イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ほんものの自分の夢が判らない・・・からの脱出!(支援すること 3/10)

2013-06-25 | 第四章「愛とゆるし」

 自分は何のために生まれたのか?悔いのない人生って何だろうか?こうした自問自答は回答のない問い掛けのようだが、大変大事な問いかけだ。

 幼いころは、何となく人生は平々凡々と過ぎていくいくように感じていたが、今の世の変化は強烈である、10年、20年で随分変わる。最近数十年ぶりに学生時代の仲間に会う機会が多くなったが、昔の仲間の変化に驚いたりする。

 この20年で雇用も、家庭も随分変わった。そして、それに伴い信じられないことがいつの間にか自分自身の問題として起こる。もちろん、突然の病気など想像もしていなかったことが起こることも。

 何の為に生まれたのか?これは実に哲学的・宗教的問いかけである。人生の最後の一瞬に、生まれてきて良かった。と思い感謝の中でこの世を去るための、根本的な問い掛けだ。この領域の夢を夢1としよう。

 次に、この哲学的な問い掛けまで深くはないが、生きていく上では、職業や家庭や活動、趣味などの生き甲斐の問題もある。日々の幸福の条件や幸福感とも密接に関係するテーマだ。このテーマは人により、幾つかあるだろう。それをまとめて夢2としよう。

 さて、自分のことを考えてみたい。

 学生時代を通り抜け、今考えると夢1がまだ定まっていないのに夢2が定まってくる。就職して10年とかたつと、当時の環境からして夢1が不確かでも結構なんとかなった。会社が夢2を用意してくれる。そんな時代だったようだ。

 しかし、世の中の変化は急である。外資系企業であったので、その分、日本の平均的変化より大きかったかもしれない。

 そうすると、夢2の部分。特に幸福の条件を自らリニューアルしないと苦しくなってくるのだ。しかし、生育史の中で、いつの間にか強固に作られた夢2をリニューアルするのは大変なことである。

 また、夢1が定まっていると、幸福感の問題も少ないが、そうでなかった私は結構タフだった。夢1の根幹が決まらないと夢2で変に固執したりし世界が狭くなりがち。

 私の場合は、ある日不思議なことに夢1の問題が劇的に改善され、それに伴い夢2が見えてきた。これは大きいことであった。

 自分の夢は、生き甲斐の心理学によると、それが判らないとしても、自分の中に潜在していると考える。ただ、ストレスが強すぎるため、意識にあがってこないと考えるのだ。意識にあがるときの必要条件は、幸福曲線(喜びと楽しみの)の時とされている。

 アルキメデスではないが、お風呂に入っている時とか、聖なる場所でのんびりしている時とか、真善美に触れている時。そんな時に湧き上がってくるのであろう。

 素晴らしいカウンセリングや傾聴、生き甲斐の心理学の勉強会(心理学にも様々が学派があるので、幸福曲線を意識しない勉強会もあるので、注意が必要だが)なども、こうした系譜に入ると思う。

支援すること3/8

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正しい感情の訓練をしてみよう!(支援すること 2/8)

2013-06-24 | 第四章「愛とゆるし」

 写真は鑑真大和尚の御廟の門の鬼瓦であるが、古今東西の聖地には不思議な邪鬼のようなものがよくある。そして、そうした邪鬼のようなもののある世界を抜け出すと、何とも言えない聖なる空間が広がる。

 

 いろいろな解釈があると思うが、「生き甲斐の心理学」の学徒でもある私は、感情の訓練を思い浮かべてしまう。

 自分の人生を振り返ると、特に若い頃は感情に翻弄される自分を思い出す。突然、激しく怒り出す人に対し錯乱する。絶望感に襲われて錯乱する。勝手に身動きできなくなる環境に入ったのに、変に欝になる。仕事がうまくいかないのが原因で体調がおかしくなる。大事な人への怒りの感情をみつけて怒る。バクとした不安。

 しかし、自分の感情生活をいろいろ経験していくうちに、感情は単にスポット的でないことを、理論抜きに学んでいくようだ。錯乱の後の統御感。欝の後の幸福感。身体症状の後の健康館。怒りの後の友好的感情。不安の後の平安感・・・ちょっと脱線するが、幼いころ、父から肝試しの経験を聴いたり、夜、暗闇の中を買い物に行かされた経験を思い出す。考えてみれば、これも恐怖の後の安堵感等を経験させる知恵だったのかもしれない。

 生き甲斐の心理学は暗い感情には同質の明るい感情がペアのように隠れていて、状況が変化したり解釈を変えるなどで、180度移行できることを教えてくれる。そして、過去の自分の暗い感情の変遷を研究していくと、いろいろなことが見えてくるのだ。そして、自分の感情を理解すればするほど、感情自体を恐れなくなる。それは、自分の感情だけでなく他人にも当てはまる。

 世の中には支援する仕事が沢山あるが、その道のプロはこの感情の訓練を自然に身につけている方が多いようだ。自分も、仕事柄感情の訓練に磨きをかけていきたいが、その最重要なのは、様々な自分の成功事例、失敗事例だとおもう。

 支援すること2/8

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よき隣人になるとは何だろう?(支援すること 1/8)

2013-06-23 | 第四章「愛とゆるし」

 「隣る人」を昨日観た。日本カトリック映画賞の授賞式もあり、刀川監督や菅原理事長の鼎談まで聴かせていただき、いろいろ考えた。

 8年かけて「光の子どもの家」という児童養護施設を画いた映画であったが、人間にとって基本的な命題。他人を支援するとは何かを考えさせられた。こんな言い方はちょっと変だが、変な言い方になるのは、恐らく自分の中でもまだ消化できない問題があるからだろう。

