呂と祖母の皇極天皇(斉明天皇)へ共感溢れる記述が素晴らしく、時々萬葉集を引き出したりし、時の経つのを忘れてしまった。

 古代史は、資料が限られていることもあり、その解釈は歴史家、小説家いろいろな人が、想像力逞しくされている。今「生き甲斐の心理学」でU先生に学んでいる持統天皇でも、かなり違う。今回の、吉田知子氏は幼少期に影響のあった祖父母をきちんと調べ解釈しているのは素晴らしい。生育史は誕生前夜もとても大事で、それ抜きでは語れないと個人的には思っている。

 蘇我倉山田石川麻呂は、日本書紀では、乙巳の乱(大化の改新)でクーデター時に声を震わせ怪しまれたとか、乙巳の乱の後、新冠位制になっても古い冠をつけて睨まれたなど評価は低く書かれ、最後には蘇我石川麻呂の変に行きつく。

 蘇我倉山田石川麻呂は息子たちと妻などで山田寺で亡くなる。ただ、吉田知子氏は、その解釈を深く暖かくされている。

 追って(天智天皇)に追い詰められた時、淡々と妻と息子たちで自決することになるが(天皇への無罪を主張しつつ)、石川麻呂が一家全滅を避け、息子達はあきらめても娘たちに希望を託し抗戦しなかったとしている。

 確かに、その後の歴史を考えると、娘たちは天智天皇の関係もあり廃絶とならず、その後、持統天皇、元明天皇、元正天皇・・。と女性中心に蘇我の血筋を残すことで生き延びる。

 もし、息子の興志の意見を取り入れ、抗戦していたら、持統天皇誕生もなかったかもしれない。

 「生き甲斐の心理学」では、あるがままの現実(感情に関係)をいったんは受け容れることを大切にしている。そして、倉山田石川麻呂のように自己実現の道をどこかで意識する(この場合は、蘇我氏の未来など)ことで、健全な昇華という防衛機制のもと、静かに亡くなったのではないか(被害を最小にしつつ)。

 注:昇華とは、「自分の欲求を、自分の納得できる方法で発散させること」(生き甲斐の心理学、90ページ参照)。

 死後、石川麻呂の死体が追手により首を切られ、それを知った持統天皇の母は、夫の天智天皇が謀殺の犯人であることを知っていることもあり、一説には狂い、やがて亡くなるとされてる。

 ただ、それにも拘わらず、持統天皇をはじめ子孫は逞しく生き残り、山田寺も、仏像開眼の法会などで子孫に大切にされる。石川麻呂の意志は、事件にも拘わらず脈々と継承されてきたようだ。

 蛇足になるが、一昨年であっただろうか。興福寺で久しぶりに阿修羅像を見に行った。その時に、山田寺の仏頭が国宝として展示されていることに気付いた。蘇我氏をその後排除し、政権奪取した藤原家の菩提寺に、石川麻呂を彷彿とさせる山田寺の仏頭があったのだ。

 紅葉が美しい季節。1300年以前の話であるが、今でも立派に通じる、昇華とか自己実現の事例なのだろう

 心の仕組みを活かす 2/10

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逞しく生きるポイントは防衛機制!(心の仕組みを活かす 1/10)

2012-11-22 | 第七章「光と復活体」

 昨晩は、大学時代のサークルのメンバーの飲み会に参加した。それも、昔、よく行っていた店で、懐かしかった。考えてみれば、40年近く楽しくお付き合いをさせていただいている。

 集まると、当時の人間関係にワープする。昔の一人ひとりの個性も変わらず、それが又楽しい。

 さて、この何気ない集まり。考えてみれば、不思議である。40年という歳月は、短いようで結構長い。振り返ってみれば、私もいろいろ、あった。恐らく、参加者全員、いろいろあっただろう。健康面、経済面、人間関係・・・まあ、タフな問題には事欠かないのがこの世である。

 少しオーバーかもしれないが、良くぞ生き延び集うことができた。という正直な感動がある。<友、遠方より来るまた楽しからずや>の心境かもしれない。その原動力は個性からくる、何かなのだろう。

 人は、とかく自分や自分史を過小評価しがちである。もっと・・・で生まれていたら。もっと・・・できていたら。あの時・・・していたら良かったのに。あの3年は無駄だった、だまされた。こんな感じである。しかし、どうだろうか?

 アフリカの少年兵のことを知ったり、祖先の苦労話(持統天皇の歴史など凄い)を学んだりすると、ちょっと見方が変わる。自分の不満の原因であるギャップ、・・・あるべき(理想)。今の状態・・・(現実)は固定的に観えて、変動的なのである。

 私は、40歳台のある日。突然、あるがままの自分でいいのだと解放された経験がある。自分のもっていた過度の無意味な理想が落ちた。それは、無条件の愛を感じた瞬間でもあったかもしれない。そんなこともあるのだ。

 そして、何故生き抜けたかを考えると、一見倫理道徳的に考えると、どうだったかなと思うことが、生き抜く鍵だったりする(勿論、周りに迷惑をかけたりということはあるが)。

 今は、コンピュータゲームは辞めてしまったが、40歳台のあるころ、毎晩のように憑かれたようにゲームをしたことがあった。それ故、日本の戦国時代の武将の性格は覚えてしまったが、あれは何だったのだろう。

 無駄と当時は考えたが(もう一つは、私の性格が勝ち負けで余り燃えないところがある)、「生き甲斐の心理学」を学んだ今となっては、その退行的行動は賛否両面があり、ある意味、喫緊な問題から距離を保てたということもあったようだ。

 この生き抜くポイント。それは、フロイトが理論を展開し、臨床心理学の基礎となっている、14の防衛機制である。これは生き抜く鍵であるが、同時に、こころの眼を曇らし鈍感になるマイナス面もある。

 この理解を深めると、適時の判断力が研ぎ澄まされ正確になり(直観がさえるというか)、また、無理のない生き方が送れるようになれる。私もまだまだで恥ずかしいが。皆さんと一緒に理解を深めていきたい。

心の仕組みを活かす 1/10

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四季はめぐり、再生を繰り返すようだ!(自分の中の神話 10/10)

2012-11-21 | 第七章「光と復活体」

  秋になり、住み慣れた多摩も木々が色づくが、木枯らしが吹き始めると、一挙に冬に向かう。そして、春が来て夏が来て・・・死と再生を繰り返すような四季が巡る。こんな日本に生まれてよかったと、年を重ねたのか最近考えることが多い。

 何か、四季を通しての日本的な「死と再生」の体感が、私には、どこか浸みこんできているのかもしれない。

 昨日は、四谷で「生き甲斐の心理学」の勉強会に参加した。U先生のお題は「現実吟味力」。自分の生育史において、何故生き抜くことができたかを考える良い機会だった。

 ふと思ったのは、自分の中の神話ではないが、どこかで「死と再生」が繰り返している現実である。身体も、自分の中のDNAにより、それこそ死と再生を繰り返し(身体の細胞は再生を毎日繰り返している)、生命体を維持しているが、心も同じように変化しているようだ。

 昨日は、勉強会が終わった後で、大国魂神社(境内の大鷲神社が中心)の酉の市に行った。威勢の良い掛け声あり、宝物殿が開いていて珍しい宝物を鑑賞したり(貴重な徳川家康をはじめ徳川家の将軍自筆の書状なども)し、楽しい時を過ごした。

 さて、明日からより良く生き抜くための現実吟味力をとりあげてみたい

    

自分の中の神話 10/10

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