イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

民話や神話でこころが開放!の不思議 (自分の中の神話 4/10)

2012-11-15 | 第七章「光と復活体」

 シンデレラ姫のお話は、誰も知っていると思う。継子いじめの話なのであるが、実は、日本では落窪物語として昔から枝葉は違うが存在していた。そして、この灰かぶり姫の話はグリム童話や中国その他、世界中に基本的には同じストーリが流布されている。

 このことを南方熊楠が調べていたそうである。恐らく、縄文時代、あるいはそれ以前に原型がある話であることを直観したのだろう。

 U先生のもとに集まる「生き甲斐の心理学」の学徒は、神話を勉強する。日本神話も勉強するが、ギリシャ神話とか、世界の神話も勉強する。心理学と神話は関係がなさそうで関係があるようだ。

 U先生が、雑談の中で語られたことで印象的だった一つに(私の思い違いかもしれないが)、ギリシャ神話を読んで心が開放された現象があるとのことだ。何でだろうと、当時はよくわからなかったが、だんだん判るようになってきた。

 その謎の解明に、今回の「自分の中の神話」で取り上げた、「ちびくろサンボ」のストーリーが神話公式(構造主義で有名なレビ=ストロースが考案した)に奇妙に当てはまることを述べさせていただいた。考えてみれば奇妙な話なのであるが、公式どうりなのだ。

 そして、恐らく、様々な神話や昔からの民話は、この公式が当てはまるように思う。

 さらに、自分のお粗末な人生経験を考えても、この神話公式に当てはまる不思議な出来事がある。

 こうした話や経験は、通常の合理的、分別的な世界の常識と違う。ビジネスの世界で、この神話公式を言ったら、変な人と相手にされないだろう。しかし、物事には結果として神話公式が当てはまることがある。極めて危険な状況が打開されたとか、大発明とか・・・

 そして、こうした経験の特徴は、ちびくろサンボであれば、怖いトラが、不思議な象徴であるホットケーキを残して消えるというように、何か微笑ましい。

 トラからホットケーキ!

 これと同じような諺も、そういえばある。

 瓢箪から駒!

 里山で見つけたカラスウリ。ここから何が出るのか楽しみ。これから、この式をもとに、進めてみたい。 

    自分の中の神話 4/10

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多摩の縄文・マインド・ダイバー!(自分の中の神話 3/10)

2012-11-14 | 第七章「光と復活体」

 「大阪アースダイバー」(中沢新一著)を読んでから、一時沈静化していた縄文熱が復活してしまったようだ。

 6-7年前、「アースダイバー」を読んで、東京だけでなく今住んでいる多摩の第四紀地図などを妄想し、多摩センターにある「東京都埋蔵文化センター」に行き、縄文時代等の勉強をした。

 今日は、ふらふらと散歩しつつ、近くの神社の30,000年前とか縄文時代の地形を想像したりした。もちろん、地形や建造物は、時代によって変わっていく(海面が上がって大河が現れたり、神社が墓地になったり・・・)。

 しかし、起源や原型を探ったり想像すると、つまらないような風景もイキイキしてくる。

 これは、自分の感情の起源(原型)を探るに似ている。

 先日、ちょっと娘と喧嘩をしてしまったことを思い出した。ゆるせないという感情の起源を、少し冷静になって考えている。それは、自分がいつの間にか持ってしまった理想(~すべき)から来ていて、何か引っかかったのだ。

 そして、その理想を深く探ってみると、実は自分にとっても、どこか馴染んでいない未消化の理想なのだ。心理学的には、まだ、アイデンティティの統合が必要な部分ともいえる。そして、その起源は4-5歳のころの体験に根差していたり。

 しかし、その4-5歳の時の体験は、母だけでなく、祖先・・・ひいては数万年の歴史があったりするかもしれない。特に宗教的なこと、哲学的なことなどはそうだ。

 人間の脳は、ある時期急速に進化したようである。この10万年とかのレンジで考えると、殆ど大差ないようである。昔は、縄文人は原始人?のようで野蛮というイメージがあったが、間違ったイメージだ。当然ながら縄文人と現代人は文化は違うかもしれないが、思考能力は変わらないのだろう。