 私も28年、普通のサラリーマン?をし。その後で、U先生の影響もあるがグループリビングを目指したことがある。その為に、5年間福祉の勉強をしたり、実際の仕事として障がい者の当時者運動の施設で働いたり、老人ホームで働いたりもした。勿論U先生の「生き甲斐の心理学」(臨床心理学がベース)を学びつつである。

 他人に寄り添うこと。それは、何も特殊なことではないが、福祉や医療等の世界では、それを仕事とする一方で自分の生計をたてる一面をもつ。他人も大切であるが自分も大切。この綱引きがあるのだ。そして、当然だが組織や法律などがあり運用されている。この中で、他人に寄り添うことの意味がバクとしてくる。

 これは、家庭でも同じだ。子どもを育てる。介護をする。肉親だからといって、やはり自分とは違う他人でもある。他人も大切であるが自分の大切。この綱引きの中で、何かがバクとしてくる。

 さて、U先生から学んでいる「生き甲斐の心理学」。これは、日本人の為のカウンセリング理論でもあるので、支援者の役割も当然定義されている。それは、シンプルに「被支援者の自己実現を援助する」・・・である。生身の人間の自己実現を援助するとは何だろう。比較文化論や比較宗教学を基盤とした世界に通じる人間観の一つとしては、人間は身体と心(臨床心理学の対象)と魂(宗教・哲学の領域)からなるである。そういう、不思議な存在としての人間の自己実現を支援するのだ。

 魂を持つ人間とは何だろうか? いろいろ理論があるが、魂を愛そのものと考えるのが私は好きだ。そして、愛そのものの魂をもつ人間を支援するとは何だろうか。

 自分と血縁関係もない人に、自腹を切って支援する保育師や施設長。常識という一線を越えてしまう理由は神秘的だ。

 支援すること 1/8

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愛が怖い!(プロセススケールを考える 12/12)

2013-06-22 | 第四章「愛とゆるし」

 自分の中には意識されている世界もあるが、無意識の世界もある。そして、通常無意識の世界は自覚されないが、不思議に現実の世界に、その片鱗をのぞかせることがある。

 そのひとつは、幸せな時をAさんと過ごしたあとに、突然思いがけない不幸を経験する。そんなことがあると、全く関係のないBさんと親しくなっていき、Aさんのときと同じように幸せを感じ始めると、Aさんの事件がどこかで重なり、不幸が襲ってくるのではないか・・・そんな傷つくことを怖がる不安が無意識の世界から生じる。

 そのために、本来Bさんとは関係のないAさんの事件が原因となって、Bさんを無意識に避けてしまう。愛が怖い・・・というような現象なのだ。

 人間の頭脳は気の遠くなるような時間で獲得したものであるが、どうも、いろいろ混同する傾向がある。これもその一つだろう。

 こうしたことは私も経験したが、知識としてこうした現象を知っているだけで、自分の中の変な傾向に気がつけば問題は解決したも同然だ。生き甲斐の心理学のテキストでは、この流れに気がつくだけで充分だとのこと。たしかにそうだと実感できる。

 もう一つ蛇足かもしれないが、他の問題解決としては、自分は何のために生きているか・・・そんな自問自答(永遠の問題ではあるが)も役にたつように思う。基本的な舵取りが確かであれば、知らず知らず変な傾向を乗り越えてしまうのではないだろうか。

 プロセススケールを考える 12/12

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愛の解釈が世界を変える!(プロセススケールを考える 11/12)

2013-06-21 | 第四章「愛とゆるし」

 今日のお題はビッグワードだらけ。ちょっと怪しいお話かな?と思った方も多いかもしれない。私自身も、このお題をつけるのに躊躇してしまった。しかし、身近な自分という存在を考えると、この言葉には真理が溢れていると思う。勿論、哲学や宗教の世界ともつながるが、生き甲斐の心理学でも実に大切にしていている問題なのだ。

 自分の体験で恐縮だが、忘れられない日がある。平成11年1月3日である。この日を境に、私の愛の解釈が劇的に変化し世界が変わったのだ。それを表現しようとすると、どうしてもお題のような表現になってしまうのだ。

 愛の孤独ということがある。心の健康にとっても極めて影響がある。愛の孤独がすべての元凶であるといってもよい。

 世の中には悲惨があるものだ。今日、食べるものもない住む場所もないという人が現代にも居る一方、美味しい食べ物を食べ心地よい住処で暮らしている人もいる。といって、貧しい人が愛されていると感じていたり、豊かな人が愛の孤独に陥っていたりする。貧困は解決しなければならない大問題であるが、愛の孤独も大問題だ。

 シンプルに自分が、どういう時に愛されていると感じるかという問題はとても大事。

 現在70億人の人が地球上に住んでいると言われるが、各自が感じる愛は70億とおりあるだろう。すべての人が固有の生育史を持つからだ。そして、各々の愛の原型が異なる。しかし、何故か、その事実を人はなかなか意識しない。・・も自分と同じようだと思いがちである。

 でも、親しくなると、そうはいかなくなる。愛の感じ方や愛の解釈が元凶で人と人を隔ててしまうことも多い。

 私も、そんな一人であるが、生き甲斐の心理学を学びながら意識することがある。それは、自分の狭い愛だけでなく、多様な他人の愛に興味を持つことだ。興味を持つだけで充分である。

 私の平成11年の大変化は残念ながら、生き甲斐の心理学を学んだためではなかったが、後から考えると自分のどこかで、愛についての思索を深め他者の愛に興味と関心をもっていたのは確かだった。プロセススケールの中の一つ体験の解釈が世界を変えるの事例なのであろう。

 プロセススケールを考える 11/12

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