 

 自分の中の神話 3/10

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冬至、ゆったりした時間を祝う!(自分の中の神話 2/10)

2012-11-13 | 第七章「光と復活体」

 今年の冬至は12月21日である。冬至は日本人にとっても古代から大切にしている時である。太陽の光が弱まり続け、そして、それが極に達した日に反転する祝日なのである。太陽の恵みが復活する感謝の日なのである。

 日本の盆(夏至)と、暮れ(冬至)は弥生時代、そしてその前の縄文時代から大切にされている。あるいは、5-6万年前に祖父母がアフリカを出立する以前からあったかもしれない。

 当然、仏教やキリスト教が成立する以前からである。

 さて、今日は縄文時代の、祖父母の気持ちを古代妄想(Kさんの発明造語)してみることに。

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 生き抜くことは、いろいろ大変だった。競争や葛藤もあり、自然の脅威もあり・・・感情も、罪悪感や嫉妬、疑惑や不信、殺意や怒り・・・もよぎってきた。もちろん。様々な悪いかもしれない行いをしてきた。

 太陽の光は、どんどん弱くなっていくではないか。日々寒くなり、食物の恵みも心配だ。分別で考えれば、もう限界。打つ手は無い。

 祖父母からは、冬至があるということを学んでいる(大湯のストーンサークル)。今年も皆で準備をしている。だが、今年も同じだとは、誰も保障してくれるわけでない。悲惨な歴史の記憶もある。

 そして、冬至。

 すべてが反転し始める。平等に光を与え続ける太陽の恵み。春に向かうのだ。神の恵み。我々はゆるされたのだ。自分ですら自分をゆるせなかったのに、ゆるされたのだ。太陽に感謝しよう。神に感謝しよう。ゆっくりと、この世というかあの世というか、この世界に感謝しよう。

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  昔の人は、地軸が23.4度傾いて、太陽の周りを回っているのを知らなかったからさ。この数百年の科学からの知見で笑うことができるだろうか。勿論、当時にもストーンサークルがあり、冬至の存在は知識としてあった。しかし、本質的に何が変わったのだろうか。

 今の時代。私はカトリックなので、冬至ではないがクリスマスを祝う。それは、縄文時代の祖父母が祝う本質と余り変わらないのではないか。そして、正月や初日の出も祝う。これも縄文時代と本質はあまり変わらないのでは。

 ゆったりとした時間の中で感謝しつつ。 

 自分の中の神話 2/10

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「ちびくろサンボ」の秘密!(自分の中の神話 1/10)

2012-11-12 | 第七章「光と復活体」

 幼いころに読んだ絵本は、人生を左右するほど影響力があると思う。母から与えられた絵本の中では、私は「ちびくろサンボ」が大好きで、正続二冊をぼろぼろになるまで読んだ。

 「ちびくろサンボ」はWikipediaによると、スコットランドのヘレン・バンナーマンのオリジナルだそうだが、米国等で海賊版が出回り、日本に紹介された「ちびくろサンボ」は海賊版のコピーだったそうである。その後、米国で黒人差別の原因となるというようなことで発禁になったそうだが、日本では問題なく発売できるにも拘わらず、自主回収ということだったそうだ。

 そうした歴史的背景は別にして、私にとって「ちびくろサンボ」は何だったのだろうか。改めて、先日読んだ中沢新一氏の「野生の科学」にあった、神話変換の定式(レヴィ=ストロース)を思い出しながら、考えてみた。

 熱心に読んだのは、私が幼稚園から小学生になるころだったと思う。そして、新しい未知の環境の中に投げ込まれる中(小学校に入学したり・・・)で、この本は、何か不思議な勇気を与えてくれたようだ。私も、体格的には小さく、主人公に似ていたが、自分より大きな友達と付きあったり、主張したり。この絵本は、何か私に力を与えてくれた。

 ストーリーは単純である(正編)。Wikipediaより抜粋:

両親から新しい靴・上着・ズボン・傘をもらったサンボは、竹藪に出かける。しかし通りかかったトラたちに喰われそうになり、身に着けたものを一つずつ与えることで許してもらう。サンボは裸にされ、号泣する。

一方トラたちは、戦利品を奪い合って木の周りをぐるぐる回りはじめる。その間にサンボは、与えたものをすべて取り返すことに成功する。トラたちは最終的に溶けてギー(インドのバター)になってしまう。サンボ一家はそのギーでパンケーキ(日本ではホットケーキと訳される)を焼く。マンボは27枚、ジャンボは55枚、サンボは169枚食べた。・・・

 考えてみれば、あり得ない話ではあるが、<か弱い><サンボ>が、<怖い><トラ>に遭遇し、最後には、<怖い><トラ>が消え、代わりにホットケーキとなり、<か弱い><サンボ>が<怖い><サンボ>となり、ホットケーキを169枚食べつくす。こういう構造になっている。奇想天外ではあるが、現代の人類学の常識になりつつある思考方法からして、とても自然なのである。

 考えてみると、これは通常の分別ある思考ではなく、野生の思考というか、非線形的神話的構造をもっているようだ。これを応用すると、嫌いな人が好きになったり、複雑な和解処理が可能になったり、分別思考が限界になるとき役にたつと思う。

 幼かった私を捉え、何か勇気を与えてくれたのも、決して不思議ではなかった。小学校に入って間もなく、アラスカに一年異文化の社会を経験した際も、貴重な財産になっていたのではと思う。

 そして、これは私だけでなく、戦後生まれの少年少女の心をとらえ、元気づけたのではないだろうか?

 尚、神話変換の定式(レヴィ=ストロース)の詳細な紹介や応用事例は、中沢新一氏の「芸術人類学」、「野生の科学」に詳しい。

 自分の中の神話 1/10

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螺旋状に上昇する生き方!(明るい感情 10/10)

2012-11-11 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 多摩動物公園では、入門してからアフリカ園や昆虫館に向かう道が坂になる。ゆっくりとカーブしながら坂道を上がるのだが、そこには様々な動物の足跡が道路に描いてあり、先日も孫も喜んでいた。

 スパイラル・アップとは、象徴的な言葉であるが、社会科学などでは良くつかわれる。日本語に訳する螺旋(らせん)状に上昇する・・・といった意味である。ある特定の目標をめがけて一直線に進むのが近道のようであるが、世の中、それでは成り立たないことが多い。

 子供でも(私たちと言った方が良いか)登れる勾配で、楽しく向かうのは螺旋が良い。直登コースは非現実的。

 「生き甲斐の心理学」を13年近く勉強してきたが、意識の世界と無意識の世界について学ぶ。意識の世界は、合理的でわかりやすいが、無意識の世界は、単純で合理的とは言えない。

 幸福といっても、幸福の条件は合理的であるが、幸福感は感情の世界で決して合理的一筋ではない。そして、この二つを観て行かないと幸福につながらない。

 感情とか五感とかは生命体(人間を含む)にとても大事である。朝顔の弦が光に向かって螺旋状に伸びたり、サボテンの花が不思議な弦を伸ばし咲く。人間にも同じようなところがある。

 高校生の時に、南伊豆を友達と泊りがけのハイキングをしたことがある。その時、私は地図を見て旅程を計画した(かなり合理的に一時間に4Km歩くとか)。ところが、山道はうねり、勾配もあり、途中林道もあったりで、夜になっても目的地に到着せず困った。運よく通りがかりのトラックに拾われて旅館に辿りついた。私の若気の至りである。

 それと同じことが、今の世間に起こっているようである。9.11、3.11、金融危機、自殺の増加・・・。そこまで考えなくても、私たちの身近にも様々な現象がある。合理的に分別で考え過ぎている・・・もっと、別の知が必要なのだ。

 私たちの祖先は、今より厳しい時代の中でも生き延びてきている。私が高校生だった時も、道に迷っても友達とワイワイ楽しく過ごし、助け舟も現れた。

 自分の狭い知だけでなく、別の原理を認め受容し、螺旋的な生き方をする。

 明るい感情 10/10

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